光のない朝
もともと自分の名前は好きではなかった。
幼いころに図鑑で見たその花は、大きな形も鮮やかすぎる色も好みではなかったし、ひょろりと伸びた花芯はグロテスクに見えた。
古典の授業で同じ名前の女性が出てきたこともあったが、なんとなく冷淡で高飛車という印象しか持たなかった。
そもそも母音だけで形作られたこの名前ははっきりと発音しにくいようで、呼ばれると何となく口ごもるふうに聞こえて慣れなかった。
だから、あいつに名前を呼ばれたときには単純に驚いた。
頼りなく響くはずの声は、はっきりと、だがこれ以上ない柔らかさで耳に届いた。
どうしてそんな風に呼べるのだろう。
疑問は解かれることもないまま、その声は自分を呼び続けた。
名前を呼ぶたびに、あいつはふっと息を吐くように笑うのだ。
もっともi音で終わる単語ならなんだって笑ったような口の形になるのは当然で、気のせいだと言われればそれまでの一瞬の表情だった。
それでも表情を作ることの多いあいつが見せる、数少ない自然な笑みは錯覚でも貴重だと思った。
いつの間にか、この名前も悪くないと思うようになっていた……。
目を覚ました葵は、見慣れた天井に声にならないため息をついた。
もう一度目を閉じたところでなくした夢は戻らない。
呼び起された記憶に突きつけられた欲求。
今更、自覚して何になる。
もう、あの声が葵の名前を呼ぶことはないというのに。




