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いつか見た空の色・6

回想です。


「空が倒れた」


 敬司が硬い表情で声をかけてきたのは、五時間目の体育の授業の後だった。

 またか、と思いながらも背筋がすっと冷えた気がした。

 倒れた、というのはいつもの軽い貧血だろうか。でも、それなら倒れる前に空自身がだいたい気付く。 

 敬司がわざわざ言いにきたということは普段と違う何かなんだろうか。あるいはもっとひどい……、

 予鈴が鳴り響く中、迷うそぶりを見せた葵に敬司は言った。 


「行ってきな、保健室だから」





 授業がはじまって静まり返った廊下を足早に抜けていく。


(それにしても、多い)


 遅刻、早退、欠席。三学期に入ってもう何回目になるだろう。

 まともに一日学校にいる日がないんじゃないかというくらいに教室から姿を消すことが増えた。

 出席していても調子が悪いのが見ていてわかる。

 確かに今までも休むことは少なくなかったが、それでも年が明けるまではこんなにひどくなかったはずだ。


 何かが違う。

 それは空の態度にも表れていた。

 悪化する体調を押し隠すように、いつもにまして明るく振舞う。

 深刻な話題を避けて、病気のことを聞こうとするといつも話を逸らされた。

 そもそも、空が休みがちになってから二人になれる時間が減っていた。問いただそうにも放課後にさえなかなか捕まらないのだ。



 小さくノックをして保健室に入る。 

 空のおかげで顔見知りになった保健医に、奥で寝てるよ、とうながされた。

間仕切りのカーテンをめくる。


「空、」


 おさえた声で呼びかけるが返事はない。

 少し意外に思いつつも一番端の窓際のベッドに向かう。


「空?」


 再び声をかけるが反応はない。

 飾り気のないベッドに顔だけを出して、微動だにせず寝入っている。

 どうしたものかと思いながら葵は傍らにある丸椅子に座った。

 保健室に来るのは珍しくもないが、眠っている空を見るのは初めてだった。

 いつもなら横になっていても、葵が来ることをわかっているかのように必ず起きて待っているのだ。

 やはり、これまでと何かが違う。

 根拠のない不安を抱えたまま空の顔を眺める。


 白いな、と思う。

 血の気のない肌と端正な顔立ち。

 瞼を伏せたままぴくりともしないその様は、まるでよくできた人形のようにさえ見えて落ち着かない。

 もちろん洗いざらしのシーツの白さに比べたら、色のある肌をしている。

 だが、そんな当たり前のことですら確かめずにはいられないほど、動かない空の顔は無機質なまでに整いすぎていた。


 手を伸ばして白い頬に触れる。

 柔らかく指先を押し返す感触はひんやりと冷たく、葵の心もとなさを消してはくれない。

 体温はあてにならないのだ、空の場合は。

 杏香の言葉が蘇る。


(あいつさ、なにげに自分が低体温なの気にしてんじゃないかな)


 頬をなでる指を唇へと滑らせる。

 熱ならいくらでも持っていけばいいのだ。

 こっちは空を前にして上がるばかりの体温に、いつだって翻弄されているのに。

 いくらでも奪っていけばいい。

 その体が冷たいというのなら、もてあましたこの熱を吸いとって。

 少しでいいから冷まさせて。

 どうか楽にさせて。

 苛立ちに近い感情で薄紅い輪郭をなぞる。

 呼気を求めて押し当てた指に、空の唇が薄く開いた。


「あ、お」


 こぼれた声に心臓が跳ねる。

 爪の先から生まれた熱が、じわりと体を侵食していく。

 忌々しいくらい、熱い。

 馬鹿みたいだ。火照って、もてあまして、あがいて、吐き出す当てもなく、伝える先もなく、ただ一人で。


 不意に、触れたままの指を引っ張られた気がして葵は我に返った。

 目の前の光景に体が固まる。

 ゆるく開いた空の唇。

 挟まれた自分の指先。

 咥えられている、と認識するより先に、柔らかく濡れた感触に包まれてさらに深く誘いこまれた。

 引き抜くのは簡単なはずなのに、捕らわれた指を離せない。


 ……空から葵に触れたのは、あのクリスマスの夜以来だ。

 たとえそれが無意識からだとしても。

 空が、欲しがるなら。

 持っていって。

 吸い取って。

 奪い取って。

 どうせ心拍数も体温も上がっていくばかりなのだから。


 ちり、とかすかな痛みが走る。噛まれたか。

 まるで猫だな、と思うとおかしかった。

 熱に浮かされたように遠のきそうになる意識を引き戻して空を見れば、ようやく目を覚ましたところだった。

 2、3回瞬きをして焦点を結んだ目が葵を捉え、そのまま大きく見開かれる。


 そして葵は初めて、空の白い頬が赤く染まるのを見た。



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