第1章 オリビアは森で目を覚まします。
第1章 オリビアは森で目を覚まします
観光バスの床下収納から、長い弓のケースが次々に出てきます。
「それ、私のです。こっちへお願いします」
運転手さんから受け取ったケースを抱えると、後ろから声が飛んできました。
「先輩、まだありますよ」
「え、どれ」
「黒いの。あと、このバッグも名前ついてます」
「ほんとだ。多いなあ」
自分で持ってきた荷物なので文句は言えません。
弓が1本だけならまだいいのですが、競技用の道具をまとめたケースに矢、着替え、長いスタビライザーや細かな用品まであります。夏休みの合宿だからといって受験勉強を休めるわけでもないので、荷物はさらに増えていました。
「その重いバッグも私」
「何入ってるんですか」
「本」
持ち上げようとした1年生が、すぐに顔をしかめます。
「重っ」
「日本史と世界史と地図帳。あと数学と理科」
「合宿ですよ」
「受験生なんです」
山川の日本史と世界史、帝国書院の地図帳。数研出版の数学、物理、化学、生物、地学の教科書や参考書。それに問題集まで入れれば、かなりの重量になります。
学校が観光バスを1台借り切ってくれたから持ってこられた量で、自分1人で駅から運べと言われたら、最初から何冊か置いてきたでしょう。
「とりあえず部屋に置いてくるね」
「先輩、夕方も射ちますよ」
「分かってる。勉強はご飯のあと」
山の中の合宿所は、市街地より少し涼しく感じます。蝉の声が遠くから重なって聞こえ、射場の向こうには木々の濃い緑が続いていました。
空には雲が増えています。
そのときは、雨になるのかなと思っただけでした。
午後の練習が終わりかけたころです。
「もう片づけるよ」
顧問の声が聞こえます。
矢を回収した部員が戻り、射場のあちこちで弓を下ろし始めています。彼女も自分の道具を片づけようとしていました。
少し離れたところには1年生がいて、弓を持ったまま誰かとふざけています。
その子が矢をつがえたところまでは見ていません。
突然、身体に強い衝撃が来ました。
何が起きたのか分からないまま一歩動こうとして、脚から力が抜けます。
地面が近づきました。
「先輩!」
誰かが叫びます。
「動かさないで!」
「先生!」
「救急車!」
いくつもの声が一度に近づいてきます。
仰向けになると、木の枝の間から空が見えました。その視界の下に、自分の身体から伸びている矢があります。
それを見て、ようやく何が起きたのか分かりました。
「抜いちゃだめ!」
「触ってない、触ってないから!」
「先輩、聞こえますか」
「……聞こえる」
答えた声が、自分でも驚くほど弱く聞こえます。
近くで泣いている声がしました。矢を放った1年生なのかもしれませんが、顔を動かして確かめる気にはなれません。
「救急車、来るって」
「何分?」
「分からない。先生が話してる」
誰かが手を握っています。
さっきまで暑かったはずなのに、だんだん寒くなってきました。
「寒い」
「毛布持ってきて!」
「先輩、大丈夫です。救急車来ますから」
大丈夫と言われても、自分が本当に大丈夫なのかは分かりません。
雲が、さっきより低くなっています。
サイレンが聞こえたときには、ずいぶん長い時間が過ぎたように感じました。実際に何分だったのかは分かりません。
救急隊員の声が近くなり、周囲にいた部員たちが離されます。
「この矢はそのままです。固定します」
「はい」
「出血は――」
話している内容が途中から拾えなくなります。
担架が動き出しました。
救急車へ入る直前、顧問が誰かに尋ねています。
「ヘリは来られないんですか」
救急隊員は少し間を置いて答えました。
「今日は無理です。雲が下がっています」
「ドクターヘリもですか」
「飛べません」
扉が閉まり、救急車が走り出します。
すぐに身体が横へ揺れました。また揺れます。速度が上がったと思うと、カーブの前で落ちます。
山道なのだと分かりました。
「病院まで、どのくらいですか」
付き添っている顧問が尋ねます。
返事は聞き取れません。
救急車はまた曲がります。
道路がまっすぐなら。
もっと広ければ。
ヘリが飛べれば。
そんなことを考えました。
市内で救急車を見ることは何度もありましたし、大きな病院も知っています。救急車を呼べば、そこへ運んでもらえるものだと思っていました。
でも、ここには病院との間に山があります。
もう一度、大きく揺れました。
誰かに名前を呼ばれたので返事をしようとします。
声が出ません。
そのまま、何も聞こえなくなりました。
目を開けると、立っています。
「……え?」
自分の声が普通に出ます。
さっきまでの寒さも、痛みもありません。救急車も消えています。
周囲は白いとも黒いとも言えない場所で、遠近感さえよく分かりません。その中に1人だけ、人が立っていました。
顔は見えるのに、男性なのか女性なのかを決められません。
知らない人です。
それなのに、何者なのかは分かりました。
「神様ですか」
「はい」
「ほんとに?」
「はい」
2回とも同じ返事です。
彼女は自分の身体を見下ろしました。
矢も血もありません。
「私、死んだんですか」
「亡くなりました」
言葉がすぐには頭へ入りません。
「……病院には」
「間に合いませんでした」
「そうですか」
それしか言えません。
射場にいた1年生の姿を思い出します。前を確かめずに矢を放ち、その矢が自分に当たりました。
救急車が来るまで時間がかかり、山道を走り、天候が悪くてヘリも飛びませんでした。
そして、自分はここにいます。
「私は、あそこで死ぬ予定だったんですか」
「いいえ」
神様はすぐに答えました。
「あなたには、まだ寿命が残っていました。あそこで人生が終わる予定ではありませんでした」
「予定じゃない死に方ってあるんですね」
「あります」
「それで神様が来たんですか」
「私が管理している別の世界で、残っていた寿命を生きてもらいます」
彼女は神様の顔を見ます。
「それ、断ったらどうなります?」
「行ってもらいます」
「選択肢ないじゃないですか」
「ありませんね」
「聞いた意味がない」
神様は特に困った様子もありません。
「転生ですか」
「あなた自身はそのまま続きますから、転移に近いものです。ただし、今の日本人の姿では向こうへ入れません」
「身体は変わるんですか」
「変わります。向こうには人間以外にもいろいろな人がいます。エルフ、獣人、小さな人々もいます。性別も選べますよ」
「選べるんですか」
「どんな人になりたいですか」
急に聞かれて、彼女は少し考えます。
人間以外になれる。
そう言われて最初に浮かんだのは、昔から物語で何度も読んだ種族でした。
「エルフ」
「エルフですか」
「はい。私、アーチェリー部だったし」
自分で言ってから、少し笑います。
「弓を使うからエルフって、単純ですけど」
「構いませんよ」
「女の子のままでお願いします」
「純粋なエルフにしますか」
「混ざってない方で」
「分かりました」
神様が何かを確かめるように彼女を見ます。
「名前も必要ですね」
そして、聞いたことのない音を口にしました。
不思議な名前です。
音は聞こえていて、意味も何となく分かります。ところが自分の口で言おうとすると、途中で舌が止まってしまいました。
「これ、発音できません」
「今の身体では難しいですね。エルフになれば普通に言えます」
「人間の人は?」
「かなり難しいです。エルフは人間の町に来ると、植物の名前を通称に使うことが多いですよ」
「植物」
「はい」
少し考えていると、花の名前より先に一つ浮かびます。
「オリビアにします」
「オリビア」
「オリーブです。オリーブちゃん」
「では、人間の町ではオリビアで通るようにしておきます」
自分で決めた名前を、頭の中でもう一度繰り返します。
オリビア。
悪くありません。
「言葉はどうなるんですか。異世界なら、日本語じゃないですよね」
「話せるようにします。読めますし、書けます」
「それは助かります」
言葉から覚えろと言われたら、残った寿命のかなりの部分を語学に使いそうです。
「ほかにも必要なものがあります」
神様が続けます。
「まず回復魔法。怪我にも病気にも使えます。自分にも使えます」
「病気にも?」
「はい」
「便利ですね」
「向こうへ着いたら、すぐに自分へ使ってください」
神様の声が少しだけ強くなりました。
オリビアは首を傾げます。
「着いたら?」
「着いた直後です」
「どうしてですか」
「身体はエルフになります。ただ、生命の状態は、こちらで亡くなる直前から続きます」
数秒、意味を考えます。
「それ、死にかけたまま着くってことですか」
「ほぼそうです」
「危ないじゃないですか」
「危ないので、すぐ回復してください」
「神様が先に治してくれないんですか」
「そこはあなたの回復魔法を使ってください」
「変なところで自力なんですね」
「忘れないでくださいね」
「忘れません。2回目は嫌です」
そこまで聞いて、オリビアは自分の荷物を思い出しました。
「あの、私の弓とかどうなります?」
「持っていけます」
「日本の物をそのまま?」
「日本の物質をそのまま向こうへ移すことはできません。向こうの世界にある材料で同等の形を作れるものは、その材料を使った物へ置き換えます」
「弓も?」
「はい」
「矢も?」
「はい」
「スタビライザーも?」
「形と材料が成立しますから大丈夫です」
「向こうに競技用のスタビライザーなんてあるんですか」
「同じ用途の道具が知られている必要はありません。棒と重りと取り付け部分を作れる材料があれば足ります」
「なるほど」
全部持って歩く姿を想像すると、すぐに別の問題が出てきます。
「でも、荷物が多すぎます。観光バスだから持ってきた量ですよ。弓だけじゃなくて着替えも本もあります」
「収納魔法を使えるようにします」
「収納魔法」
「そこへ入れておけます」
「それなら何とかなります」
今度は本が気になりました。
「本も置き換わるんですよね」
「はい」
「日本史は?」
「向こうの歴史を扱う本になります」
「世界史は?」
「向こうの世界史に」
「帝国書院の地図帳」
「向こうの地図帳になります」
オリビアは少し黙ります。
「それ、すごく助かりません?」
「助かるでしょうね」
「知らない世界へ行くのに、最初から地図帳があるんですよね」
「あります」
「山川もある」
「あります」
急に、受験用バッグの価値が上がりました。
「数研の理科もありますよ。物理、化学、生物、地学」
「向こうと共通する自然現象は共通する内容になります。向こうにだけ存在するものについては、そちらに合わせた内容に置き換わります」
「魔法も?」
「扱われているものなら載っています」
「教科書に?」
「教科書に」
それは読んでみたくなります。
「向こうの大学とかで勉強すれば分かるんですか」
神様は少し考えます。
「大学はあります。ただ、あなたが日本で習ってきた自然科学と同じ形では発達していません」
「科学がないんですか」
「自然について考える人はいます。けれど、測って、確かめて、同じ条件で再現して、という方法が社会の中心になるところまでは進んでいません。大学は法学や歴史学が強いですね。医学もあります」
「医学も?」
「かなり怪しいものまで一緒にあります」
「それ怖いなあ」
さっき病院へ着けずに死んだばかりなので、余計に引っかかります。
「回復魔法があるのに医学もあるんですね」
「ありますよ」
その話は、向こうへ行ってから自分で見なければ分からなさそうです。
「それから交通手段も一つ能力を付けます」
「交通?」
「あなたがこれまで一度でも利用したことがある交通手段を、向こうへ呼び出せます」
「一度でも?」
「はい」
「今日乗ってきた観光バスも?」
「乗っていますからね」
「電車も?」
「乗ったことがありますね」
「飛行機も?」
「それも利用したことがあります」
オリビアはそこで黙ります。
自分が今まで何に乗ったことがあるのか、思い出し始めるとかなり多そうです。
「……これ、あとで確認します」
「そうしてください」
「どこへ出るんですか」
「町から2kmほど離れた森です」
「また山ですか」
「森ですね」
「今度は救急車が来なくても大丈夫なようにしたいです」
神様は、その言葉には何も足しません。
「町では、あなたは数日前からそこにいることになっています」
「どういうことですか」
「数日前に町へ来た、身寄りのない若いエルフです。宿へ泊まり、1週間分の宿代を先払いしています。朝と夕方の食事付きです」
「私はその数日を覚えてないですよね」
「あなたは経験していません」
「宿の人は?」
「覚えています。町へ入った記録もあります。身分証もあります。宿の帳簿にもあなたの名前があります」
「家族とか学校とか、そういう過去まで作るんですか」
「作りません。数日前に町へ来たところからで足ります」
「誰かの代わりに入るんじゃないですよね」
「誰とも入れ替わりません」
それを聞いて、オリビアは少し安心しました。
「宿へ帰ったら、向こうは私を知ってるんですね」
「そうです」
「私は知らないのに」
「そこは少し不思議でしょうね」
「かなり不思議です」
神様は最後に、もう一度念を押します。
「向こうへ着いたら、最初に回復魔法です」
「はい」
「収納を確かめる前ですよ」
「はい」
「地図帳を読む前です」
「分かってます」
「では、行ってらっしゃい」
「行ってきますって言えばいいんですか、これ」
答えを聞く前に足元が消えました。
冷たい土が頬に触れています。
オリビアは目を開けます。
高いところで葉が重なり、その隙間から光が落ちています。
息を吸おうとしても、うまく入りません。
「……っ」
胸が動かず、指先に力を入れようとしても、動いたのかどうかさえ分かりません。身体の奥には、救急車の中で感じた冷たさが残っています。
そこで思い出します。
「回復……」
神様が何度も言っていました。
収納より先。
地図帳より先。
オリビアは自分へ回復魔法を使います。
どうすれば使えるのかを考える必要はありません。使おうと思うと、身体の内側を何かが一気に走りました。
止まりかけていた呼吸が深く入り、胸が大きく動きます。
耳の奥で自分の心臓の音がします。
一度。
もう一度。
指が動きます。
手のひらで土を押すと、身体を起こすことができました。
「はあ……」
思い切り息を吸うと、湿った土と葉の匂いがします。
両手を見ても血はなく、服にも矢は刺さっていません。立ち上がって数歩歩いてみても、膝は普通に伸び、痛みもありません。
「治った」
神様が言った通りです。
それが、この世界ではどの程度の回復なのかまでは分かりません。
自分の身体を確かめているうちに、髪の間で指が何かに触れました。
耳です。
先が長く伸びています。
「おお……」
反対側も触ります。
同じです。
「ほんとにエルフだ」
それから、神様に教えられた本当の名前を口にしてみます。
さっきまで舌が動かなかった音が、今度は何の苦労もなく続きました。自分で発音できた名前を聞いて、オリビアは少し笑います。
「言えるじゃん」
もう一度言ってみても、やはり普通に発音できます。
ただ、人間の町ではオリビアでいいのです。
「オリーブちゃんね」
次に収納魔法を試します。
中に何が入っているのか意識すると、たくさんの物があることが分かりました。
「うわ、多い」
自分で持ってきたのだから当然です。
弓を1つ取り出して握ってみます。見慣れた形をしていますが、日本で使っていた物とそっくりなのに、細かな材料の感じが違います。
矢もケースもあり、長いスタビライザーまで出てきました。
「これまであるんだ」
持って歩くには邪魔なので、すぐ収納へ戻します。
今度は本を探し、最初に地図帳を出しました。
表紙を見ただけで、日本で使っていた帝国書院のものではないと分かります。
開くと、ページの間から折りたたまれた紙が一枚のぞいています。そこを開くと、地図帳の方は今いる地方のページでした。
別の紙を広げてみます。
地図帳よりずっと細かく、森の中には現在地を示す印があり、そこから町の門までの道と、町へ入ってから宿までの道順が描かれています。余白には、宿で会う人としてカメリア、デイジー、アカシア、ダリア8歳、アマリリス6歳という名前があり、それぞれの横に見分けられる程度の簡単な似顔絵も付いていました。
「これ、神様が入れたんだ」
異世界向けの地図帳になっていても、小さな町の宿まで載る縮尺ではありません。最初に迷わないよう、案内を別に用意してくれたようです。
紙を地図帳の同じページへ挟み直してから、今度は地図帳そのものを見ます。
読んだ記憶のない文字なのに、目に入った瞬間に意味が分かりました。
「これが言葉のやつか」
ページをめくります。
見たことのない大陸が載っていて、海岸線も山脈も国境も知りません。日本列島はどこにもありません。
案内用の紙が挟まれていた地方のページへ戻ると、森と道、その少し先に町が描かれています。神様が言った約2kmという話とも合いました。
「ほんとに地図帳になってる」
次に、山川の世界史だった本を出しかけて手を止めます。
「いや、これ始めたら町に着かない」
代わりに数研出版の地学だった参考書を取り出しました。
1冊くらいなら、ほんの少しだけ。
最初の方には岩石や鉱物の説明があり、知っている言葉も多くあります。ところがページを送っていくと、地下水の次あたりから見覚えのない図が増え始めました。
地下で生じる脈動。
脈動が集中して流れる経路。
地質構造との関係。
「なにこれ」
さらにめくると、聖水が生じる条件を示した模式図があります。地下水がどの地層を通り、どこで脈動と接触するかまで描かれています。
「聖水って、こうやってできるの?」
その次の章の見出しを見て、手が止まりました。
ダンジョンの形成と地下構造。
オリビアはページを戻し、もう一度見出しを確かめます。
間違いなく地学の参考書です。
「ダンジョンって地学なんだ」
図まで載っています。地下の脈動と空洞の形成、内部構造の変化について説明が続いていて、読み始めたら止まらなくなりそうです。
「だめだ。宿へ行こう」
参考書を収納へ戻し、森の中の細い道を探して歩き始めます。
木々の向こうが明るくなり、やがて広い道へ出ました。地図帳に挟み直しておいた案内用の紙をもう一度出して、向きを確かめます。
町はこっちです。
約2kmなら歩けます。
少し進むと、城壁らしいものが木々の間から見えてきました。
「ほんとにある」
地図帳では小さな記号で、案内用の紙では線で描かれていた町が、目の前に建っています。
その町には、数日前から自分がいたことになっています。
自分だけが、その数日を知りません。
門へ近づくほど、そのことの方が気になってきました。
門番らしい人がこちらを見ます。
オリビアは少し身構えましたが、男は顔を見るなり、特に不審そうな様子もなく声をかけてきます。
「おや、オリビア。森の方へ行っていたのか」
「はい」
返事が一瞬遅れます。
男は気にせず、道を空けました。
「暗くなる前に戻れてよかったな」
「ありがとうございます」
町へ入ってから、オリビアは小さく息を吐きます。
「ほんとに知ってる……」
宿の場所は、案内用の紙で分かっています。
自分でそこまで歩いた記憶はありませんが、紙に描かれた道順をたどって通りを進むと、やがて目的の建物が見えてきました。
扉を開けると、中にいた女性が振り向きます。
「おかえり、オリビアちゃん」
考える暇もなく返事をしました。
「ただいま帰りました」
案内用の紙にあった似顔絵から、カメリアさんだと分かります。
自分にとっては初対面なのに、カメリアさんにとっては数日前から泊めているエルフの少女です。
奥から、もう1人出てきます。
「オリビアちゃん、今日は少し遅かったね」
こちらも案内用の紙で見たデイジーさんです。
「森の方まで行っていました」
「そうだったの。夕食はもう少しだから、それまで休んでおいで」
別の場所から声がしました。
「お湯を使うなら用意するよ」
「お願いします」
声の主がこちらへ顔を出します。案内用の紙にあったアカシアさんです。
今度は足音が近づき、案内用の紙に8歳と書かれていたダリアが顔を出します。
「あ、オリビアお姉ちゃん」
その後ろから、6歳のアマリリスも走ってきました。
「おかえりなさい」
「ただいま」
2回目は少し言いやすくなっています。
「今日どこ行ってたの?」
ダリアが聞きます。
「森」
「何かあった?」
何か。
異世界へ来て、ほとんど死んでいる状態から回復魔法で戻り、自分がエルフになったことを確かめて、地図帳と地学の参考書を読みました。
全部話すわけにはいきません。
「本を読んでた」
「森で?」
「ちょっとだけ」
ダリアは不思議そうな顔をします。
「部屋で読めばいいのに」
「私も、そう思う」
カメリアさんが笑いました。
「ほら、オリビアちゃんも帰ってきたんだから、2人とも邪魔しないの。夕食まで遊んでおいで」
「はーい」
2人が戻っていきます。
オリビアは階段へ向かいました。
自分の部屋があります。
1週間分の宿代も払ってあって、夕食も出ます。
それだけでも、今夜については何とかなりそうです。
日本にいたころ、異世界へ行く話はよく見ていました。
赤ん坊として生まれ直し、何もないところから新しい人生を始める話があります。
もう1つは、今の自分のように森の奥や知らない場所へ突然現れる話です。そちらでは、そこから町を探しても、自分のことを知っている人は誰もいません。
森で目を覚ましたところだけなら、自分も後の方に近いと思いました。
けれど、町の門番はオリビアの名前を知っていました。宿へ戻れば「おかえり」と迎えられ、自分の部屋もあって、1週間分の宿代まで払われています。
「私、どっちとも違うんだ」
自分には覚えのない数日なのに、この町の人たちにとっては、その間もオリビアがここにいました。
神様は、自分を知らない世界へ放り出しただけではなく、先にここで暮らし始められる場所を作ってくれていたようです。
「なんか、優しいなあ」
世界のことは、まだ何も分かっていません。
部屋へ入ったら、まず地図帳をもう一度開きます。それから山川の世界史だった本も読みます。
この国がどこにあり、どんな歴史を持ち、自分がどんな場所へ来たのか。
知らなければならないことは山ほどあります。
数研の地学には、ダンジョンまで載っています。
受験勉強は、どうやらまだ終わらないようです。




