外れた思惑
ローマンの葬儀の日は雨だった。王都の端にある小さな教会で行われたのは、世間に騒がれたくなかったからだろう。教会側の墓地に喪服を着た人たちが参列者が集まっているのを、私は離れた所に停まる馬車の中で見送る。
「いいのか?」
黙っている私をジッと見ていた王太子殿下が口を開く。淡々とした口調ではあるけれど、その声には気遣いを感じた。忙しい公務の合間を縫って、こうして私に同行してくれたのだ。
「ええ、いいんです……私が行けば、余計な騒ぎを起こしそうだから」
葬儀の場には新聞記者たちも集まっているようだ。私と殿下がいるのが分かれば、質問攻めにしようとするだろう。伯爵家にも迷惑をかける。結婚式をすっぽかしたあげくに、王太子の結婚相手の公爵令嬢と共に逃亡し、その途中で襲われて死亡したなんて醜聞でしかない。今回の件はできるだけひっそりと片付けたいと思っているはずだ。とはいえ、事件が事件だけにそうはいかないだろう。なにせ、ミレーネ嬢が行方不明になっていることもすでに新聞記事になっている。
葬儀が終わるのを見届けて、ローマンの冥福を心の中で祈りながら別れを告げ、馬車を出してもらった。
「殿下、ありがとうございます。殿下がこうして同行してくださらなかったら、きっと、彼を見送ることができなかったでしょうから」
私は帰りの馬車の中でお礼を言った。王宮からも出してもらえなかっただろう。
「いや……君には申し訳なかったと思っている」
向かいの椅子に座った、殿下はそう言って目を伏せた。
「えっ、どうしてです?」
「本来なら、君もこのような形の結婚など望んではいなかっただろう。君は結婚を急ぐ必要などなかったのだから、本来ならもっと時間をかけて別の相手を選べただろう。私の事情に巻き込んでしまい、君にとっては大きな負担をかけることになってしまった」
真摯に謝罪されて、私は少し慌てて「頭を上げてください」と遮る。
「私こそ、申し訳ないと思っているんですから!」
「なぜだ?」
「なぜって、それは……殿下の方こそ、私みたいな子爵家の娘でなくても、もっと相応しい方をいくらでも選べたでしょうに。たまたま、私だったばかりに」
きっと、連れてこられたパッとしない娘を見て、がっかりしたに違いない。形ばかりの結婚とはいえ、教会で結婚証明書にサインまでしてしまったのだ。いずれ離婚して適切な相手と再婚するにしても、その事実は記録に残ってしまうだろう。
「私はいいんですよ。ローマンに結婚式をすっぽかされた時点で、もう結婚する見込みなんてなかったんですから。修道院にでも行くか、田舎に引っ込んで学校の先生でもしようかと思っていたくらいなんです」
一度、結婚相手に捨てられたような娘は、どの家だって自分の息子の妻には相応しくないと思うに決まっている。何か訳ありだと思うのが普通だからだ。それに何より、社交界では醜聞を嫌う。大貴族の令嬢ならまだしも、大した持参金も持たない田舎貴族の令嬢をもらおうなんて思う人は、現れなかっただろう。
「ですから、私のことはお気になさらず。この結婚が、仮の結婚だということは十分に分かっているんです。いずれ、離縁されることになることも承知していますから。あっ、もちろん王太子妃であるうちは、精一杯殿下と王家の恥にならないように務めさせていただきますよ! 自信は……ありませんが……」
私は苦笑いを浮かべる。いっそのこと、急病になったことして離婚されるまでの数年間、どこかの避暑地か、別荘で過ごさせてくれないかな。その方が、大失敗しないですむだろう。今なら、王太子妃が病気になったことなんて誰も気にしないだろう。むしろ、人々の興味の中心はミレーネ嬢の行方なのだ。いきなり王太子妃になった私がお飾りだということは誰の目にも明らかなので、多少話題にはしても、そこまで興味をそそられないだろう。大人しくしておけば。
「君は……そのつもりだったのか」
殿下の表情がわずかに変わる。驚きの色がその目に浮かんでいた。
「えっ、殿下はそのつもりではなかったのですか? 私は結婚式を乗り切るために連れてこられた仮の花嫁で、そのうち離婚して別の方を正式に王太子妃に迎えられるんですよね? 私、そのくらいのことで、傷ついたりしませんから、はっきり言ってもらって大丈夫ですよ! 私の体面なら先ほども申し上げたように気になさる必要はありませんし。あっ、できれば離婚の際にちょっとばかり慰謝料をいただけると助かります。もう、結婚は諦めているので……」
それくらいの要求なら、王家は飲んでくれるはず。と思っていたんだけど、殿下の表情がだんだん深刻なものに変わるものだから、私は大変失礼なことを申し上げたのかもしれないと、慌てて口を噤んだ。それはそうだ。慰謝料を要求するなんて厚かましい娘だと思われても仕方ない。だけど、こちらも切実な問題だ。本当は、結婚式の日の夜にしっかり話し合わなければならない問題だったのに、私がぐーすか寝ちゃったから。
怒っているかなと、私はビクビクしながら彼の顔色を伺う。顎に手を添えてしばらく考え込んでいた王太子殿下は、私を見てゆっくりとその口を開いた。
「いや……そうだな。急なことだったから、君にきちんと話が伝わっていなかったのも仕方ないことだ。だから、改めて今回の私たちの結婚について、いくつかの誤解を解いておかなければならないようだ」
「そうですね。私もそう思います」
私は緊張して姿勢を正しながら頷いた。馬車は王都の街道をガラガラと車輪の音を立てて進む。向かっているのは王宮だ。
「まず一つ目だが。王族である私に離婚は認められていない」
いきなり告げられた事実に、私はあ然とする。
「な……なんですって?」
あんぐりと口を開けた私の顔は、まさに間抜けなガチョウみたいだったろう。喪服の黒いベールを被っていてよかったと、こんな時なのに考えてしまった。
「それじゃあ、再婚は!?」
「再婚が認められるのは、妻が亡くなった時だけだ」
それってつまり? 私が死ななきゃ、殿下は誰とも再婚できないってこと?
えっと。待って。それはつまり、私は…………必要なくなった時には始末されちゃうってこと!?
それは、聞いていないんですけど――――――っ!!!!!!!!!!
私は両手で頬を押さえ、声にならない悲鳴を上げる。うっかり結婚しちゃったけど、離婚してその後は自由気儘に生きていけばいいや~~なんて気楽に考えていた自分の愚かさを呪いたい。つまり、私は用済みになったら、毒杯を煽って死ぬか、首を括って死ぬか、塔から突き落とされるか、首を切り落とされるか、選ばされたりするってこと!? 甘く見ていた。王家の歴史がどれほど血生臭いものか、女学校時代の歴史の授業でも習っていたのに。王宮には非業の死を遂げた女性の幽霊話がいくらでもある。離宮にもだ。
そういえば、結婚した妻が邪魔になり、愛人を王妃にしたいがために、妻を野犬の餌にした国王とかいたっけ。残虐王と呼ばれていた人だった。それも、離婚が許されなかったからなのか。平民も貴族も離婚が許されているから王家もてっきりそうだと思っていた。まさか、例外扱いだったとは――。いや、縛りがなければ、勝手に離婚や再婚を繰り返されて、その子どもたちの間で王位継承争いとか起こっても困るからだろうけども。
私はプルプルと震えて、「あの……じゃあ、私はどうなるんです?」と尋ねる。せめて、修道院で大人しく暮らすから生かしておいてもらえないだろうか。もちろん、慰謝料なんて要求しませんから。
「残念だが……」
王太子殿下は申し訳なさそうに目を伏せる。やっぱり、殺されちゃうのね!
私はショックを受けて馬車の扉に手をついた。短い人生でした。殺されちゃったローマンを哀れんでいる場合じゃなかった。まさに、次は我が身じゃないの!!
こんなことなら、結婚式にローマンが現れなかった時点で全力で修道院に駆け込むべきだった。教会の祭壇前でぼけーっと突っ立っているからこんなことに!
時間、戻ってくれないかな。魔法使いが現れて、私を結婚式当日の朝に戻してくれないかな。なんて、現実逃避して乾いた笑いが漏れる。
「教会で宣誓した通り、君には私の妻として、生涯添え遂げてもらうしかない」
「そんなぁああああ~~っ!!」
私は殿下の話を聞き流して、すっかり殺される気になって絶望し両手で顔を覆って泣き崩れる。
「申し訳ない。君がそこまで私との結婚を嫌がっているとは気付かなかった」
「えっ、あれ? 私…………殺されるんじゃないんです?」
顔を上げた私は、煩わしいベールを外して殿下を見る。
「誰に殺される心配をしているのか分からないが……君がそのことを不安に思っているのだとしたら、私は君を守る盾となり、剣となることを誓おう」
真摯な態度で言われて私はポカンとなる。また、間抜けなガチョウみたいな顔になっていただろう。ベールは外してしまったので、今度は殿下に丸見えだ。だが彼は笑いもせず、真剣な表情を崩さない。
「殿下は……私と添い遂げるつもりで結婚したんですか?」
「もちろんだ」
「離婚して再婚する予定ではなく?」
「それは不可能だ」
「そんな重大な、生涯一回きりの結婚を、あんなドタバタの中で強行しちゃってよかったんですか!? しかも、連れてこられたのはこの私なんですよ!?」
普通、結婚証明書にサインするのだって躊躇するだろう。彼はこの国の次期国王で王太子だ。「このような貧相な娘ではなく、もっと私に相応しい娘を連れてこい!」と命令することだってできたはずだ。そうすれば、側近たちは全力で美人で家柄もいい貴族令嬢をかき集めてきただろう。いや、かき集めるまでもなく、あの結婚式に参列していた貴族令嬢の中で希望者を募れば、大半はその手を挙げていたに違いない。
「なんら問題はないが……君の意思をもう少しきちんと確認すべきだったとは反省している」
「問題ないんですか!? いいえ、問題だらけですよ。私は……この通り、こんなですよ!?」
「こんなの意味がよく分からないが……家柄のことを言っているのだとしたら、子爵家は由緒正しい貴族の家柄だ。過去にも王族が子爵家や男爵家の令嬢と結婚した例はある」
それはそうだ。子爵家だろうが、男爵家だろうが、公爵家や侯爵家、王家といった大貴族の親族である場合がある。大事なのは家柄よりも血統。その点で言えば、うちは一応公爵家を祖としている。何代も前だから、遠縁ではあるけれど。家系図は三百年以上前に遡れるから、歴史は古い。
「いいえ、家柄だけじゃありません。こう言ってはなんですが……私はミレーネ嬢と比べても、あまりにも見劣りするではありませんか!」
あのミレーネ嬢が婚約者だったのに、実際に結婚したのがこの私なんて殿下が気の毒すぎる。王族だから表だっては言う者はいないけれど、陰では笑っている者もいるかもしれない。
「そうは思わないが……それに前にも言ったが、私は君の調査報告書を事前に目を通している。その上で了承したのは私だ」
「その調査報告書に私の容姿は載っていなかったでしょう!?」
「君は容姿を気にしているのか?」
「それは気にしますよ! 王太子殿下の結婚相手ですよ!? 殿下みたいなスマートで背が高くて、美形な男の人の隣に立てるような美人じゃないんです。背だって低いし、鼻だって低いし、髪の色だって少しも綺麗じゃないし、すぐにクシャクシャになるんですから。瞳の色も見てください。どんよりした曇り空みたいな色なんです。地味でパッとしないのは自分でもよく分かっているんです。この私が殿下のような方の隣に並んだら、余計にみすぼらしく見えます!」
私は胸を張り、自信満々にそう言った。だって、誰がどう見てもそう思うに決まっているもの。
殿下は私をマジマジと見てから首を傾げる。
「私は女性の容姿についてあまり吟味してみたことはないが、君の顔立ちや髪色や瞳の色は十分美しいものに見えるが?」
「…………へ?」
美しい? この私が? 瞬きしてから、「ああ、そうか」と私は思い出した。
「殿下はメガネをかけてから、私の顔をもう少しちゃんと見るべきです」
「朝食の時にはかけていたし、細かい字が見えづらいだけで君の顔ならちゃんと見えているぞ」
「いいえ、メガネが合っていらっしゃらないんです」
私は首を横に振った。殿下は納得しかねる様子で、「そうか?」と呟く。それから少し前に出て、ズイッと顔を寄せてきた。えっ、ちょっと急に近いです!!
至近距離でジーッと見つめてから、殿下はようやく離れてくれた。私はその間、息を止めていたから顔が真っ赤だ。思わず、鼓動の速くなっている胸を押さえてフーフーと息を吐く。
「やはり、君の瞳の色はとても綺麗だと思う」
きっぱりと言われて、せっかく扇いで冷ましている頬の熱がまた上がってしまった。
殿下は女性に対して礼儀正しく、紳士的であるように教育を受けているのだ。だから、たとえ本心ではこの不細工めと思っていたとしても口にはしないだろう。これは社交辞令。分かっていても美形に真顔で褒められると、私のような単純な田舎娘は簡単に舞い上がってしまいそうになるのだ。
「……そ、そんなはずはありません。私よりも綺麗な瞳の方はもっとたくさんいらっしゃるんですから」
それに美しいというのは殿下の瞳の色のことを言うのだ。王族に受け継がれる深く濃い青色の瞳。その瞳の方がずっとずっと美しい。彼の瞳が深い海の色だとしたら、私の瞳は沼地の水の色だ。
動揺してしまって声が上ずってしまう。
「そうかもしれないが、だが私は君の瞳の色はいいと思う。グレーは私の好きな色だ」
真っ直ぐ私を見たまま答える彼の眼差しから、目を離せなくなってしまって、私はギュッと唇を閉じた。心臓の音が漏れそうな気がしたのだ。
ローマンは軽薄でおべっかをよくペラペラと口にしていた。私以外の女性にだけど。私のことはそんなに褒めてくれなかった。多分、褒めるところがあまりなかったからだろう。ローマンが通りすがりの美人を鼻の下を伸ばしながら褒めちぎるのを聞きながら、うんざりしたのを覚えている。死んだ人を悪く言いたくはないけれど、彼との思い出はそんなものだ。
だから、男の人が女性を褒める時の言葉なんて、下心満載なんだから信じちゃダメだと思っていた。そんな言葉を真に受けて有頂天になるほど、物知らずな小娘でもないとも思っている。けれど、いざ自分が言われてみると、冷静さなんてどこかに吹っ飛んで、タンポポの綿毛みたいにフワフワして浮き上がってしまいそうになるものだ。
それとも、真面目そうな殿下に言われたからだろうか。彼がおべっかを口にするような人間には思えないから。その言葉を信じてみたくなってしまう。けれど、これは彼なりの気遣いなのだろう。本心だと思うのは間違いだ。
私は深呼吸して顔を上げ、「ありがとうございます。初めて言われました」と微笑んでおいた。
とりあえず、今のところ私は用済みになったからといって殺されるわけではないということがわかっただけでよしとしよう。
少しもよくない! 殿下に離婚する気がなく、言葉通り生涯私と添い遂げる気でいるということはだよ。私は生涯ずっと、王太子妃! いや、違う。今は王太子妃だけど、王太子殿下が国王になれば、王妃に昇格!!
この私が王妃になるの?
王宮のテラスに立ち、集まる民衆の前で笑顔で手を振ったりするの?
いや、それくらいの役目ならまだいい。それで役目が果たせるなら、いくらでも笑顔で手がもげるくらいに振りまくろう。けど、お世継ぎはどうするの!? 離婚した後に別の誰かが産むものだと思い込んでいたからすっかり安心していた。けれど、そうではないのなら産むのは私以外にいないということになる。つまり、清い結婚宣言はナシということだ。
しかも、お世継ぎとなる男子を産まなければならない。この国の王室は男子のみに継承権が与えられる。王女も歓迎されるが、その行く末は他国に嫁がされて外交の道具にされるか、大貴族の子弟と結婚させられるかだ。自由に相手を選べるわけではないのは、どの貴族も同じだけれど、王族ともなれば王家のため、国のために役に立つ結婚を求められる。
だから、王太子妃、ひいては王妃には、世継ぎの男子を産むという重圧がかかる。
私は魂が抜けたように、馬車の窓に頭を預けていた。
ローマン……。あなた、ほんと、なんで結婚式を逃げ出したのよ。あなたがすっぽかしてくれたおかげで、私はこの国の未来なんて大それたものを背負う羽目になってしまったじゃないの。どうしてくれるのよ。私はあのしまりのないニヤニヤ顔を思い出して渋面を作った。できることなら、生きているうちにあの顔に一発くらい張り手をくらわせてやりたかった。
ああ、もう。こうなったらミレーネ嬢が無事に戻ってきてくれないかな? ローマンの子どもなら、私が引き取ってちゃんと立派に育て上げるから! 王太子殿下は寛大な人っぽいから、男性経験とかそういうことは問わないと思うよ!?
私は膝の上で両手を握り合わせ、眉間に皺を寄せる。もう、ほんと私には無理だから、そうしてほしい!!




