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初夜ですが

 王宮に到着した私は侍女たちに囲まれて急かされ、控えの間で着替えとメイク直しを行う。先ほどは純白のドレスだったけれど、結婚披露宴用のドレスは華やかなバラ色のドレスで首飾りや指輪、髪飾りもそれに合わせたものに変えられる。そして出席した披露宴には、国中の大貴族や王族に加えて、招待された他国の王族や大使たちまで勢揃いしていた。


 正面の席には国王夫妻と、我が夫となった王太子が座っている。その隣に座る私は、明らかに場違いだった。私はただの子爵家の令嬢でしかない。本来なら、国王陛下や王太子殿下と並んで座れるような立派なご身分じゃない。


 さりげなく向けられる視線が痛くて、むしろ針のむしろに座らされている罪人のような気分になる。すみません、すみません、子爵令嬢如きの私が、こんな立派な席に座ってごめんなさいっ!! これは何かの間違いなんですと謝って回りたい心境だった。

 けれど、目の前に次ぎ次ぎと出される趣向を凝らした美しい料理は遠慮なくいただいておく。幸いにして、隣に座っている我が夫王太子殿下が、少しも緊張した様子を見せずにモリモリ食べていてくれるおかげで、私が食べていてもあまり目立たない。実のところ、朝からほとんど食べていなかったのだ。空腹で、何度お腹が鳴りそうになるのを我慢したか分からない。


 この際だ。明日には離婚宣言されるとしても、今のうちにしっかり食べておこう。それにこんな高級食材を惜しみなく使ったフルコース、子爵家じゃ晩餐会でも出てこない。一生に一度のものかもしれないんだから、悔いを残さぬようにお腹に詰め込めるだけ詰め込むんだと、子爵家の令嬢にあるまじく欲ばりなことを考えながら、笑顔を維持したままひたすらフォークとナイフを動かし続ける。誰かと目が合えば、取りあえず微笑みかけておけばいい。私はこの数時間で、すっかりそのことを学習していた。


 わりと、環境への適応能力は高いほうなのだ。子どもの頃、子爵領の森で迷子になった時も、三日間、野宿しながら生き延びた経験もある。健康体だし、自分でもポジティブな性格だとも思っている。


 事情は控えの間にやってきた父と母からようやく聞き出すことができた。小さな教会で子爵家と伯爵家の結婚式が慎ましく行われる予定だった今日、どうやら大聖堂では王太子殿下と公爵令嬢の結婚式が行われることになっていたのだった。


 そういえば、王太子殿下が結婚すると大いに話題になっていたけれど、私はこの半年間、田舎の領地で自分の結婚式に向けての準備で忙しく、すっかり忘れていた。王太子殿下の結婚式といえば、国の一大事。いずれは国王と王妃様になる人なのだ。一応、貴族の令嬢でありながら無頓着というのはどうかと思うけれど、ローマンは結婚式の準備を少しも手伝ってはくれなかったし、私は口を挟んでこようとする親族たちを何とか退けながら、自分の一生に一度の結婚式をなんとか成功させようと一人奮闘していた。

 だから、王太子殿下の結婚式なんて頭からすっとんでいたのである。そもそも、子爵家の令嬢なんて王太子殿下の結婚式に招かれるはずもなく、参列する予定もなかった。


 ところが、結婚式当日、ローマンは逃げ出して教会には現れなかった。私が一人ポツンと教会に取り残されていた同じ頃、近くの大聖堂で行われていた王太子殿下の結婚式でも大問題が発生していた。王太子妃になるはずであった、公爵家の令嬢ミレーネ=カストリアンが国の一大行事である結婚式を、なんと――すっぽかしたのである。朝、侍女がお嬢様を起こしにいくと、すでに部屋は蛻の殻で、置き手紙を残して逃亡した後だったというわけだ。


 なんだか、どこかで聞いたような話である。と思っていたら、どうやらミレーネ嬢が駆け落ちした相手というのが、我が元婚約者ローマン=リスモンドだったというわけだ。ということは、子どもができたというのはミレーネ嬢のことなのだろう。それを聞いた時には開いた口が塞がらなかった。あのバカ、女好きの尻軽男だと知っていたけれど、よりにもよって王太子妃になる予定のミレーネ嬢に手を出したらしい。それは、逃亡するしかないわけだ。そんなことが知れ渡れば伯爵家はおしまいだ。爵位も領地も返上の上、国王夫妻と王太子、それに公爵夫妻に謝罪したところで許されはしないだろう。


 それに、ミレーネ嬢もだ。王太子妃として教育を受けておきながら、別の男と密会して子どもまで作ってしまったなんて、歴史に残るような大スキャンダルだ。王太子との結婚なんてできるはずもなく、非難の的になること間違いなし。本当なら公爵家から勘当されて修道院送りになるところだっただろう。


 というわけで、この二人は手に手を取り合って示し合わせ、結婚式当日に逃亡を図ったというわけだ。二人の行方は目下、王家や公爵家、伯爵家の手の者たちが総出で捜していることだろう。けれど、おそらくはもう国内にいられないので海外逃亡でも企てているはずだ。もしかすると、すでに船の上かもしれない。私としては、出来ちゃったものは仕方ないんだからどこか遠くでお幸せにと祈るほかない。


 そんな大スキャンダルが起きてしまったのだから、新郎に捨てられた哀れな子爵令嬢のことなんて誰も気にしなかっただろう。そのまま結婚式は解散で終わるはずだったのだが、私のあずかり知らぬところでさらなる問題が持ち上がっていた。それが王太子殿下の結婚式である。


 私は花嫁になり損ねた気の毒な娘ですむけれど、この国の未来を背負う王太子殿下ともなればそういうわけにはいかない。結婚相手に逃げられて結婚式は中止になりましたなんて、そうそうたる参列者を前に言えるはずがない。まして、王太子と王太子妃のパレードを一目見ようと、沿道には民衆が待ち構えているのだ。「はい、解散!」なんて言って終われる問題ではない。最悪、暴動すら発生するだろう。


 そんなわけで、王太子にすぐさま結婚相手を用意する必要があった。けれど、今すぐに王太子妃候補を選定するとなると時間がかかる。悠長に選んでいる時間はない。そこに、ちょうど都合良く、新郎に逃げられて余っていた一応は貴族の令嬢がいたというわけだ。それが私である。


 子爵家ではまったく釣り合っていないけれど、それでもうちは歴史だけはある由緒正しい家柄だ。かなり遠いけれど、公爵家との繋がりもある。しかも、私は十八歳で王太子殿下の年齢とも釣り合いが取れている。そんなわけで、急遽、王太子殿下との結婚が決まったという経緯だ。


 私の意思は完全に無視されてしまったけれど、元々貴族の令嬢の結婚なんてそんなもの。親や親族が決めた相手と結婚させられるのが慣例だ。中にはパーティーで出会った釣り合いの取れた相手と恋に落ちて結婚する人もいるだろうけれど、そんなことは希なのである。別に恋に夢を見ているわけではないから、誰だれだっていいんだけども。相手が王太子殿下というのは想定外過ぎた。


 王太子妃ってことは、将来的に王妃になるということだ。今の王太子殿下には弟がいるが、側室の子だから王位継承順位はほぼ揺らぐことはない。このまま順当にいけば間違いなく国王となるだろう。そうなれば、私はその隣で王妃をやらなきゃいけないってことだ。子爵家の田舎貴族の娘で、パッとしないこの私がだ。私は特大のエビの身を頬張りながら、眉間に皺を寄せる。エビ、おいしい。ソース最高。コック、グッジョブ。なんて、現実逃避している場合ではない。


 そうか、わかった。これはあれだ。世の小説によく出てくる、形ばかりの結婚ってやつだ。今夜、きっと王太子殿下直々に、「やむを得ず君と結婚することになったが、愛し合うつもりはない。離婚するまで王太子妃として表向き、役割を果たしてくれれば十分だ」なんて宣言されてしまうのだろう。王太子は側室か愛人か知らないけれどその人との間に子どもを作り、世継ぎの心配がなくなった頃に私は離婚宣言されて慰謝料を渡されて王宮を追い出されるというわけだ。


 今回の結婚は、王太子と王家の面子を守り、体裁を整えるため。きっと王家の人たちは私を王太子妃として正式に迎えるつもりはないに違いない。うん、きっと離宮に押し込められて外部との接触禁止。離婚までは醜聞が広まらないように大人しくしていろってことだね。

 

 実を言うと、それも悪くないかもと思っている。相手は王家だ。慰謝料はさすがにケチらないだろう。それなりに役割を果たしていれば生活に困らない程度のお金はもらえそうだ。そのお金で、家屋敷を買うもよし。海外旅行を楽しむもよし。事業や投資を始めるもよし。


 子作りも必要なければ、そっちの心配もしなくてすむ。気ままな余生を楽しむためのちょっとした奉仕活動だと思えば気も楽だ。最初の婚約者には逃げられ、王太子には離婚された令嬢なんて、もう貰い手は見付からないだろう。結婚は諦めるしかないけれど、元よりそれほど強い願望があるわけでもない。


 離婚されたら、子爵領に戻って学校でも開こうかな。うん、それはいいかもしれない。子どもは嫌いじゃない。勉強はこれでも得意だったから、読み書きや算数、歴史を教えるのは問題ないだろう。そんな穏やかな生活も悪くないと思うのだ。


 私の前に置かれた柔らかそうなステーキ肉にフォークを入れる。それを頬張ると、お肉が口の中で蕩けてしまう。極上のお肉の味に私はうっとりした。よし、決めた。清い結婚上等。形ばかりの夫婦生活上等。王宮にいる限り、こうして美味しいものも思う存分食べられる。それだけでも、未来は明るいはずだ。


◇◇◇


 結婚披露宴が終わり、ようやく部屋に戻れたのは夜の十時を回った頃だった。今日一日で色々ありすぎて、もう何も考えたくない。通された部屋の豪華さに目を奪われ、感動する気力もなく、疲れ果てた姿のままドレスを脱がされ、浴室に放り込まれた。湯船で眠りそうになっていると、「いけません、溺れます!」とあのメガネの侍女に引っ張り上げられる。そんなこといっても疲れたんだよ。もう、気力も体力も残りゼロなんだよ。布団にダイブして寝るんだ。なんて、お湯に浸かったままうつらうつらしていると、「これより、大事なお役目が残っているのです。しっかりしてくださいませ!」とメガネの侍女に叱られる。


「えぇ~~まだあるの? もう、無理。もう寝る。今日の残りの予定はすべてキャンセルで、明日にしてください……」

 私は寝そうになりながら答えた。

「いけませんっ。これより王太子殿下が来られるのですから!!」

 その言葉にギョッとして湯船に沈みそうになっていた顔を上げた。そうだ。結婚式が終わったんだから、当然、初夜のあれやこれやが待っているんだった! そのために、侍女やメイドは私の髪や体を念入りに洗ってくれている。


 あっ、でも申し訳ないけど、その心配はないんだよね。だって、私は形ばかりの王太子妃だ。初夜もキャンセルされるだろうし、清い結婚宣言をされて終わりのはずだ。うんうん、きっとそうだよ。それが終われば、後は遠慮なく眠れる。私は勝手に一安心して、されるがままに入浴を堪能して疲れを癒やした。


 ネグリジェに着替えて寝所に移動すると、メガネの侍女は「殿下が来られるまでしばし、お待ちくださいませ」とメイドや侍女たちを引き連れて退室していった。


 天蓋のついた大きくて立派なベッドには私一人。誰に遠慮することもなく、「疲れた~~」と横になる。ベッドはフカフカでいい匂いがする。眠い。猛烈に眠い。待っていろと言われたけれど無理だ。瞼を開けていられなくて目を閉じる。


 清い結婚宣言しなきゃいけないのに。私はそのまま、眠りに落ちてしまったようで、目を覚ましたのはカーテンの隙間から光が射すようになってからだった。なかなか寝心地のよかったほどよく硬い枕のおかげで、爆睡してしまったらしい。と思って、ふと横を見れば端正なお顔が。


 私は飛び起きて、上げそうになった悲鳴をゴクンッとのみ込んだ。

 王太子殿下はまだスースーと寝息を立てて眠っていらっしゃる。

 ど、ど、ど、ど、どうして殿下が!?

 いや、結婚して夫婦になったのだ。同じベッドで寝るのは当然のこと。この寝室は王太子妃と王太子の部屋の双方に繋がっているらしいから、彼が入ってきたところでなんら問題はない。

 このベッドは二人で寝るためのもので、十分な大きさもある。


 まさか、寝ている間にすませちゃったとか!?

 ハッとしてネグリジェを確認したけれど、リボン一つ解けてはいないし。さりげなく手で押さえて確認してみたところ、下着も身につけている。体に変調もなければ違和感もない。唯一、問題があるとしたら頬に涎がついていたことくらいだ。しかも、どうやら殿下の腕を枕代わりにしていたらしい。その殿下はというと、ちゃんと寝間着を着ている。素っ裸で横になってはいない。


 つまりこれは、初夜は未遂だったと考えていいだろう。私が寝ていたから遠慮したとか?

 殿下も一日中行事で疲れ果てていただろう。初夜なんて迎える気力と体力がなかったのかもしれない。そんなに貧弱そうな人には見えないけれど。これはうん、たぶん私が眠っていたからだね。


 あああっ、ごめんなさい。昨日の夜、ちゃんと話し合いをするつもりだったんです。

 私は眠っている殿下に向かって心の中で謝罪しながら、ダンゴムシのように丸まった。

 なんて図太い女だろうかと呆れられた可能性はある。けれど、疲れ果てていたんです。決して、殿下を蔑ろにしたわけではないんです。


「…………起きたのか?」

 声がしてビクッとする。殿下が眠そうな顔をしながら体を起こした。腕が痺れていることに気付いたのか手を握り締めたり開いたりしている。

 すみません、それは私のせいなんです。私の頭が載っかっていたせいなんです。許してください。


「お、おはようございます……あの殿下。つかぬことをお伺いするのですが……」

 私はベッドにきちんと座ったまま、おずおずと口を開く。髪もボサボサで本来なら王族の前に出られるような格好ではない。おまけにすっぴんだ。ひどく不細工な顔になっているだろう。幻滅されないことを願うばかりだ。

「ああ、なんだ?」

「昨晩は……あの私……すっかり寝てしまっていて記憶がないのです。殿下はいつ、お部屋にいらっしゃったのでしょう?」

「おそらく、君が寝た後だ。疲れていたのだろう。ゆっくり休めたのだろうか?」

 逆に問われて、「は、はい、それはもう!」と頷く。


「それなら、問題ない。着替えたら、一緒に朝食を取ろう」

「はい……」

 ということは、やっぱり昨晩は何もなかったんだ。私が寝ていたから、そのまま殿下も寝たのだろう。形ばかりの結婚だから問題ないということなのだろうか。よく分からないけれど、私はホッとした。

 正直、相手が殿下であっても、よく知らない男の人といきなり同衾というのは勇気がいるし、心の準備も必要だ。気づかってくれたのだろうか。感情があまり読み取れない方なので分からない。話し方も淡々としているし、表情もあまり変わらないのだ。


 ただ、一緒に食事を取ろうと言ってくれるということは、冷たくあしらうつもりはないようだ。

 使用人の目を気にしたのだろうか。王宮内で夫婦不和の噂が立つのは都合が悪いだろうから。

 昨日の晩餐であんなにモリモリ食べたのに、朝にはもうすっかりお腹が空いていた。

 考えるのは後にして、私はのそのそとベッドから出る。殿下が鈴を鳴らすと、扉の外で待機していたらしい侍女たちが入ってくる。殿下は私の支度を命じて、奥の扉から自分の部屋へと戻っていった。




 

 

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