森の中
「キャバリック隊長……」
アルフレッドが護衛の騎士を連れて立ち去っても、リオン=キャバリックは項垂れて膝をついたままでいた。セシーナは一度唇を引き結んでから、「申し訳ありません、私が……っ!」と謝罪する。王太子妃のアイビーの護衛を任されていながら、彼女の行方を見失った。
中央大聖堂の化粧室の前で待機していたのは、セシーナだ。なかなかアイビーが出てこないため、声をかけたが返事がなく、化粧室に飛び込んだ時にはすでに姿がなかった。開いた窓からは雨が吹き込み、床を濡らしていた。自分で抜け出したのか、それとも潜んでいた何者かに連れ去られたのかは分からない。すぐにリオンや、王妃に知らせ、教会の騎士にも協力してもらい付近の捜索を行ったが、アイビーを見つけることはできなかった。
謹慎を命じられては、アイビーの捜索に加わる事もできない。おそらく、護衛の任務からも外されてしまうだろう。処罰は覚悟している。それよりも、アイビーの身の方が心配だ。彼女は一度、子爵家の屋敷で賊に殺されかけている。毒を混入された事もあると聞いた。王太子妃の身を狙う者がいる事だけは確かだ。
いきなり、王太子妃となった子爵家の令嬢。それだけでも、妬ましく思い、排除しようと試みる者はいるだろう。彼女の立場はそれほど危うい。分かっていたはず、万全を期していたはず。それでも、守れなかった。セシーナは悔しくて、拳を強く握る。その上、リオンまで謹慎を命じられた。彼に落ち度はないのに。
「…………行くぞ」
リオンはスッと立ち上がると、急ぎ足で歩き出す。セシーナは困惑しながら、立ち上がった。リオンが厩舎へと向かっている事に気付いたのは、宮殿を出た後だ。
「キャバリック隊長、謹慎を命じられているんですよ!」
王太子の命に背けば、より罪が重くなる。自分はかまわない。けれど、リオンはキャバリック公爵家の直系の子息だ。
「ああ、だから王宮にいても仕方ないだろう」
リオンは隣に並んだセシーナを一瞥して答える。
「どういう事です?」
「……目立たず動けるのは我々しかいないということだ」
その言葉に、セシーナはハッとする。リオンの胸ぐらをつかんだ時に、王太子のアルフレッドが小声で何か囁いていた。王太子が捜索に出れば、当然、今回の事を企てた者の耳にも入る。この行動も監視されている。カストリアン公爵が絡んでいるならなおさらだ。近衛騎士団の中にも、公爵の手の者は多くいる。
そういう事ならばと、セシーナは表情を引き締めた。
「分かりました。それでは、大人しく〝謹慎〟する他ありませんね」
「ああ、そうだな……」
二人は並んで歩きながら互いの顔をチラッと見る。厩舎から自分の馬を連れ出すと、マントを羽織って王宮の裏門から外へと出た。
リオンは追っ手を確認しながら、一度宿で馬を変える。雨が止まない暗い街道を駆けながら、彼が目指すのは王都の東門だ。王都の東と南にある城門は、日が落ちる頃には閉ざされる。緊急の伝令でもなければ、通行の許可は下りない。もしくは、王家の紋章入りの通行証を所持しているか。たとえ、大貴族であっても、無理に王都外に出ようとすれば捕らえられる。
「隊長、すでに王都外に連れ去られたと考えているのですか?」
セシーナは馬を並べて走らせながら尋ねる。横殴りの雨のせいで、マントは濡れて重さが増していた。
「妃殿下を攫った者が捜索されると分かっていながら、王都内に朝まで留まっていると思うのか?」
それはいくらなんでも間抜けな賊だ。朝になれば、当然城門の警備はますます厳重になっていて、積み荷も馬車の中も徹底して調べられるだろう。それなのに、人一人を隠したまま連れ出す事はできない。少なくとも、アイビーが自分で姿を消し、そして自分の意思で王都外に出ようとしたのでなければ。
「ですが……城門はすでに閉じているんですよ?」
「閉じていても、例外的に外に出られる方法はあるだろう」
「……例外的?」
「死体は夜でも城門を通れる。それも、疫病の疑いがある死体ならばだ」
リオンに言われて、セシーナはハッとする。確かにそうだ。夜間でも通れる方法が一つだけある。王都内で疫病に感染したと疑わしき者が死んだ場合は、王都外の墓地に埋葬する事が義務付けられている。それはかなり昔に、王都内で疫病が大流行した事があるからだ。その時には王都の人口が半分にまで減ったと言われている。その時の教訓から、疫病の蔓延を防ぐために、例外として設けられている規則だ。
東門が見えてきて、その前でリオンが馬を降りる。セシーナもそれに続いた。城門を警備していた兵に近付き、リオンは懐から通行証を取り出す。その通行証に王家の紋章が入っているのを見て目を見開いたセシーナは、思わず彼の顔を見た。その通行証を渡されたのは、謹慎を命じられた時以外にない。その時には、アルフレッドはアイビーがすでに王都内にはいない事を想定していたのだろう。いくらアルフレッドでも、王都外には簡単には出られない。だが、城門が開くのを待っていたら、アイビーを連れた賊からかなり引き離されてしまうだろう。
アルフレッドは、おそらく今夜の内に――カストリアン公爵家を押さえるつもりでいる。王太子妃捜索の名目で近衛騎士団を動かしたのだ。
(だから、妃殿下の捜索を私達に命じたのか……)
本当ならば、殿下自身がすぐにでも助けに向かいたいところだろう。絶対にアイビーを見つけ出して無事に連れて戻る事。それが自分たちに課せられた重い役目だ。手綱を握る手に力が入る。今度こそ、絶対にしくじれない。
通行証を目にした兵士は途端に姿勢を正して、「ご苦労様です!」と敬礼する。閉ざされた城門の代わりに脇の小門が開けられた。
「今夜、王都外に出た者はいるか?」
リオンが馬に乗り直して尋ねると、門番の兵たちは顔を見合わせる。
「そういえば……墓堀人が荷車で棺桶を運び出しました。医師の死亡診断書も所持していたので、確認の上通しましたが……」
城門の警備責任者らしき男がやってきて報告する。何か問題でも起こったのだろうかと、顔色を伺うようにビクビクしている。リオンとセシーナは視線をかわした。
◇◇◇
(硬い……)
王宮のベッドってこんなに硬かっただろうかと、寝ぼけた頭で考えながら体の向きを変えようとした。その途端、ゴツンと頭が硬いものにぶつかる。
「いったぁ……」
その痛みでようやく頭がはっきりして、私は真っ暗な空間を見回す。手と足が思うように動かせないのは、縛られているからだとようやく気付いた。しかも自分が閉じ込められているのはひどく狭い空間だ。人間一人がすっぽり入るくらいの広さしかない。頭を動かせば天井を塞ぐ板にぶつかる。何度もぶつけてみたけれど、天井は少しも動かない。おでこが痛くなってきて、私は涙ぐんだ。
「おい、うるせぇぞ。大人しくしてろ!!」
怒鳴る声と拳を叩きつける音が聞こえて、身を竦めた。
雨音と車輪の音、蹄の音が聞こえてくるということは、外を移動しているということだろう。
私は頭がズキズキするのを堪えながら、直前の記憶を思い出そうとした。中央大聖堂を抜け出して、ミレーネ嬢に指定された墓地に一人で向かったんだ。ミレーネ嬢が墓地で待っていて、彼女は私に大事な話をしようとしていた。その時、いきなり大勢の騎士が現れた。その先の事が思い出せないということは気を失ったのだろう。覚えているのは、ミレーネ嬢が悲壮な声で私の名前を呼んでいた事くらいだ。
(ミレーネ様は大丈夫かな……)
あれは、公爵家の騎士たちだ。ミレーネ嬢を連れ戻しに来ただけではなかったのだろう。私をあの場に呼び出した事が、ミレーネ嬢の陰謀だったなんて思わない。彼女もまた公爵家の監視の下にあり、その行動は筒抜けになっていたという事だ。公爵家の騎士たちなら、少なくともミレーネ嬢に危害を加えたりはしない。私のように棺桶に詰められて運び出されている、なんて状況には陥ってはいないと思いたい。それに、今は彼女の身を心配するより、自分の身を心配した方が良さそうだ。
私は起こした頭をコテッと戻して、ため息を吐く。まさか、このまま、本当に埋葬されたりしないわよね? 不安になってきて心臓の音が大きくなる。けれど、このまま生かしておいてもらえるとも思えなかった。人目のつかない場所で殺されるか、そうでなければ国外まで運ばれて売られるとか?
今はまだ夜中だろう。だとしたら、周囲は寝静まっているはず。大声で叫んだところで、人に気付いてもらえるかどうか。むしろ大騒ぎすれば、黙らせるために殺されるかも。
生き埋めと、このまま火葬にされるのと、一思いに刺されて死ぬのと、どれが一番マシな死に方だろうか。考えたくなくて、私は何度も深呼吸する。息苦しくて汗が滲んだ。
殿下は助けに来てくれるかな。リオンやセシーナはきっと捜してくれているだろう。一人で抜け出したのだから、こうなったのはリオンやセシーナの責任ではない。二人が怒られたり罰せられたりしなければいいけれど。
私なんて殺したところで、何にもいい事なんてない。けれど、私を狙う相手はそうは思わないのだろう。こんなあからさまな手を使えば公爵家にも疑いの目が向く。とはいえ、王家は公爵家が関与している証拠がなければ追及はできないだろう。そして、証拠なんて一つもない。私が生きて戻って証言したところで、自作自演と言われそうだ。少なくとも、私は自分の足で中央大聖堂を抜け出してきたのだから。さらに悪い事に、私が死人になってしまえば、騎士に殴られて気を失い棺桶に詰められた事を証言する者はいない。ミレーネ嬢が証言してくれれば別だけど無理だろう。彼女が公爵家の意向に逆らえるとは思えない。
何とか、ここから出ないと。せめて、手だけでも自由にならないだろうか。
私は後ろで縛られている手を動かす。縄がすれて手首が痛い。結目に触れられたけど、硬くて解けなかった。せめて、ナイフでもあれば。けれど、そんなものは隠し持っていない。
生きて戻れたら……殿下に頼んで細い隠しナイフでも作ってもらおうかな。なんて、生きて戻れない可能性の方がずっと高いのに。私は苦笑いを浮かべた。
それから、どれくらい経ったのか。急に外が騒がしくなった。男が、「おい、マズい……追ってきやがった!」と怒声を上げる。急に馬車が速度を上げたのか、揺れが激しくなる。馬の嘶きが聞こえた。何度も馬車が跳ねるものだから、私はそのたびに体や頭を側面や天井にぶつけてしまい、「痛たっ!」と声を上げる。その拍子にちょっとばかり舌を噛んでしまった。
「な、なに……何なの!?」
大声を上げたけれど、男たちは私にかまっている暇はないようで返事はない。喚く声に混ざって聞こえてくるのは――獣の咆哮だ。狼か野犬? それも、一頭ではないのは分かる。男たちの焦りようからして追われているのだろう。馬車は左に右にと揺れ、そのたびに私も棺桶の中を転がる。
悲鳴を上げそうになるのを必死に堪えて、歯を食いしばっている事しかできない。大きな音がしたかと思うと、強い衝撃に襲われた。肩を強くぶつけた私は、涙ぐみながら痛みに耐える。
男たちの悲鳴と絶叫、それに馬の鳴き声が聞こえてくる。外がどうなっているのか、確かめるのが怖い。むしろ、今、頑丈な棺桶に閉じ込められている事を幸いと思うべきだろうか。さすがに、犬や狼であっても棺桶を食い破れはしないだろう。けれど、すぐ近くで獣の唸り声が聞こえてハッとする。
首を捻って恐る恐る確かめれば、棺桶の蓋がわずかに外れて隙間ができていた。その隙間から獣の牙が覗いている。何とか隙間に口を突っ込もうとしているらしい。私は喉からせり上がった声を、何とかのみ込んだ。
野犬ではない。狼だ。隙間から雨水と一緒に血生臭い匂いが流れてくる。ガリガリと牙で棺桶の蓋を囓る気配と、唸る声がずっと聞こえていた。突き出した釘が口に刺さったらしく、狼は飛び退くように離れる。けれど、まだ離れる気配はない。グルルッと唸る声だけが絶え間なく聞こえてくる。
その間、生きた心地なんかしなかった。
大丈夫。棺桶の中にいる私まで囓れないと分かったら、諦めて離れるはず。それまで、私はジッとしているしかない。尖った釘を後ろで縛った手で触れてみる。これなら、縄を切れるかもしれない。釘の先端に縄を引っかけて恐る恐る動かした。
こんな所で、死にたくない。私は――。
殿下の顔が浮かんできて、私はボロボロと泣いてしまっていた。
絶対、戻る。王宮が、あの人のいる場所が私の帰る場所だもの。きっと心配している。
捜しているだろう。帰ったら、謝らなきゃ。そのためにも、生きて必ず戻る。
私は歯を食いしばって縄を少しずつ釘で削る。解けた時には皮膚が擦り切れて血が滲んでいた。
体をくの字に曲げて、足を縛る縄に手を伸ばす。
ようやく外が静かになったのは、隙間が見える外が薄らと明るくなり始めた頃だった。
雨音も聞こえてはこないから止んだのだろう。私は両手と足で蓋を力一杯押す。何度か蹴ったりしているうちに、何カ所か打たれていた釘が外れて蓋が動いた。
朝日が差していて、雨の名残の滴が落ちてくる。体を起こして辺りを見れば、森の中だった。小鳥が囀っているけれど、獣の鳴き声は聞こえてこない。ホッとしてふらつきながら立ち上がる。その途端、目に入ったのは壊れて倒れている荷馬車と、その周囲に広がる血溜まりだった。「うっ……」と両手で口を押さえて、後退りする。荷馬車の陰から倒れて動かなくなっている馬の脚が見えた。
踵を返して駆け出す。近くに食いちぎられた人の腕らしきものがあった。けれど、そこから先は確かめる勇気なんてない。ただ、私を連れ去った男たちはおそらく生きていないだろう。それを幸運とは思えなかったけれど、おかげで命はある。
息切れしながら、朝日に照らされた森の中を必死に走った。どこに行けば人の集落に出られるのかも分からない。ここがどこなのかも。ただ、夜になる前に森を抜けなければ、翌朝に死体となっているのはきっと私も同じだ。泥に足を取られて、ドサッと転がる。その拍子に細い木の枝で腕をこすってしまっていた。泥だらけのスカートをつかんで立ち上がる。
樹木の葉が青空を遮っていて、隙間から日が差す。大丈夫。きっと捜してくれている。助けは来る。転がっている馬車や死体にも、きっと誰かが気付くはずだ。
私は歩きにくい泥まみれのスカートの裾を引き裂き、それを目印代わりに木の枝に結んでおいた。
◇◇◇
何日目だろう――。
意識が朦朧としながら、ただひたすら森の中を進む。もう、日が暮れかけていた。また、昨晩のように狼の群れが現れるかもしれない。今夜も木の上でやり過ごすしかない。休む事なんてできなかった。水と野いちごくらいしか口に入れていない。ふらついて、考える事もだんだん億劫になってくる。
夜を迎えるのが怖いなと、足を止めて茜色に染まる空を見上げる。
立っているのも辛くて、木の幹にもたれて座り込みそうになった。
「アイビー!!」
殿下の呼ぶ声が聞こえた気がして、ゆっくり顔を上げた。幻聴かな。それでも、殿下の声が聞きたかったから嬉しくて少しだけ笑う。けれど、それは幻聴でもなくて、馬を降りた殿下が駆け寄ってくる。同行している騎士の中にセシーナとリオンもいた。ああ、二人とも元気だ。騎士団を辞めさせられたりはしていないのだろう。
安堵した途端に体から力が抜けて倒れそうになった。それを抱きとめたのは殿下だ。
「よかった……無事か…………」
心の底から安堵したような声が耳を掠める。殿下の腕がちょっと震えていた。
「無事ですよ……だって……迎えに来てくれると分かっていましたから」
私は目と目を合わせて微笑む。意識がフッと抜けて、私は殿下の胸に寄りかかるようにして気を失った。というよりも、耐えてきた眠気に抗えなかったのだ。




