墓地
「セシーナ。ちょっと、化粧室に行ってきてもいいかしら?」
大聖堂の廊下を歩きながら、私はコソッと耳打ちする。セシーナは頷くと、私を化粧室まで案内してくれた。リオンには先に貴賓室に向かうように伝えておいた。王妃様も、そこで大司教たちと話をしているだろう。セシーナや王妃様には申し訳ないけれど――きっと、今を逃せば機会はない。王宮に戻れば、そう簡単には外には出してはもらえないもの。後でこってり怒られるのは覚悟の上だ。
化粧室を見回して、小さな窓に駆け寄る。窮屈そうではあるけれど、出られないわけではない。それに、鍵もかかってはいなかった。私は窓を開くと、ちょっと行儀が悪いけれどスカートをたくし上げて窓縁によじ登る。ここは一階だから、窓から飛び降りるのはそう難しくはない。
外は雨が降り続いていて、すでに暗くなりかけている。私は稲光の走る空を一度見上げてから、駆け出した。大聖堂の礼拝堂では、一般の信者たちの祈願が始まっている。正面入り口の方からは大勢の人の声が聞こえていた。私は辺りを見回してから、正面入り口の方へと向かう。下手に裏口から抜け出すよりも、人混みに紛れてしまった方が見付かりにくい。祈願を終えて帰っていく人たちの列に紛れ、大聖堂から抜け出した。
◇◇◇
王都大聖堂から少し離れた場所にある墓地は、ローマンの葬儀で訪れた場所だ。
貸し馬車を降りて、私は雨で霞むその墓地へと足を踏み入れる。ドレスが濡れて重かった。裾にも泥が飛んでいるし、結った髪も解けてしまっている。こんな格好を後で王妃様やセシーナたちに見られたら、なんと言われるか。「ちゃんと、言い訳を考えないと……」と、ため息を吐いて、灯りも灯らない墓地を見回す。握っていた紙を開くと、雨に濡れてインクの字が滲んでいた。
丘陵に広がる墓地を上がっていくと、木の側に誰かが立っている。フード付きのマントを羽織った小柄な女性だ。彼女も一人なのだろう。離れて見守っている人もいなさそうだ。私は彼女に歩み寄る。お互いにすっかり雨に打たれてずぶ濡れの格好だった。
「ミレーネ様……」
私が呼びかけると、彼女はフードを脱ぐ。
「本当にお一人で来られたのですね」
「そう書かれていたので」
私は手に持っていた用紙を見せる。大聖堂の渡り廊下で、私を突き飛ばす時に彼女が渡してきたものだ。ドレスの襟に挟んで渡してくるとは思わなかったけれど、彼女も他の者に見られたくなかったのだろう。
「罠だとはお考えにならなかったのですか?」
「考えましたよ。でも……分からないじゃないですか。それに、罠でもあなたと話す機会が得られるなら、それを逃す手はないと思いました」
私は軽く目を伏せて微笑む。彼女は目を見開いて、それからすぐに顔を背けた。もう一歩だけ近付くと、小さく震えていた彼女が後退りする。やっぱりまだ、警戒されているのだろう。私はため息を漏らした。
「ミレーネ様も、私に話したい事があるのではないですか?」
でなければ、こんな無茶な方法で呼び出したりしなかっただろう。それに、そう多くの時間、抜け出しているわけにはいかない。きっと彼女の家の者も、捜しているだろう。それは私も同じだ。セシーナは私が化粧室にいない事に気付いている頃だろう。騒ぎになっているはずだ。
「…………た…………す…………」
俯いた彼女の唇が震えていた。雨音に消されそうなほど小さな声が漏れる。その時、彼女がハッとしたように振り返った。数人の騎士が駆け寄ってきて、彼女を庇うように前に出る。
「ミレーネ様!」
私が手を伸ばそうとした時、騎士の一人が「動くな!」と大声を上げた。気付けば、私も武装した騎士に囲まれている。
(公爵家の……っ!)
「早くお逃げくださいっ!!」
ミレーネ嬢が叫ぶ。騎士の男は彼女の前に腕を出して、飛び出すのを防いでいた。別の騎士が逃れようともがくミレーネ嬢の腕をつかんでいる。
「アイビー様!!」
彼女が悲鳴のような声を上げた。踵を返そうとした私は、頭に強い衝撃を受けてふらつき、ドサッと膝をつく。ミレーネ嬢が手を伸ばしながら、叫んでいるのがぼんやりと見えた。悲痛なその声が遠のいて、雨音に飲まれるように意識を失った。
ああ、どうしよう。これは無事に戻れても、怒られるだけではすまないかも。




