王妃様へのお願い
夜、私は寝室の大きなベッドの上で、殿下を待っていた。眠いけれど、今日は先に寝てしまうわけにはいかない。朝食の席では使用人の目がある。殿下とじっくり二人で話せる時間は、今この時だけだ。
「まだ、起きていたのか」
ようやく寝室に入ってきた殿下が、私を見て少し驚いていた。
「殿下にお願いしたいことがあって、待っていました」
「ほしいものでもあるのか? それなら、私の許可を得なくても君の裁量で注文すればいい。家政婦長に言えば、手配してくれるだろう。さすがに、土地や離宮を買うとなると、すぐには難しいが……」
「いいえ! とんでもない。買い物をしたいわけではないんです。必要なものは十分に足りていますから」
「そうか?」
殿下はベッドに入ってくると、私と向き合って小さく首を傾げる。体は大きいのに、その仕草が少しかわいらしく見えてしまった。けれど、今は胸をときめかせている時ではない。
「もうすぐ、聖母祭が行われるでしょう?」
「聖母祭? そういえば、そうだったな……」
「毎年、聖母祭には王妃様も祈願のために中央大聖堂に出向かれると聞いたのです。それで……その、厚かましいお願いなのですが……私もついでに、同行させてはいただけないだろうかと思ったのです。もちろん、王妃様のお許しがいただければの話ですよ!」
「……君は聖母祭で祈願をしたいのか?」
意外なお願い事だったのか、殿下は私の顔をマジマジと見る。
「それはもちろん。色々お願いしたい事がありますから!! ですが、私だけではなかなか王宮から出る許しはいただけません。王妃様と一緒であれば、警備の面でも安心だと思うのです!」
「そうか……いや、そうだな。確かに、母上にはかなりの護衛が付くだろう。母上も君と行く方が……喜ぶのではないか?」
「そうだといいのですが……煩わしく思われるのではないかと心配しているのです」
「それはない。母上も君と話す機会を作りたいとおっしゃっていたからな。色々あって先延ばしになっているが……確かに、聖母祭はいい機会だろう。母上には私から話しておく」
「お願いします! よかった……ダメだと言われたらどうしようかと」
私は胸をなで下ろして、ホッと息を吐いた。
「君は……そこまで……」
「え?」
「いや……なんでもない。ゆっくり休むといい」
殿下は言葉を濁し、上掛けに潜り込んで横になる。
なんだろう?
聖母祭に行って、誰かに狙われることを心配しているのだろうか。そんな事になれば、王妃様を巻き込んでしまう可能性もある。一緒に行く許可を貰えたとしても、やっぱり私の護衛も増やしてもらう必要があるのかもしれない。
うーん、でも殿下のことだから、きっと色々考えて手配してくれるんじゃないかな。
私はそう考えながら、上掛けにモゾモゾと潜り込んで横になった。
後は王妃様のお許しがいただけるかどうかの問題だ。
◇◇◇
王妃様からの招待を受けたのは、翌日の午後のことだった。殿下がすぐに王妃様に伝えてくれたらしい。それにしても、その日のうちに招かれるとは思っていなかった。レッスンも授業も中断し、すぐさま身なりを整えて庭園に向かう。
王妃様とその侍女は庭園の四阿で待っていた。私が「王妃様にご挨拶申し上げます。このたびは、急な私の願いを聞いていただき大変感謝しております」と、畏まって挨拶をする。
「あら、いいのよ。気にしないでちょうだい。それより、私の方こそ急に呼んでしまって申し訳ないわ」
王妃様はゆったり微笑むと、座るように手で促した。
私はカチカチに緊張しながら、王妃様が座るのを待って向かいの椅子に腰をかける。後ろには侍女や侍従、それに護衛の騎士が勢揃いしている。私が連れているのは、セシーナと侍女一人だ。
テーブルには、タルトや焼き菓子といったお菓子が並んでいて、つい目がいってしまう。コポコポとカップに注がれるのはローズヒップティーだった。
王妃様は三十代後半だが、かなりの美人だ。殿下の黒髪は王妃様譲りなのだろう。王妃様も美しい黒髪だ。細くて、私よりも小柄に見える。
緊張しながら、香りのいいほんのり酸味のあるお茶を味わっていると、カチャッとカップを置く音がした。私が顔を上げると、王妃様と目が合う。
「実はね。あなたが聖母祭に行きたがっていると聞いて、少し驚いたの」
「申し訳ありません! 図々しいお願いだとは承知していたのですが……どうしても行きたかったのです。聖母祭は一年に一度ですし……お願い事をしたいと思いまして!」
「ええ、そうでしょうとも! 私も陛下と結婚したばかりの頃、聖母祭に行って祈願をしましたもの。それから、毎年欠かしていないの。今年はあなたを誘おうかと思ったのだけれど……陛下にあまりせっつくものではないと叱られてしまったから諦めていたのよ? でも、やっぱりほら。どうしてもね。気になってしまうじゃない? 大事な事ですもの。だから、あなたが行きたがっていると聞いて、すっごく嬉しくて、ついこうしてお茶に招いてしまったの」
王妃様の目が期待と喜びに輝いていて、私はたじろいでしまった。えっ、聖母祭で祈願するって、そんなに大事な事だった? せっつくなって何の事? 公の場に出るには早いってことかな?
「もちろん、あなたと一緒に行くことには何の問題もありません。警護の手配や、教会への知らせも私から行っておきました。あなたに何かあっては困りますもの!」
「いいえ、私より王妃様の身の方が心配で……一緒に行くことになってご迷惑にならないかと気を揉んでいたのです」
それにもう手配が終わっているの? これから行うんじゃなくて?
なんだか、王妃様の動きが早い気がするんだけど?
「そんな心配はいらないわ。毎年の事だから、手間でもありません。フフフッ……アルフレッドは驚いたでしょうね。面食らっていたわ……」
王妃様は口元に手を添えて楽しそうに笑う。
「えっ、殿下が……ですか?」
どうして、殿下が面食らうのだろう。ただ、聖母祭に行きたいと言っただけなのに。
「ええ、アルフレッドも陛下に似て、早急に事を運ぶ性格ではないから、あなたが慣れるまではゆっくりでいいと考えていたのでしょうね。むしろ、あなたの地位と立場を盤石なものにするためには、急いだ方がよいというのに。あなたもそう思っているから、祈願に行きたいのでしょう?」
「はあ……いえ……えーと?」
私はお茶をチビチビ飲みながら首を傾げる。話がちょっと分からないよ~~~~。
王妃様は「分かっていますとも」と、大きく頷いた。
「任せてちょうだい。万事抜かりなく準備を進めますから。あなたは何の心配もいらないわ。あっ、当日はお揃いのドレスにしましょうね。きっと注目を集めますよ」
王妃様は少女みたいに目を煌めかせて、にこやかにそう言った。
「はぁ……いえ、もちろん……喜んで!」
◇◇◇
「私からご説明申し上げましょう」
部屋に戻った後、そう申し出たのはメイスン侍女長だ。
今日の王妃様とのお茶会は結果的に言えば目的を達したし、王妃様とも良好な関係を築けそうなので大成功と言えるだろう。少なくとも、不興を買うような事はなかったのだし、王妃様はちょっとこちらがたじろぐくらいに上機嫌だった。というか、浮かれていたような?
その事をメイスン侍女長に報告したところである。
「聖母祭はご存じの通り、聖母ユーリーン様の聖誕日でございます。この日、多くの者が祈願のために大聖堂や教会を訪れ、蝋燭を捧げるのです。聖母様は特に女性に加護と祝福、そして守護をお与えくださいます。ですから、この日祈願に訪れるのは女性の信者が多いのです」
「ええ、それは知っているわ。子供の健康や無事を祈ったりするのよね?」
「その通りですが、聖母様に祈願するのはそれだけではありません。未婚の女性ならば、良縁に恵まれ、思う方と添い遂げられるように祈願する事もございます。両親、特に母親が息子や娘に良縁があるように、無事に結婚できるように祈る事もございます。ですが、一番多いのは、子供を授かるように祈願する事と、安産の祈願でしょう」
「へぇ、そうな…………………………子供? あ…………安産~~~~!?」
思わず立ち上がったせいで、持っていたカップから紅茶が撥ねる。熱くて焦っていると、セシーナが慌ててカップを取り、ハンカチを差し出してくれた。お礼を言って受け取り、手についた紅茶を拭う。ヘニャッと力が抜けてソファーに腰を下ろした。
両手で押さえた頬が熱くなる。
なんてこと!
ようやく王妃様がはしゃいでいた理由が分かったわ。息子の嫁が、子授かりの祈願に行きたいと願っていると思ったのね。うわあぁ~~~~恥ずかしすぎる。帰り際にも「頑張って!」と、謎の応援をされた意味もようやく理解。なにを頑張るのだろうと思っていたけれど、そういう事!?
しかも、「はい! 頑張ります」なんて真面目に答えてしまった。道理で後ろに控えていた王妃様の侍女たちまでほっこりしたように微笑んでいたはずだ。
しかも、それを殿下の口から王妃様に頼ませるなんて。私はなんておバカで恥知らずな事をしてしまったのだろう。
「知らなかったの~~~~!! 全然、まったく知らなかったの~~~~!」
亀のように丸くなって顔を覆う。
「すみません……私はてっきり、アイビー様もご存じのことなのかと……」
セシーナが頬を掻きながら、申し訳なさそうに言う。セシーナは王妃様との話も後ろで聞いていた。
恥ずかしくて身もだえていた私は、ガバッと体を起こす。
「殿下も誤解してる!? ああ~~~~どうしよう!」
子供をほしがっていると思われてるのだろうか。だとしたら、今晩から殿下と顔を合わせるのが非常に気まずい。そうだ。今日は一刻も早く寝てしまおう。私は一度眠ると、朝までぐっすりだ。簡単には起きたりしない。
「王太子妃になられたからには、世継ぎを作ることは重要なお役目にございます。祈願をなさることは大変、良いことかと。王妃殿下とご一緒に行かれるのであれば、王家に正式に迎えられた王太子妃であるという事のアピールにもなります。今の状況を鑑みれば、それは大変重要な事かと」
メイスン侍女長は背筋をピンッと伸ばす。なぜかしら。侍女長まで圧が若干強いような気がする……。
確かに、ミレーネ嬢と公爵家は私の殿下の結婚に異議申し立てを行っている。公爵家派閥の家門も、同様に私を王太子妃とは認めていないだろう。大半の貴族は様子見をしているところだ。キャバリック公爵家は王家寄りだから支持してくれるかもしれないけれど。
私は今日は護衛についていないリオンの顔を思い浮かべる。
国王陛下も王妃様も、私が中途半端な立場にいることを心配しているのだ。今の私の立場は非常に弱い。しかも、今のところ一度も殿下と床を共にしていない。そのことが知られたら、公爵家の言い分が通り私は離縁されるかもしれない。王太子妃としての役目を果たしていないということになるのだもの。その上、私はローマン殺害の疑いまでかけられている。その無実も証明できてはいない。
王妃様が気を揉むのも当然といえば当然だ。けれど、私に世継ぎができれば公爵家が何を言ってこようとも私の王太子妃という立場は揺るがないものになる。だから、一刻も早く世継ぎを作れってことなんだろうけど~~~~。
私は頭を抱える。それがこれから王太子妃としてやっていくために、必要な条件であることは分かっている。殿下とそういう事になるのが嫌だというわけでもない。子供を産むのが嫌だも思っていない。むしろ、子供はたくさんほしい。今のままでいいなんて思っていない。
殿下を待たずに寝てしまう自分が悪いことも分かっている。けれど、ミレーネ嬢との事やローマンの事など解決できていない問題が多いのに、本当に殿下との子供を作っても大丈夫なのだろうかと不安になるのだ。事と次第では、私は王太子妃に相応しくないとレッテルを貼られてしまう。私だって、簡単に殿下の側を離れたくはないけれど、迷惑をかけることになれば身を引くしかない。その時の事を考えると、どうしても一歩踏み込めなかった。
できれば、全部片付いて、安心して胸を張って王太子妃ですと言えるようになってから、殿下と正式な夫婦になりたいと思っていた。でも、そんな事を言っていると、いつまでも無理なのかも。
唸っていた私は、ひとまず考える事をやめて頭を上げる。
「とにかく……目的を果たそう」
私が聖母祭に行きたいのは、子授け祈願のため――ではない。もちろん、行くからにはそれもばっちりお願いしてしまうだろう。
聖母祭に祈願のために中央大聖堂を訪れるかもしれないミレーネ嬢と接触する事。それが今回の目的だ。なんとか彼女を見つけて、少しだけでも二人きりで話をする機会が得られたら、彼女から事情が聞けるかもしれない。ローマンと逃げ出した経緯についてだけでも、彼女の口から直接聞きたい。
とりあえず、表向きは子授かりの祈願って事で。しかも、王妃様と一緒に中央大聖堂を訪れたら、嫌でも噂になるし、注目されるだろう。私が何を祈願しに来たのか、みんなに知れ渡るはずだ。ミレーネ嬢も分かるだろう。そんな状況で私と二人きりになって話をしてくれるだろうか。
私は顔が赤いまま頬杖をついて、ため息を吐く。色々と気を揉む事が多すぎる。
それにしても、殿下は私のお願いを聞いていったい……どう思ったんだろう。




