園遊会
初夏を迎えた頃、王宮の庭園で園遊会が催された。前日は雨が降っていたから天気が心配されたものの、朝には青空が覗き、心地良い風が湿気と雨の匂いを払う。咲き始めの薔薇が水滴を落としていた。招待された人たちは歓談しながら、出された軽食やお茶を楽しむ。招待されたのは、有力貴族とその子息や令嬢だ。
私は今日のために用意された爽やかなレモン色のドレスを着て、殿下の腕に手を添えながら微笑みを浮かべていた。その笑みの角度も油断すると下がってくるので、またクイッと戻す。護衛のリオンとセシーナも少し離れて控えていた。私の護衛騎士二人は近衛騎士の中でも小柄なことが、庭園を警護している近衛騎士や、殿下の護衛騎士を見ているとよく分かる。やはり、二人が選ばれたのは私が威圧感を感じないようにという配慮からなのだろう。
それにしても、近衛騎士って本当に美形揃いだ。そんなことを暢気に考えながら殿下に連れられて歩いていた私は、貴族の令嬢たちが集まっている場所にふと目を向ける。その中心で穏やかに微笑んでいるのは、カストリアン公爵令嬢のミレーネ嬢だ。私は彼女がいることに少しびっくりした。公爵家の令嬢なのだから、園遊会に招かれるのも当然だ。それに、公爵も離れた場所で他の貴族たちと話し込んでいる。
ただ、ミレーネ嬢は今話題の人だ。国王陛下の即位二十五周年の記念パーティー以来、公爵家からほとんど出ていないと聞いた。人の集まる場所には出ていなかっただろう。どうして、今日は参加したのか。あまり、引きこもってばかりでは余計な噂が広まると思ったのか、それとも別の理由があるのか。とにかく理由は分からないけれど、一月ぶりに見かけた彼女はやっぱり美しくて私でも目を奪われそうになる。彼女が立っているだけで、大輪の花がそこにあるように目を引く。
私はその姿を眺めながら、元気そうだなとちょっとだけ安心した。あんなことがあったとはいえ、別に彼女に恨みや私怨があるわけではない。むしろ、大丈夫だろうかと気になっていたから。
ぼんやり見ていたからか、ミレーネ嬢を取り囲んでいたご令嬢たちが扇をサッと開いてこちらに棘のある冷ややかな視線を向けてくる。公爵家派閥の家柄の令嬢たちだ。ミレーネ嬢を守ろうと楯になっているつもりなのだろう。分かっていたけれど、敵視されてる。
ミレーネ嬢にとって、私は王太子妃の座を奪い取って彼女を陥れた卑劣な悪女ということになっている。きっと私の顔なんて見たくもないと思われているだろう。公爵家の力は絶大だ。周りの貴族たちが私に向ける視線は余り好意的なものではない。この場には、私の味方はあまりいなさそうだとため息を吐く。それに比べて、ミレーネ嬢の周りには大勢の令嬢が集まっている。彼女の方がこの場では王太子妃に見えるだろう。それを見せつけるために、来た――と思えなくもない。
薄ピンク色のドレスを着て、髪に花飾りをつけた彼女はまさしく庭園に降り立った花の妖精のようだもの。うん、どこを見ても完敗だねと、私は早々に張り合うことを諦めて庭園を眺めることにした。それは分かっていたことだし、彼女と張り合いたいわけではない。できれば、穏便に、できるだけ早く皆様にご挨拶をして、適当なところで引き上げる。問題なく終わればそれでいい。トラブルを避けるために、余計なことを言わずに終始ニコニコ微笑んでやりすごす。挨拶のカンペも手袋の中に忍ばせてきた。
後はお隣の殿下にお任せだ。対処できない事態が起きたら、ひとまず気を失って乗り切ればいい。
ミレーネ嬢とそのお友達は、あまり刺激しないように極力接触を避けよう。あちらも、きっと私には声をかけてこないだろう。あっ、でもミレーネ嬢は殿下と話したいのかな。私がそばにいるから、近づけなくて睨まれているのかもしれない。少しだけ離れていようか……。なんて考えていると、ミレーネ嬢が急に私と殿下の方に真っ直ぐ歩いてくる。周りの令嬢たちも驚いたように成り行きを見守っていた。
うっ、どうしよう。今すぐ離れたほうがいいかな?
「カストリアン公爵令嬢。君が元気そうでなによりだ」
殿下が声をかけると、ミレーネ嬢はスッと綺麗なお辞儀をする。微笑みを絶やさないところも完璧だ。
「お気にかけていただき、ありがとう存じます。殿下がお一人でご公務に励まれていると聞き、ご心配申し上げておりました。私がお側におれば、少しはお役に立てましたものを……お側にいられないことを、心苦しく思っております」
ミレーネは胸に手を当てて、ほぉとため息をこぼす。
「王太子妃が私のそばにいてくれる分、安心して公務を行えている」
殿下がさりげなく私の肩に手をかける。
「カストリアン公爵令嬢、ごきげんよう。お元気そうでなによりです」
私が挨拶をしても、彼女は視線を下げて目を遭わさず、ただ優雅に微笑んだだけだった。
あっ、うん……そういう感じなんだね。目上の者から声をかけるのが礼儀だけど、私を王太子妃とは認めないという彼女の意思表示なのなのだろう。離れて見ていた貴族の令嬢たちは扇を開いて小さな声で話をしている。その扇の下で冷笑されているかと思うとあまり気分のいいものではないけれど、目くじらを立てるほどのことでもない。
空気のように存在感を消して黙っていることにした。ミレーネ嬢は殿下と会話を続けているから、私は「殿下、私少々失礼いたします」と伝えて側を離れる。護衛のセシーナとリオンも後をついてきた。リオンがしかめっ面なのは、貴族女性が多くて香水の香りが周囲にまで広がっているせいだろう。
「妃殿下……よろしいんですか? 殿下のお側を離れても」
セシーナが私に追いついてこっそり声をかけてくる。
「いいわよ。別に殿下を独占したいわけじゃないもの。ミレーネ様もお話ししたい事が色々あるんでしょう」
ミレーネ嬢はずっと殿下の婚約者だったのだ。幼い頃からの知り合いで、私より一緒にいた時間が長い。その間に、無理に割って入ろうなんて思わない。
「ですが……先ほどの態度はあまり感心しませんね」
「カストリアン家の令嬢はいつからあんな無礼者になったんだ?」
いつの間にか反対側に並んでいたリオンまで、不快そうな顔をしている。私は少しびっくりして彼を見た。
「なんだ?」
「やっぱりキャバリック公爵家とカストリアン公爵家って、仲が悪いの?」
「いいも悪いもない。ただ、お互いの家のことを五百年くらい目障りだと思っているだけだ」
リオンはあっさりそう答える。私は「なるほど」と、頷いておいた。どちらも古い家柄で、かつてはそれぞれの家が王子を擁立し、王位を巡る戦争を繰り広げていたこともある。因縁は相当あるのだろう。
「本当、心強いわね」
「言っておくが、キャバリック公爵家は王家に忠誠を誓っているだけだ。お前はついでだからな!」
リオンは周囲に聞こえないように声を落として、ジロッと睨んでくる。
「ついででも、守ってもらえるだけありがたいってことよ」
「そうですね。この場には敵が多そうですから。キャバリック隊長が妃殿下の護衛をしているってだけで、軽んじてくる者は減ると思います」
セシーナも小さく笑って言う。
二人に挟まれて歩きながら、私は庭園をキョロキョロと見回した。今のうちに、私はアンリエットとジェーンに会っておきたい。二人とも、私が招待状を送ったから来てくれているはずだ。そう思って捜していると、ケーキの並んだテーブルに張り付いているアンリエットの姿を見つける。ジェーンも一緒にいるようだ。
その姿を見て、「うっ」とリオンが後退りする。天敵と対峙した時のような反応だ。護衛のはずなのに、なぜか私の後ろにさりげなく隠れようとする。リオン……それはちょっとかっこよくないわよ?
アンリエットが振り返り、私の姿を見てニパッと笑う。手を振ろうとして、ジェーンに慌てて止められていた。ここは子爵家の庭園ではないのだから周りの目がある。
私も二人に駆け寄りたい衝動を堪えて、淑女らしくお辞儀をしておく。二人も取り澄ましたようにお辞儀をしていた。
「あっ、アイビー様のお友達ですね」
「セシーナ、ちょっとお願いしてもいいかしら?」
私はセシーナを手招きして耳打ちする。セシーナは頷くと、「妃殿下、少々失礼いたします」と断ってから側を離れた。
「おい、なぜドーリッシュが側を離れる」
「護衛はリオン一人でも十分じゃない。庭園に狼が出るわけでもないんだから」
私は適当に挨拶をしながら庭園を一周し、さりげなく迷路になった薔薇園の方に移動する。
「リオン、あなたはここで誰も来ないように見張っていて」
「はぁ!? どこに行くつもり……どちらに行かれるのです!?」
リオンが急に口調を変えたのは、巡回している近衛騎士がいたからだ。コホンと咳払いして急に、近衛騎士らしい態度に戻っていた。
「密会よ、じゃあ、よろしくね」
私はニヤッと笑って彼の胸を軽く叩き、近衛騎士が立ち去るのを待ってから迷路の中に入る。様々な品種の薔薇が植えられて花の香りが漂っていた。私は早足で歩いてから、誰も見ていないのを確かめて駆け出す。その先の四阿で、アンリエットとジェーンが手を振っている。四阿の前には、二人をここまで連れてきてくれたセシーナが待機していた。
「アイビー! 怖かったよぉ~~。変なおじさんがいっぱい話しかけてくるし、ニヤニヤした髭がずっと見てくるの。ジェーンがいなかったら、困ってたよ~~」
四阿に向かうとアンリエットが抱きついてくる。
「ごめんね~~アンリエット。こんなところまで呼び出して」
アンリエットの頭を撫でてから、セシーナに「ありがとう、二人を連れてきてくれて」とお礼を言った。
「いいえ、こういう悪巧みは実は大好きなんです」
セシーナがニコッと微笑む。
四阿の中に入り、二人に椅子を進める。セシーナにも座るように進めたけれど、「護衛ですから」とお断りされた。誰かがやってきた時にすぐに動けるよう、四阿の階段の前で見張りをしてくれるようだ。うん、仕事できるよね。セシーナ。
それに、園遊会の最中だから、そう長く二人ともおしゃべりしているわけにはいかない。ガーデンテーブルの上にはお茶のティーポットとお菓子が用意されている。この場にメイドはいないから、私がカップにお茶を注いだ。
「二人とも、来てくれてありがとう! よかったわ。顔を見れて」
「急にまた、王宮に戻ったと聞いたからびっくりしたわ。子爵邸に賊が入ったんですって?」
ジェーンがお茶を飲みながら声を潜める。アンリエットはカラフルなマカロンの食べ比べをして楽しんでいた。
「ええ、そう。父様が私を助けようとして二階の窓から転落したの。幸い、ひどい怪我を負ったのは侵入者だったけどね。真夜中なのに大騒ぎよ。それで、やっぱり王宮の方が安全ってことになったの」
「毒を盛った主謀者すら分かっていないんでしょう?」
「そうだけど……どこにいたって危ないことには変わりないもの。それなら、王宮に戻りたかったの」
「……ふーん。まあそうね。殿下の隣にいる方が安全だわ。それより、大丈夫? 例の公爵令嬢も来ているんでしょう?」
「もしかして、〝修羅場〟になるの!?」
マカロンを頬張りながらも話を聞いていたアンリエットが、目を輝かせて口を両手で押さえる。
「いったい、どこで覚えてきたのよ。そんな言葉……」
ジェーンが訊くと、アンリエットは「えへへ」と笑っていた。
「小説に書いてあったよ。女同士の戦いのことをそう呼ぶんだって」
「また変な小説を読んでるわね」
「修羅場にはならないと思うけど、私も気まずいから逃げてきたの。ええっと、それで……二人にお願いしていた件、何か分かった?」
私はテーブルに身を乗り出して尋ねる。
「兄さんに頼んで調べてもらったわ。ローマンがよく出入りしていた店のリスト……」
ジェーンも身を乗り出すようにして私に顔を寄せ、折りたたんだ紙を渡してきた。それを受け取って確かめると、賭博場や秘密クラブ、それに娼館の名前が並んでいる。かなり詳細に調べてきてくれたようだ。
「よくここまで調べられたわね……」
「ローマンは目立つ振る舞いばかりしていたもの。隠そうともしていなかったし。その筋では有名だったということよ」
ジェーンは椅子に座り直して肩を竦める。アンリエットは分かったような、分からないような顔をして頷いていた。口の中はマカロンでいっぱいになっている。
喉につめないように、私はアンリエットのカップを紅茶で満たしておいた。
「さすがジェーンの兄さん。優秀だわ」
「兄さんから、ちょっと気になる話を聞いたのよね」
「気になる話?」
私は店のリストが書かれた用紙をポケットにしまって聞き返す。
「関係があるかどうか分からないけれど……半年ほど前に、アルコンシア帝国の皇子がこの国に留学していたことは知っている?」
「いいえ、全然。アルコンシア帝国って、あの海の覇者って言われている貿易国でしょう?」
アルコンシア帝国の艦隊は無敵を誇ると言われている。海賊を一掃して海路を支配し、東方の大陸と盛んに交易を行っている国だ。この国とは同盟関係にあり、王妃様の妹がアルコンシア王家に嫁いでいるはずだ。最近、歴史の授業で教わったことを思い出す。
「そのアルコンシアの皇子っていうのが、かなり問題の多い人だったみたいで……まあ、言ってしまえばローマンをもっとひどくしたような人だったのよ」
ジェーンは額を指で押さえながらそう教えてくれた。それだけで、だいたい想像が付く。つまりはひどい遊び人だったわけだ。
「もしかして……ローマンと意気投合していたり?」
「まさにそう。皇子にとっては、ローマンはいい案内人で遊び相手だったんでしょうね。賭博場でも、ローマンを自分の席に呼んで賭け事に興じていたみたいだし、夜の街に遊びに出かけたりしていたそうよ」
皇子もローマンも金遣いが派手だったようだから目立ったのだろう。
「まさか、その皇子って……そっちの好みだったとかじゃないでしょうね」
私は眉を潜めて小さな声で訊く。
「それは……どうかしら。皇族、王族の中には色んな趣味の人がいるから」
ジェーンは首を傾げる。ローマンは性格はともかく、顔立ちはよかった。彼が男性ともそんな不純な関係だったなんてあまり考えたくはないけれど、可能性がないわけではない。性別なんて関係なく、手当たり次第に関係を持っていそうだ。正直、今になってみると結婚しなくてよかったと心から思ってしまう。結婚してからそんなことを知ったら、修道院に逃げたくなっただろう。
「ますます、わけが分からなくなってきたわ……」
私はため息を吐いて、紅茶を一口飲む。
「そっちの趣味って?」
アンリエットが興味深そうに訊いてくる。
「えっとつまり……男性同士でもお付き合いできるってことよ」
私がこっそり教えると、アンリエットはびっくりしたような顔をしてマカロンの欠片をこぼしていた。
「ローマン、男の人が好きだったの!?」
「アンリエット、声が大きいってば! ここ王宮なんだから」
慌ててジェーンがアンリエットの口を手で塞ぐ。
セシーナはこちらに背を向けて、聞いていないふりをしてくれている。
「まだ、そうとは限らないわよ。皇子相手にお断りできなかったのかもしれないし……気があって、仲良しだっただけかもしれないでしょう?」
私の言葉に、アンリエットは真剣な顔をして「そうだね」と頷いていた。
「そのアルコンシア帝国の皇子様は、まだ王都にいるの?」
「年が明けた頃に帝国に戻ったそうよ。あちらの国でも皇位継承問題が起こっているみたいだから、悠長に留学なんてしている場合じゃなかったんでしょうね」
「皇帝陛下はご健在でしょう?」
「そうでもないみたい。これも兄さんから聞いた話で……あまり大っぴらにはされていないけれど、半年ほど前からあちらの皇帝は公の場に姿を現していないんですって。病気で伏せっているんじゃないかって噂されているけれど、分からないわね。あの国は暗殺が横行しているって話だし……」
「ああ、なるほど」
これも歴史の授業で習ったことだ。帝国は強大だが、歴代皇帝の在位期間は驚くほど短い。側室を持つのが普通で皇子や皇女の人数も少なくないため、その分熾烈な皇位継承争いが起こると聞く。どの国も内情は複雑だ。
私はその後も少し二人と話をして、園遊会に戻ることにした。
迷路を抜けて入り口に戻ると、リオンが渋い顔をして待っている。ちゃんと役目は果たしてくれていたらしい。何か言いたげに口を開いた時、アンリエットが「あっ!」と声を上げた。
リオンがビクッとして、警戒するように後ろに下がる。
「お勤め、ご苦労様です!」
アンリエットは彼に駆け寄ると、ニパッと笑う。リオンが言葉に詰まっている間に、その手にマカロンを押しつけてパタパタと小走りに戻ってきた。
「アンリエット。どうして、いつもリオンにお菓子をあげるの?」
私はアンリエットに顔を寄せて小声で尋ねる。リオンは案の定、もらったマカロンを持ったまま、ぼう然としていた。苦手な令嬢からもらったお菓子を持て余しているのだろう。
「うーん、いつも立っていて大変そうだから?」
「アンリエットは親切ね。きっとリオンも喜んでいるわよ。ああ見えて、甘い物が大好きなんだから」
私はアンリエットの頭をこっそり撫でておいた。リオンの困り果てた顔を見てると、ちょっとばかりからかってやりたくなる。うん、私はイジワルな悪女だ。
リオンが公爵家の子息だと分かっているジェーンは、「怖い者知らずなんだから」と呆れたように首を小さく振っていた。まったくだわと、私は密かに笑った。




