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護衛の騎士

 王宮に戻ると、夜も遅いというのに離れのホールには侍女や侍従が待機していた。寝室にはバスタブが用意され、入浴の用意も調っている。寝室に入るまで、私は殿下の腕に抱えられたままだった。「あの~~殿下。そろそろ下ろしてもらいたいです」と小声で何度も訴えたが、侍女に指示を出す殿下にはスルーされてしまった。これは聞こえているけれど、私を下ろすつもりはないのだろう。


 そういえば、自分がルームシューズのままだったことを思い出した。王宮は隅々まで掃除が行き届いているけれど、そのまま歩かせるわけにはいかないと気づかってくれたのだろうか。それは嬉しいが、気になるんですよ!

 もちろん、王宮の侍女たちは完璧に教育されているから、不躾に見てきたりはしない。けれど、見ていないようでチラチラと視線を向けられているのが分かるから気恥ずかしいんです。


 大人しく寝室に運ばれた私は、ようやく下ろされた。数日ぶりにメガネ侍女長の厳しい表情を見て、私はちょっとホッとしてしまった。殿下はあとの世話をメガネ侍女長に任せると、自分の部屋に一旦戻っていった。殿下はきっと仕事も放り出して駆けつけてくれたのだ。それを思うと、胸の奥がちょっとキュッとした。


 つい殿下の幅の広い頼りがいのある背中を見つめたまま、ぼーっとしていた私は我に返る。「ええっと、またお世話になります」と、寝室に並んでいる侍女とメイスン侍女長にぎこちなく笑って見せた。

「ご無事でなによりでございます。すぐに医師をお呼びいたしますか?」

「え! いいえ、それより入浴が先のほうがいいです」

 窓の外を覗いた時に雨で髪やネグリジェが濡れてしまっている。ひどい格好で戻ってきてしまった。殿下の大きなコートですっぽり包まれているとはいえ、本来ならきちんと着替えてくるべきだった。殿下は私がもたもた着替えている時間すら惜しかったのだろう。大事な仕事の途中だったから、急いで戻りたかったのかもしれない。それなら申し訳ない限りだ。


「かしこまりました」

 メイスン侍女長は何があったのか深く尋ねることなく、テキパキと侍女やメイドに指示を出して私の入浴を手伝ってくれる。本当に有能だなぁ。それと同時に侍女や侍女長の仕事を増やしてしまって、心苦しい気もした。私がこんなふうに戻ってきても、少しも嫌な顔をしないんだから。


 入浴を済ませて着替えると、王宮の侍医がやってきた。診察を受けたけれど、怪我はなく叩かれた頬だけがまだ赤くなっていた。冷たいタオルをあてて冷ますように言われ、睡眠薬が処方された。精神が落ち着く薬も用意しましょうかと言われたけれど、殿下に抱えられている間にすっかり落ち着いてしまっていたからその必要はないと断った。殿下の腕はどうやら、どんな薬よりも私を落ち着かせてくれるらしい。

 ただ、「はて、熱が少々おありになりますか?」と聞かれて、「いいえ、これはなんでもありません!」と誤魔化しておいた。

「湯に浸かりすぎて少々のぼせたみたいです!」

「そうですか。では具合が悪くなったら、またお呼びください」

 侍医はそう言って、寝室を出て行った。


 一通り私の世話を終えた侍女たちが部屋を出て行くと、私はベッドの枕に凭れてほぉとため息を吐く。頬にあてたよく冷えたタオルが気持ちいい。きっと気を利かせて、氷水に浸してくれたのだろう。氷も貴重なのに、王宮でしか許されないような贅沢だ。


 寝室に入ってきた殿下も、寝間着に着替えていた。髪がしっとりと濡れているのは、殿下も入浴を済ませた後だからだろう。寝室の燭台には火が灯っているけれど、室内全体を照らすほどではないため、薄暗い。それに外はまだ風が吹き荒れているようだ。

 ベッドに入ってきた殿下は、私が頬にタオルをあてているのを見て眉根を寄せる。


「侍医には診せたのか?」

「はい。よく眠れる薬も用意してもらいました。痣になっているわけではありませんし、平気ですよ」

 私が笑って答えると、殿下がスッと手を伸ばしてくる。タオルをあてた片方の手が、殿下の手に包まれてドキッとした。頬から離れた手から濡れたタオルが落ちる。上掛けが濡れてはいけないと、私は慌ててもう片方の手でタオルを取った。


 冷えた頬に殿下の大きな手が添えられる。親指がそっと拭うように動いた。頬が湿っていたからだろう。その仕草に、急に緊張してしまって背筋をピンッと伸ばす。

「捉えた男は、洗いざらい吐かせた上で必ず厳罰を下す」

 殿下は息を吐いた後で、私を見て低い声で言う。必ずそうしてやるという決意が、その声から感じられた。侵入者は拷問にかけられた上で、処刑台まっしぐらだろう。父様までひどい目に遭わされたのだから、同情はしない。私もそこまでお人好しではないからだ。


 ただ、あの男はきっとどこかのならず者で、金をもらって依頼を受けただけだろう。私が王太子妃だったなんて知らなかったのかもしれない。王都に滞在している貴族なら、子爵家の娘が王太子妃になったことは知っている。けれど、多くの庶民は文字が読めるわけでもなく、国王陛下の名前すら知らない者が大半だ。地方に行けば余計に情報は入りにくい。

 

 小さな田舎貴族の邸宅に忍び込んで、小娘一人始末するだけだと思っていたのかもしれない。その程度の事件なら、大騒ぎになるほどでもなく、よくある不幸な事件として扱われるだけだ。まして、私が子爵家の邸宅に移ったことなんて、庶民で知る者はほとんどいないだろう。知らなかったから許されるという問題でもない。侵入者がやったことは犯罪だ。私だって野放しにしてほしくはない。


 ただ、いつでも使い捨てにされるのは弱い立場の人間で、それを画策した人間は安全な場所で眺めているだけだ。失敗しても、成功しても、自分たちに火の粉がふりかかることはない。次の手を考えながら、ほくそ笑んでいることだろう。そう思うと、ひどく気分が悪かった。

 できれば、依頼した者まで分かるといいけれど、きっとあの侵入者は知らないだろう。拷問されても、ほとんどなにも知らないはずだ。


「アイビー?」

 殿下に名前を呼ばれて、私はハッとする。つい顔をしかめてしまっていた。

「なんでも、ありません。それより、何か分かったら教えてください」

「分かった。そうしよう。だが、知ったところで気分のいい話にはならないぞ」

「かまいませんよ。私だって怒っているんですから。父様がひどい目に遭ったんです。許せません」

 私がプンスカと怒ってみせると、殿下はフッと目を細めた。

「君の父上は勇敢だな。君はどうやら父親譲りの性格をしているらしい」

「そんなことはありませんよ!」

 あの父様に似ていると言われると微妙な気分になってしまう。ただ、容姿は確かに母様よりも父様に似ていると、親戚に言われることが多かった。子どもの頃は、髪色も目元や口元も父様にそっくりだと笑われた。私は母様に似たかったとずいぶん思ったものだ。自分でもよく分かっているけれど、母様のおっとりした性格や朗らかさを、あまり受け継がなかった。むしろ、容姿は弟の方が母様によく似ている。


「王宮では君の安全は必ず護られるように、今度こそ抜かりなく手配するつもりだ。君にも専属の護衛を付ける。今日のようなことは二度と起こさせないと誓おう」

 護衛――ということは、近衛騎士の誰かがつくのかな。それはちょっと気詰まりだけど仕方ない。それに、確かに毒殺されそうになった上に、寝ているところを襲われたのだ。私もさすがに、誰かがついていてくれたほうが安心だ。これは慣れるしかないだろうと、小さくため息を吐いた。


◇◇◇


 久し振りの殿下の腕枕の感触を一晩中堪能した私は、睡眠薬の効果もあってかぐっすり眠ってしまっていた。目が覚めたのはお昼前で、殿下はもう公務の為に出かけた後だった。起こしてくれればよかったのに、侍女たちには起こさないように指示をしてくれていたようだ。それは嬉しいけれど、朝食くらいは一緒に食べたかった。熟睡していて殿下が起きたことにも気付かなかった私が、ダメなんですけどね。


 一人でちょっと味気ない朝食を食べた後で部屋に戻ると、殿下が手配してくれた護衛の騎士が二名待機していた。そのうちの一人は、リオンだった。もう一人は女性の騎士だった。

「あら、リオン。おはよう。王宮でもあなたに警護してももらえるの? 光栄だわ」

 リオンは昨晩のことがまだ堪えているのか、それとも騎士団長か殿下に呼び出されてしこたま怒られたからなのか、一睡も眠れなかったようなひどい顔色をしていた。それとも、一緒に護衛任務に就くのが女性騎士だからか。子爵家の屋敷と違って、王宮では彼専属の侍従クライスも連れてこられないし、王太子妃である私の部屋には常に侍女が控えている。出入りするのも女性ばかりだ。そんな部屋で一日中、護衛をしなくてはいけないなんて、女性嫌いの彼には耐えがたい任務だろう。

 これって、もしかして殿下なりの罰なのかな?

 そう思うと、ちょっと気の毒だ。あまりいじらないほうがいいだろう。反省しているだろうし。


 リオンが進み出て、急に片膝をついて頭を垂れる。私はそんな彼の態度にびっくりした。リオンが私の前で膝をつくなんて、子爵家の屋敷では考えられなかったことだ。きっとものすごく屈辱的だろう。

「王太子妃殿下、今まで私が行った非礼の数々をどうかお許しください。王太子殿下より妃殿下の護衛という大役を任されていたにも関わらず、昨晩も賊の侵入を許し、あろうことか御身を危険に晒してしまいました。その上、許されぬ失敗を犯した私の減免を願ってくださったと、王太子殿下よりお聞きいたしました。お許しいただけるのであれば、妃殿下のおそばで護衛の勤めを全うさせていただきたく、こうして恥を忍んで御前にまかり越した次第でございます」


 頭を垂れたリオンは、今までの彼はどこに消えてしまったんだろうと思うほどに、謙虚で礼儀正しく、丁寧な物言いをする。私はまったく彼らしくない態度に瞬きした。近衛騎士としてはこれが普通だし、彼もやろうと思えばできるのだ。なにせ、公爵家の子息なんだから。ただ、私を見下していたし、女性嫌いだから、そうするつもりがなかっただけだ。本来〝できる子〟なのだろう。でなければ、私の護衛に彼を選んだりするはずがない。カストリアン公爵家と対抗するキャバリック公爵家の家柄だからというだけが、理由ではない。

 きっと、彼が敬愛する殿下に、次はないと釘を刺されたに違いない。それに、昨日の事は彼自身、自分の失態だと分かっているのだろう。私の許しが得られないと、近衛騎士団をクビだと言われたのかな。


「ちょっと待って、リオン」

「王太子妃殿下に名を呼んでいただけるなど、私には身に余る光栄でございます。どうか、キャバリックとお呼びください」

 畏まった態度を崩さない彼に私はちょっとイラッとして、「リオン=キャバリック!」と強めな声で名前を呼んだ。その声にビクッとして、彼はようやく顔を上げる。なんともひどい顔で、美少年っぷりが台無しだ。

 私は腰に手を当てて、はぁと深くため息を吐く。

「あなたに、今さら猫をかぶられても落ち着かないの。今までの威勢はどうしたの? 公爵家の誇りが~~とか、これだから女は~~とか、一日中偉そうな態度でぶつくさ言っているのがあなたでしょう? こう言ってはなんだけど……今のあなたは、気持ち悪いわ」

「はぁ!? 気持ち悪いとはなんだ。人が真剣に……いえ、なんでもございません。大変、失礼いたしました」 

 彼は苦り切った顔をしてフイッと顔を背けた。一瞬言い返そうとしたが、グッと堪えたらしい。私は膝をついた彼の前にしゃがむ。リオンは焦って下がろうとし、よろめいていた。

「あのね、リオン。私、あなたは小生意気で時々イラッとするし、態度が大きいし、偉そうだし、チワワみたいにうるさいなと思うけど、そういう率直な態度は嫌いじゃないのよね。ほら、こっちも気兼ねする必要はないし、遠慮はいらないでしょう? 私は大貴族のご令嬢ほど育ちがよくないから、畏まった態度ばかり取られるとムズムズするし、落ち着かないのよ」

「…………さりげなく、侮辱していないか?」

「してないわよ。私も率直に答えているだけ。まして王宮じゃ、みんな私に遠慮するじゃない? だから、気を遣わなくていい人が一人くらいいてくれるほうが私も楽なのよ。私は別にあなたを庇おうとしたわけじゃないわ。あなただって気の進まない役目を、それでも放棄せずに毎日屋敷に来てくれたでしょう? それだけでも、私は十分偉いって思うのよ。だから、王宮でも私の護衛をしてくれるつもりがあるなら、今まで通りでいきましょうよ。その方がたぶん、うまくいくわ」

 私がニコッと笑うと、彼は目を見開いてすぐに視線を逸らした。


「これだから……女は…………」

 リオンは真っ赤な顔をして、ボソッと呟く。いつも通りの彼の態度に満足して、私は立ち上がった。

「はい、それじゃあ、昨日の件はこれでおしまい。それと、あなたの同僚の方を紹介してくれるかしら?」

 私が尋ねると、リオンもようやく立ち上がり、少し離れて立っている女性騎士に視線をやる。面倒臭そうなため息が漏れていた。それは私にこれ以上言っても仕方ないと諦めたのだろう。それに、さっきより少し顔色が良くなっている。本当は私の前で畏まるのが嫌だったのか、苦痛だったようだ。私の知っている小生意気チワワはそうでなくっちゃ、こっちも調子が出ない。ただ、メガネ侍女長は眉を潜めそうだ。リオンに話しかけるのは、彼女がいない時の方がいいだろう。


「殿下の命で今回共に護衛の任に就くことになった近衛騎士団第四隊のセシーナ=ドーリッシュだ」

 リオンに紹介された女性騎士はスッと前に出てきて優雅な洗練された動作でお辞儀をした。

「王太子妃殿下、お初にお目に掛かります。妃殿下の護衛を務めさせていただきます、セシーナ=ドーリッシュでございます。今後、キャバリック隊長とは交代で護衛の任に就きますので、どうかお見知りおきを。何かございましたら、遠慮なくお声をおかけください」

 ニコッと微笑んだセシーナは、驚くほどの美少女だ。サラサラの長い黒髪で瞳も黒だ。小柄で身長はリオンと同じくらいだろう。珍しい東方の国の顔立ちをしていた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。あ、私のことは気軽にアイビーって呼んでください」

 私も緊張してつい、普通に挨拶をしてしまった。だって、すごい美少女だし、同年代の女の子が相手だとどうしてもそうなってしまう。女学校の時のノリが出てしまうのだ。


「いいえ、妃殿下をお名前でお呼びするなど怖れ多いことです。私のことは、どうかセシーナと気軽に呼んでください。私も堅苦しいのは苦手ですから」

「あっ、じゃあそうさせてもらいますね。セシーナ」 

「なんで、お前はドーリッシュには敬語なんだ?」

 リオンに呆れた顔をされ、私は「だって……」とモジモジする。

「女の子には嫌われたくないし?」

「はぁ? 意味がわからないな」

「私も妃殿下には嫌われたくないですよ? 仲良くしてほしいです」

 ニコッと笑ったセシーナが少し顔を寄せてくる。相手は女の子なのに、ドキドキしてしまう。

 ううっ、女の子でもやっぱり彼女は近衛騎士団の一員なんだね。ちょっと砕けた口調で話してくれるのは、さっきのリオンとのやりとりで私が畏まった態度を取られるのが苦手だと分かったからだろう。私に合わせてくれようとする柔軟性もある。きっと護衛としての剣や武術の技量だけではなく、そういった社交性も重視して選ばれたのだ。


 二人を歓迎するために侍女に頼んで、お茶とお菓子を用意してもらう。もう少しセシーナのことについて詳しく知りたいし、昨日の件についてリオンにも聞きたい。本来なら二人は任務中だ。王太子妃である私と気軽にお茶なんてしてはいけないと言い含められているのかもしれないが、誘ってみるとセシーナは簡単に「かまいませんよ」と了承してくれた。どうやら、彼女は私の毒味役も兼ねているらしい。


 それに、昨日のことがあったから、メガネ侍女長もあまり口うるさく言わず、大目に見てくれるようだ。ただ、そういつもできることではないのだろう。部屋の暖炉の側には、長椅子と一人用の椅子が置かれている。今の時期はそう寒くはないため、暖炉には火が入っていない。私が一人用の椅子に座ると、セシーナが長椅子に座る。リオンは「僕は結構だ」と、少し離れて立ったままだ。ただ、ティーカップは受け取ってくれた。そのまま飲むつもりなのだろう。


 侍女たちが用意してくれたのは、クルミの入った一口サイズのタルトだ。それを頬張りながら、セシーナに話しかける。

「近衛騎士団に女性の騎士って多いの?」

「それなりにいますよ。第四隊は女性騎士のみで構成させています。王妃殿下や、王太子妃殿下の護衛の任務で女性が必要な場合がありますから。王都外の視察には必ず女性騎士が同行します」

「そのほうが安心よね。セシーナが護衛についてよかったわ」

「そう言ってくださると光栄です」

 セシーナはニコッと微笑む。うん、美少女は微笑むだけで絵になるね。お茶を飲む姿勢も綺麗で、育ちの良さがうかがえた。

「セシーナはえっと……失礼かもしれないし、答えたくなければそれでいいのだけど、名家のご令嬢だったりする?」

「うちは伯爵家ですね。ただ、私は婚外子なので養女という形で伯爵家に迎えられたのです」

 うっ、簡単に聞いてはいけない事だったかも。私は予想以上に複雑な事情を聞いてしまって焦る。

「ごめんなさい。家の事情に踏み込むつもりはなかったの」

「かまいませんよ。別に隠している事ではありませんから。私の母は東方の国の女性で、旅芸人のような事をして色んな国を渡り歩いていたんです。えっと、躍りとか歌とか、そういうのを披露していたと聞いています。伯爵領にやってきた時、父が気に入って側室に迎えようとしたんですけど、自由を好む母はそれを嫌って、私を産むとさっさとどこかに旅に出てしまったそうですよ」

 あっけらかんと話すセシーナに、私は面食らってしまった。ただ、彼女が東方の国の顔立ちをしている理由はよく分かった。伯爵は無責任に母子を放り出すような人ではなく、こうして残されたセシーナも養女として屋敷に迎え入れしっかり伯爵家の令嬢として教育してきたようだ。振る舞いと、彼女の明るさからして愛されてもいるのだろう。世の中には、まったく面倒を見なかったり、使用人として扱ったりする貴族もいる。


「セシーナのお母様はきっとすごい美人だったんでしょうね」

「ええ、たぶんそう思います。父様は時々、母様の小さな肖像画をこっそり眺めて、未練がましくため息を吐いていますもの。きっとまた、母が気まぐれに戻ってこないか期待しているんですよ」

 セシーナはクスッと笑い、「このお菓子、おいしいですね」とクルミのタルトを頬張る。

「そうだといいわね。セシーナも会いたいと思う?」

「そうですね。母は面白い人だったみたいなので一度くらい話してみたいなとは思います。旅芸人ですし、色んなところを巡っていたようですから、その話を聞きたいですね。私は気質が母に似ているんだと思います。色々なところを巡ってみたいですし、一所にいるのも本当は苦手なんです。いつかは、そうですね……母が生まれた東方の国も見ていたいと思うんですよ。だから、母が私を父の元に残して旅に出た気持ちも分かるんです。きっと自由でいたかったんだと思います」

「そうね。自分で生計が立てられて、制約も縛るものもなくて、身軽な身だったら好きなところに行ってしまうかも……」

 貴族の大半は領地に縛られ、身分に縛られ、義務に縛られ、多くのものを背負い生きている。自由気儘にあちこち移動できるものでもない。特に女性ならそうだ。自由気儘に生きている女性にとって、貴族の側室になることはあまり魅力的ではないことなのだろう。私も少しだけセシーナのお母様の生き方は羨ましいと思う。ただそれは、絶対に自分にはできないからだ。目の前にいるセシーナなら、近衛騎士を辞めたら、彼女の母のようにどこかにフラッと行ってしまいそうな気がする。

「母はきっと鳥みたいな人なんですよ」

 セシーナはそう言って笑う。きっとセシーナによく似た人なんだろう。


 そう思うと、貴族の令嬢の暮らしは窮屈だ。ただ、かわりに守られ、安全に生活苦を気にすることなく生きられる。もちろん、そうでない貴族の令嬢も多くいるだろうけれど、大半はそうだ。自由に生きるということは、全ての責任を自分で負うということでもある。どれほど危険な目に遭っても、自衛するしかない。それも覚悟し、自分一人で世を渡る才覚と能力が求められる。私には無理だ。私では王都から出ることすらままならないだろう。国内を数日旅行するのだって一人では無理だと分かっている。けれど、セシーナならできるのかもしれない。


「リオン、あなたもタルトを食べる?」

 私は皿にまだたくさん残っているタルトを見て、後ろで大人しく紅茶を飲んでいるリオンに目を向ける。リオンは皿に目を向けたけれど、「結構だ」と素っ気なく視線を逸らした。けれど、チラチラ皿を見ているから食べたい気持ちはあるのだろう。

「遠慮しなくてもいいのに。はい、どうぞ」

 皿を差し出すと、リオンは顔をしかめながらもタルトを摘まむ。口に入れると、分かりやすく目が輝いている。甘い物、好きなのね。

「そういえば、リオン。あなたって、隊長だったの?」

 自己紹介の時にセシーナは、リオンのことをキャバリック隊長と呼んでいた。近衛騎士団は、それぞれ隊に分かれているようだ。

「は!? 当然だろう。この僕を今まで何だと思っていたんだ?」

 リオンはいかにも心外そうに眉を寄せる。その間にも二個目のタルトに手が伸びていた。そんな、餌を頬張りすぎたリスみたいな顔で言われてもね。


「キャバリック隊長は二番隊の隊長なんです。最年少で隊長になったんですよ」

「ええっ!? そうなの? すごいじゃない。全然、見えなかった。もっと下っ端だと思っていたわ」

 私は「ごめんね~~」と、謝っておく。

 むしろ、近衛騎士隊に入隊したての新米騎士に見えた。だって、小さいし――。


「おい。今、ものすごく失礼な顔をしているぞ。ひどく侮辱された気がする」

 リオンがジロッと睨んでくる。

「そんなことはないわよ? すごいなって尊敬の気持ちを抱いただけ」

「嘘を吐け。お前は知らないだろうから教えてやるが、この僕に敵う者は近衛騎士団の中でもそう多くはないんだ。もちろん、殿下には到底及ばないがな。殿下の剣技に敵う者などいないだろう。まさに武の神の加護がついておられるお方だ!」

 心酔した様子で、リオンが胸を張る。私は殿下の逞しい腕枕を思い出し、「確かにね」と頷いた。

「腕や胸の筋肉も立派だもんね。腿だって私の倍以上はあるもの」

「き……貴様、いや、お前! なんて、破廉恥な発言をするんだ!! 王太子妃なんだから少しは恥じらいというものを持て!」

 リオンが真っ赤になって動揺したように高い声を上げる。


「王太子妃殿下なんですから、それはご存じですよね」

 セシーナまでニマニマしている。私は「えっ、えっ」と二人の顔を見比べてから、急に意味が分かって赤面する。

「ちょっと。変な意味で言ったんじゃないよ。殿下って服の上からでも体格のいいのが分かるでしょ? がっしりしているし、野花みたいにヒョロくて儚いリオンとは全然違うじゃない?」

「誰が野花みたいにヒョロくて儚いだ。僕だって十分に訓練を積んで鍛えているんだぞ! いや、もちろん殿下には敵わないが……そもそも比べること自体不敬だ!」

 リオンが屈辱だとばかりに小刻みに身を震わせる。


「まあまあ、キャバリック隊長。うふふ……落ち着いてくださいよ」

「そうよ。やらしいことを考えるほうが、やらしいんだからね!!」

「なんだと!? お前が男なら今すぐ手袋を叩きつけてやったところだ!」

「いったい、何の話をしているんだ? 賑やかだな」

 いきなり声がして、言い合っていた私とリオンはピンと姿勢を正す。部屋に入ってきたのは王太子殿下だった。ノックの音にも、扉が開いた音にも気付かなかった。

 セシーナは落ち着いた態度で席を立ち、すでに礼を取っていた。

「王太子殿下、失礼いたしました」


「そのまま寛いでいてくれ。邪魔をするつもりはない。様子を見に来ただけだ」

 殿下はそばにやってくると、お菓子とティーセットが並んでいるテーブルに目をやる。

「で、殿下もお茶はいかがですか!? とってもおいしいお菓子もありますよ?」

 私は話を逸らそうと、テーブルの上のティーポットに手を伸ばす。空になっていて、私はすぐに侍女に新しくお茶を用意してもらった。

「そうだな……せっかくだからいただこう」

 殿下は私が座っていた椅子に隣に腰を掛ける。リオンはくるみ割り人形みたいにカチコチになり、忙しなく視線が泳いでいた。殿下が座ったから、かわりにセシーナは立ったままだ。

 

 私の心臓もドキドキの音が大きくなる。

 びっくりした~~~~。



修正報告)

セリーナ→セシーナ


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