パーティーでの騒動
殿下が用意してくれていたドレスは、美しい青色のドレスで袖や襟にはパールやブルートパーズといった宝石が飾られていた。こんな煌びやかなドレス、私が着るの? えっ、似合わないでしょ。絶対! ドレスに負けてしまうよと思ったものの、私に選択の余地はない。
国王陛下の即位二十五周年を祝う式典が午前中に開かれて、夕方から舞踏会だ。王都の市民たちも祭りを楽しんでいるようで騎士団や自警団が警備に当たっているようだった。そんな祭り見物をする余裕もなく、支度に追われ、人形のようにドレスを着させられて、髪を結われ、化粧をされる。メガネ侍従長がテキパキと指示して、私の首にも指にも腕にも頭にも宝石が飾られていく。そのたびに重量が加算されるいくのが分かり頭痛がしてくる。
そうだった。宝石は石なんだった。当然、石と金属をこれでもかと身につければ重いのは当然だ。騎士が鎧や兜を身につけるのと同じようなもの。田舎貴族の娘である私は、今まで慎ましい小指の先ほどの石がついたネックレスをつけるのが精一杯だったから、こんなどでかい宝石が連なった首飾りをつけるなんて、結婚する前はなかったことだ。
今、強盗に襲われたらどうしよう。身ぐるみはがされてしまう。いや、それよりちょっとでもずっこけたら、どっかの石に頭をぶつけて流血沙汰になりそうだ。私の頭に多少傷がつくくらいはいい。けれど、石に傷がついてしまったら弁償ものだ。もちろん、一生かかっても返済できないだろう。ど、どうしよう。今の私、子爵家の全財産を合わせたよりも高価じゃない? 小心者の私はただひたすら怖い。
王族や大貴族のご令嬢や奥様って大変なんだと、他人事のように考えている間に支度が調う。私はただ座ったり、立ったり、腕を広げたりしただけ。鏡の前に立った自分の姿は、美しい――のはドレスだけで、相変わらず顔はしょんぼりしている。悲しいまでに着飾ることに向いていない貧相なゆで卵顔だ。
舞踏会が開催される大広間に王太子殿下にエスコートされて向かう。殿下の礼服は私のドレスに比べて地味だが、袖や襟もとは金糸の刺繍が入っていてカフスもエメラルドだ。胸元にも宝石のブローチや勲章が飾られている。顔立ちがいいと、礼服を着ても様になる。これは令嬢たちが色めき立つのも当然だ。その隣に並ばされる自分がいかに不釣り合いなのか思い知らされるようで、ついため息がこぼれた。
「心配事が?」
「緊張しているだけです。私、こんな華やかな王宮のパーティーに出る機会なんてなかったんですから」
「パーティーなどどこも同じだ。気にすることはない」
田舎の子爵家が親族や親しい友人を招いて行うパーティーと、王宮の舞踏会が同じはずがない。きっと殿下はお育ちがいいから、田舎貴族のパーティーを知らないのだなと私は遠い目をする。
「王太子殿下、ならびに、王太子妃殿下!」
名前を呼ばれて大広間に入ると、談笑していた貴族の皆様がいっせいに頭を垂れる。
私たちは真っ直ぐ進んで、立派な椅子に座る国王陛下と王妃様の前で膝を折った。
「父上、即位二十五周年の今日この日を恙なく迎えられましたこと、心よりお祝い申し上げます」
殿下の挨拶に続いて、私も頭を垂れたまま「国王陛下、王妃殿下にご挨拶申し上げます。即位二十五周年、心よりお祝い申し上げます」と挨拶の口上を述べる。昨日一晩、殿下に付き合ってもらって何度も練習したから、取りあえず失敗はしなかった。
「王太子、王太子妃。そなたら二人が揃っているのを見るのは、結婚式以来だな。変わりないか?」
「はい、ございません」
国王に問われて返事をしたのは殿下だ。「それならよい。王太子妃よ、慣れぬことも多かろうが困ったことがあれば王太子を頼るがいい。王妃も力になってくれよう」と、微笑む。
「ええ、遠慮なく相談してくださいね。今度ゆっくり、お話いたしましょう」
王妃様はゆったりとした態度で微笑む。その目がキラッと光った気がした。
「お……お気遣いに感謝いたします」
私はもう一度深くお辞儀してそう答えておいた。それだけのことで冷や汗が出そうだ。でも、これでなんとか乗り切れそうな気がしてきた。後は殿下について回りながら笑みを振りまいていればいい。困ったら殿下が何とか対応してくれるだろう。不測の事態が生じたら、とりあえず気絶だ。
それより、アンリエットとジェーンはどこかな?
殿下と一緒に下がってから、二人の姿を捜して大広間をキョロキョロする。知らないおじさんたちが集まってきて、殿下に挨拶しているから、私もそれに合わせて適当にお辞儀しておく。
チラッと見れば、離れた所で二人が小さく手を振っていた。やっぱり来てくれていた!
やはりジェーンはお兄さんと、アンリエットはよく似た蜂蜜色の髪の親戚の男性と一緒にいる。手を振りたいのを我慢して、ニコッと微笑んで会釈しておいた。それだけで、二人は分かってくれただろう。うまく抜け出して、どうにかして二人に話しかけるのだ。
私がそのタイミングを見計らっていると、急に大広間がざわつく。何事かと思い人々が注目しているほうを見れば、令嬢と白髪交じりの髪のおじさんが大広間に入ってきた。
いったい誰だろうと思っていると、殿下が「ミレーネ嬢……」と驚いたように呟く。
私は「えっ!」と、殿下の顔を見た。
ミレーネ嬢!? あの行方不明になっていた公爵家のお嬢様!?
ほとんど表情が変わらない殿下が目を見開いているということは、ミレーネ嬢が見付かったことは知らなかったのだろう。ということは一緒にいるおじさんはミレーネ嬢のお父さんであるカストリアン公爵!?
会場にいる他の貴族たちもざわついている。誰もが困惑しているようだった。
ミレーネ嬢は公爵と共に国王陛下と王妃様の前に進み出る。
「国王陛下、王妃殿下に申し上げたきことがございます!!」
彼女は国王陛下と王妃様の前で深くお辞儀して、声を張り上げるようにして言う。挨拶も抜きでいきなり訴え!? この状況に、国王陛下も王妃様も顔を見合わせて眉を潜めている。けれど、ミレーネ嬢の声は震えていて、顔色も真っ青だ。
「ミレーネ嬢、無事であったのか……いや、まことに喜ばしきことではあるが。これはいったいどういうことだ?」
国王陛下の視線は、彼女の隣で膝をついた公爵に向かう。騎士団も捜索していたのに、見付かったという報告はなされていなかった。それなのに、公爵と一緒にこうして現れたのだ。困惑するのも当然だ。
「陛下におかれましては私の娘の捜索に王国騎士団まで派遣していたいだこと、感謝申し上げます。また、ご心配をおかけいたしましたことお詫びいたします。このように、娘は戻って参りましたが、陛下へのご報告が遅れたのは、事件の経緯と事実確認をしていたからでございます。陛下には、娘の話をまず聞いていただきたいのです。どのような怖ろしい陰謀と企みが行われたのか!」
公爵はなぜか振り返り、殿下と一緒にいる私に射るような視線を向ける。それに気付いた貴族たちも私を不審そうに見ていた。
「ふむ……だが、それはこの場ではなく……」
「いいえ、この場にいる皆様方にも聞いていただきたいのです。私……ミレーネ=カストリアンは、王太子殿下とレッドベリー子爵令嬢との結婚に異議を申し立てるために、こうして……恥を忍んで戻ってまいりました。どうか陛下。私に名誉を回復する機会をどうかお与えください!!」
「結婚に異議だと!?」
国王陛下は目を見開いて、王妃様と顔を見合わせる。それから、私たちに視線を移した。大広間にいる人たちは小声で囁き合い、いったい何が起こるのかと息を呑んで見守っている。
結婚に異議って……つまり、私と殿下の結婚を無効にしたいってこと!?
びっくりして、私は口があんぐりと開いていた。それをパッと広げた扇で隠す。
殿下も状況が飲み込めないようで、ミレーネ嬢を見ていた。
ミレーネ嬢は立ち上がると、クルッとこちらを振り返る。その敵意を含んだ瞳に私はドキッとした。
「私は……レッドベリー子爵令嬢の恐るべき陰謀のせいで……貶められたのでございます!」
彼女はそう言うと、震えている指を私に向ける。
「は……はい?」
私の手から、ポロッと扇が落ちた。
恐るべき陰謀ってなに!? しかも貶められたってなに!?
まったく心辺りがないが、この場にいる人たちは私に疑いの視線を向けてくる。
「な、何をおっしゃるのだ。私の娘を侮辱するのはやめていただきたい!」
声を張り上げたのは、私のお父様だ。大貴族たちの前では萎縮して隅っこにいたようだけれど、娘の私がいわれのない批難を浴びせられているとなれば黙っていられなかったようで進み出てくる。母は「あ、あなた!」とオロオロとしながら後をついてきた。
殿下をチラッと見れば、眉間に皺が寄っている。殿下もやっぱり、私に疑いを持っているのだろうか。私は小さなショックを受ける。けれど、この場で無様に取り乱したくはない。というか、わけが分からなくてただ困惑していた。
陰謀もなにもミレーネ嬢と直接会うのはこれが初めてだ。噂は聞いたことがあっても、私は彼女が出るような大貴族の立派なパーティーになんて招かれたことはない。突然現れた彼女がいきなりそんなことを言い出した理由が皆目分からなかった。
「どういうことだ?」
国王が誰になく問う。それに答えられるのは、ミレーネ嬢と公爵しかいないだろう。ミレーネ嬢は手袋をはめた手を握り締めて、私から顔を背ける。
「全てリスモンド様から聞きました。あなたは王太子妃の座を狙い、私を貶めるためにリスモンド様が私に近付くように仕向けたのだと。私は結婚式当日、逃げ出したのではありません。リスモンド様に攫われたのです!!」
「なんですって――――っ!!」
私は仰天して思わず品のない驚きの声を上げてしまった。ミレーネ嬢は両手で顔を覆い、ワッと泣き崩れる。
「しかし、あなたは卑劣にも、共犯であったリスモンド様の口を封じ、私ごと始末するために、賊を雇って馬車を襲わせたのです!! ですが、リスモンド様はあなたに騙されていたことに気付いて、私を逃がしてくださいました。彼が全てをつまびらかにした手紙もこうして預かって下ります!! これに目を通していただければ、私の言葉が真実だとわかっていただけるでしょう!!」
ミレーネ嬢はドレスのポケットから取り出した手紙を取り出して高く上げて見せる。その手紙の封蝋には、リスモンド伯爵家の紋章も入っていた。
「あなたは……王太子妃になるために、リスモンド様を使って私を陥れようとしたのです。そのような者がどうして王太子妃に相応しいと言えるでしょう! 私は……あなたを告発します!! あなたに奪い取られた全てを取り戻します!!」
ミレーネ嬢は私に向かって言い放つと、号泣してそのままふらついて気を失ってしまった。
大騒ぎになり、国王陛下がすぐにミレーネ嬢を別室に運ぶように指示する。
国王陛下二十五周年を祝う場は、それどころではなくなってしまった。貴婦人たちは私の方を見て眉を潜めながらコソコソ話をしている。
「やはりそうだと思ったわ……」
「大人しそうな顔をしてとんだ悪女だったというわけね」
そんな囁き声が聞こえてくる。誰も遠慮などしていない。もう、完全に私は犯人扱いだ。
私は突っ立ったまま、周囲を見回す。アンリエットとジェーンも驚きを隠せない様子でこっちを見ていたが、目が合うと小さく頷いていた。それは私を信じているという合図だ。私はそれだけで、なんとかこの場に留まる勇気が出た。
額から垂れてきた汗が鼻筋を伝う。それを拭って、「殿下……」と声をかける。
「君は先に部屋に戻っているといい。私は父と一緒に事情を確認する」
殿下は私の手を握り締めて言った。そのことに少し驚く。殿下はてっきりミレーネ嬢の言葉のほうを信じると思ったから。彼は厳しい表情を浮かべていたが、小さく頷いた。それもまた、大丈夫の合図だ。
そうだ。とりあえず。私は部屋に戻って冷静になろう。もはや舞踏会どころではないのだから。
頷いて、早々に噂が広がっている大広間を退出する。急いで向かったのは二階の人気のないギャラリーだ。柱のそばに飾られていた花瓶に駆け寄り、誰も見ていないのを確かめてから花瓶の後ろを探る。そこに隠すように置かれていたのは、アンリエットとジェーンからの手紙である。
舞踏会当日は会ってゆっくり話せないかもしれないから、この場に手紙を隠しておいてもらうように事前に伝えておいたのだ。
「よかった……」
私は呟いて手紙を胸に押しつける。人声がしてハッとして振り返ると、若いメイド二人がやってくる。私を見るとすぐさま脇に退いて頭を垂れていた。私は小さく微笑んで、「ごめんなさい、迷ってしまったの」と言い訳をしておいた。
「ご案内いたしましょうか?」
私が王宮内は不慣れだと分かっているのだろう。若いメイドの一人がおずおずとそう申し出てくれた。
「いいえ、大丈夫よ。ありがとう」
私はそう言って、手をヒラヒラと振ってギャラリーから立ち去った。
王宮の離れにある部屋に戻ると、すでに事情は伝わっていたようで、メガネ侍女長が「お召し替えをなさいますか?」と訊いてきた。
「ええ、お願い。このドレスのままじゃ、息もできないから……楽な服に着替えたいわ」
私はそう言って、侍女やメイドに手伝ってもらって汗ばんでいるドレスを着替える。宝石類も全部外して、化粧を落とし、髪も解いてもらった。ようやく楽な格好になって深呼吸する。
(なんにせよ、わけの分からない一日だわ……)
ソファーに腰を落ち着けると、侍女がお茶を淹れてくれる。侍女長の指示だろう。こういうところは、本当に行き届いている。しかもお茶は紅茶ではなく、落ち着くハーブティーだ。カップを持つ手が小さく震えているのは私も相当に動揺しているからだろう。
「妃殿下……医師をお呼びしましょうか?」
メイスン侍女長がそう尋ねてくる。精神安定剤が必要なように見えるのだろうか。確かにそうかもしれない。血の気が引いているのが自分でも分かる。
冷静に考えてみれば、ミレーネ嬢の結婚の異議申し立ては、私にとっても悪い話ではない。むしろ、彼女が無事に戻ってきて王太子妃の役目を代わってくれないだろうかと考えていたくらいだ。
私としては、話し合いで穏便に事が済むなら、殿下との結婚関係を解消するのはやぶさかではない。ただ、問題は殿下が話してくれたように、王族には離婚の権利がないことだ。私が死なない限り、結婚関係は継続される。ただ、ミレーネ嬢の言うように不当な結婚だと教会が認めれば、結婚証明書も取り消しができるかもしれない。
「問題は…………私が陰謀の主犯にされているってことよね?」
私は顔を両手で覆って独り言を漏らした。そこが一番の大問題だ。彼女の言い分では、私がローマンと結託し、王太子妃の座ほしさにミレーネ嬢を陥れたという。なんとローマンを使ってミレーネ嬢を襲わせ、結婚式当日に誘拐させたというのだ。その上、ローマンの口封じと邪魔者のミレーネ嬢抹殺のために、賊を雇って馬車を襲わせ、ローマンと御者を殺した。けれど、ミレーネ嬢はローマンによって逃がされ、その手には証拠になるローマンの手紙も携えている――というのが彼女の主張だ。
「いやいや、いくらなんでも無理があるでしょ!」
私は顔を上げる。心の声がダダ漏れになっているけれど、今は気にしている余裕がない。この場には侍女長や侍女たちもいる。みんな私に気を遣ってか黙って気配を消していた。頭がズキズキする。私はその痛みに顔を顰めつつ、ハーブティーをがぶ飲みする。
そんな無理な設定、みんな本当に信じるの?
私は公爵令嬢と面識もなかったし、殿下なんて国の行事の時に遠くから見たことがあるくらいだ。そんな私がいきなり王太子妃の座を狙うって、どんな野心家よ!
それが事実として認められてしまったら、私は歴史に名を残す悪女になれそうだ。
本気にする人なんていないだろうと思ったけれど、大広間にいた貴族たちの反応を見れば、そうとも言えない。やっぱり、王太子妃教育を受けてきた公爵令嬢と、田舎から出てきたぽっと出の子爵令嬢では、信頼度が違うのだろう。私の言葉よりも、公爵令嬢の言葉に耳を傾けたくなるのも分からないではない。ミレーネ嬢が嘘を吐くはずがないと誰もが思うだろうから。私ですら、彼女がどうしてそんな荒唐無稽なことを言い出したのか信じられないくらいだ。
彼女が行方不明になっていた間にどこにいたのか、公爵家に保護された経緯や、彼女の証言の信憑性については、今事情聴取が行われているはずだ。殿下が戻ってきたら聞けるかもしれないけど。部屋に入ってきた途端、「この悪女め!! 今すぐこの者を捕らえて地下牢にぶち込んでおけ。拷問を行い、全てを吐かせた後で処刑にしてくれる!!」なんて言われるかもしれない。
私は処刑台に連行されて、斧を持った処刑人に首を落とされる自分の姿を想像して、気分が悪くなる。うっ、吐きそうだ。殿下はいきなり決めつけるような人ではないけれど、それでも分からない。私の悪事とやらが明らかにされたら豹変するかも。ああ、こんなことになるから、王族なんてものとは関わりたくなかったのよ。
今さら嘆いてみても仕方ないが、自分が想像以上に困難な立場に追いやられてしまっているのは分かる。いつ、首が胴体から切り離されるかしれないんだもの。命乞いすれば、国外追放くらいで許してもらえないかな。いや、そもそも私は罪を犯してはいない。ミレーネ嬢の言ったことは全て、身に覚えがないことばかりだ。
本当にあの手紙はローマンが書いた手紙なのだろうか。ローマンがミレーネ嬢を騙し、私に罪を着せようとしたとか? いくらなんでもローマンには策を弄するほどの腹黒さなんてない――はず。でも、バカだから誰かに騙されていたかもしれない。あるいは借金の返済を迫られて、脅迫されていたとか?
ローマンめ。死んでからでも問題を起こすなんて覚えてなさい。私が処刑されたら真っ先に殴りに行くからね。絶対そうしてやると、私は決意を込めて拳を握る。結婚式をすっぽかしたことと合わせて二発は殴らないと気が収まらない。地獄に逃げようとも追い掛けていってやる。
そもそも、私が王太子殿下の結婚相手に急遽選ばれたのは、たまたま近くの教会にいて、同じように結婚相手に逃げられて困っていたからだ。私が自分から名乗り上げたわけではない。むしろ、王家側の都合で有無を言わさず連行されたのだ。そのことを、国王陛下も王妃様も、王太子殿下もわかってくださる――と思うけれど、どうだろう。
それすら陰謀だったと言われてしまえば、潔白を証明する手段はない。これは悪魔の証明だ。
「私……捕まっちゃうのかな……」
不安な声が思わず漏れた。
「妃殿下。殿下がお戻りになられるのをお待ちください」
侍女長がいつも通り落ち着き払った態度で言う。その声と少しも揺るがない態度に、私は少し安堵して頷いた。そうだ。誰もがミレーネ嬢の言うことを信じているわけではない。今は何も分からず、みんなが混乱しているところだろう。牢にぶち込まれることがあったとしても、取り調べが行われて、罪が明らかになるまでは首は繋がったままのはずだ。そうでないと困る。
こうなったら、何日か地下牢で生活することも覚悟しておこう。ネズミが出るかもしれないし、ノミだらけのお粗末なベッドしかないかもしれないけれど耐え忍ぼう。できれば、食事は一日二回だと嬉しいな。あと、腐ったカビだらけのパンとかじゃなくて、普通に食べられるパンを出してほしい。それなら、一月くらいは我慢できそうだ。でも二月はちょっと無理かも知れない。心が萎えて、病気になりそう。
殿下が戻ってきたのは、日が暮れて私が入浴も夕食も終えた後だった。正直、心配すぎて食事なんて喉を通らないと思ったけれど、美味しそうなスープとパンを出されれば全部お腹に入ってしまった。パンのおかわりもしたかったけれど、そこは我慢しておいた。この状況で食欲旺盛だなんて、図太いと思われてしまう。
「遅くなってすまない」
殿下はまだ寝間着に着替えておらず、礼服の上着を脱いだだけだった。
「殿下! あの……ミレーネ嬢は?」
私が尋ねると、殿下はベッドの端に腰を下ろす。
「彼女なら公爵家に一旦戻った……医師にも診せたから心配ない。それより、君は平気か?」
殿下にジッと見つめられて、私は「私は……この通り、元気いっぱいですよ」と肩を竦めて見せた。実際、精神的なショックは大きいけれど、頭がズキズキして胃が気持ち悪いくらいだ。これは自分の胴体と首がいつまで繋がっていられるのかを心配しているせいでもある。
殿下の顔にも疲労の色が浮かんでいる。あれからずっと話し合いや事情聴取の場にいたのだろう。ミレーネ嬢が公爵家に戻った後も、国王陛下や王妃様たちと今後の対応について相談し合っていたはずだ。少しも休む暇はなかったようだ。舞踏会の前は少しの乱れもなく整えられていた髪もほつれて額にかかっている。
「あの……殿下、お休みになった方がよくありませんか? お話は明日でも……」
「いいや、君も色々心配だろうから、伝えるべきことは先に伝えておきたい」
「では、お茶を一緒に飲みましょう! 私も寝付けそうにありませんし……」
私はベッドを抜け出して、鈴を鳴らす。部屋にやってきた侍女に、殿下と私の分のお茶を頼んだ。
ソファーに移動して座っていると、戻ってきた侍女がテーブルにティーセットを並べる。彼女は「失礼いたします」と一礼して、すぐさま出て行ったから部屋には私と殿下だけだ。
お互い、無言のままカップに手を伸ばしてお茶を飲む。殿下の眉間には皺が寄ったままだ。相当、頭の痛い問題が生じているのだろう。その原因の一端が自分にあるのかと思うと申し訳なくなる。
「あの殿下……ミレーネ嬢の話をどう思われました?」
私はカップを戻して尋ねた。チラッと見れば、殿下は考え込むようにカップを見つめている。
「……今のところ、不明な点が多すぎる。判断ができない状況だ」
「私は……離婚ということになるのでしょうか? それは、全然かまわないんですけど……できれば、命ばかりはお助けくださいっ!!」
私は改まって、ガバッと頭を下げる。殿下はびっくりしたように固まっていた。
「君は……ミレーネ嬢の証言を認めるのか?」
「いいえ、まさか! 身に覚えのないことばかりです。ですけれど、状況を考えて私に疑いが向くのもしょうがないと思いまして。尋問くらいならいくらでもお受けいたしますけれど、拷問はちょっと無理なのであることないこと口走ってしまうと思うんです!」
うん、私は痛いのが大嫌いだしね。親知らずが虫歯になって歯を引っこ抜かれた時も、泣き叫んで大暴れして、医師の先生の顔に青痣を作ったくらいだ。爪をはがされたり、鞭で打たれることになると考えただけで、やってもいない罪を認めそうになる。
「君が拷問されることなどないから、その点は心配する必要はない。だが、公爵が君の取り調べを要求しているのは事実だ。その際は、もちろん私も立ち合うつもりだから不当な扱いはさせない」
つまり、その尋問は受けなきゃいけないということよね。私が気が遠くなりそうだった。けれど、公爵にとっては、王太子妃を確約されていた自慢の愛娘が男と子どもを作って逃亡しただなんて辱めは到底、容認できないだろう。どうあっても、娘の名誉を回復させて、できることならば改めて王太子妃の座に据えたいはずだ。となれば、邪魔になるのは私というわけだ。
「あの~~、殿下。私は公爵やミレーネ嬢が望むのであれば、いくらでも王太子妃の座から退きますよ? なんなら、死んだことにして逃がしてくれるなら、もう二度と社交の場に姿を見せず、どこか異国にでも旅だってひっそりと生きていく覚悟もしています」
私は片手を上げて、おずおずと申し出る。それで公爵も矛を収めてくれないだろうか。私の名誉なんてもうどうだっていい。首と胴体が繋がっていることが重要なのだから、それ以外は些末な問題だ。子爵家と両親や弟には迷惑がかかるかもしれないが、こうなったからには勘当してもらおう。大人しく引き下がれば、公爵家から恨まれたりはしないはずだ。
「…………それは、君の本心か?」
殿下の声が少し低くなり、ひやりとする。
「もちろんです。元々、私は王太子妃になることなんて望んではいなかったんですから。結婚式が終わるまで、自分の結婚相手が殿下だと知らなかったくらいですよ? 何も聞かされてはいなかったんです。いきなり降って湧いたような結婚話ですもの。それに、ほら……幸いなことに私も殿下も、まだ……えーと、夫婦の務めというやつを果たしていないでしょう?」
私は視線を泳がせながら人差し指を立てて見せる。むしろ、果たさなくてよかった。今ならまだ、私は一応のところ清い体だ。結婚なんてこの先望めないかもしれないが、異国に行けば思いがけない出会いもあるかもしれない。うん、私はまだ若いんだしね。希望は捨てないでおこう。
殿下は額を押さえて、深くため息を吐く。
「それはそうだな……君にとっては望まぬ結婚だっただろう。不服を申し立てる権利は当然ある」
「えっ、不服を申し立てているわけじゃありませんよ? ただ、私には重荷……といいますか、田舎貴族の令嬢でしかない私では、殿下とつり合わないのは誰から見ても一目瞭然と言いますか。ミレーネ嬢の方が相応しいのは当然です。彼女は幼い頃から、王太子妃になるべくみっちりしごかれ……いえ、教育を受けてこられたのでしょう? その彼女が不在だったから、私が代わりになっただけで……彼女が無事に戻ってきて、その上本人も王太子妃になる気満々であれば、ますます私がここにいる理由はない、と思うわけですよ」
私はあたふたしながら、なんとか説得を試みる。うん、別に王太子妃教育が苦痛だから、できるなら逃げたいと思っているわけじゃないですよ? 冷や汗がタラタラ流れる。
「あっ、でも……子どもの問題がありますよね? ミレーネ嬢はやはりローマンの子を宿していらっしゃるのでしょう? それは……王家としても、困りますよね」
だが、私たちの離婚の手続きと、ミレーネ嬢と殿下の再婚の準備には一年近くかかるはずだ。そんなに簡単に教会の許可も下りないだろうし。さすがに一ヶ月も経たないうちに殿下が離婚しましたなんて、あまりにも体面がよろしくはないだろう。
だから、その間にミレーネ嬢が子どもを産んだら、公爵も愛娘の子だから引き取るのではないか。そうじゃなかったら、私がおバカローマンの元婚約者としての責任を取って引き取りましょうとも。それとも、伯爵家が引き取るのかな。とにかく、誰かが面倒を見るはずだ。
なんてのは、あまりにも世間知らずで都合の良すぎる考えだろうか。けれど、私にはそれが最善に思える。私の首と胴体が繋がっているためにも、ここは誰にとっても建設的な解決策を提示すべきだ。
腕を組んで考えている殿下の眉間の皺がまた一本増えている。それをつい、指でマッサージして伸ばしたくなるのを私は我慢した。だって、あのままじゃ無愛想に余計に拍車がかかりそうだ。せっかくの美男子なんだからもうちょっと柔らかな表情でいる方がいい。もちろん、硬派な殿下も素敵だと思うけど。と、私はこの場に関係ない事をぼんやり考える。どうやら、私も相当お疲れらしい。余計なことに思考が拡散してしまう。こめかみをグリグリと揉む。
「いや……」
「えっ、子どもの話は間違いだったとか?」
「逃亡中の疲労と精神的負担によって、公爵家に保護された時にはすでに……」
言葉を濁した殿下の難しい表情で察する。私は泣き崩れたミレーネ嬢の姿を思い出して心が痛んだ。それは公爵家にとってはむしろよかったことなのかもしれない。だが、やはり誰の子であっても、望まないものであったとしても、産まれてくるはずだった命が消えたというのはショックなことだ。ミレーネ嬢の心情なんて私には慮れないけれど、青ざめた表情からも、震えていた手からも、今回の事件で彼女が疲弊しているのは分かる。
その上、大広間に乗り込んで、大勢の人の目にさらされながら私を告発するということをやったのだ。私なら絶対無理だ。もう、全部投げ出して、どこか景色のいい田舎町で療養生活を送りたいと思うだろう。何かに立ち向かうのは、相当に大変なことで、気力と体力が必要になるから。
「そうですか……それは、残念です」
私は他に言葉が見付からず、目を伏せる。殿下はミレーネ嬢のことをどう考えているのかな。仮にも、長く結婚相手としてみなされていて、社交的な付き合いも深かっただろう。そのミレーネ嬢の今回の告発と結婚無効の要求についてどう考えているのか。ミレーネ嬢と再婚できるならその方がいいと考えているのだろうか。片目を開けて殿下の顔色を伺ったが、その心中なんて少しも探れなかった。




