第1話 この世界は、本当に現実なのか
子どもの頃、俺はよく変なことを考えていた。
空を見上げながら、「この世界って、本当に現実なのかな」と考えることがあった。別に、何か特別なものが見えていたわけじゃない。宇宙人を見たこともなければ、幽霊と話したことがあるわけでもない。ただ、何となくそう思っていた。
きっかけは、眠ることだった。
夜になれば眠る。朝になれば起きる。当たり前のことだ。でも、ある日ふと思った。
「寝てる間って、何してるんだろう?」
もちろん答えは分かっている。寝ているのだから何もしていない。それでも、眠っている間の時間を自分は直接経験していない。目を閉じる。次に目を開ける。その間に何時間経っていたとしても、自分の感覚では一瞬だ。それが妙に不思議だった。
「もしかして、寝てる間に世界が止まってたりして」
そんなことを考えた。
そして、そこから想像が膨らんだ。
もし、この世界がゲームだったら。
寝ることはセーブ。朝起きることはロード。そんな仕組みだったら、俺が眠っている間に何が起きていても分からない。
もちろん、子どもだった俺にそんなことを説明できる知識なんてなかった。だから、もっと単純だった。
ゲームなら、キャラクターを操作する人がいる。
だったら俺にも、俺を操作している人がいるんじゃないか。
そう考えた。
「じゃあ、俺が今歩いてるのも?」
自分の手を見た。
手を開く。閉じる。もう一度開く。ちゃんと自分の意思で動かしている。少なくとも、そう思っていた。
でも、その「自分の意思」というものが、本当に自分だけのものなのか。そこまでは分からなかった。
例えば、右に行くか左に行くか迷ったとき。なぜ俺は右を選んだのか。
好きだから。何となく。そっちのほうが良いと思ったから。
理由はいくらでも思いつく。
でも、その「何となく」を誰かが決めていたら?
子どもの俺は、そこまで考えて少し怖くなった。そして同時に、妙にワクワクした。
「もし本当にゲームだったら、面白いのにな」
そんなことを考えていた。
ゲームなら、人生にもイベントがあるはずだ。
嬉しいことが起きる日。嫌なことが起きる日。誰かと出会う日。何かを失う日。それら全部が、ゲームのイベントなのかもしれない。
たまたま起きた出来事なんて、本当は「たまたま」じゃない。プレイヤーが、「今日はこのイベントを起こそう」と選んでいる。
そんな世界。
俺はそれを想像するのが好きだった。
ただ、一つだけ嫌なことがあった。
ゲームには、ゲームオーバーがある。
子どもの俺でも、それが何を意味するのかくらいは分かっていた。
死ぬこと。
「じゃあ、人間が死ぬタイミングも……?」
そこまで考えると、さすがに怖くなった。
誰かがゲームをやめたから、その人は死ぬ。
そう考えると、妙に納得できる気もした。
でも、それ以上考えるのはやめた。怖かったからだ。
その頃の俺は、そんなことを考えている自分を「ちょっと変な子ども」くらいに思っていた。
大人になれば、こんなことを考えなくなる。
そう思っていた。
実際、大人になるにつれて、そんなことを考える時間は減っていった。学校へ行って、働いて、人と話して、飯を食って、眠る。毎日やることがあって、そんなくだらないことを考えている暇なんてなくなった。
世界がゲームかどうかなんて、どうでもよかった。
俺は普通に生きていた。
普通に笑って、普通に怒って、普通に失敗して、普通に後悔した。
そして、いつの間にか忘れていた。
あの日までは。
仕事帰りの夜。
俺は駅前の交差点で立ち止まっていた。
信号は青。周囲には帰宅途中の人間が何人もいる。俺も家に帰るつもりだった。
なのに、なぜか足が動かなかった。
右へ行けば家への近道。左へ行けば遠回りになる。そんなことは分かっている。
なのに俺は、左を向いていた。
「……なんで?」
自分でも理由が分からなかった。
何か用事があるわけじゃない。行きたい店があるわけでもない。ただ、左へ行かなければならないような気がした。
馬鹿馬鹿しい。
そう思って右へ向こうとした。
その瞬間だった。
身体が、先に動いた。
一歩。
左へ。
俺は思わず立ち止まった。
心臓が一度、大きく跳ねた。
「……今、俺、何した?」
自分で歩いた。もちろん、そうだ。足を動かしたのは自分だ。誰かに押されたわけでもない。命令されたわけでもない。
それなのに、なぜか今の一歩だけは、自分が選んだ気がしなかった。
その瞬間、忘れていた記憶が突然蘇った。
子どもの頃、空を見上げながら考えていたこと。
この世界は、本当に現実なのか。
俺はゆっくりと空を見上げた。
夜空には、何もない。星がいくつか見えるだけだった。
それでも、なぜかそう思った。
もしかすると。
今、この瞬間も。
誰かが俺を動かしているんじゃないか。
その考えを馬鹿らしいと思おうとした。
けれど、胸の奥に残った違和感だけは、どうしても消えなかった。




