95.魔女への依頼は悪魔祓い7
夜分遅くに、商会長は自宅に戻った。
「魔女様、魔法使い様。父を助けて下さって、ありがとうございました」
娘のエマが深々と頭を下げる。父親が正気に戻ったのだ。
悪魔に唆されて、毎夜酒場に通いげっそりとしていた商会長は、憑かれてからの数週間、記憶があいまいだった。
屋敷の中も、悪魔の魅了が解かれたことと、昼間に置いていった水晶のおかげか、淀みがなくなっていた。
「悪魔に魅入られたのは、商会長のせいではないので、許してあげてください」
「はい」
ライバル店の仕業だと知ったエマは、すぐに従業員を呼んで、不敵な笑みを浮かべながら報復の算段をし始めた。
商会長は次女のレナの所で、必死に謝罪している。結婚も魔道具開発もすべて取り消すと娘に土下座していた。父親の暴挙にストライキを起こして抵抗していた娘は、良かったとうれし泣きしていている。
メリッサは結婚を取り消されるであろう、魔塔の魔法術師は気の毒だと思う。そして、誰かを知らないままでよかったと心から思った。
◇◇◇
夜の薄汚れた路地裏に、知り合いを呼び止めようとする、陽気な声が降ってきた。
「あれ。お前、血相変えてどこ行くんだよ」
酒場の路地裏を息を切らして走る女は、角を曲がったところで一人の男に出くわした。
黒髪に紫闇の瞳。その美貌の青年は場所にそぐわず陽気に笑う。
「ひい!どうして。貴方まで!」
女は引き返そうとするが、闇が足を掬って動けない。
「アイツガ、いや。彼女が見逃したなら、俺は何もしない」
同族の行いには興味がないし、悪魔が悪魔らしい所業をするのは自然な事なのだから人間を陥れようが、嬲ろうが勝手にすればいい。
ただ、あの二人が脅かされるような事の原因になりそうな芽は積んでおく。そのためだけに青年はここに来た。
「あの御方が!どうしてここにいるの?」
焦りと恐怖を、吐き出す女。
地底に住む者たちを制した、圧倒的な存在。
そして、今。女の目の前にいるのはその右腕だった男。
「どうしてかって?お前ごときが知る必要があるか?お前がすべきことは口を閉ざすこと。それだけだ」
女の足にまとわりつく闇が、上へ上へと上がってくる。
そのまま全身を飲まれるのではと、恐怖が襲う。
「っつ!わかった!わかったから!」
「アイツは悪魔であっても、女を傷つけるのを嫌うから。警告な?今日見たことを喋ったらこの闇がお前を喰らう」
「言わないから許して!」
「そうそう!言わなきゃいいだけだから。簡単だろ?」
相棒の存在も、魔女の存在も地底の者が知るべきではない。
青年は冷たく狂気を孕んだ笑みを浮かべ、路地裏の闇の中に消えていった。
残された女にまとわりつく闇は消え、絶対的な命令だけが残された。
◇◇◇
「セス。今日はありがとうございました」
「どういたしまして」
依頼は達成されたし、マルグリットの信用も上がることだろう。
帰り際にもともとの報酬とは別に、どっさり追加の報酬をもらった。
「セス、今日のお仕事の報酬を貰ってください」
メリッサは追加報酬をセスランに差出した。悪魔を祓ったのは彼なのだから。
「それは君の分だ。報酬はいらない。今日は君と過ごせて十分楽しめた」
「でも!」
「そんなに気にするなら‥‥‥そうだな、緑陰の任務で君の護衛をしていたんだ。報酬はきちんと三賢者から貰うよ」
「うう。わかりました。お言葉に甘えます」
押し問答を続けるより、気持ちを受け取ったほうが彼は喜びそうだ。
それに、メリッサも同じ思いだった。
「わたしも、今日はとても楽しかったです」
観劇にカフェに、酒場で潜入調査。かなり冒険的な一日だった。
「ところで、セスはああいう美女が好きですか?」
「は?」
一瞬で氷点下に下がったセスランに気づかず、メリッサは意気込んで言った。
「酒場の美女たちですよ!」
立派な胸と、美脚だった。
「何を想像しているんだ?」
「やはり、あの胸には抗えないかと‥‥‥むぐっ」
セスランは、メリッサの頬を両手でむぎゅっと挟んだ。
「それ以上想像を膨らませるな」
ものすごい圧で見下ろされれば、さすがにメリッサは地雷を踏んだと気が付いた。
――しまった。
これは振ってはいけない話題だったらしい。
絶対余計なことはしゃべらずに、大人しくしていてほしいという彼の願いは、メリッサによって無に帰したとは知る由もない。
触れる手が冷たい。久しぶりに機嫌を損ねた彼の冷気を感じた。頬を挟まれては身動きもとれないし、離してほしいとも言えない。
「言っておくが、メリッサ。俺は君にしか‥‥‥」
名を呼び、彼の視線が真摯に見つめてくる。
それを‥‥‥メリッサはふと、いい匂いにつられて目を逸らしてしまった。
ガラス越しに、おいしそうなご飯を食べる人達が見える。
帰り道は、昼間に通った飲食店の並ぶ場所だった。
「メリッサ!」
「!」
彼の声に、よそ事を考えていたメリッサは引き戻された。恐る恐る視線を元に戻す。
「君は、人の気も知らないで‥‥‥仕方のない子だな」
やれやれと言ったふうに、彼は苦笑をこぼし、頬を挟む手を離した。
「セス?」
解放されたメリッサの頬は、冷たい冷気で冷やされたはずなのに、恥ずかしさで熱かった。
「どこかで食事にしよう」
冷気が消えて、いつもの穏やかな彼に戻った。
遅めの夕食の提案に、メリッサも笑顔で頷いた。正直お腹が空いていた。
「どこのお店にしましょう」
「静かなところがいい」
二人は並んで夜の街を歩いた。
「魔女への依頼は悪魔祓い」はこれで終わりです。




