71.仕方ないので
神殿には午後の日差しが差し込み、静寂な時が流れていた。
「どうしよう。ラファエル。またやってしまったかも」
メリッサは頭を抱えた。
ファーレの言葉に煽れた。
ーーセスを悪く言うから。
「にゃあ」
気遣う黒猫を抱き上げ、メリッサは神殿の壁画を見上げた。
そこに描かれているのは遠い昔の物語だ。
「殺戮の天使様。わたしも泣きたい気分」
「メリッサ」
聞きなれたその声に、メリッサは振り向いた。拍子にラファエルが腕から飛び降りた。
「公爵様」
いつもそうだった。なんの気配もなく彼は現われる。
一瞬で胸が締め付けられたメリッサは、息を止めてなんとか落ち着こうとした。
セスランはメリッサに近づくと、跪いた。
「メリッサ。君に嘘をついたこと。悪かったと思っている。すまなかった」
「すっかり騙されました。公爵様が綺麗すぎるのがいけないんですよ」
メリッサは魔女モードに頭を切りかえた。心がついて行ってなくても、魔女ならどんな時でも冷静に見えるようにしなければならない。
「遊びは楽しかったですか?」
「遊んだつもりはない。君に嫌われたくなくて言えなかった」
「女装が趣味だってことくらいで、嫌いになりませんよ」
メリッサは魔女の取引だと思って、微笑を作って見せた。
「すまないメリッサ。怒っていいし、罵倒してくれてもいい。無理に笑わなくていいんだ」
セスランのその優しさと、気遣いがメリッサの心を揺さぶる。
「わたしは魔女なので、この程度で怒ったりしません」
「メリッサ。俺には何を言ってもいい。我慢しないで」
跪いたままのセスランの瞳が見上げてくる。
「わたしは公爵様もルビーお姉さまも、あなたの言う通り別人だと信じていたんです。でも、今となっては任務のためだったと理解しています」
魔女らしく、淡々とした態度で距離を取る。そうしないと、口から感情が溢れてしまう。
「もう、仕事は終わったでしょう。優しいふりをする演技はもういりません。それではこれで失礼しま‥‥‥」
「演技じゃない!」
踵を返して去る前に、セスランによってメリッサの手は捕まえらた。
「離して」
「離さない。ルビーだった時も、今も。君への態度はすべて演技じゃない」
「うそ」
「嘘じゃない」
演技じゃないとしたら、あのルビーの甘やかすような発言のすべてが、彼からの真実の言葉になってしまう。
それを認めるのが恥ずかしすぎるからこそ、こうして魔女モードで終わらせようとしていたのに。
もう、限界だった。
「セスはずるい!ルビーお姉さまのことずっと信じてたのに。あんなに優しくしておいて、騙すとか最低です。か、かわいいとか言われて喜んだ自分が馬鹿みたいじゃないですか!」
口から感情が溢れだした。
心臓はバクバクいっているし、顔はきっと真っ赤になっているはずだ。涙目になっているけれど、絶対に涙を零さないように必死で瞬きを耐える。
「だらから、セスの事なんか――!」
「大嫌いになった?」
「っ!」
捕らえられた手がきゅっと握られる。すがるような目でセスランは言った。
綺麗な憂い顔で、それは反則じゃないか。
彼のすでに傷を負ったような表情に引き付けられて、メリッサの溢れそうだった涙が引っ込んだ。
「メリッサ。はっきり言って」
「‥‥‥‥‥‥嫌い‥‥‥じゃないです」
メリッサは顔をそらして、小声で言った。それが精一杯だった。二回目の大嫌いを言ったら、本当に彼を傷つけてしまいそうで怖かった。
「昨日の大嫌いは取り消してあげます。だから、その反則的な顔はやめてください」
「よかった。ありがとうメリッサ」
セスランの顔から憂いが晴れて、嬉しそうに微笑んだ。
段々冷静になってきたメリッサは、その美貌を前に仕方ないとあきらめの気持ちになってきた。
「大げさですね。わたしなんかに嫌われたって、どうということもないのでは?」
「あるよ。可愛いメリッサに嫌われたら生きていけない」
「!」
メリッサが余計な一言を足したせいで、彼からとんでもない一言がさらりと返ってきた。
「だから、これまでのこと許してほしい」
跪いたまま、誠実に懇願される。
落ち着きつつあったメリッサの心臓が、また跳ねだした。結局、彼の視線に耐えられなくなって、絆された。
「し、仕方ないので、許してあげます!」
「ありがとう」
今まで見たことがないくらい、甘やかに彼が微笑んだ。
メリッサの混乱を突くように、許しを請う彼は誠実でありながらも、やっぱりずるいと思った。そう思いながらも、許してしまったけれど。
「もう、手を放してください」
メリッサは手を引くが、びくともしない。
セスランは手を握ったまま立ち上がり、メリッサの瞳を見つめた。
「もう一つ、君に伝えないといけないことがる」
「え?」
「ラファエル!」
「にゃ」
呼ばれてすぐに、ラファエルはセスランの肩に飛び乗った。
そして、繋いだ手に魔力を感じた瞬間、景色が変わった。




