66.タイミングを待って
湖畔の宿の裏には、高温の源泉が湧き出る小さな泉があった。
エダンは宿に隠していた、幻影草で作った茶葉をすべて持ち出してきた。紅茶の茶葉の袋に入れたそれは、春祭りの間、商人たちに少しずつ聖都内に運ばせていたものだった。
「これをでアイツらをまとめて人形にしてやる」
茶葉を湯気の立つ原泉にバラまいた。
湯気にのって香りがたちはじめる。
隕石湖からの風が、風下の森の方へ幻影草の魔法を流していく。
エダンは使役した鳥型の魔物に、幻影草の茶葉をいれた布袋を持たせて飛ばした。
「温泉街の連中を魔法にかけてやる」
エダンの目は大きく見開かれ血走っていた。いつの間にか追い込まれていることに気が付き、計画が潰されようとしていることを理解しながらも、目の前に現れた強者を混乱に陥れてやろうという悪あがきをする。
「悪党は自棄を起こすと、とんでもないことをしでかそうそするみたいですね」
「悪あがきをするのが定番だからな」
宿の屋根の上に、月を背に立つメリッサとセスランが現われた。
二人の姿は、まるで獲物を捕らえに来た狩り人のようだった。そして、平然とそこに存在している事に、エダンは愕然とした。
「魔力探知が効かないだと?それに、なぜ香りを嗅いで無事なんだ」
「お前が知らない魔法があるだけの事だ」
セスランの言う通り、メリッサはここに来る前に彼に魔法をかけらていた。
体の周囲の空間に、幻影草の香りを遮断する層を一つ纏わせるといった短い説明だけだったが、こうして魔力探知にもかからずに、香りの影響も受けない。
「ちっ。魔物たち、集まれ!」
焦るエダンは、まだ破られていない魔物を使役する魔法で、隕石湖の方から魔物を呼び寄せた。
湖からザバザバっと魔物が湧き出てきた。
「ここからだとよく見えますね。隕石湖から魔物が出てくるってことは、対岸から魔物が泳いで来てるってことですね」
宿の屋根の上からだと湖畔の様子がよく見える。
隕石湖の対岸は人が住まずに森が広がっている。それだけに魔物も多い場所だ。
これだけの長距離で使役できるということは、エダンが魔塔の魔法術師だったら確実に上級レベルとみられただろう。対人戦としてはメリッサにとっては強敵だ。
「とりあえず試してみます!」
メリッサはエダンめがけて捕獲魔法を展開した。
籠の目の魔法壁がエダンを取り囲むが、すぐに割られてしまった。
「あ、駄目でした」
「その魔法だと奴には通用しないな」
魔物を使役しながらこれだけの動きをするエダンは、魔力量も魔法の腕もかなりのものだ。まっとうな魔法術師だったら尊敬されるような存在なっていたかも知れない。
「次は攻撃魔法を撃ってみます」
原泉の湯気から、幻影草の香りを含んだモヤが立ち込める。狙いを定めたいがメリッサには幻影草の黒いモヤが視えるせいで、逆に周囲が黒く靄がかかって見えにくい。
「黒い靄が邪魔‥‥‥!」
視界が靄で遮られた瞬間。地上からエダンの攻撃魔法が放たれた。それが、命中するよりも早く、セスランはメリッサを抱えて飛んだ。
閃光が宿の屋根を削ったのを、二人は上空から見下ろした。
「――高い!」
「飛行魔法は苦手なんだろう。おとなしくつかまっているんだ」
森の木を眼下に見下ろし、鳥が飛ぶのと同じくらいの高さまで上昇する。
地上を見下ろすと、月明りではっきり見えていた森が少しずつ黒いモヤに浸食されていた。
「あのままだと風で、温泉街に流れていきそうですね」
「それが狙いだろうな」
メリッサは上空の冷たく、澄んだ空気を吸い込んだ。
そこに清らかな存在を感じる。
「あのモヤを祓う方法を思いつきました」
「それは?」
「魔力をたくさん食べて大きくなった子に、手伝ってもらいます」
強い夜風が吹く。メリッサはバランスを崩して落ちないように、セスランの上着をぎゅっとつかんだ。
夜風と共に、二人の前に光が集まりだす。その光は精霊鳥に変化した。
「(蒼玉の魔女。あなたの願いはわかっている。あれを祓ってあげよう)」
精霊鳥は見違えるほど大きくなっていた。肩に止まれるほどだったサイズだったのが、小型の竜ほどの大きさになっている。
「やはり魔力を食わせすぎたんだ」
大きく成長したとういよりは、太ったといえるかもしれない。
まるまるとして、黄色と白のふわふわした姿は可愛らしかった。
「でも、これでなんとかなるでしょう?」
メリッサは得意気にセスランを見上げた。
「君にしかできない魔法だ」
「褒めてますか?」
「もちろん。褒めているよ」
見つめるメリッサの瞳の中に、魔力のこもった星が煌めいている。
「‥‥‥」
「セス?」
「――星が、綺麗だな」
「そうですね。夜空の星が綺麗です。こんなに高い場所からだと、星に手が届きそうです」
夜空の星に手を伸ばすメリッサを見て、セスランは可笑しそうに笑った。
「ふふっ。君らしいな」
彼の目が細められる。見慣れたつもりだったが、メリッサは彼の美貌に改めて見惚れてしまった。
「セスが笑うと、破壊力がありますね。きっとご令嬢たちもイチコロでしょう」
「――それも、君らしいな」
彼の笑顔が、秒速で無に帰した。
また何かの地雷を踏んだと、気づいた時には遅かった。
「地上に降りよう」
そうセスランが言った瞬間。メリッサの体が浮力を無くした。
「えっ‥‥‥落ち、いやあああああああ」
自由落下のスピードで落ちた。
メリッサは、無意識にセスランにしがみついた。下手くそな飛行魔法を使う余裕もない。
急降下しながら、セスランは地上に向かって攻撃魔法を放った。
地上に閃光が、矢のように降りそそぐ。
器用にも宿や木は無傷で、泉から湧き出てきた魔物だけを打ち抜き、土煙が舞った。
セスランは急降下を止め、ふわりと着地した。
「着いたぞ」
「着いたじゃなくて、落ちたじゃないですか!?めちゃくちゃ怖かったんですから!」
「君を落としたりしない。それにこんなにくっついていたら落ちようがないだろ」
メリッサは恐怖のあまり、セスランにしがみついたままだった。
「――!」
慌てて飛びのいて離れる。
「セス。少し意地悪じゃないですか?」
「君の方こそ」
「やはり公爵は強いな。だが、勝てばヤツを超えられる!」
土煙の向こう側から、エダンの声がした。
メリッサは戦闘中だったと気を取り直す。
エダンはわざと外されている状況に焦りつつも、諦めていなかった。
土煙が風に乗ってなくなると、エダンの後ろにソルが立っているのが見えた。
「ソル!」
メリッサの呼びかけに、反応しないその目は虚ろだった。
「エダン!森を穢す邪悪を祓います!」
「サファイアの小娘!」
空から光り輝く黄色い鳥が、舞い降りる。
そして、翼を広げ風を起こした。
清浄な風が吹き、空気が清められ幻影草の魔法が浄化されていく。森中を流れていたモヤは精霊鳥が飛び回り風を起こしてすべて祓ってしまった。
「なんだあれは?」
遥か昔にいなくなったとされる、その神秘的な姿を目の当たりにして、その存在を表す言葉は一つしかなかった。
「精霊なのか?」
エダンは立ち竦んだ。長年の研究の末の魔法が、一瞬で消えた。セスランによってすでに回避されていたものの、これだけの広範囲の幻影草の魔法を無に帰す存在がいること。そして、それを呼んだメリッサに言い知れぬ畏れを感じる。
抗う術はもうないが、負けを認めるのも、命乞いもエダンのプライドが許さなかった。
「ソル!!あのサファイアの娘を殺せ!」
エダンが操ることのできる残された存在に命令する。
ソルはゆらりと一歩踏み出した。そして――。
「殺されるのは貴様だ」
「は?」
ドゴオ!
勢いよく、顔面をひしゃげたエダンが地面に叩きつけられた。
「ソル!」
エダンを殴り飛ばしたソルの瞳は、しっかりと意思が宿っていた。
「悪かったなメリッサ。こんなことに巻き込んでしまって」
メリッサの呼びかけに答えたソルは、いつもの彼だった。
「な、なぜ正気に戻った?幻影草には精神操作を解除させないための呪いをかけてあるのに」
這いつくばるエダンは、血を吐き出しながら叫ぶ。
ソルは腰に下げていた剣を抜いて、躊躇なくエダンの手の甲を刺し地面を貫いた。
手を地面に磔にされて、エダンは叫び声をあげる。
「お前が聖都に来た時から、もう解呪の方法は仕込んであったんだよ」
「は?」
「お前以上の天才がいて、すべての呪いを解呪する魔法を俺にかけたんだ」
ソルは自身のシャツの襟をグイっと引いて、鎖骨下に見える魔法印を見せた。
特殊なインクで描かれたそれは、強力な魔法を刻むものだった。
「聖都の魔法術師をなめるなよ」
「お前。操られているフリをしていたのか!」
「いいや。ちゃんとお前の魔法は効いていたさ。ただ、俺の意識は表には出ずにすべてを記憶していて、解呪されるタイミングを待っていただけだ」
「解呪される?‥‥‥まさか」
エダンはある可能性に気づき、その人を見た。
その紅い瞳に、戯れが宿る。
「ソルはこちら側の人間だ。デービス伯爵家の者には、お前を捕らえる為にその身をていして囮になってもらった」
「すべて手のひらの上だったと?!」
愕然とするエダンは、もう一つの手で地面を叩きつけた。
メリッサはセスランの言っていた、計画の意味がわかった。一体いつからソルは彼の側になっていたのだろう。公爵の力なのか、緑陰の力なのかわからないがすべて用意されていたのは間違いない。
「ははっ。俺を捕らえたとて、今頃温泉街の湯に幻影草がバラまかれて気狂いになった人間で溢れかえっているはずだ」
エダンは最後まで、自身が優位だと諦めなかった。
「それはこれのことか?」
地面に這いつくばるエダンの前に、茶葉の入った布袋が投げ落ちた。
「アレイ!」
「やっと会えたなメリッサ!」
アレイとジェイド、ジュナ王子が現われた。
「温泉街の方に飛んでく魔物を刈り取ってたら、幻影草咥えてたから全滅させてきたけど?証拠品も押収済みだし」
アレイは茶葉の袋を抱えていた。
「遅い」
「そう言うなよ。幻影草のモヤが邪魔でさ、セスみたいに器用じゃないから、二人がどうにかしてくれるの待ってたんだよ」
アレイはそう言って、メリッサを見た。
彼は、メリッサの呼んだ精霊鳥によって、空気が浄化されたのに気づいている。
「クソっ」
エダンは手を貫いている剣に、自身の首を当てようとした。
「させるか!」
「ぐえ」
ソルはエダンを踏みつけて、地面に沈めた。
「俺の使用人を手に掛けたこと許さない。簡単に死なせるかよ」
事件を起こしたエダンを捕まえるために、ソルはずっと怒りに耐えていた。
セスランが、エダンの眼前にしゃがみ込む。
「犯人には、しっかり供述してもらう必要があるからな」
そう言って地面にめり込むエダンの顎を掴んだ。
「公爵!お前がすべて‥‥‥」
「悪党ほど、よくしゃべる」
セスランは他に聞こえないように、エダンの耳元でひっそりと囁いた。
「美しい宝石は、俺のものだ」
ゴキっ。
「あがっ」
「舌を噛んで死なれては困る」
セスランは、気絶したエダンを地面に投げ捨てた。
「うわっ。えげつな。触れただけで顎外すとか簡単にできる?ふつう」
ジェイドはひそひそとジュナに囁く。
「普通は出来ないだろうけど。俺も今度やってみようかな」
真剣に考え始めたジュナは、あの人側だとジェイドは思った。




