事件その3 備品盗難(7) たったひとつの冴えたやりかた
火曜日、いつも通り早く登校した土本は、そのまま校舎には入らず、校門付近に立って人を待っていた。
電車通学の集団が着く少し前のタイミングで、原付が結構な勢いで学校敷地内に突っ込んできたので、土本は急いでその原付を追いかけて駐輪場へと向かった。
見覚えのあるそのバイクから降りてヘルメットを脱いだその女子生徒は、以前とは若干違う髪型と髪色になっていた。
「よう」
「……おっす」
努めていつも通りに声を掛けようとしたが、どういう訳か梅里の方もどこかぎこちない。
襟足が長めだったウルフカットが以前より少し短くなり、メッシュの色が若干落ち着いた色味になっている。
そして、今までシャツのボタンは上2つ閉じていなかったが、今日閉じていないのは上1つだけで、その下はしっかり留めてある。
なんと話してよいか、何から言えばよいのか考えあぐねていた土本は、なんとなく見た目の変化について、深く考えずに口にした。
「……髪切った?」
おそらく彼女の髪に関する事情を知った者が聞いてはいけない形の質問をしてしまったのを、それを口に出してから気付いた土本だったが、もはや取り返しがつかないので、知らない振りで通すことにした。
「ああ、切った切った。それよりさ、最初に言いたいことがあるんだけど」
「ん? ああ」
梅里は、気まずそうに昨日の件について切り出した。
「……まず、昨日は悪かった。ホントごめん。姉貴がだいぶやらかしたらしいね」
「ああ……そうだな。マジでやってくれたわ、あの女」
昨日のことを思い出し、怒りがぶり返してきたが、それをそのまま表に出すのはできる限り抑えた。今目の前にいるのは、おそらくいつもの「梅里仰日」のはずである。そのあおいに怒りをぶつけるのは違う。
怒るべきは、あくまで姉の方なのだ。
「それのお詫びについては、また後で話すわ。『いっちゃん』……姉貴から預かったものもあるし。それよか、昨日の情報で、訂正があって」
「訂正?」
「チョコの件、アレは本当に『義理』だから。あと、彼氏とも切れてない。その2つ、訂正しとく」
「ああ、そういうことか……うん、わかった」
土本なりに気を遣った返事だったが、梅里は怪訝な顔をしている。
「あんた……ウチが本物だって信じてる?」
不意にそう聞かれて、土本は答えに窮した。
「えっ? まあ、流石にもう見抜かれてるんだし、会長からの制裁のリスクを考えたら、昨日の今日でまた来たりはしないだろ?」
「昨日のことを学習して、また来て、今度は更に巧妙にあおいのフリをしてるとは考えない?」
「うっ……まあ、それもなくはないけど」
「でしょ? じゃあ、ウチが本物のあおいとは言い切れないじゃん」
少し考えた上で、土本は長い説明を始めた。
「そうだな……まず、姉貴の方が今さっきの『訂正』をすることになんの意味があるのか、って考えると、意味がない。その時姉は、俺を色仕掛けで取り込もうとしてたわけで、あの発言はその言い訳だからな。今あの件は嘘でした、とわざわざ撤回する意味がない。そうする意図が思いつかない。まあないだろう。それがまず1つ目の理由。2つ目は、姉貴の方の発言や行動には一貫した理由があって、しかも多少なりとも戦略を考えてから動くはず、ということ。昨日の発言を整理すると、床に伏せった妹の仕事を肩代わりするためと、妹と北條さんの仲を深めるため。結局妹のためだ。それが見抜かれ、既にその、替え玉の可能性があるという情報を俺に与えてしまってる以上、2日連続で替え玉でここに来て、なんの仕込みもなく俺を騙しに来るのは流石に考え無さ過ぎる、ということ」
長い説明に、途中から怪訝な表情が少し柔らかくなった梅里は、そのくどい説明を律儀に最後まで聞いた。
「ふうん、ちゃんと考えてるんだね」
「それと……」
「それと?」
「昨日のあおい、まあ正体は姉貴なんだが、先週から土日挟んだだけで、いきなりカップがEからワンサイズ大きくなってた。実際触ったから、パッドじゃないのはわかった。で、今日はまたEに戻ってる。ってことは、昨日は姉貴、今日はあおいで間違いないだろ」
「は? カップ……?」
その発言の意味がすぐには解らず、数秒間考えた梅里は、ようやくその真意を理解して顔を紅潮させた。
「なっ……スケベ! 判断するところ、そこかよ! なんで見ただけでサイズわかるんだよ! それになんで『いっちゃん』の胸触ってんの!?」
そう言いながら、肩パンを立て続けに3発入れて来る梅里に対し、それを受け止めながら土本は慌てて弁解した。
「いてっ、いやそれは、体型とか急に変わらないから、顔がそっくりな2人を見分けるには重要な要素だし、痛えって、大きさとか目で見て判断できるように練習してるし、そもそも胸はあっちから触らせてきたんだし……」
「……どんな感じ?」
「は?」
「だから、いっちゃんとウチ、胸の差ってどんな感じかって聞いてんの」
「ええ……それは、見た感じだから、あっちの方が多少ボリュームがあるってくらいで。触ったのは姉の方だけだから違いはわからんし」
「そうか。なら……」
何か思いついたような梅里は、突然土本の手を取った。
「どう? これでわかる?」
そう言って、自分のブレザーの胸襟の内側にその手を差し入れた。
「うっ?」
手のひらには、ブラウス越しに柔らかく丸いものが確かに触れている。
その体温が確かに伝わる。
「恥ずいから、さっさと回答欲しいんだけど」
梅里は、自分からそれを触らせておきながら迷惑そうな顔をしている。
「あ、ああ。えっと? 姉貴の方がちょっと重みがあったかな? あと、あおいの方が少しやらかい、かな」
「ほう……そうなんだ」
その回答に満足したのか、梅里は土本の手を丁寧に懐から抜いて土本の腹の前に返した。
「貴重なご意見には感謝しとくよ。あと、伝えることがあるから、今日は放課後になっても帰るなよ? 4時頃そっちの教室に行くから。じゃ、まったねー」
梅里がそう言ってさっさと昇降口に駆け出して行ってしまってから、大事な事を聞きそびれていたこと、話しそびれていたことに気付いた。
梅里の「特技」は回復したのか、そしてもう問題なく使えるのか。
もうすぐ聞き取りだが、仕事量をセーブすることを検討しなければならないこと。そして、学年末試験に向けて、試験対策もしなければならないこと。
それらについて話をするために待っていたのだが、何一つ話せていなかった。
だが、放課後に梅里の方から来てくれるという約束は取り付けたこと、そして、思いがけない幸運に見舞われたことで満足していた。
「ありがてえ……ありがてえ……」
まだ手のひらにはしっかりと感触が残っている。
貧乏高校生には過ぎた幸運を噛み締めながら、既に大分先へと進んで行った梅里の背中に手を合わせ、感謝の言葉を呟きつつ教室へと向かっていった。
その日の放課後。
土本は、北條がホームルーム終了後に慌ただしく教室を出ていくのを見送った後、すぐに教室を出て、小瀬の様子を見に行った。
小瀬は今日も特段動きはない。商学科の教室に残り、勉強に励んでいる。
教室には、他に数人の生徒も残って勉強しているが、皆、顔に見覚えはない。おそらく生徒会員ではないのだろう。
小瀬が周りを気にせず勉強に集中しているのを見届け、今度は久保の様子を見に行った。
久保は、本来部活動停止期間ではあるが、校庭の西側の隅でサッカー部仲間ら数名と集まり、制服のまま球蹴り遊びに興じている。
本格的な活動はできないが、毎日短時間でもボールを触っていたい、ということなのだろう。
そして、今日は髪をいつものような「優等生気取り」の七三分けではなく、ソバージュの髪を分けたり固めたりすることなく、そのまま垂らしている。
こうして見ると、ごく普通のカッコつけたサッカー部員であり、生徒会副会長という印象ではない。
他の役員と接触する気配もないことから、土本はまた校舎内に戻り、再び勉強中の小瀬の様子を確認しに行った。
その途中、遠目に鶴巻の姿を見つけたが、今まさに松田の様子を見に行く最中かもしれないと思い、声は掛けずに、小瀬を確認してから自分の教室へと戻った。
教室に戻ったのが午後3時50分。そこからの時間を読書に充てていると、5分ほどで梅里が教室に入ってきた。
「ういーす」
今朝の神妙な面持ちとは打って変わって、上機嫌で顔を出した梅里に、土本は呆気に取られた。
「ええ……随分と機嫌いいな」
「ん? そう? いつも通りだと思うけど」
「いつも通り、か。なら、『特技』の方も元通り回復したってことか?」
「んー、そうだね、いや、それ以上かも」
「ん? それ以上?」
「前より冴えてるかも。そうそう、その話。ちゃんとしとかないといけないね」
土本の前の席に近づくと、梅里は椅子を反対向きにして座った。
「まずは、『いっちゃん』が心を読んだ結果についてから。昨日の時点で、『聞き取り』について連絡を受けた時の、◯◯先輩の思考の内容ね。『そうか、先週の報告会で、犯人が役員の中にいる、というところまで絞られたから、おそらく私の疑いは濃くなったんだ。でも、手は打ってある。⬜︎⬜︎君にも、前もって話はしてあるし、大丈夫。それにしても北條さん、そこまで外部生に寄った立場になって、大丈夫かしら』だってさ」
「えっ、手は打ってあるだと?」
既に手を打たれては、困ったことになる。共犯である証拠が出せなければ、犯人として名指しできない可能性かある。
「うん。じゃ、続きね。『あの日から接触しないようにしてるから、仮に⬜︎⬜︎君が犯人だと知れたとして、私に辿り着くことはないはず。ほとぼりが冷めれば、また動けばいい。それまでに、次の策を考えておかないと』……ここまでが、いっちゃんが読めた内容ね」
「つまり、備品隠し以降は接触を意図的に避けてるってことか。で、2人が共犯だという根拠はほぼでてこないだろう、と。やべえな……今回、◯◯先輩をどうにか犯人だと特定できないと、またやらかす気だってことだろ」
「そうだね。⬜︎⬜︎先輩についても、確かに2人が接触してるのを見たことないし、関連性は出てこないと思う。聞き取りでなんとか追及してその辺りを聞き出さないと……」
「はあ……まあ、それはわかった。他に姉貴から聞いたことは?」
土本は、溜息を吐きながら、報告の続きを求めた。
「うん。次はその、⬜︎⬜︎先輩の心を読んだ結果。でも、やっぱりいっちゃんでも難しいらしい。『備品の隠し場所、生徒会の役員の顔とそれに関する簡単な情報、金曜日の画像イメージ等々が脈絡もなく走馬灯みたいに流れてる感じ』だってさ。もしかしたら、本当に何も考えてないかも」
「自分が犯人だとバレた時の重大な影響も考えてないってことか……それは厄介だな」
「だね。そうなると、仮にウチが聞き取りで心を読んでも、そういう『バレたらヤバいこと』を心の中で思ってくれないと、読みきれないんだよね。◯◯先輩との繋がりとか、動機とか、そういうところが見えてこないかも」
「そうか……やっぱり、あおいは冴えてる時であっても、そこまでは読めないってことなのか?」
「そうだね。本当に表面的なこと、強く思ってること。そのくらい考えてることでないと、読めないわ。あと……うん、これはここだけの話にしてほしいんだけど」
「ん?」
梅里は、土本に顔を近づけて小声で続けた。
「ウチや会長みたいな『能力持ち』は、心が読みにくい。どういう理屈かはわからないけど。⬜︎⬜︎先輩がそうかも知れないし、そうではなくただ特殊な思考回路なだけかも知れない。まあ、今これを考えても意味ないけどね。ただ読みにくい人ってだけ」
「えっ、そうなのか? じゃあ⬜︎⬜︎先輩の『能力』とか、警戒しないといけないのか?」
「そこは気にしなくていいって。そもそも能力者はその辺にゴロゴロいるものでもないし、その可能性は低いはずだよ。表面的なところは読めてるし、今気にしても仕方ない。その能力が証拠隠滅に使えるものなら、とっくに使ってるはずで、備品の場所があっさり出てくることはないでしょ」
「まあ、そうだな……」
では、この生徒会という限られた場所に既に「能力持ち」が2人いるのはどういうことなのか。と土本は疑問に思ったが、それは言わないでおいた。
「生徒会に複数いるのは、会長の影響かもね。能力の影響かどうか、はっきりとは言えないけど、会長にはそういう特殊な人を惹きつける何かはありそうだね」
土本が頭で考えていて、口には出さなかった疑問に対して、梅里は直接回答を告げた。
「うえっ? お前、心の中身に答えるなよ。マナー違反だろ?」
土本は、その回答の直前に、少しだけ「身の毛のよだつ感覚」があったことから、梅里の能力の結果であることを確信していた。
「あはっ、でも、これでわかったでしょ? 頭で思考を言語化して、思考を強くする……なんて言うか、『頭の回転数が上がる』と、読みやすくなるんだわ。会長も、普段は読めないけど、回転数が上がると読めるようになる。こないだ生徒会室を覗いた時も、状況的に間違いなく回転数は上がってる。だから、会長の心も読めたってわけさ」
「ふうん。そういうもんなのか」
「……ウチのこと、怖いと思った? 気持ち悪いとか、そういう風に思った?」
不意に真顔になった梅里は、土本にそう問い掛けた。
「えっ? いや、正直心を読まれるのは気分のいいもんじゃないけど、怖いとか、そこまでは思わないな。そもそもお前の『特技』は前から知ってたしな」
少しの間を置いて、目を潤ませた梅里が口を開いた。
「うん……やっぱタツミはいい奴だね。ごめんね、もう覗いたりはしないよ。で、話の続き。今日の2人の動きね」
梅里は、一旦深呼吸をして、今日の「犯人」の動きについて話した。
「その犯人の2人は、やっぱり今日も接触を図るような動きはないし、心の中も事件や聞き取りについての内容はない。2人とも余裕だね。なめられてんのかも」
「なめられてるかどうかは別として、まだ余裕があるのは確かだろうな。殊更刺激する必要はないけど、『回転数が上がらない』となると、警戒されてないのもそれはそれで困るな。あ、あと、小瀬先輩はやっぱり動きはないな。妨害工作を仕掛けてくるかと心配してたけど、取り越し苦労だったかもな」
その土本の報告で、梅里は1つ話しそびれていたことを思い出した。
「そうだ、小瀬先輩の件だけど。いっちゃんは、『特命班を敵対視してるってことはないみたい。けど、調査が土本君主導で進んでるから、特に土本君に対して警戒してる。それに、海野先輩のことを助けようと画策してる』だって」
ここで海野の名前が出てきたことを、土本は意外に思った。
「は? なんで海野先輩?」
「なんでって、そりゃ惚れた弱みさ」
「えっ? 惚れた?」
土本に理解の及ばない話が出てきたため、思わず声が裏返った。
「ま、一々細かい説明はしないけど、要はそういうことだよ。好きだから、何とかしようとしてる、ってこと」
「ええ……じゃあ個人的な恋愛感情じゃねえか。今まで周りに庇ってもらったから動いてたんじゃねえのかよ」
「まあ、それもあるっぽいけど、1番の理由は海野先輩。結局のところ、あの人は真犯人がわからないけど生徒会の中に犯人がいると思われる中、海野先輩に疑いが掛けられるくらいなら、いっそ自分が……って考えて今まで悪評を甘んじて受けてたわけさ。で、今回、その自分の疑いが晴れた。よかった、と思いきや、今度は容疑者の中に、愛しの海野サンが入ってしまう。だから、海野先輩を守るために立ち上がったわけさ。オレが彼女の『白馬の王子様』になるんだ! みたいな」
話しながらノリが良くなってきた梅里が、調子に乗って小瀬を嘲笑するような言い方をしているのを、土本は渋い顔をして聞いていた。
土本にとっては、好きな異性のためという理由で調査を妨害されるのは若干腹立たしいところがあるが、正直なところ、小瀬なりに海野のためを思って行動しているのを梅里が茶化しているのも面白くはない。
「お前さ、そういう言い方やめろよ。それに、嗤うなよ。小瀬先輩は、何も嗤われるようなことしてるわけじゃねえだろ」
結局黙っていられず、土本は梅里を咎めるような発言を、それも必要以上にきつい言い方をしてしまった。
「は? なに、急に。マジメか」
不意に言動を咎められ、反抗的な態度を示した梅里に対して土本は、見た目にそぐわない正論で返した。
「不器用なのは短所だけど、悪いことじゃない。誰かを助けようと思って行動することは、笑われるようなことじゃないだろ。受け取る側にとってはありがた迷惑になる時も、そりゃあるだろうけど、本人は真剣だし、海野先輩に迷惑掛けようとしてやってるわけじゃないんだ」
「でもやられる方からしたら……」
むきになって反論しようとした途中で、失言に気付いて顔色を変えた。
「……いや、確かにそうか。ごめん。さっきのはよくない言い方だったね」
ここで素直に発言を撤回するのは、やはり梅里らしいところではある。
「……うん、まあ俺も言い方キツかったな。悪い」
気まずい空気が流れたその時、土本は空気を変えようと、別の話題を振った。
「あっ、ところで、昨日会長から言われたんだけど、『梅里に負担掛けるな』って。お前今、なんの仕事してんだ?」
「えっ……まあ、ちょっと前までは生徒会の庶務の手伝い……いや、はっきり言っちゃうと、菅野先輩の個人的な『調査』、反体制派の特定。でもそれはもう一区切りついた。あとは、本当の雑用と、環境美化委員会の活動で活動報告の記事を作って広報委員に回したり、軽音同好会の活動報告書を作って生徒会に出したり、来年度の予算請求出したりとか」
明らかに1年生がやる業務範囲と量ではない。
「それ、1年がすることじゃなくね?」
「まあそうなんだけどさ、委員会の現委員長は『内部生』で生徒会と関係よくないから、ウチが間に立ってるもんで、そこからなし崩しに色々、ね。同好会は、実際ほぼメンバー数人ごとに勝手にバンドやってるだけだから、結局ウチが引き継いだの。現同好会長は事務作業やる気ない人だから、仕方なくって感じ」
結局、どちらもなし崩しに1年の梅里が仕事を請け負う形になっているらしい。
「いや、2年にやらせろよ、それは。ていうか、生徒会も把握してる筈だろ? なのに、何も言わないのか?」
「委員会の件は、菅野先輩は証拠を集めたんで、後で委員長達を吊し上げようとしてる。タイミング的に来月頭頃かな? そっちはそれでカタはつく。同好会は……まあ、趣味の範疇だし、みんな単に音楽やりたいってだけの集まりで、『同好会』としての体裁とか興味ないんだわ。これについては活動報告書は過去のコピーと同じようなことを書いて、予算は毎年同じ額出してるし、そんな大変じゃないから」
「とは言ってもなあ……それで成績落ちてるんなら、気にしないわけにはいかないだろ」
「あっ、それも知ってるのか……うん。成績については、正直、仕事が影響してるのは否定できないね。でもそれだけじゃなくて、二学期の期末試験直前に色々あったからさ」
それが、髪、というかウィッグに触れられたとかで始まった騒動か、と言いかけたが、やめておいた。
これは北條に口止めされていること。
本人が自ら話さない限り、こちらから言うわけにはいかない。
「心配しなくても、学年末は挽回するさ」
気丈に振る舞う梅里だが、その目にはどこか不安があるように見える。
「それさ、北條さんとも話したんだけど、お前の試験対策、やろうと思ってて。まあもう直前ギリギリだけど、やらないよりはいいだろ?」
「えっ? いやいや、それは遠慮しとくよ」
思いがけない申し出を慌てて断ってはいるが、おそらくその提案は有難く思っている筈で、現に今の梅里は口角が緩んでいる。
「なんだよ、水臭いな、お前らしくもない」
「それやって2人の試験勉強が疎かになって、成績落ちたらどうすんのさ。自分のことは自分でやるって」
そのタイミングで、北條が教室に戻ってきた。
「あっ、梅里さんもいらしてたんですね」
「あっ、うん。ちょっと報告があってさ」
「報告?」
「実はさ……」
梅里は、昨日「魔女」が役員らの心の中を覗いて回った結果のうち、犯人の2人のこと、そして今日、自分の「特技」が回復して、その2人と小瀬に対して行使した結果を話した。
それを既に聞いていた土本は、特に新たに得られる情報はなく、退屈ではあったが、とりあえず耳を傾けるふりだけしている。
その間、これから梅里に対して、負担を軽くする方法、仕事をどう減らすか、試験対策についてどう説得するか、それを考えていた。
「それと、あとあおいの仕事の件もな」
梅里の「特技」の結果について一通り説明し終わったタイミングで、土本が先ほど梅里に聞いた、委員会と同好会の仕事について話した。
「……なるほど。それを知った会長が、『仕事を抱え過ぎ』と考えるのは理解できます。少なくとも、梅里さんが抱えなくてもいい仕事を引き受けてしまっているようですね」
北條のその感想は、ある意味土本よりも冷静、と言うか冷徹とさえ言える。だが、それで疲れが出るならこれは指摘するのが正しい。
「ぐっ……改めてそう言われると、なんかグサっとくるわ。委員会はもう再来週にはケリつくから大目に見てよ。同好会は、まあそんな大変でもないし」
「でも、2年生がいるなら、それは2年生がやるべきです。まして所属人数が多いなら尚更です」
先ほど土本が指摘したことを、北條はさらに冷たい口調で言い放った。
「うっ……わかったよ、なんとかやってもらうよう、ウチから言っとくよ」
「いえ、自ら所属する同好会の先輩に対して不手際を指摘するのは難しいでしょうから、私が伝えます。軽音の代表は、野上先輩でしたね。明日早速行ってきます」
野上は普通科2年生で、土本や鶴巻以上に「いかにもヤンキー」といった見た目の男である。その野上に対し、北條は躊躇なく小言を言いに行くと言う。
「えっマジか、流石にそれは……」
「これは直ぐにでも指摘し、是正すべきです。是正できなければ、同好会の活動、存続自体を再検討すべきです」
そこでやっと土本は、北條の目が怒りで吊り上がっているのに気付いた。
何故そこまで怒っているのか、土本は理解に苦しんだが、よくよく考えれば、梅里が業務過多に苦しんでいるまさにその原因が「先輩の職務怠慢」にある、ということかと気付いた。
なるほど、北條の怒りのポイントはそこか、と土本はようやく合点がいった。
「いや、マジで? なら、生徒会の、2年生の人に言って貰えばいいじゃないか、ほら、副会長とか、庶務とかもいるわけだし」
「先輩方の手を煩わせることでもありません。私が一言伝えるだけです」
完全に心に火がついた北條を抑える方法が思いつかないまま、土本はなんとか少しでも穏便に事態が進むよう、言葉を慎重に選んで北條に伝えた。
「そ、そうか。うん、じゃあ気をつけて。あっ、できればその件を伝えるのは、明日の早い時間帯の方がいいかなー?」
おそらく放課後よりは午前中の方が、周りに人も居るし、相手から不意の攻撃が来る可能性は低くなる。もし相手方に不穏な動きがあれば、その時に対応すればいい。
「もちろんそのつもりです。明日の朝一番に行ってきます。梅里さん、大丈夫ですからね。直ぐに今の仕事は手を離れますんで」
その時の北條の笑顔は、これまでのどんな怒りの表情よりも恐ろしく見えた。
「う、うん、ありがと……」
その笑顔で「大丈夫」と言われたら、もう大丈夫じゃない未来しか見えない。
しかし、その時の梅里には、起こり得る未来を受け入れて、北條に礼を言う以外の対応が思いつかなかった。
「あー、あと、試験。そうだ、学年末試験。梅里の試験対策、いつどこでやるか、決めないとな」
北條の気を逸らすため、土本は苦し紛れに無理矢理話題を変えた。
「あっ、それはさっきいいって言ったじゃんか。あんたはともかく、琴音ちゃんの成績落ちたら大問題でしょ」
「えっ、私は大丈夫ですよ。そもそも試験前に特別勉強時間を増やしたりしてませんし」
土本の思惑通り、北條の上手く気を逸らすことに成功したが、今度はその北條から全く想定外の話が飛び出した。
「はい? どういうこと?」
北條の試験成績は、当然のことながら常に学年1位か2位である。その北條が、試験前だからといって、特段勉強をしたりはしない、という。
「定期試験なら、日頃の予習復習で事足りますから。この時期、時間的余裕ができたら私は他の勉強をしてますけど」
試験勉強の期間に全く別の勉強、という異次元の発想を聞き、梅里は目眩を覚えた。
「うえぇ……ありえん……日頃の勉強で全教科ほぼ満点に近い点数を叩き出すなんて……つか、そのレベルの人とウチじゃレベルが違い過ぎて、教わっても成績上がるのかいな……」
「それは俺もちょっと思った。実際俺も効率的な勉強してるとは言い難いし、どうしたもんかね」
「理解しやすいように、試験範囲の授業内容を復習する形で勉強すれば良いのでは?」
「それ、琴音ちゃんに全てお任せしちゃうことになると思うけど、いいかな?」
いつの間にか、梅里は遠慮することを忘れ、北條の試験対策の恩恵に預かるものとして話を進めてしまっている。
「はい、もちろんです。じゃあ、金曜日に『聞き取り』が終わるので、土日に対策やりましょうね。場所は……」
「図書館の閲覧室なら、ちょうど3年がいなくなる時期だし、空いてるんじゃないか?」
「そうですね、では朝9時の開館に合わせて入りましょう」
これで、試験対策については話がついた。あとは、もうひとつ、梅里の負担を減らす上で検討しなければならないことがある。
「さて、それじゃ、あとは、金曜日の聞き取りの件なんだけど」
「そうですね。梅里さんには、海野先輩を担当してもらうつもりですが、負担の面を考えると、それ以上は……」
聞き取りの件数を減らされることを察した梅里は、その土本と北條の話に割って入った。
「えっ? ちょっと待ってよ。それも取り上げられるの?」
「取り上げるって、大げさな。負担を減らすためだからな」
「いやだよ。負担を減らすってのはわかるけど、これは譲れない。そんな中途半端、できるわけないじゃん」
「ですが、負担減は会長からの指示です。少なくとも、私たちが3人ずつ実施すれば、梅里さんは1人実施するだけでよくなります。これが現実的な負担減の方策です」
「いやだ。海野先輩は絶対ウチがやるとして、松田先輩か小瀬先輩、少なくともどっちかはやるからね」
どちらも重要な人物である。それをどちらもやらせては、負担減にはならない。
「お前な、子供みたいな駄々捏ねるなよ。そもそも今までが仕事を抱えすぎなわけで、この聞き取りみたいな『新たな仕事』を増やすのは、極力控えなきゃいけないんだ。だから、聞き取りの件、やって貰うのは1人だ。いいな」
「でもそれじゃ……」
「俺たちだって、『特技』がなくても聞き取りはできる。要は情報を聞き出して、矛盾があれば追及、犯人2人に犯行を認めさせればそれで解決だ」
「軽く言うなよ。そんな簡単にできれば苦労しないでしょうに」
「簡単じゃなくても、やるさ。やってやるよ」
根拠なく大口を叩く土本に苛立ちを覚えた梅里は、椅子から立ち上がって机をバンと叩いた。
「じゃあ言わせてもらうけどさ、この事件で、ウチの『特技』無しに備品の隠し場所がわかったりした? そんなわけないでしょ? 言っちゃ悪いけど、ここでウチが抜けたら解決できるものもできなくなるじゃん。この事件だけは、誰がなんと言おうとウチは最後まで関わらせてもらうからね。聞き取りも2人はやる。これは譲れない。絶対だ」
その剣幕に、土本も、北條も、何も言えなくなっていた。
少しの沈黙の後、バツが悪そうに続けた。
「……ごめんね、気を遣って貰ってるのはわかってるんだわ。でも、中途半端はできない。この事件、全てが終わったらちゃんと引き下がる。特命班とは距離を置くし、試験対策も任せる。だけどこれだけは我が儘言わせて。我が儘言った分の、対価は払うから。とにかく、ウチの『特技』はフルで使う。それで、どうにか犯人を炙り出す。そこまでは、きっちりやらせて貰う」
もはや、説得する言葉を見失った土本は完全に沈黙した。
「ひとつだけ、教えてください。何故、そこまでするんです? まるで、いかなる犠牲を払ってでも犯人を見つけ出す、そんな風に見えますが」
北條のその問いに対し、梅里は数秒沈黙し、その後ゆっくりと言葉を絞り出した。
「……それが、ウチの考える、事件を解決に導く、そして会長の悩み事をひとつ取り去る、その唯一の方法だから」




