八十八頁 猿 参 『ダンスの時間』
八十八頁
猿 参
『ダンスの時間』
五月のとある月曜日、猿川と川猿は昼休みを告げるチャイムと同時に教室から出て、いつもの様に猫宮の居る二年一組のクラスへと走って向かう。
「美恵! 今日はウチが勝つからなぁ‼︎」
猿川が川猿に走りながら宣戦布告した。
「絵美! 今日もウチが一番乗りなんだよ‼︎」
川猿が猿川に返す刀で応えた。
「負けるかぁ! どりゃぁぁ‼︎」
「ウチだって! 負けてたまるかぁ!」
この学校は、やたらと一年と二年のクラスが遠い。それでも二人は、昼休みに猫宮と過ごす為、ほぼ毎日その距離を往復している。
「今日も話し合いかなぁ?」
二人の速さは大差無い為、いつも競走しているのだが、並んで走りながら途中で雑談を交えてしまう。
「どうだろうね?」
「今日さ? 放課後誘ってみない?」
「放課後? ……良いのかな? 放課後の時間まで使わせちゃって」
「それは猫宮先輩が決める事! ウチらは、そうしたいから提案するだけだもん」
「……そうだね。猫宮先輩なら、嫌だったら断るもんね。でも、断られたら……ウチら、今まで迷惑だったって事になるよね?」
「極端に考え過ぎだよ! 少なくてもウチは、猫宮先輩から、そんな風に思われてると思って無いから」
「そ、そうだよね! 考え過ぎだった!」
猿の二人が、天羽と犬養と兎咲と群れる、猫宮の前まで辿り着いた。
「はぁ……また来たかお前らは?」
猫宮が猿の二人に溜め息混じりに言った。
「あっ、またそんな事言ってる! 良いんだよ猿川ちゃんに川猿ちゃん! 本当はイチカちゃんも喜んでるんだから!」
天羽がいつの間にか、猫宮さんからイチカちゃんと呼び方を変えている事に、当初二人は驚いていた。羨ましいという気持ちがありながらも、いつも擁護してくれる天羽に感謝していた。
「はぁ? 猫が喜ぶだと? 今は色々あって忙しいと言っているだろ? 昼休みにダンスの練習は今は出来ないんだよ」
「それじゃあ放課後……ウチらと一緒に、ダンスしませんか? 練習とかじゃ無く単純に、自分が楽しむだけのダンス……?」
震えそうになる声を抑え、猿川が猫宮に学校終わりのアフターを誘った。
「何故猫がそんな事に時間を割かなければいけない? 分かっていただろ? お前達はもっと、誘う相手とその考え方を予測しなければ先が無いんだよ」
「……先が無いってなんですか? 何回かだけど、昼休みに一緒にダンスの練習してくれたじゃないですか⁉︎」
猫宮は、兎咲の件がここまで深刻化する前に何度も、昼休みに猿の二人にダンスレッスンを受けていた。
「いつも言っているだろ⁉︎ 猫はダンスなど踊れない。お前達の憧れた猫は催眠に掛かっていた猫だ。お前達はそれを知っている。取り繕う必要も無い。今まではお前達のここまで来る労力をねぎらうつもりで付き合っていたが、そろそろそんな必要も無いだろう。猫をもう、誘うなよ。猫に、構うなよ……」
猫宮の言葉に、猿の二人は傷付いていた。だから、返事が出来なかった。猫宮の言葉に返事をしたのは、天羽だった。
「ごめんね、猿川ちゃんと川猿ちゃん。イチカちゃん、本当は嬉しいんだよ? でも、この前も言っていたの。自分のせいで、あの二人の貴重な休み時間を削ってしまっている。本当はあの二人も、休み時間にダンスの練習したいだろうに、って」
「えっ……猫宮先輩?」
「余計な事を言うなよ天羽⁉︎ いいか猿の二人よ? この天羽という女は性根の腐りきった嘘吐き女なんだよ! 今の言葉間に受けるんじゃ無いぞ‼︎」
「オイ猫宮⁉︎ 天使が嘘吐き女だと? 訂正しろよ? マジギレしてやろぉかこの野郎⁉︎」
「はっ? わんちゃんのマジギレなど何も怖く無いんだよ! そんな事言う割には、この間だって二組の教室の前で偵察してて、鬼釜にバレた途端天羽を見捨てて一人で逃げたではないか!」
「お前その話し天使の前で掘り返すなって言っただろ⁉︎ そ、それに、あの時は鬼釜の注意をあたしに引き付ける為だったんだもん!」
「それは猫が後日、あれは流石に印象悪かったと思うんだよ、ってイジった時、本気で落ち込んでたから可哀想になって、猫が授けてやった言い訳の口実ではないか‼︎」
「言うなよお前‼︎ あとあの時慰めてくれてんのかと思ってたらイジって来てたのかよクソ野郎‼︎ それ言ったら全部台無しだろぉが⁉︎」
「あの時逃げた時点でわんちゃんは既に全てを台無しにしてるんだよ! それを猫が、首の皮一枚で繋ぎ止めてやっていたのに何故気付かぬか⁉︎」
「今さっき最後の一枚切っただろうがクソ猫が‼︎」
「猫の意に沿わぬ発言をするからいけないんだよ。わんちゃんは首輪の繋がれた飼い犬の様に大人しく過ごしていれば良いんだよ」
「お、お前まさか⁉︎ あ、あたしの事下に見てる⁉︎ う、嘘だろ? 嘘って言えよ‼︎ あ、あたしが、猫宮より、下⁉︎」
「あ、あの……? 琴子ちゃん落ち着いて? そもそも、人の事を上とか下とかで分けたりするの、良く無いよ……」
「あっ、こ、これは違うくて! ち、違うんだよ‼︎ 全部このクソ猫が悪い訳で……」
「まぁまぁ、犬養君落ち着いてよ」
「ゴミ漁りは黙ってろよ‼︎」
「ご、ゴミ漁り……そうだよね。ごめん」
「琴子ちゃん? 二度と美穂ちゃんをそんなあだ名で呼ばないで」
「えっ……て、天使? 自分の家のゴミ漁られてたっていうのに、優し過ぎる……」
「また自滅しているではないか? あの優しいご両親からこんなモンスターが産まれるなど誰が予想した事か?」
「猫宮⁉︎ テメェ……」
「イチカちゃんもやめて! 佑羽達だけでも団結しないと……お願いだから」
先輩が先輩同士で勝手に喧嘩していた。猿の二人は途中から、入り込んでいく隙間が無かった。
「そうだ! 踊ろうよ? 猿ちゃん達は本当はダンスがしたいんだもんね? 佑羽達にもダンス、教えてよ?」
「えっ、でも……良いんですか? 話し合いとかしなくて……」
猿の二人は、先輩方に気を遣った。
「いいのいいの! いつも二組の悪意に振り回されてたら、佑羽達の貴重な青春だって奪われかねない!」
天羽は、もっともな事を言った。
「それじゃあ! 基礎のボックスをやってみましょう!」
みんなとダンスが出来る事が嬉しくて、猿川の声には元気が戻っていた。川猿も、同じ気持ちの様だ。
「ウチがリズム取りますね! ワンツースリーフォー、ワンツースリーフォー……」
川猿のカウントと手拍子に合わせ、猿川がボックスを踏んだ。
「ふん。その程度余裕なんだよ」
猫宮と天羽と兎咲と犬養も、リズムに合わせてボックスを踏む。
「出来てますみなさん! それじゃあここに、上半身の動きも加えてみましょう!」
そう言うと猿川は、川猿の取るリズムに合わせ、ボックスを踏みながら腕を規則正しく動かした。
「えっ! 難しい!」
「手の動きが入ると一気に難しくなるね!」
天羽と兎咲が苦戦していた。
「ここまでは練習したんだよ! おっ? わんちゃん何処まで残っていられるかな?」
「へっ! このくらい朝飯前だっつーの!」
「はぁ……またそうやって。わんちゃんは朝飯前に出来ても、天羽とかゴミあさ、じゃ無くて兎咲は昼飯後の最善の状況で出来ていないんだよ。わんちゃんはいい加減、己の失言癖をどうにかした方が良いんだよ」
「あ、あァァァァァ⁉︎」
別に犬養が天羽に想いを寄せていなければ、そんな発言もアリだったのだろう。しかし、今回の状況ばかりは猫宮の言う通りであった。
「次は、身体全体で踊りましょう! 絵美?」
「うん!」
猿川が複雑な動きを取り入れ、身体全体を動かしながらボックスを踏み始めた。犬養はほぼ完璧にコピり、猫宮はちょこちょこ間違えた。
「くっ……」
「ははぁー!」
「じゃあこの辺で!」
川猿が手拍子を止め、みんなの動きを止めた。
「猫宮? テメェ踊りながらも私の事イジってくれたなぁ? なのにそのザマは何だ? 催眠されてねぇと糞ポンコツじゃねぇかテメェは!」
犬養が性懲りも無く猫宮を煽った。
「糞っ……あんなに練習したのに。わんちゃんに負けるなんて、屈辱なんだよ……」
猫宮は、言う程練習していない。
「何か拍子抜けしちゃったなぁ。いっぱい練習しても、その程度なんだ? 才能、無いんじゃ無い?」
「く、糞っ……わんちゃんに言われるなんて、一生の恥なんだよ……」
「お前多分だけどちょこちょこ馬鹿にして来てんな? 何であたしに言われたら一生の恥になるんだよ⁉︎」
「ふふっ、馬鹿にされている事にやっと気付いたんだよ」
「クソ猫が‼︎ テメェがどんだけダンスなんか習ったってセンス無ぇんだからどうしようも無ぇんだよ‼︎ お遊びで猿の二人を困らせてんじゃねぇよ! なぁ?」
その言葉は、猿の二人の逆鱗に触れてしまった。
「……犬養先輩? 今の言葉、撤回して下さい」
「はっ?」
「猫宮先輩より、自分の方が優れてるって、本当にそう思ってるんですか?」
猿の二人が、いつにも無く苛立っているのが周りにも伝わっていた。
「お、おい! 何言ってんだよ? あたしの方が上手かったんだぞ? 猫宮を贔屓目に見てんじゃねぇぞ⁉︎」
「……犬養先輩は、何も分かって無い。ウチは認めたく無かったけど、ダンスってセンスなんだ。ウチらがどう努力したって、猫宮先輩には及ばない」
「はぁっ⁉︎ 何言ってんだよ? 説明しろよ⁉︎」
「まず、犬養先輩は、ウチらの振りを覚える事だけに精一杯で、動きに違和感があった。はっきり言うと、動きが気持ち悪かった」
「気持ち悪? えっ、えっ、はっきり言い過ぎじゃ無い?」
「猫宮先輩は、ウチらの振りをコピー出来なかったけど、独自の感性で、オリジナルに昇華させてお見舞いして来た! ウチらが見てて、そういう表現の仕方もあるんだって度肝抜かされてたんだ!」
鳴りを潜めて見守っている天羽と兎咲も、実は猫宮の方ばかり見ていて、犬養が正確に猿のコピーを出来ていたかなど分かっていなかった。
「あなたのダンスより、猫宮先輩のダンスを見たいと、誰もが思いますよ」
「猫宮先輩はもう、催眠なんか無くても人を魅了するダンスを踊れる」
「それに比べて犬養先輩はなんですか? 覚えた事をそのままやるだけ。しかも糞ダサいステップで! 自分のしたい表現なんて一つも思い浮かばないんでしょ? 不愉快なんで、二度と踊らないでもらえますか?」
大好きな先輩を馬鹿にされて、二人も良く無い発言をしてしまった。
「おい‼︎ お前達、わんちゃんに謝れ」
「猫宮先輩……だって‼︎」
猿の暴走を止めたのは、猫宮だった。
「何をわんちゃんの失言にムキになっているか! わかれよ‼︎ わんちゃんはそういう女なんだよ‼︎ いちいち気にしていたら体が保たないんだよ」
「だって……猫宮先輩が悪く言われるの、耐えられ無くて……」
「そんなの日常茶飯事なんだよ‼︎ それでも上手く回ってる。お前達がマジギレした事で歯車が狂う事の方が猫はよっぽど迷惑なんだよ‼︎」
「す、すいませんでした……ただ、ウチらは、猫宮先輩の事、猫宮先輩のダンスの事を悪く言われたのが、許せなくて……」
「……お前達の方が忘れているんじゃないか?」
「えっ?」
「ダンスの楽しさを教えてくれたのはお前達なんだよ。下手な奴に、不愉快だから二度と踊るなとか、気持ち悪いと言うのがお前達の好きなダンスの世界なのか? 猫は、お前達とダンスをしている時、楽しかったんだよ? お前達より下手クソだと勿論分かっていても、踊る事は楽しかった。誰だって、下手だって楽しく踊れれば良いのではないか? 猫は、お前達が間違っていると思うんだよ。だから、お前達はわんちゃんに謝るべきだと思うんだよ」
「猫宮先輩……先輩の、言う通りです。犬養先輩‼︎ すいませんでした!」
「う、うん。あたしも、何かごめんね」
犬養は意外と打たれ弱かった。後輩にガチギレされた事が心の深い所まで突き刺さっている。
「犬養先輩も、一緒にダンスやりましょう!」
「そ、そうだね……こ、こんなセンスも無い、キモいダンスしか踊れないあたしで良ければね……ハハハ」
「わんちゃんはまだ根に持っているか⁉︎ 猿の二人は謝ったではないか⁉︎ 本当にその腐り切った性根をどうにかした方が良いんだよ。猫が案じる程なのだから、よっぽどの事なんだよ!」
「あ、あはっ。そだねー」
犬養は嫌われ過ぎて、もう放心状態だった。
「猫宮先輩……? ダンス楽しいって、言ってくれましたよね? 放課後、ウチらに付き合って下さいよ!」
「……まぁ、今日くらいは、付き合ってあげなくも無いんだよ」
「やったぁっ‼︎」
猿の二人の爽やかな返事が教室を駆け巡る。周りのクラスメイト達は、その光景を微笑ましく眺めていたのだった。




