七十六頁 牛 伍 『天才テレビくん』
七十六頁
牛 伍
『天才テレビくん』
放課後、牛嶋と嶋牛は、震える手を繋ぎながら教室を出て、立ち尽くしていた。
この階には二年のクラスしかない。それぞれのクラスから、部活動に向かうのか? 帰宅するのか? 大勢の同級生の往来で廊下は満たされた。その流れが止み、穏やかになると、牛嶋と嶋牛は言い合せた様に身体を二組へ向けた。
「もう……戻れないよね」
牛嶋が嶋牛に聞いた。
「……ごめん。ウチのせいで、ウチが、鬼釜と阿久津の話しなんかしなかったら良かったんだ……」
嶋牛が牛嶋に謝罪した。
「違う。その話しを聞いた時、さやかはウチに決断を任せたじゃん。決めたのはウチ。それに、それはウチのスクールカーストの上位に行きたいって気持ちを優先して出した提案じゃん? さやかは悪くない」
「晶……ご……いや、ありがとう。……んっ? あれは?」
嶋牛の視線が捉えたのは、以前屋上まで阿久津と一緒に同行した、狐森の姿だった。
「あれ確か、狐森って子だよね?」
牛嶋も覚えていた様だ。
「声、掛けてみる?」
「うん。丁度こっち向かって来るし」
狐森は、一組の先の階段を目指していたのだろう。そして、牛嶋と嶋牛の姿を見ると、途端に早足で歩き始めた。
「ちょっと待てよ!」
牛嶋が狐森の肩を掴んで、嶋牛に目配せをした後言った。
「な、なんだよお前ら⁉︎」
狐森は、今気付いた様な振りをした。
「気付いてたよね? ウチらの事。なんで他人行儀なの? 阿久津さんと四人で屋上まで一緒に行った仲じゃない?」
嶋牛は優しい口調でそう言った後、牛嶋の目を見て頷いた。
「だから何? あたし帰るんだけど? 肩、痛いんだけど? 離せよ‼︎」
狐森は、牛嶋が肩に乗せていた手を振り払った。
「なんだよキレんなよ? 別にそんな強く掴んでねーだろ? 喧嘩売ろうとしてる訳じゃ無いんだ。話しを聞いてよ?」
「あたしは帰るって言ってんだよ? 帰って天才テレビくん見んだよ‼︎」
「天才テレビくん? あれ、まだやってるの?」
「あんた達には関係無いでしょ? あたし、急いでるから」
「ウチら、阿久津さん達に呼ばれてるんだよ。でもさ、どうもあの人達苦手なんだよ……でも、なんかさ……狐森もこっち側の人間だと思うんだよね? だからさ、ウチらに協力してくれないかな?」
「協力? こっち側の人間? な、何言ってんのかな? 阿久津から、事の経緯聞いてんだからな? お前達は、阿久津や鬼釜に自分からアプローチしに行ったんだろぉが? 自業自得だろ? 何故あたしがお前達に協力してやらないといけない? 自分の事で精一杯なのに、お前らに構ってやる時間なんてねぇんだよ‼︎」
「へぇー……その言い方ってなんか、阿久津さんと鬼釜さんの事、本当は嫌ってる様に見えるね」
「そんな事無いから……じゃあね」
「そんな事無いなら付き合ってよ? なんで帰るの?」
「だから天才テレビくん見んだよ‼︎」
「高校生にもなって、天才テレビくんなんか見てんの?」
「……取り消せよ? 今の言葉、天才テレビくんを制作してくれているスタッフさん方に失礼だろぉが⁉︎」
「熱意凄いね……ってか、そんな話しどうでも良い。あなたは本当は、阿久津さんや鬼釜さんとつるむのが嫌なの?」
「どうでも良いってなんだよ? 謝れよ? 天才テレビくんに謝れよ⁉︎」
狐森は、どうしてここまで壊れてしまったのか? 理由は二つある。一つは、天才テレビくんを好きだと言って窮地を切り抜けられた事で、天才テレビくんが今もまだやっている事を知らない少女には戻れなかった。これから阿久津に疑問を持たれ無い様に、子供の頃からずっと天才テレビくんを見続けた女の子を演じようとしたのだ。もう一つは、牛嶋と嶋牛への同情。自分は望んで阿久津と鬼釜に近寄った訳では無い。でも、もう離れさせてはくれない関係にまでなってしまった。それは、自然の摂理と呼ぶのが相応しいのだろうか? そうだと思えば、長い人生の一つの試練だと諦めもつく。望まない関係を深めてしまった事への、言い訳が出来る。でも、この二人は違う。自分達から地獄に足を踏み入れた。自業自得だけれど、可哀想だと思った。だってこの二人は、誰のせいにも、自然の摂理のせいにも出来ない。自分達の選択を後悔しながら高校生活を送るのだ。
狐森は、険しい表情を二人に向けた。
「ちょっと……訳分かん無いんだけど⁉︎ なに言って……」
嶋牛の肩を牛嶋が叩き、言葉を遮った。その後に、牛嶋が言った。
「ねぇ? そんなに天才テレビくん好きなんだ? ねぇ? 大好きな天才テレビくん馬鹿にされたままじゃ、やっぱ苦しい?」
「くる……苦しいよ……」
狐森は、思い込みが激しく、単純な女だった。今は、天才テレビくんの事を悪く言われると、自分の事の様に心が痛む身体になってしまっていた。
「そういう事ね」
嶋牛が呟いた。
「ってか、お前ら交互に喋る事しか出来ないの⁉︎ 示し合わせたかの様に交互に喋るじゃん⁉︎」
そうずっと、牛嶋と嶋牛は交互に喋っていた。
「そんな事はどうでも良い。狐森? 二組に居るお前の率直な感想を言え。正直に話したら、天才テレビくんに謝ってやる」
「くそっ……天才テレビくんの尊厳を保つには、あたしが犠牲になるしか……二組は、みんな個性豊かで、飽きないクラスだよ」
「抽象的だなぁ? そんな事じゃ天才テレビくんに謝る事は出来ないなぁ?」
「クソッ! まだ足りないのか⁉︎ それじゃあ……あんまり言いたく無いけど、二組は鬼釜と阿久津が中心だ……」
「んな事ァ分かってんだよ⁉︎ じゃああれだ! 鬼釜と阿久津と仲良い奴。何人くらい居るんだ? お前も含めて」
「そんな……なんか多分そうじゃ無いかもだけど仲間売る様な事は出来ない!」
「ヘヘヘッ? 良いのかなぁ? 天才テレビくんの悪口、もっと言っちゃっても良いのかなぁァァァァァァ?」
「卑怯だぞッ⁉︎ もう……これ以上は止めてくれよ……」
「観念したか? それじゃあ、お前達の仲間の人数を言え!」
「……正直に言うと、あたしも良く分からないんだよ。色んな奴と喋っては居るけど、あんまり固定して無いんだ。鬼釜と阿久津だけは、いつも揃って居るイメージあるけど」
「ふーん、まぁ良い。お前は、阿久津が好きか?」
「嫌い。だと思っていたけど、分からない。あたしが一番嫌いなのは自分。今、毎日が何も楽しく無いのは自分自身のせいだと思う。阿久津や鬼釜を見ていると感じる。あの二人は、自分の欲望に忠実に生きてる。あたしは? 誰かの顔色を伺いながら生きてる。苦しいんだよ……」
「あっ、そっ、そうなんだ……そんな重い話し来ると思わないからさ……」
「間に合わなくなるから、もういい?」
「天才テレビくんにかな? 晶ちゃん?」
「う、うん……もういいよ……」
「それじゃあ、さよなら……」
「待って……?」
二人にはまだ、やり残した事があった。
「天才テレビくん。すいませんでした」
牛嶋は、こうべを垂れて天才テレビくんに謝った。
「えっ?」
狐森が、困惑の表情を見せる。
「ウチも! 子供の頃よく見てたのに、天才テレビくん。馬鹿にしてすいませんでした」
牛嶋に続き、嶋牛もこうべを垂れて己の非礼を詫びた。
「いいんだよ。この学生生活、お互いに有意義に過ごせると良いな……」
そう言って、狐森は帰って行った。傍にあった悪意にはまるで気付かずに。自身が、どれほど注意を怠っていたのかも気付かずに。
「録った?」
狐森が視界から消えた後、牛嶋が嶋牛に問い掛けた。
「うん。ちゃんと録音されてる。編集してさっきの、[阿久津が好きか? 嫌い]に切り抜こう」
「悪いな狐。ウチら、まだ希望は捨てらんねぇんだ」
牛嶋と嶋牛は、手段を選ばない事を選んだのだった。




