六十三頁 犬 玖 『迷惑系ユーチューバー』
六十三頁
犬 玖
『迷惑系ユーチューバー』
アァァ、耳鳴りがする。嫌だ、嫌だ、あんなの無いよ。猫宮と、天使が付き合ってるなんて。
半信半疑だった。だから二人を付けて行った。何処かの場面で、もう記憶も覚束ない。猫宮が手を繋いで、そして……天使が、握り返した。そこからもう記憶があやふやなんだ。
あたしは、目に付いた喫茶店に入り、普段頼む事など無いエスプレッソを注文し、来たと同時に一気飲みしてやった。熱かった、様な気がする程度だった。持って来た定員はあたしを見て固まっていたので、エスプレッソのおかわりをお見舞いしてやった。
おかわりが来て、書き換えられたレシートを透明の筒に入れ替え、その店員は足早に去って行った。ふとそのレシートを広げて見てみると、エスプレッソ二杯で千四百四十円と記載されていた。
高っけぇなぁ⁉︎ えっ? こんな小さい容器に入った黒いお湯が二杯でほぼ千五百円だと? しかも冷静になったら口内プチ火傷山程起こしてんだけど⁉︎ ざけんなよ‼︎
「あっ、店員さん!」
あたしに二杯目のエスプレッソを持って来てくれた店員さんに声を掛けた。
「はい?」
「お水下さい」
「お水はセルフです」
アァァァァァァァァアッ⁉︎ こっちゃこんな少ねぇお湯に千五百円払ってんだぞ⁉︎ 水くらい持って来いよ‼︎ っとは思ったものの、そんなのはお店のルールなのだから仕方がない。席を離れ、ウォーターサーバーから横に置いてあった紙コップに水を注いで、その場で一気に飲み干した。そして新しい水を注いで席に戻った。あのウォーターサーバーの水飲みまくって、この少ねぇお湯二杯分の元取ってやる。スーパーで水買う時二リットル百円だから、千五百円なら十五倍だから、二リットルの掛ける十五、三十リットル飲めば元取れる。あたしは、閉店まで居座ってでも元取ってやるからな?
席に戻って速攻で水を飲み干し、またウォーターサーバーの所まで行き、注いだ水をその場で飲み干し、また注いで席に戻った。紙コップもふやけて来たのだけれど、行ける所までこの紙コップで行こうと思った。まだ使えるのに、捨てるのなんて勿体無いから。紙コップをやたらと無駄に使うとか、そういう角度から元を取りたいとは思っていなかった。そんな事で意地張ってどうする? 元を取りたいならもっと楽な方法があるのに、って、他人は言うんだろうね?
……でも、不器用だけど、あたしは、こんな生き方しか出来ないんだ。ちゃんと幸せだよ? お父さんとお母さんは優しくて、友達は……ってかあいつら何手繋いでんだよ⁉︎ クソが! クソがっ‼︎ 付き合ってる? 何かの間違いじゃねぇのかよ⁉︎ あっ、でも……猫宮の手を握り返したあの天使の表情……
青春謳歌してんじゃねぇぇぇぇえッ‼︎ バカ猫とアバズレが‼︎ 羨ましく何かねぇんだよ⁉︎ て、てめぇら二人がくっついたって、別に、何とも……うぅぅぅぅぅ。て、天使、天使ィィィィィ…………
三度ウォーターサーバーの前に立つ。一杯注ぎ飲み干し、もう一杯注ぐ。そろそろ二リットルくらいいったか? いったとして、六杯で二リットルだから、残りは掛ける十四。六掛ける十四は八十四! あと八十四杯この紙コップで水飲めば元取れる。あ、アハッ。も、もう既にお腹タプタプなって来てるけど……し、し、ヒヒッ、勝負だバカヤロォ‼︎ 元取れるか、あたしの身体がぶっ壊れるかの勝負じゃこんちきしょォォォォォォオッ‼︎
席に戻る時、隣の席にあたしと同い年くらいの男と女が向かい合って座っているのに気付いた。確か男の方は始めから居た。女の方が遅れてやって来たのだろう。女があたしと席が背中合わせだった為、二人の会話は筒抜けだった。
「お母さん、体調良くなった?」
女の方が男に語り掛けた。シリアスな場面だな。それに比べてあたしは……いや、こんな所で理性を取り戻してどうする?
「電話で話しただろ? お金が足りなくて、手術受けれて無いんだ」
お母さんが、重い病気なの?
「そう、だよね……ねぇ? これ、使って……」
男に何か渡した?
「この金……どうして?」
声を聞いていれば分かる。その女の子は、彼の事が好きだから、そのお金を何処からか工面したのだろう。
「聞かないで? お母さん、良くなるといいね?」
「あ、ありがとう……」
男のむせび泣く声が微かに聞こえた。
「あっ、ちょっと、用事あるからこれで……」
「悪い……また、連絡する……」
女が席を立った。用事って、バイト鬼ほど入れてたりって事? そのせいで大好きな人と会える時間が限られちゃうなんて、残酷だよ。残された男の子も、きっとその事に気付いているんだろうな。きっとこの男の子もアルバイトに明け暮れ、お母さんの手術費を補う為に頑張っているのだろう。だから、せめて、気に病まないでね? 蚊帳の外のあたしが言うのはなんだけど、これ以上、重荷を増やさないで……
女の子がこの店を出て行く時に、開いたドアに括り付けられている鈴が弾かれ、カランコロン、という乾いた音を立てて、店内に木霊した。
その後、店内は静寂に包まれた。
「んっ、んっ、はっ! はい! という訳でー」
その静寂を切り裂いたのは、残された男だった。急に一人言喋り出したんだけど?
「今回の、彼氏の母親が病気でお金が必要だったら、彼女なら何回でもお金出しちゃう説五回目も大成功ーー‼︎ パララパララ!」
はっ? ナニコレ?
「今回も律儀に封筒に入れて来てくれました! さて、中身はいくらでしょうねぇ? あっ! 四万円でしたー! 前回より、一万円少ないですねー? ぴえん。通り越してぱおん」
こ、これは、憶測だけど、確信に近い。コイツ、ユーチューバーか何かだ。しかも、やってる事は迷惑系ユーチューバーと同じだ。他人の興味を引きたくて、倫理にかけ離れた事をしている。ゆ、許せねぇ。
あの子の、大切であったであろう清い心、信じる心を弄ぶなよ。
二度と女が寄り付かない顔になるまでボコボコにしてやろうと思ったのだが、その男の収録はまだ続いていた。
「こっからが本編ですよー! みなさんお待ちかねの、オレの彼女が来まーす! めっちゃガード硬くて、ゲキモテインフルエンサーのオレでもまだキスまで辿り着けません! 今日はどこまで関係を進展させれるのか! 乞うご期待!」
クズがッ‼︎ ゲキモテインフルエンサーだと? クソダサイ異名付けやがって! ちょっと気になるじゃないか? 相手の顔くらい見てやろうか? その後キレ散らかしてやる。ってかこの店の奴らは異常者か? 声、聞こえてるよね? こんな蛮行を見て見ぬ振りするなど性根が腐りきっている。文句、言ってやりてぇな?
あたしはバレない様に、従業員の溜まっているスペースまで近付き、聞く耳を立てた。
「もう耐えらんない‼︎ あの男、ぶん殴って来ていいかな⁉︎」
えっ⁉︎
「やめろよ。オレ達はただのバイトなんだから」
「あんな非人道的な事、見て見ぬ振りするのが仕事なんですか⁉︎」
みんな、傷付いてた。
「それが仕事、では無いと思う。でも、オレ達の行動の一つ一つは、このお店の信用に関わる事なんだ。あの男は、狡賢くネットの評価を引き入れる。オレ達の軽率な行動がネットで拡散され、この店を晒されれば、オレ達にいつでも優しく接してくれたマスターを陥れる事になってしまうんだ。あの男は、危険だ。ホリ○もんだと思って接した方が良い」
「じゃあ、どうしたら……」
「策を練るんだ。どうせあのクズはまたここを撮影場所に選ぶのだから」
「ねぇ? この店を撮影禁止にしたら? それこそあいつを出禁にして——」
「それこそホリ○もんと同じパターンじゃないか‼︎ きっとネットであたかも自分が被害者みたいな面して、店名公開して、クレームの嵐で営業なんて出来なくなるぞ⁉︎ それに、ああいうクズはまた場所を変えて同じ事を繰り返すんだよ」
そんな簡単な事じゃ無いんだな。あたしは、自分の浅はかさを思い知った。
「だってもう限界なんだもん‼︎ 悪い男に騙されて堕ちていく女の子を見るの……」
「辛い、よな」
辛いよ……
「あと、あの隣の席で、めちゃくちゃ水飲む女が居るんだけど⁉︎ ねぇ? 気持ち悪いんだけど⁉︎」
えっ? そ、それって……
「良いだろめちゃくちゃ水飲むくらい! 可愛いもんだよ」
「気持ち悪いよ‼︎ 先輩麻痺してるんだって! この店、ヤベェ客しか入ってないんだからね‼︎ あの子、エスプレッソ一気飲みしたんだからね⁉︎」
「マジかよ。まぁ、ホリ○もんが二人来たと思って、この場を乗り切ろう」
あ、あぁぁぁ……あたし、変人認定されてたんだ? しかも、あのクズ男と同類? ぜってぇ、ぜってぇに元取って帰ってやっかんな⁉︎
でも決めた。店の人が直接言えないんだったら、あたしが言ってやらなくちゃ! 後に来る本命の彼女ってのを味方に付けて、あの男を再起不能にしてやる‼︎
カランコロン、と店のドアの開閉音が聞こえた。男は、「あっ、彼女が来ましたー! 後は音声だけでお楽しみ下さい!」と言って、平静を装っていた。あたしは、店の入口の方を向き、クズ男と付き合ってる可哀想な彼女の顔を凝視した。
えっ? えっ、えっ、えっ……ハァアアアアアアアアアアアアアアアッ⁉︎
そこに居たのは、間違い無い。女神だ。や、やめて? 嘘でしょ? 頼むから、あたしと背中合わせになるその席にだけは座らないで‼︎ ……あぁ座ったわ。女神、クズ男の彼女だったわ。
「で、何か用?」
女神のいつもの威圧感のある声。良かった。これで彼氏の前でだけは的な甘えん坊リアクション取られたら、マジ目当てらん無かったよ。
「そんな言い方無いだろ? オレ達、付き合ってるんだから」
それは本当なのか? お前のようなクズと女神が釣り合う筈無い。女神信者でも無いあたしが言うのだから間違い無い。
「お前がしつこく言い寄って来て、絶対に損させねぇって言うから付き合ってやってんだろぉが‼︎ 言動に気を付けろよ? 身の程を弁えろゴミクズが!」
「あ、相変わらず酷いな? ってかオレ達付き合ってるんだよね? なのに、手さえ握らせくれないじゃん?」
「何でわたしがお前の様なクソチビにそこまでやってやらないといけない? お前、付き合ったら損させないって言ったよなぁ? 大した損もねぇけど得ねぇんだよ? 一つでもわたしの得になる行いしてから言えやハゲクズが‼︎」
め、女神がお怒りだ……でも、クズって代弁してくれて助かる。
「グッ、グギュウルグゥ、グギュル、クギ、グギュウルグゥ」
なぁァァァァァァァァァァァァァァァァァァアッ⁉︎ あたしのお腹から、けたたましい音が店内に鳴り響いた。
「えっ⁉︎ 何?」
女神の声……た、多分振り返ってる。今あたしの後頭部見てる‼︎ ば、バレたらヤバい、バレたらヤバい。あたしは身をかがめ、とにかく顔を見られ無い様にした。
「どうしたの? お腹痛いの?」
心配してくれてる⁉︎ あの女神が⁉︎ 意外と良心的な一面も持ち合わせているんだな。
「ほっとけよ面倒くせぇ」
男が女神に言った。ってかマジもんのクズだなコイツ。
「そういう所がクズなんだよテメェは‼︎ ほっとけねぇだろ?」
女神が代弁してくれた。ってか、本当にお腹痛いかも。
「そいつさっきから水ばっか飲んでっから腹下したんだろ? 自業自得だよ」
お前に言われたくねぇ、けど、マジお腹痛いんだよ……
「てめぇの取り柄って何? マジ無いから別れてくんない?」
「そ、そんな⁉︎ い、いつもこういう時奢ってるじゃないか‼︎」
貢がせた金でだろ?
「そういうのは基準になんねぇんだよ。あのな……」
二人が会話している隙に、トイレへ抜け出した。
「はぁぁぁ……」
バレずに済んだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ‼︎ うぅ、お腹痛い。この腹痛の原因って本当に水飲み過ぎたせいなの? ストレスもあるんじゃないの⁉︎ ってかあのクズ男を再起不能にしてやるって意気込み何処行った? はっ? はっ? 女神居んのに出来る訳ねぇだろぉおっ⁉︎
トイレで暫く考え事をしていた。ってかもう、トイレから出たく無かった。
トントン
ヒィィィィィィィィィィィィィィイッ‼︎
ドアをノックされた。どうしよう⁉︎ 女神だったらどうしよう⁉︎
「あ、あの? お客様? そろそろ閉店の時間なのですが? 体調、悪いですか?」
ハァッ⁉︎ 閉店九時だったよなぁ? まだまだ時間は……あっ、もう九時だ。えっ、あたし、何時間トイレに立て籠もってたの? 閉店? もう、エスプレッソの元取れないの?
いや、まだだ! 考え方を変えるんだ! スーパーの水で換算したのがそもそも間違いだ。そもそも残り八十六杯も水飲める訳無い。例えば、そうだ! 昔聞いた話しでは、川越シ○フの店は水一杯で千円もする! あたしは六杯も水飲んだ! だとしたら四千五百円も得してる! やった、やったァァァァァァア‼︎ ……元取ってやった。




