表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
探偵・久世朔  作者: 九重有
東京開発事件簿

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/17

善意の遺書





 朝から誠司くんが静かだった。


 静かっていうか、いつも静かなんだけど、今日は“より”静か。無口のプロ仕様。隣にいると、こっちの息づかいが雑に聞こえる。


 俺はわざと軽く言う。


「誠司くん、今日、怒ってる?」


「怒っていない」


「じゃあ、寒い?」


「寒くない」


「じゃあ、眠い?」


「眠くない」


 結城修吾が机を指で叩いた。


「お前、今それ聞いてる場合か」


「聞いてる場合じゃん。だって誠司くん、今日、棘がないね」


「棘がないとか言うな」


 結城の眉間が深くなる。深くなると彫刻みたいで面白いけど、言わない。額を小突かれるのは、もう飽きた。


 結城の後ろで、直斗が玄関の段差を見つめている。今日も段差と睨み合い。


「直斗くん、段差と和解した?」


「まだです。今日は慎重にいきます」


 そう言いながら玄関マットを踏んで、すべりそうになって止まった。止まっただけでえらい。人間の成長はたいてい低い位置にある。


 結城が茶封筒を置いた。中身が透けるくらい薄い。


「自殺だ」


 その一言で、部屋の温度が落ちる。


「高瀬慎吾。支援を受けてた男。昨夜、自宅で首を吊って見つかった。遺書あり。遺書が綺麗すぎる」


 誠司が目を上げる。


「綺麗すぎる」


 俺は封筒を開けずに言った。


「遺書、読まなくても分かるよ。謝ってるでしょ?」


 結城が嫌そうに顔をしかめる。


「……なんでわかる」


「丁寧な脅しの次は、丁寧な遺書じゃん? 東京、丁寧ブームきてるよね」


「久世。冗談は後だ。現場へ」


「はいはい」


「その返事、信用ならねえ」


 結城が吐き捨てる。


 現場は再開発エリアの外縁にある古い団地だった。廊下は暗い。階段は軋む。郵便受けはへこんでる。なのに玄関だけ新しい。ドアの塗り替え。二重の鍵。支援が入ってる家の匂いがする。


 結城が鍵を開ける。


 中は、やけに整っていた。


 整っている、というより、整いすぎている。


「……あ」


 直斗が声を漏らした。視線は床。転ばないために。偉いけど、事件も見ろ。


 誠司が言う。


「全員、手袋。触るな」


「触らないよ。触ると怒られるじゃん」


「自覚があるなら直せ」


「努力はする」


 誠司の目がわずかに細くなる。怒ってるというより、諦めに近い。


 リビングの中央に椅子がある。ロープは撤去済み。警察が先に入っている。床に傷がない。椅子の位置が妙に真ん中。カーテンが左右対称。テーブルの上のコップの向きまで揃っている。


「真ん中で死ぬ人、あんまりいないよね」


「余計なこと言うな」


「余計じゃないって。配置って本音出るじゃん」


 誠司が机の上の紙を見た。


「遺書だ」


 紙は一枚。封筒付き。ペンも置いてある。ペンの向きまで揃ってる。


 死ぬ直前の人間が、ペンの向きまで揃えるか。揃える余裕があるなら、呼べる。揃える余裕がないなら、揃わない。


 俺は読む前に言った。


「これ、本人の癖じゃない」


「高瀬は几帳面だ」


 結城が言う。


「几帳面と、舞台作りは違うよ」


 誠司が遺書を読み上げる。


「『この度は皆様に多大なるご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。支援を受けながらも、期待に沿うことができず――』」


 直斗が眉をひそめる。


「遺書で、誠に申し訳ございません……」


 誠司が続きを読む。


「『私の行動は自己責任です。関係者の皆様に責任はありません。どうかお許しください。』」


 結城が紙を見て、顔を歪めた。


「責任はありません、って先に書くのが一番怪しい」


「先に守ってるよね。誰かを」


 誠司が小さく頷く。


 冷蔵庫の上に支援の書類ファイル。ラベルが綺麗。色分け。付箋。丁寧。これは暮らしの丁寧だ。日々が滲む。


 でも遺書の丁寧は、手続きの丁寧だ。滲まない。


 廊下で足音がした。


「失礼します。警察の方がいらっしゃると聞いて」


 入ってきた男は深く頭を下げた。角度が綺麗。声も綺麗。スーツも綺麗。


 望月康平。支援コーディネーター。


「ご遺族に代わり、手続きをお手伝いしておりました。支援担当の望月です」


 結城がぶっきらぼうに言う。


「遺書、これか」


「はい。高瀬さんが残されたものです。高瀬さんは真面目な方でした。責任感で――」


「責任感で死ぬ人は、責任感で生きるじゃん」


 望月が一瞬だけ目を瞬いた。すぐに微笑む。戻しが早い。


「探偵さん、ですね。失礼ですが、遺書に何か問題が?」


 誠司が固い声で答える。


「問題は、丁寧すぎる」


「丁寧なのは高瀬さんの人柄では」


 望月は丁寧に言う。丁寧に押してくる。


 俺は望月に近づく。柔らかい声を使う。


「望月さん、字、綺麗だね」


「ありがとうございます」


「遺書の字も綺麗?」


「……拝見しました。綺麗でした」


「拝見したんだ」


 結城が低く言う。


「家族より先に、支援担当が遺書を読むのか」


 望月は動じない。


「ご遺族が動揺されていましたので、私が内容を確認し、必要な手続きを」


「手続き」


 誠司がその単語を繰り返す。


「望月さん、手続き好きそうだよね」


「仕事ですから」


「仕事って便利だよね。何でも正当化できる」


 望月の笑顔がわずかに薄くなる。ほんの一瞬。すぐ戻る。戻しが早い。癖だ。


 直斗が部屋の隅で封筒を見ていた。珍しい。今日は転んでない。怖い。


「橘さん」


「何だ」


「遺書の封筒、糊が端まで均一です」


 望月が一瞬だけ直斗を見る。目が鋭い。直斗がすぐ視線を逸らす。


 誠司が封筒を手袋で持ち上げた。


「均一すぎる。癖が出ない」


 望月が微笑む。


「丁寧に封をする方もいます」


「死ぬ前にそんな丁寧に封をする余裕があるなら、助けを呼べる」


 誠司の声が少しだけ尖る。棘がある。今日はそれでいい。


 結城が望月に言う。


「高瀬は最近、誰と揉めてた」


「揉めてなどいません。支援は円滑でした。皆、善意で」


「善意って凶器にもなるよね」


 望月が薄く笑う。


「探偵さんは悲観的ですね」


「現場にいると、そうなるんだよね」


 結城のスマホが鳴った。短い通話。切ってすぐ結城が言う。


「石井達也。近所の知人。昨日、相談に来た。高瀬が怯えてるって。今朝、石井にも紙が届いた」


「紙?」


「謝罪文だ。遺書みたいなやつ。丁寧に」


 誠司が顔を上げた。


「行く」


「今すぐだ」


 結城が言う。


 望月が間に入ろうとする。


「石井さんには私から」


「いい。警察が行く」


 結城が遮った。


 石井の部屋は同じ団地の別棟だった。ドアを開けた男は目が鋭い。疑り深い顔。守るために疑う人間の顔。


「警察?」


「昨日来ただろ。石井。話の続きだ」


 石井は俺と誠司を見て眉をひそめた。


「探偵まで連れてくるなよ」


「連れてきたんじゃないよ。ついてきただけ」


 結城が睨む。


 机の上に紙。謝罪文。遺書と似た匂い。似た丁寧。


「これが今朝届いた。俺に謝ってる。何を謝ってるのかも書いてない」


 俺は読んで、息を吐いた。


「謝罪の形してるけど、脅しだね。『責任はあなたにありません』って」


 石井が唇を噛む。


「責任はないって言われると、逆に怖い」


 誠司が言う。


「責任を先に否定する文章は、責任がある状況で使われる」


 結城が聞く。


「高瀬は何を持ってた。資料とか」


「知らない。けど……高瀬は『名簿』って言ってた。支援の名簿だって」


 誠司の目が一瞬だけ鋭くなる。欠片が繋がった音。


「名簿、また出たね」


「笑うな」


「笑ってないよ。嫌になってるだけ」


 石井が続けた。


「昨夜、団地の集会所で支援の説明会があるって言ってた。そこで話があるって」


「集会所、行くぞ」


 集会所の壁には支援のポスター。丁寧な言葉。優しい言葉。笑顔の写真。


 その隅に、望月康平の名前。


 誠司が低い声で言う。


「これは支援ではない。管理だ」


「管理って言うと怒られるよね。棘がない人たちに」


「怒らせるなら俺がやる。お前は黙れ」


 結城が言った。


 直斗が入口付近の床を指差す。


「これ、紙の切れ端」


 細い紙片。封筒の糊の部分みたいな切り方。


 誠司が拾った。


「配布した封筒をその場で開けた痕跡。ここで同じ文面が配られていた可能性がある」


 その時、誠司のスマホが鳴った。非通知。


「橘です」


 短い沈黙。


「承知しました」


 切る。


 結城が顔をしかめた。


「上か」


 誠司が言う。


「石井の件をこれ以上追うな、だそうだ」


 直斗が固まる。


「そんな……」


「来たね」


 俺が言った。


「善意って凶器だよね」


 誠司が俺を見る。固い目。だけど、その奥が少しだけ柔らかい。


「久世。余計なことはするな」


「努力はする」


「努力では足りない」


「じゃあ、何する?」


 誠司が言った。


「証拠を拾う。丁寧に」


 その言い方が今日一番おかしくて、俺は危うく吹き出した。


「今の、棘がないね」


「棘がないわけじゃない。事実だ」

 夜。事務所の机に遺書のコピーを置いた。文章の癖。丁寧の癖。謝り方の癖。


 末尾の一行。


『関係者の皆様に責任はありません』


 俺はそこで手を止めた。


 この言い回し、見覚えがある。

 物じゃない。紙の質でもない。文章の形だ。


 “責任”という単語を先に否定して、相手の罪悪感を先に縛る。

 謝罪のふりをして、逃げ道を塞ぐ。


 俺は、指でその一文をなぞった。


「誠司くん。これ、前の件と同じだよね」


 誠司が遺書を覗き込む。


「同じ“構文”だ」


「だよね。『自己責任です』『関係者に責任はありません』。順番まで同じ」


 誠司が淡々と言う。


「書いた人間が同じか、作らせている人間が同じだ」


「丁寧さの種類が同じってことだよね」


 誠司は答えない。ただ、視線を外さない。外さないのが答えだ。


 遺書の端に、小さな印刷がある。


 委託番号。


 同じ番号。


 ここまで丁寧だと、偶然じゃない。

 丁寧は癖だ。癖は、同じ手に戻る。


 誰かが選択肢を並べている。

 善意の顔で。棘のない声で。


 俺たちは、それを、丁寧に剥がす。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ