冷酷な無邪気 ― 古書店事件
世界が息を潜める夜の底で、助けよりも闇の方が早く届こうとしていた。
SNS上に、不穏なやり取りが次々と書き込まれていく。
『#危険人物の潜伏先 例の“夜しか開かない古書店”、この通りじゃない? 看板一致してる』
『近所だけど、今だけ灯りついてる。閉まってる店じゃなかったの?』
『誰か見に行ける人いる? デマならそれで終わるし』
ノクターン古書店。
パウラは戸を閉め、いつものように中から鍵をかけていた。
その頃、SNSにはさらに投稿が増えていく。
『配信つけた。店前、もう人集まってる #ノクターン古書店』
『今、中に女いた。こっち見てすぐ引っ込んだ。関係者では?』
パウラのスマホが何度も震える。
「また迷惑通知? 最近多いな〜」
通知には店名と見知らぬハッシュタグが混ざっていたが、
パウラは確認せず、仕事を続けた。
その時――
扉の向こうに、複数の人影が立つ気配がした。
古書紙の匂いが漂う静かな店内。
扉の窓越しに、スマホライトの白い光が揺れる。
「えっ……お客さん?」
パウラは鍵に手を伸ばしかけた。
その光景を、偶然通りかかった配達員が目撃していた。
「何やってんだ……あいつら。スマホで撮影……?」
「なんか危ねぇな。証拠、残しとくか」
彼は縦動画を回し始めた。
オートフォーカスが合ったり外れたりする。
「……近づかない方がいいだろ」
動画の中では、若い男が三人。
古書店の前で相談しながら撮影を続けていた。
そのうちの一人が、取っ手を回す。
ガチャガチャッ。
「あの……お客さんですか? 今日はお休みなんですけど……」
パウラは扉を開けずに応対した。
違和感を覚えたからだ。
『おっ、居るじゃん!』
配信を見ていた者が書き込む。
「ねえ君、ここの人? 噂の危険人物、知ってるの?」
扉越しに、温度のない声。
パウラは恐怖を覚え、声を震わせる。
「な、何の話ですか……? うち、ただの古書店です……」
スマホライトが増え、扉のガラス越しに白い光が広がる。
「閉店です。撮らないでください!」
パウラは奥へ逃げようとした。
「確認したいだけ。何もないなら開けられるでしょ?」
薄笑みを浮かべる男。
「鍵……壊される……?」
パウラは慌てて奥へ駆けた。
その時、棚に腕をぶつけ、本が床に落ちる。
ドサササッ。
「おい! 誰か襲われてんじゃねぇか?」
『悲鳴がしなかったか?』
男たちの目の色が変わる。
「配信切るな。証拠残せ」
『警察来る前に見た方が早い』
扉のノブを激しく回す音。
『開けない方が怪しいだろ』
『隠してる証拠じゃね?』
「おい! 開けろ! 何してる!」
「裏口から逃げる気じゃないか?」
「急げ! 裏へ回れ!」
二手に分かれる男たち。
残った一人が呟く。
「すげぇ……視聴者数、どんどん増えてる、3万……いや、5万……?」
その一部始終を撮影していた配達員は、唾を飲み込んだ。
「……警察に通報した方がいいよな」
狂気を孕んで、日常が姿を変えていく。
罪の意識もないまま、人は変貌していく。
少し時間を遡る
オメガツー内・ミナの仮設室
リリアンの話を聞き終えたミナは、震える手を握りしめていた。
涙をこらえながら、ただ立ち尽くす。
「自分の知らないところで……そんなことが……」
「全部を一度に理解しなくていい」
リリアンが静かに言う。
「でも今、一番やってほしいのは――パウラのこと」
「パウラ……!」
ミナが無意識にその名を呼ぶ。
「そう。エドとミラが向かっているけど、まだ時間がかかるの」
リリアンの声が悲壮に震える。
「今の現状をルクジムに話したら……彼は何を持ってでも駆けつけようとする。
でも、それでも間に合わない。事態は最悪のシナリオになる」
「ルクジム以外で直接連絡できるのは……あなた、ミナだけ!」
リリアンは感情を隠せなかった。
「あなたのスマホのMACアドレスを結界認証に登録する。
すぐに連絡して!」
「……わかりました!!」
ミナは涙をぬぐい、決意を固めた。
その瞬間、ミナのスマホに電波が戻る。
指が震えながらも、ミナは画面を開いた。
同時刻・ロンドンへ向かうジェット機内
エドとミラは、パイロットに詰め寄っていた。
「このまま空港に下りずに、ロンドンの上を飛んで!」
ミラが急き立てる。
「おい……まさか……!」
エドが問いかける。
「このままじゃ間に合わないでしょ!」
ミラが語気を強める。
緊張の糸は、今にも切れそうだった。
治療室では、ルクジムとセシルたちが静かに眠っている。
彼らが目を覚ますまでに――
すべてを終わらせる。
ミラは強い瞳で、そう心に決めていた。
「ロンドン ― 古書店事件Ⅱ」へ続く。




