表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/80

第八十回 一天四海

 皇帝を中心に壮麗な大鹵簿がどこまでも続いていた。

 皇帝に続くのは昭国を支える重臣・諸侯とその家来、儀式に携わる数千の楽人や舞人。昭帝国の外からやってきた異民族の使節団、さらに道中彼らの食料となる無数の牛羊と牧人たちが続く。

 異民族の使節は神都から皇帝と共に泰山に向かうものだけでなく、直接泰山に向かう集団もいる。

 これこそ封禅の隠れた意味、そして雪瑜が願ったことである。

 封禅はただ天地を祀るのではない。地の果ての異国に、昭帝国と皇帝の偉大さを知らしめる儀式なのである。

 また雪瑜が封禅の準備期間を長くとったのもこの為だ。

 甲斐あって遍く世界の隅々まで、自分と風演の力を伝えねばならぬ、という思いは実った。

 東は海を隔てた倭人の国まで、西は西域から砂漠を隔てたさらに向こう、耶蘇を奉じる国々まで。

 北は雪と氷に閉ざされた極寒の国まで、南は浅黒い肌をした崑崙奴達の故国まで。

 昭国皇帝風演の名の下、泰山には世界中の国から使節が集結していた。



 封禅とは天を祀る封と、地を祀る禅の儀式を併せたものである。

 そのうち天を祀る封ではまず泰山に登る。

 泰山までは玉輅に揺られてやってきたが、馬が登れる道は山の中腹までしかない。

 そこから先は輿という手もなくはないが、泰山の頂上で行われる秘儀を目撃できるのは皇帝に供を許された者だけである。輿担ぎの同席が許されるはずもなく、皇帝とて最後は己の足で山を登りきなければならなかった。


 山の中腹で風演と共に玉輅から降りた雪瑜は背後を振り返り、泰山まで随従してきた大鹵簿を見下ろした。

 泰山の麓には周囲を取り囲むように諸侯や使節団の無数の天幕が張られている。

「壮観だ。流石に……」

「そうだな。漢の高祖ですら見られなかった光景だ」

 最初は乗り気ではなかった風演も、封禅の日が近づき、いざ大鹵簿を伴って泰山に到着した時には晴れ晴れとした気分になっていた。

 いかに大式典とはいえ、石豹を迎え撃つ為に羽林軍と共に出撃したあの日に比べたらなんと気楽なことか、ということである。

 そして風演以上に雪瑜は感無量だった。

 天下の国々が自分の存在を認めている。その権威の前に跪いている……これが見たかったのだ。そしてもうすぐ天の神々さえ私を認めるはずだ。

大家(ターチャ)と共にこのような光景を見られて私は幸せでございます……」

 そういって雪瑜は風演に体を重ねて抱き合った。


 仲睦まじい様子の二人から気まずそうに目を背けた女がいた。

 三妃の一人孝淑妃である。位の上では彼女は雪瑜と並ぶ。しかし両者の力の差は歴然としていた。

 かたや皇帝と並ぶ二聖と囁かれる雪瑜。

 一方、もはや皇帝に見捨てられたのも同然で、玉体に触れるはおろかその姿を目撃することも稀な孝淑妃。

 しかも一人息子の風閲は名ばかりとはいえ謀反に関わった疑いがある。雪瑜がその気になれば親子共々あっさりと消せるだろう。

 雪瑜はその孝淑妃を天を祀る儀式の最後まで連れていくことを強く主張した。

「三妃の私が最後まで大家(ターチャ)に付き添うならば、同じく三妃の孝淑妃も最後まで付き添うのが道理」

 封禅使である魏澄子は雪瑜がそんなことを言った狙いが分からず、少し怪訝な表情をしたが、主張自体は真っ当なものであると判断して認可した。


 一行は各々の位に応じてどこまで皇帝の供ができるか決められている。少しづつ数を減らしながら皇帝一行は泰山を登った。

 頂上までの道なりは整備されていたが、それでも階段が敷設されているわけではない。普段あまり運動しない皇帝や孝淑妃には辛い登山となった。何度も休憩しながら頂上を目指す。それでも一日では登り切れず頂上を目前に一行は野営した。

 翌日、最後の急勾配を目にした孝淑妃はついに弱音を吐いた。

「わ、私はこれ以上供するのは無理でございます……ここで陛下をお待ちになることをお許しください」

「孝淑妃殿、そう言わずあと少しではありませんか」

「月巧妃殿、どうかお許しください……」

「孝淑妃殿! つらいのはみな同じだぞ!」

 雪瑜は聞こえるようにちいっと大きく舌打ちする。

 それでも孝淑妃は俯いて動かなかった。本当に体力の限界らしい。

「馮嘉隊長、体力には余裕があるな?」

「勿論でさあ!」

「では孝淑妃殿おぶって差し上げろ。封禅に祭人が欠けることはまかりならぬ!」

 雪瑜は嫌がる孝淑妃を無理やり立たせて馮嘉に背負わせた。


 頂上に設置された祭壇の前まで行くことが許されたのは皇帝風演、月巧妃雪瑜、そして孝淑妃の三名である。そのほか護衛の馮嘉隊長のと二名の兵、宦官の亮が少し離れたところで儀式を見守り、封禅使である魏澄子やその手足となる使いの者は頂上の手前で待機していた。

 天を祀る際の大まかな手順は次の通り。

 皇帝が祭壇に登って天の上帝にむかって祭文を読み上げる。

 その祭文を燃やし、煙を天に昇らせる。

 その後、全く同じ文を記した玉牒を金の櫃に納め、それをあらかじめ用意された鉄の箱に入れ、さらにそれを巨大な石の箱に入れて、その箱は金糸の縄と金泥と皇帝の玉璽をもって封印する。最後にその石に皇帝と二妃が御神酒を捧げ儀式は完了する。


 風演が祭壇に登り、祭文を読み上げようとしたそのとき、雪瑜が動いた。

大家(ターチャ)……」

「どうした?」

「私も大家(ターチャ)と共に祭文を読むことを許していただけますか?」

 風演は目を見開いた。

 そのようなことは予定にない。

 封禅における皇帝の役目を犯す、重大な越権行為である。

 しかしこの場に居るのは、雪瑜に命を握られている孝淑妃。雪瑜の手駒である羽林兵と宦官。そして心を掴まれている皇帝だけ。

 雪瑜は完全にこの場を支配していた。この瞬間、彼女は神と同列であった。誰も彼女の行いを咎めることなどできない。

「私も天の上帝に言葉を伝えたいのです。お願い」

 雪瑜は軽く首を傾けてはにかんだ。この笑みに風演は逆らえなかった。

「まあ……良いだろう」

「ありがとう……大家(ターチャ)

 雪瑜は風演に体を寄せながら共に祭文を読んだ。

 風演と共に祭文を読み上げる雪瑜の言葉には淀みがない。事前に練習していたのである。

 そのまま風演と雪瑜は二人で玉牒を箱に納め、封印した。

 最後に御神酒を捧げる際、再び雪瑜が動いた。

「私が最初に奠献(てんけん)をしてよろしいか?」

 神への捧げもの──奠献(てんけん)は、三献といって初献、亜献、終献の三度に分かれて行われる。

 初献が最も権威あるものが行い、亜献、終献がそれに次ぐ。当然事前の予定では初献を皇帝が行い、亜献を月巧妃が、終献を孝淑妃を行う予定であった。

 それを覆すのだから、これもまた重大な越権行為である。

 だが、風演は頷いた。

「お前の好きにするがいい」

「そう言って下さると思っておりました」

「……」

 な、なんてことだ。

 孝淑妃は神をも恐れぬ雪瑜の行為に震えながら、そのやり取りを見ていた。

 雪瑜はすまし顔で御神酒を捧げ、次いで風演が亜献を行った。

 その間、雪瑜は孝淑妃に話しかけた。

「どうした、孝淑妃殿? 顔色が悪いな。まあもうすぐ終わる。山を下りたらゆっくりと休むがいいだろう」

「……」

「このことは他言無用じゃ。良いな?」

「……は、はい」

「ふ、さあ終献を行うがよい……神々が祝福してくれるぞ」


 こうして封の儀式は終わっった。満足した様子で山を下りてく雪瑜の足取りは軽い。

 神の前で彼女は明らかに皇帝の前に立つ存在として振舞ったのである。

 封に続く禅の儀式では多くの人間が儀式を目撃する為、再び雪瑜は皇帝の後ろに下がった。

 だが、封禅を終え常安に戻ると、すかさず動いた。というより全て事前に手を打っていた。

 雪瑜が皇后となるという話が持ち上がり、今度は雪瑜もそれを受けたのである。だが雪瑜は“皇后”で満足しなかった。

「皇后も良いですが、それよりももっと良い()があります」

 と、わざとらしく風演に向かって笑いかけた。

「なんだそれは?」

曌后(しょうごう)……」 

 それは封禅に同行したある異国の外交使節が雪瑜に贈った称号を漢訳したものだという。

 異国の人間が貴人に称号を贈るのはさほど珍しい事ではない。風演自身も可汗の称号を贈られている。だがこの称号はこの時の為に、雪瑜が方々に働きかけて準備させた号であった。

「特別な響きが素敵でしょう?」

「ああ、そうだな。良いと思う」

「私が曌后(しょうごう)と名乗ることをお許しいただけますか?」


『曌』という字は『空』の上に『日』と『月』があるという形の字である。

 月巧妃という今までの名が、陽たる皇帝を陰ながら支える月となりたいという思いを込めた名であるなら、『日』も『月』も兼ねるこの名が意図するところは明白である。

 だが、風演は雪瑜の笑貌の前に屈した。 

「無論だ。お前が望むなら、そのように名乗るがいい。誰にも口を挟ませぬ」

「ふ、ふ、ふ。ありがとうございます。私の大家(ターチャ)

「それで、次は何をやるつもりだ、我が曌后(しょうごう)よ」

「次? そうですわねえ。次はなにをやりましょうか?」

 笑みに転んだのは風演だけではない。

 雪瑜は神の前で誓い、諸国を平伏せさせたのだ。

 いま彼女の笑みは四海(せかい)を傾ける。




 石豹が支配していた西域諸国は、彼が率いた乱の終結後も統治上のゴタゴタが続いていた。

 宗靖とカラブランは伊無双──かつての天香妃とその一人息子を守りつつ西域を離れ、世間の中に紛れることに成功した。

 か細い伝手を辿って当面の生活の見込みは確保できたものの、カラブランの表情は暗い。

「いつまでこのような生活が続くのか。お嬢様の御心はますます不安定になっている……」

「これは……長い戦いになる」

 宗靖は絞り出すように言った。

「我らが負けたのは白猴の性質をこうだと決めつけて戦いを挑んだからだ。だがこちらの予想より白猴は辛抱強く、力を蓄えていた。剣や呪いだけでは倒せない……奴の隙を突かなくては駄目だったんだ」

「隙などあるのでしょうか、あの怪物に」

「ある」

 宗靖は断言する。

「俺は白猴について見誤っていた部分もあるが、一つだけ確かだと言えることがある」

「それはなんです?」

「白猴は一度手にした権力を手放せない。いつかそのことが奴にとって致命的な事態を引き起こすだろう。その時──天香妃様と皇帝陛下の子供が我らにとっての希望となる」


 了

 2023年某日。神怪報冤譚─虎追いの少女─という作品を書き終えた自分は、「折角中華物の資料を集めたことだし、もう一つくらい中華物ジャンルを書いてみよう。題材は流行りの後宮物で長さは中編ぐらいかな」

 などと軽い気持ちで本作を書き始めました。それが気が付けば自分の中で最長の長編に……。


 ラストシーンは封禅を終えた雪瑜というのは前々から決めていました。

 権力の絶頂に登った彼女ですが、登り切った後は下るだけであるというが道理であり、これから雪瑜は一層困難な事態に直面し最後は手に入れた物の大半を手放すことになるかな、というのが個人的な所感です。

 しかし、悪女とはいえ愛着が湧いてきた彼女が堕ちていく姿を書くのはしんどいので最初の予定通り物語は一旦ここで終えることにします。

ここまで読んでくれてありがとうございました。

 またどこかで会いましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
完結おつかれさまでした。 私は雪ちゃん好きだったんで、雪エンドで終わってちょっとほっとしました。 妖しの自分に「人権」を認めてくれた皇帝のために天下をつかむ強いヒロインは良いですよね。 あとは風君が…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ