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第七十回 詭詐結実

 石豹に呼ばれ常安にやってきた石炎は、まず戦乱でざわつく民心の慰撫に取り掛かった。

「まあ、そう肩肘張らず頼むぜ。俺たちは佞臣を倒しに来たんだ。民草を虐める気はねえから」

 石炎はそう宣言した

 彼は年上からは生意気な、それでいて頭の切れる子供のように見え、年下からは頼れるガキ大将というか兄貴分のように感じられるという雰囲気を持っていた。

 この生まれ持った人懐っこい魅力は、対談する町の有力者たちから忌憚のない意見を引き出し、彼もそれに応えた。

 家を失った者の安全の確保、食料が平等にいきわたるような仕組みの構築、破損した町の修復、そのための資材の手配などである。短時間にしてはまずまずの信頼関係を作れたといってよい。

 石炎の人の懐に飛び込む才能は、父である石豹譲りだろう。

 しかし、本来の司令官である石穆(せきしゅう)は、この異母兄の人気を嫉んでいた。


「昭軍がこちらに近づいているらしいぜ。守りは大丈夫か?」

 そう言って石炎が近づいてくると、石穆はあからさまに顔をしかめた。

「そんなこと言われずとも分かっている。抜かりはない」

「ならいいけどよ。親父殿は龍鳴関攻略で手いっぱいで手助けは期待できねえからな。頼んだぜ」

「お前、俺が役者不足だと言いたいのか!」

「いや別に、そんなことは……」

「馴れ馴れしく兄貴面するんじゃない!」

 この妾腹が!

 喉まで出かかった言葉を石穆は飲み込んだ。

「……兵権は俺の掌管だ。一々口を出すな!」

 肩を怒らせて石穆はその場を離れる。

 随分嫌われたな、と石炎も内心苛立ちを覚えていた。

 不和から生まれた不協和音は、二人の行動によくない影響を与えた。

 情報不足を指摘されたように感じた石穆は、意地を張って偵察を増やそうとせず、石炎もそれ以上の追及をしなかった。

 つまり石穆は『およそ五十里先に敵軍がいる、数およそ七万、率いる将は劉幹。二、三日以内に相対するだろう』という報告以上の情報を集めようとしなかったのである。

 それでも常安を守り切れるという自信はあった。

 だが、予想より少し遅れて一週間後。

 現れた昭軍を見て石穆は凍りつくことになる。


「石穆将軍! 石穆将軍!」

 背後から聞こえた部下のけたたましい声に、寝不足の石穆はうんざりした様子で振り返った。

「なんだ騒々しい」

「敵軍が現れました!」

「ほうやっとか。まあすぐに追い散らしてやるわ」

「そ、それが何か妙で、敵陣に見たこともない旗が上がっています。敵将は劉幹ではないのかも知れません」

「相手が誰だろうと関係ないわ。やることは変わらん」

 しかしあまりに部下たちが動揺しているのが気になった石穆は、敵陣の様子を見る為に高楼に登った。

 既にそこには多くの将兵がいて、ザワザワと騒然とした様子だった。

「なんだこれは! 敵が現れたくらいで動揺しくさりおって! それでも鴉兵か!」

 石穆が部下を一喝し気合を入れ直したところへ、今度は石炎が現れた。異母兄の姿を認めた石穆は思わず床に唾を吐く。

「貴様、ここは戦場だぞ。貴様の立ち入る場所じゃない! さっさと自分の持ち場に戻れ!」

 石炎はそれには答えず、ただ敵陣の方を指さす。

「見ろ石穆……」

 石穆は欄干の前に出て、大旆の林立する敵陣を見た。確かに見たこともない旗が翻っている。

 

 龍の旗だと。いやに仰々しい。

 ……いや待て、この旗は知っているぞ……?

 石穆は鼻を膨らませた。

 昭国の象徴である『白』の布地に描かれているのは、体をうねらせてこちらを見下ろすように睨めつける黄龍である。

「太白龍旗……?」

 それは大昭国皇帝の旗である。

「な、なんだ? どういうことだ? 奴ら妙な虚仮脅しを……」

「石穆よく見ろ、旗だけじゃない、敵陣のあの異様な熱気を。虚仮脅しじゃない」

 そのとき敵陣から地響きのような鬨の声が轟いた。報告よりもずっと数が多い。しかも士気も高い。

「俺の所にも情報が入っている。これは親征だ! 本当に皇帝が来ているらしい」

「馬鹿な! 皇帝は病気で明日も知れぬ命だというぞ! こんなところにいるはずがない!」

「謀られたんだ」

「そんな、まさか……」

「市内の様子はハッキリ言って最悪だ。鴉兵はともかく、元々の住人は皇帝とは戦えないと騒ぎだしてる。今は何とか抑えてはいるが……。もう何が起こってもおかしくない」

「……貴様が手ぬるい扱いをするから、常安の住人が今になって図に乗るのだ!」

「徴発は程々にしろと言われていたのはお前も知っているだろう! それより今はどうやって凌ぐかだ」

「言わずもがなだ! ここで親征軍を倒せば皇帝の威光は地に落ちる! 一挙にこの戦は終わりだ!」

「打って出るのか!?」

「長引けば何が起こるか分からんと言ったのは貴様だろうが!」

 人とは不思議なものである。

 時に敗北そのものよりも、敗北の予感の方が不快に感じることもある。

 そうしたとき、人は無意識のうちに長く続く重圧からの解放を求める。つまり一度の戦いで決着を付けようとするのだ。



 雪瑜はにんまりと笑う。

 外から眺めるだけで常安に駐留する石穆軍の動揺が手に取るように分かったからだ。

「返してもらうぞ、私の常安を」

 傍らの風演は不安そうに尋ねた。

「う、うむ。しかし、本当に大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ大家(ターチャ)。ここにいたのが石豹将軍だったらこう上手くはいかなかったでしょうが、今ここを守っているのはできの悪い馬鹿息子。なんとでもなりましょう。大した妨害も受けず我々がこうして常安に肉薄できたのがその証拠」

「それでも万が一敗れでもしたら」

「その時は皇衣を纏って討ち死にでしょう。それでも、帝位を奪われてから殺されるよりはよいではございませぬか」

 クックック、と笑う雪瑜を見て風演はバツが悪そうに目を瞑った。

「お前の冗談は心臓に悪い」

「大家、私はどのような結末になろうと最後まで大家と共におります。ここに集った兵たちもそれは同じ。さあ、みな大家の言葉を待っております。行きましょう」

「あ、ああ」


 雪瑜を伴った風演が軍勢の前に立つと、熱狂的だった軍団の雰囲気は一層狂騒としたものに変わった。

 内心風演は圧倒されそうになったが、外部に動揺は見せない。

 片手を上げて、落ち着くようにという仕草をする。

 群衆が落ち着くには少し時間が必要だった。

 頃合いを見て、皇帝は声を張り上げた。

「我が大昭国の臣民たちよ! よくぞ駆けつけてくれた!」

 雄々しい歓声が上がる。

 足踏みで地が震えた。

「諸君らも知っての通り、我らを裏切り、我らの父祖を裏切った逆賊が現れた。その逆賊は我らの前にある常安を占拠している。よって()自らこれを討つ!」

 軍団の熱狂は頂点に達した。猛々しい雄たけびがそこかしこで噴き上がる。

 風演は満足そうに踵を返した。しかし雪瑜だけは風演の足元が震えていることに気が付いていた。

 皇帝が一旦下がると、そこから先は雪瑜が引き継いだ。

 武具で身を固めた男勝りの麗人の動作は、吼え猛る軍勢を前にしても揺るぎない。これが天職だと言わんばかりに。

「聞いての通りだ! この戦いは陛下が見ておられる。皇軍の勇者に恥じぬ戦いを期待しているぞ! 常安を胡賊から救い出せ!」

「おおおおおおおおおおおっっ!!」

 いうまでもなく、実際に戦の指揮を執るのは素人の風演ではなく劉幹を始めとする将軍たちである。

 しかし、皇帝が戦場に足を運び戦いを見ているというのは兵たちに劇的な効果を与えた。

 我らは皇軍という揺るぎない自負──そしてあわよくば皇帝の目に留まるかもしれないという期待に胸を膨らませている者も多い。

 皇帝の存在はただの兵卒を命知らずの勇者に変えた。


 翌日の早朝。常安郊外にて。

 薄い霧を太鼓と銅鑼の音と馬塵が吹き飛ばし両軍は激突した。

 士気が全てを決するとは言えない。勢いに任せただけの熱狂はかえって大きな失敗を生む場合もある。

 しかしこのときの石穆軍は士気低く、明らかに浮足立っていた。昭軍から伝わる異様な熱が冷静さを奪っていたのである。

 何よりも落ち着くべきはずの将が動揺していた。石穆自身が恐怖に怯え、昭国最強と謳われている鴉兵にいつもの精彩がない。

 一当たりしただけで石穆軍が揺らいだ。

「陣の穴を埋めろ!」

 常の鴉兵あればこのぐらいなんでもない。

 しかしいまはその常の動きができない。どの兵の頭の内にも敗北の二文字がある。

 僅かな綻びが防げない。綻びが拡大していく。

 そして昭軍の勢いは止まらない。まるで往時の鴉兵のように勇猛さに溢れている。

 ──崩れる!

 それが石穆に頭に過ったとき、石穆軍はもう戦えなかった。

「クッソオオオオオオ! 退け、退けぇ!」

 軍全体が完全に崩壊する前に石穆は城内に兵を撤収させた。

 あっという間の戦いであった。

 実質的な戦闘時間は二刻足らず。早朝に始まり、昼前には石穆軍は敗北していた。


 会戦にて石穆軍を打ち破った昭軍の勢いがますます盛んになったのは言うまでもない。

 大昭万歳!

 皇帝万歳! 

 月巧妃万歳!

 そのような声が城壁を揺らし、常安の四面に轟いた。


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