第六十八回 降魔調伏の誓い
龍鳴関は神都へ西の玄関口である。
自然の谷間を利用し隘路を塞ぐ形で構築された城壁は侵入者を威圧するが如く聳えている。
歴史上幾度も重要な戦いが起きた場所だが、ここで戦いが起こると、王朝の天命が未だ尽きざる時は龍が雨雲を引き連れて防衛側に助力するという伝説から、龍鳴関と名付けられた。
だが、龍鳴関を守る欧陽乙はそのような伝説など信じない。
自身が化け猿を倒したという逸話を持つにもかかわらず、人ならざるものの不確かな力で運命が左右されるということに懐疑的であった。
彼は同僚から龍鳴関の由来を聞かされた時、冷ややかな笑みを浮かべた。
脳裏に浮かんだのは、李衛公問対という兵法書にあった『戦場にて陰陽の術を廃するべきかどうか?』という議論である。
『信じる必要は全くないが廃するにも及ばず。信じる者には信じさせて上手く利用すべし』
書の中にはおおよそそのように説かれていた。
全くその通りだ。
仮に雨が降ってくれたら儲けものよ。
内心ではそう考えつつ、口では別のことを吐いた。
「其の功を成すに及びては人事あるのみよ。龍神の力を借りるなど是非もないわ」
龍鳴関に到着すると、すぐ彼は龍鳴関全体を隅々まで点検させ、城壁の修復を急がせた。
同時に後方への連絡線を確認させ、また偵騎を発し石豹軍の動きを探る。
これまで石豹軍が破ってきた常安などと違い、龍鳴関は純粋な要塞であり住人の反乱などの不確定要素は起こりにくい。
従って欧陽乙は腰を据えて長期戦の構えを見せた。
「さあ来やれ、石将軍。だが易々と抜けると思うなよ。何か月でも戦ってやる」
欧陽乙の覚悟は、対陣から龍鳴関を望む石豹にも伝わっていた。
「ちっ。向こうに龍は来ておらぬようだが……陣営から気力が立ち上っているわ」
石豹から見ても龍鳴関は見事な陣容だった。
試しに兵を出してぶつけてみても、関の堅牢さを思い知るばかり。
威力偵察に出した武将に手応えを聞いても、歯応えがあるというばかりだ。
石豹は正攻法で突破する方法を模索しつつ、宗靖を呼んで再び一小隊を預けると
「どうにか迂回路を探せ。小隊が通れるほどの道でよい」
と命じた。
仮面の副将が馬首を巡らして去っていくと、石豹はパンと手を叩き配下の将たちに命じる。
「衝車や雲梯がいる。ありったけの材料と工人を集めて急ぎ作らせろ。そして手の空いたものは隧道を掘る。準備しろ」
「え……まさかここから龍鳴関に向かってですかい、大将……?」
露骨に部下たちは不満げな様子をみせるが、石豹は一喝した。
「他にどこに向かって掘るんだ! 大蘭まで掘ってみんなで家に帰るとでも思ったか!」
騎兵たちはなおも気乗りしない様子だったが、不承不承、手綱を掘削道具に持ち変えて土木工事を始めた。
何度か小競り合いは起きたが、それで状況が変わる気配はなく、少しずつ戦況は膠着していく。
作業開始から二週間が過ぎた。
序盤の勝利の勢いを失う恐れがあるゆえ、ここで時間をかけたくはないが……。
石豹は不満を募らせながらも、周囲に内心の苛立ちを見せることはなかった。
足止めされていても若干の余裕があるのは、基本的にはまだ自軍が優位に立っていると考えていたからである。
一つは周囲の反応だ。
戦況は微妙な均衡の上に成り立っており、どちらに転ぶか分からず多くの地方官吏は日和見を続けている。
自ら兵を集めて参戦する勇気のある者は現れる気配がない。
そして、皇帝の病はかなり重いようで、月巧妃までも姿を現さないと聞く。
「……あの女は不気味なところがある。動けぬようで安心したわ」
石豹はそう零した。
そして、権力の空白は必ずといっていいほど争いを生む。
これで朝廷内で無用な権力争いが起こってくれれば、前線で戦う皇軍の士気に関わろう。
石豹はこのように状況を読み、じっくりとした攻城戦の準備を進められると判断したのだった。
入念な準備の上に一気呵成に龍鳴関を抜く、これが石豹の描いた絵図であった。
遠征軍は通常補給に悩まされるが今回の石豹軍にその心配はない。
物流の起点となる常安を抑えているからである。
迎え撃つ欧陽乙もそれは分かっていた。
来るべき決戦に向けて両軍は準備を進める。
いつしか嵐の前の静けさが、前線を覆っていた。
一方、一時戦場から離れた宗靖は、欧陽乙と戦うことが先延ばしにされ、内心は安堵していた。
偵騎を指揮して、周辺の道をいま一度調べさせ、龍鳴関を迂回する道を捜す。
だが獣道に等しい小さな道ならあるが、軍が通れるとは思えないものばかり。押し通るのも難儀しそうである。
「くそ。龍鳴関を迂回するなら、一度常安まで引き返す必要があるかもしれんな……」
そう思い、宗靖は一時進路を北西にとって常安に向かおうとしていた。
その途上にある小さな村に立ち寄ったとき、偶然にも思わぬ人物から声を掛けられた。
「もし」
ふいに声を掛けられた宗靖は首をひねった。
見覚えのない人物である。
「鍾馗の仮面のお方、もしや喫邪殿ではございませぬか?」
「誰だ?」
「貴方が呼んだ者でございます。石炎殿から言われて参りました」
そう言った人物の目が緑に輝いたとき、宗靖は合点がいった。
「あ……!」
「カラブランでございます」
「お前があの天香妃の従者か! 驚いた、西域からここまでは距離があったと思うが、随分と早い! それによく俺がここに居ると分かったな」
「危機に陥っていたお嬢様を助ける為に動いたのは喫邪殿だと聞いております。その恩を果たすためなら、何に代えても駆けつけたいと願っていました。ここで喫邪殿の姿をお見かけした偶然でございますが、これこそ神の思し召し、きっと私の願いを叶えてくれたのだろうと思います」
深々と揖礼するカラブランに、宗靖は若干の気まずさを覚えた。
「そ、そんなに畏まらなくてもいいぞ。俺が天香妃やお前を助けたのも善意ばかりではない。魂胆あってのことだ」
「魂胆?」
「こんな往来で立ち話するのもなんだ、付いてこい」
「はっ」
宗靖は宿を取るために借りていた民家にカラブランを案内した。
人気がないことを確認すると、宗靖は提げていた剣を外しカラブランの目の前に置いた。余計な敵意はないことを示したのである。
同様にカラブランもまた一組の剣を目の前に置いた。
小振りの剣と匕首の組み合わせである。
「小さいな。護身用か」
「私が戦うのは戦場ばかりとは限りませぬゆえ、このぐらいの大きさがよいのです」
宗靖はかつて戦ったクリシュを思い出した。カラブランの兄である。あの男も同じような二刀を操って戦っていた。
クリシュは強かった。蛮威との戦いに明け暮れていた宗靖ですら、あれほど手強さを感じたのは稀だった。
恐らくカラブランも同じ流派の使い手なのだろう。
「それを使えるのか?」
「お嬢様の護衛として恥じぬ程度の心得はあります」
「恥じぬ程度の心得とはどの程度だ?」
「と、申されても……」
カラブランが腕前を伝えるのに難儀している様子だったので宗靖は助け舟を出した。
「お前の兄の腕前を十として、どのぐらいだ?」
「兄を御存じなのですか」
口にしてから余計なことを言ったと宗靖は後悔した。殺し合ったことを知られれば恨まれるだろう。
咄嗟に誤魔化した。
「ああ。伊宰相の傍におられるところを何度か見かけた。当時国政を担っていた宰相の護衛ならば、大方腕前の想像はつく」
つくわけないだろ。
と、自分でも突っ込みを入れたくなる苦しい言い訳だと思ったが、なんとか誤魔化せたようで、カラブランは感心したように頷いていた。
「なるほど……。兄を基準にするなら私の剣は六、七、といったところでしょう」
「十分だ。兄の半分以上の腕前ならば並みの男なら手も足も出まい」
このまま連れまわしても足手まといにはならないな、と宗靖は思った。だがカラブランはさらに続ける。
「ただし、特定の相手なら私は兄に倍する力を発揮します」
「特定の相手、それは人でない者のことかな? 浄眼の巫女よ」
「存じていましたか」
「実はさっき言った魂胆も、お前のその力のことよ。まず先に言っておこう。俺が欲しいのはお前の協力で、お前の主である天香妃などどうでもよい。皇帝の血を引いている天香妃の息子を利用して何かを企てる気も一切ない。どうでもよいが故にコトが終われば全てを自由にするつもりだ」
「その言葉を聞いて安心いたしました。して、私にいったい何を望むのですか。喫邪殿」
「お前にも悪い話ではない……お前の主が零落した元凶、雪瑜なる女怪を滅するのが俺の目的だ。手を貸してくれるか」
カラブランは緑眼を見開いた。胸の奥から強い衝動が沸き上がる。
「それはまさに私も望むところ……!」
「ただし!」
宗靖は昂ぶるカラブランを抑えるように手のひらを向ける。
「俺が滅ぼしたいのはあくまで雪瑜だけだ。雪瑜と体を共有するもう一つの心、欧陽玲のことは助けてやりたい。できるか? その身を傷つけず、妖怪だけを消し去ることが」
「正直に言って……それは、難しい」
「……」
仮面の奥で宗靖は眉根を寄せ、歯を軋ませる。罵倒の言葉が喉元まで出かかった。
「しかし不可能ではありませぬ」
「!」
カラブランは緑眼を輝かせながら言った。
「私もお嬢様も欧陽玲殿には借りがある。できることなら殺したくはない……やりましょう喫邪殿。邪を食らうという貴殿と我が浄眼があれば必ずや事は成るはず」
「それこそ、俺の聞きたかった言葉だ……」
玲を解き放つことができるかもしれない。
一筋の光明に、張り詰めていた宗靖の緊張が僅かに弛む。不意に感情が込み上げてきた。
「喫邪殿?」
「宗靖だ」
「え?」
「俺の名は宗靖という」
宗靖は仮面を脱ぎ、カラブランの前にその素顔を晒した。




