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第十四回 Web

「で、その芫青(げんせい)紛とやらの毒は解毒剤はあるのか?」

 護景は懐から二つの薬包紙を取り出した。

 混同を防ぐため、薄い紙片にはそれぞれ一と二と番号が書かれている。

「応急処置と致しましてはこの二種の薬を用います。こちらの一と書かれた薬は吐き薬でございまして、毒を盛られたと感じたら、まずこれを()み、腹の中の物を戻します。次に二と書かれた薬を()んで下さい。こちらは蛇銜草を中心に複数の薬草を煎じたものでして、芫青粉の解毒剤になります。順番を取り違えますと、効果がありませぬ。お気をつけて」


「分かった。これは私が預かっておこう。さらに同じものをもう二組用意してくれ」

「承知しました」

「護景よ」

「はい?」

 雪瑜は護景の手を掴んで、自分の胸に押し当てた。

 雪瑜様、何を……と護景が口を開く間もなく、雪瑜は真剣な顔で言う。

「覚えておいてくれ。今の薬はここ(・・)に入れておく。私の胸元だ。もし私が毒を盛られた場に居合わせたら、頼んだぞ。お前が()ませてくれ」

「あ……はい。承知いたしました」


 こうして雪瑜は恵徳妃の陰に隠れ、後宮のしきたりや妃嬪たちの関係性を観察しながら、着々と防衛体制を築いていた。

 また恵徳妃との協力関係は玲と雪瑜だけでなく、恵徳妃にもメリットがあった。

 雪瑜は表に出る頻度を減らしていたが、それでも陰に日向に恵徳妃の美点を上げ褒めることで、彼女の声望を押し上げていた。

 ロクに知り合いもいない後宮で、どうやって雪瑜がそのように影響力を行使していたかというと、位の低い妃嬪や、名もない侍女、宦官たちを使ったのである。


 後宮の圧倒的多数を占めながら、決して主役となりえない彼らは、井戸端などでの世間話を通じて、馬鹿にできないネットワークを作っている。

 身分が高いものは参加できない、下層階級の情報網である。

 ここに、雪瑜は恵徳妃に対して良い話を流し続けた。

 もちろん雪瑜も、さほど生まれは高貴とは言えないとはいえ、地方刺史の娘であり、充媛の位についた妃である。直接井戸端会議に参加することはできない。

 そのために雪瑜は自身の侍女や接する宦官、そして恵徳妃の侍女たちなどの日陰者たちの扱いに心を砕いた。

 妃嬪であれば衣食住などの心配はない上に、充媛とは歴とした官位であるため、官から給金が出る。

 この給金や実家から時々送られてくる贈り物を常に周囲の者に与えて、雪瑜は日陰者たちを懐柔し、その上でよくよく恵徳妃の人格を褒め称えたのである。

 このため、特に恵徳妃の従者たちからは、好感を持って扱われるようになった。


 また、日陰者だけでなく、風演に対してももっと恵徳妃の閨を訪れるように、働きかけていた。

 実際玲と雪瑜が後宮に入ってから、風演が恵徳妃の元に足を運ぶ回数が増えたのである。

 この一連の雪瑜の動きに柳眉を逆立てていたのは、無論天香妃であった。



「恵徳妃め。小賢しい真似をするわね」

 と、天香妃は異国の酒を飲みながら、古株の侍女に愚痴をこぼしていた。

 彼女の中で、自分の競争相手はあくまで天香妃である。

 雪瑜などはそれに尻尾を振る(いぬ)……いや(さる)にすぎない、と見ている。

 だがそろそろ、その(さる)が本気で目障りになってきた。


 ──口を塞ごうかしら?

 一瞬そんな考えが過ったが、直後にもっと良い考えが浮かんだ。

「……例の新入りの小娘、こっちに引き込めないかしら」

 落ち着いて考えると、あの(さる)の娘は中々の遣り手だ。

 主上に取り入った劇的な演出といい、恵徳妃の息を吹き返させた手腕といい、味方にすれば使える。

 と、天香妃は考えた。


 (さる)が向こうの陣営に着いたのは、あいつが私に睨まれたと思っているからだ。

 確かに横から主上を掻っ攫っていったあいつはムカつくが、物事は長期的に考えなければならない。

 ここで私が度量を示し、関係の修復を提案したら、きっと(さる)は鞍替えするはずだ。

 容貌の衰えが始まった恵徳妃など、例え勢いを盛り返しても一時的なものに過ぎない。それは火を見るより明らか。

 そうとも。皇后になるのはこの私だ。

 (さる)とて泥船には乗りたくはないだろう。


 そこまで考えていたとき、横に控えていた侍女が口を開いた。

 遠い異民族の血を引いているその侍女の目は、翠玉と同じ色で輝いている。

 侍女の名は伽羅舞蘭(カラブラン)

 元々後宮の官女ではなく、天香妃が実家から連れてきた腹心である。


「新入りの小娘とは、欧陽充媛のことでしょうか?」

「そうよ」

「お嬢様、その考えは危険です。捨てた方が宜しいかと存じます」

「なんで? いい考えじゃない。あの(さる)は生意気だけど、使えそうだわ」

「……お嬢様、いけません」

 カラブランは語気を強めて言った。

 天香妃は無言でカラブランを睨み、目でなんでよ、と訴える。

「私は以前、海を渡った東夷の国で、そとおりひめという女を見たことがあります」

「そと、おり、ひめ?」

「はい。不思議な名前ですが、衣通姫(そとおりひめ)と書くそうです」

「で、その東夷がどうしたのよ」

衣通姫(そとおりひめ)は美貌の持ち主でした。その容姿と手練手管を用いて、周囲の人間を次々と篭絡し権勢を誇りました。彼女の行くところ政道は堕ち、人倫は乱れ、僧侶たちですら浅ましい醜態を演じたと言います。被害は男ばかりではなく、女にも及びました。衣通姫(そとおりひめ)が邪魔だと感じた者は、男女の区別なくみな葬られたのです」

「要するに傾国ってことね」

「はい。そして衣通姫(そとおりひめ)(かんばせ)が美しかっただけではありません。肌は白く、仄かに輝き、その輝きが衣服を通して見えるのです。だから彼女は衣通姫(そとおりひめ)と呼ばれたのです。そして、あの晩……仙遊宮で行われた酒宴で胡旋舞を舞う雪瑜に、私はかつて見た衣通姫(そとおりひめ)と同じ輝きを見ました」

「そうだったかしら。言われてみればそんな気もするけど」

「覚えておらぬのも無理からぬこと。あの光は人の心を眩ませるのです。その後の陛下のご様子も尋常ではなかったでしょう」

「確かに……」


 今一度あの時の様子を思い出して、天香妃は今更ながら不審を覚えた。

 これまでは怒りでそれどころではなかったが、確かにおかしい。 

「……」

「恵徳妃のことはもう気にする必要はありませぬ。彼女は自ら災いを引き入れました。遠からずそれが(もと)で死ぬでしょう」

「そんなまさか! あの小娘が恵徳妃を手に掛ける? そんなことをしたら、先に待ってるのは破滅だけだわ」

「お嬢様……」

 カラブランは宥めるように言った。

「欧陽充媛は、恐らく皇后位を求めております。でなければどうしてあのように陛下を惑わしましょうか。そして皇后位を求める以上、同じく皇后の座を狙う恵徳妃は敵なのです」

「あの小娘が私たちと同じ位を競うですって!?」

 どこの馬の骨ともわからない出自の者が、自分たちと同じ場所に登ろうとする。それは天香妃にとってはとんでもない僭越であった。

「はい」

「それは許しがたいわ。けれど、当面は恵徳妃と小娘は手を組んで、私を追い落とすことを狙うのではなくて? そのための同盟でしょう」

「はっ。ですので彼奴等(きゃつら)に隙を見せてはなりませぬ」

「守る以外に打つ手は?」

「必要ありません。こちらを崩しがたいと見れば、ほどなくして向こうは仲違いを起こしましょう」

「はあ? どういうこと?」

「お嬢様、時は我らの味方です。恵徳妃には時間がありません。どれほど化粧で取り繕おうとしても、容姿の陰りは隠せませぬ。老い始めた女と、これより時めく娘。上手くいくはずがございません」

「で……そのうちに小娘が恵徳妃を殺すと? もし、そうなったら僥倖ね」

 いい気味だ、と言わんばかりに天香妃は杯を飲み干す。

「でも猴が残るわ。それはどうする?」

「迂闊に手を出すのは下策でございます。猴が恵徳妃を殺したとき、その罪を暴き、天下に知らしめるのが得策かと」


 天香妃の気性は強引な部分が目立つが、その頭脳であり腹心であるカラブランは、主の欠点を補う慎重さがある。

 負けなければ、勝つ。それが現状からカラブランが出した答えであった。

 多少頻度が落ちたとはいえ、まだまだ皇帝は天香妃の元に通っている。

 ならば現状維持が最も裏目の少ない最善手。取る必要のない行動は取らない。


 じっと力を蓄え、機を待つべし。

 いうなればカラブランはそう言っているのである。

 天香妃の性格上、それはとても悠長な策に思えたが、天香妃はカラブランを信頼していた。

 彼女の意見は耳を貸す価値がある……。

 だが天香妃は自分の思いつきにも未練があった。


「当面は二軸で進めましょう。猴が恵徳妃を殺すならそれでよし。ただし味方に引き入れる絵図も残しておく。奴らの周りに耳目を増やしておいて。少し観察したいわ」

「御意」

「さて、この話はここまで。下賤な者の話は気分が悪くなるわ。何かもっと楽しい話題はない?」

「はっ。この度、石豹将軍の参朝が決まりました。それに合わせて宴が開かれるようです」

「石豹……ああ、辺境で柔夏と戦ってるとかいう将軍ね」

「はい。戦勝に次ぐ戦勝で、大層陛下の覚えがよい将軍です。一度顔を合わせておいた方が宜しいでしょう」

「でも胡人なのでしょう?」

 ふん、と天香妃は溜め息をついた。

(さる)の娘に胡人の将軍ねえ。一体陛下は何をお考えになっているのかしら。昭国の品位に関わるわ」


 カラブランも胡人の血を引いているが、その前でも天香妃は異民族を蔑視する口ぶりを止めない。

 名門貴族の家に生まれ、人から常に傅かれてきた彼女は、高みから他者を見下ろすことに慣れ過ぎてしまっていた。

 皇族ですら実家である伊家の家格には及ばない、とさえ思っている節がある。

 そんな高慢な女の行動を、現実的なラインに修正するのも、カラブランの仕事である。


「お嬢様、味方は多いに越したことはありません。胡人の将とて役に立つ日が来るやもしれませぬ」

「分かってるわよ。何か贈り物でも考えておきましょう。参朝の日までに何か適当に見繕っておいて」

「御意」

 カラブランは一礼して部屋を後にした。


 戦略とは、何をするかではなく、何をしないかを定めることである。

 そのような信条を持ち、実際無駄な行動を取るなと進言したカラブランであるが、彼女自身は本当の意味で何もしないわけではない。

 買収し味方に引き入れた宦官を放ち、変化があればすぐ報告するよう、彼らに情報を集めさせる。

 また後宮の外と連絡し、互いの持つ情報を交換し、互いの動きを調整するのも彼女の役目だ。

 天香妃は本名を伊無双といい、父親は現在尚書令を務める宰相、伊玄曹である。そのため、この親子は事あらば連携して動く。

 カラブランは宦官に命じて、伊玄曹に石豹将軍の趣味と、欧陽家周辺の人事に気を配るよう依頼した。

 皇帝の心が動けば、欧陽家の者が栄転するという読みからである。そうなったら危険信号だ。

 情報は力。

 この鉄則を誰よりも理解しているカラブランは、自身の広げた諜報網を絶えず注視している。

 何事もなくば、恐らく天香妃は恵徳妃を追いやって皇后に登っていた公算が大きい。


 カラブランに一つ誤算があるとすれば、天香妃が猴の娘に初めて出会ったときに漏らした、たった一言の言葉だった。

 ──「じゃあまたね、山首(さんしゅ)の娘さん」

 出自を暴かれたという事実は、玲のみならず雪瑜にも強い衝撃を与えていた。

 情報は力であると、そのとき雪瑜は身を以て悟ったのである。

 そのため雪瑜は、後宮に入るとすぐさま宦官や女官の取り込みを図り、自前の諜報網の構築を始めた。

 そうして築かれつつあるものは、カラブランのそれと奇妙に相似している。

 ただ、人心掌握術、特に身分の低い者を味方を取り込むことにおいて、雪瑜はカラブランに優っていた。

 そして後宮に住む大多数の者は、そうした身分卑しき者なのである。

今回名前が出た衣通姫は記紀にも名前が記された人物ですが、その方とは同名の別人です。

そとおり姫という名前の響きが粋で気に入ったので使わせてもらいました。

ついでに天香妃の本名、無双というのも変わった名前ですが、こちらは唐代の伝奇小説、無双伝が元ネタです。

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