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第十五回 節度使の訪朝

「玉蘭」

 玲は部屋を掃除をしていた小さな侍女に声をかけた。

「おはようござーます。なんですか?」

 やや砕けた口調で答えた侍女は玉蘭といい、クルクルとよく働いて雑務をこなすので、玲からも雪瑜からも気に入られている。

 特に玲は、何かと気の張ることの多い後宮の中で、年の近い気楽な話し相手として玉蘭を好いていた。


「ねえ、もうすぐ石豹将軍という方が参朝するらしいけど、その話聞いている?」

「ああ……そのチラッとは。そのせいでどうもみんな浮かれ気味で」

「そうなのよ! それで将軍がどんな人か、貴方なら知ってるかなあって思って」

「おや、情報収集ですか。玲様も雪瑜様みたいなこと言い出すようになりましたね」

「そんなつもりはないわよ。で、どうなの石豹将軍ってどんな方?」

「一部じゃ苦み走った顔つきの男前って話が流れてるみたいですが、根も葉もない噂です。普通のおっさん」

「へえ。玉蘭は将軍に会ったことがあるのね」

「いや、私は直接見たことはないですけど、将軍がまだ伝使だった頃に見たって人がいるんですよ。むしろ滑稽な顔つきだとか」

「あれ。それは期待してる子たちには残念ねえ」



 神都・宝洛は、現王朝である昭を始めとして、歴代の王朝が首都と定めていた世界最大の都市である。

 幾度となく拡張と修繕が行われ、各地区の名称などは変わったものの、その骨格は千年も昔から変わっていない。

 宝洛の南の正門である朱雀門から真っ直ぐ伸び、都を東西に分かつ朱雀大街という大通りの道幅は、三分の一里つまり150メートルを超える。

 繰り返すが、道の長さが150メートルではない。道幅が150メートルである。

 それほどの大通りであるのにもかかわらず、鶏鳴と共に朱雀門が開かれ、市場が立つと、朱雀大街は道行く人々でごった返し、肩が触れ合うほどであった。


石豹来了(せきひょうがきたぞ)! 石豹来了(せきひょうがきたぞ)!」

 寒風が吹きすさぶ中、その朱雀大街は寒さを吹き飛ばすような熱狂に包まれていた。

 市井の人々は朱雀大街の道端に並び、大街の中央を行進する軍団にとびっきりの声援を送った。

 しかし、軍団兵たちはよそ見せず前を向き、整然と進む。

 猛々しい戎服に身を包んだ集団の大半は、辺境に住む胡人である。

 内心、世界一の都の壮麗さに驚いているだろうが、彼らはそんなことおくびにも出さず、旌旗を屹立させ行進した。

 それほどよく訓練された集団だったのである。


 軍団の中心にただ一人だけ、人々の声援に答えて、顔を綻ばせながら手を振り返す男の姿があった。

 それが件の延涼節度使・石豹将軍であった。

 将軍の容姿は、後宮で囁かれた不確かな噂よりも、玉蘭の説明に近かった。

 柔和な笑みを浮かべた石豹は、小太りで背も高くない。

 髭は濃く眉は太く、遥か西方の異民族の血を感じさせる丸顔であった。

 総じて印象としては、相好を崩した達磨大師といった観がある。

 その達磨大師に似た石豹将軍は、宝洛の民の歓呼に応えながら皇帝の待つ宮廷へと向かっていった。


 石豹が皇帝風演に謁したのは午後であり、既に朝議は終わっていた。

 風演の傍らには音に聞く辺境の名将を一目見ようと、天香妃、恵徳妃、そして玲が侍っている。


 石豹は皇帝に揖礼し、一通りの挨拶を述べた後、あからさまにあっと目を見開き、ついで手で顔を覆うと、牛の鳴き声に似たくぐもった声を上げた。

「うおおおおお……おおおおおお……こ、こんなことがあってよいのか」

「なんとした、石豹? 何を嘆く?」

 石豹は手で顔を拭う真似をした後、顔を上げて堂々と声を上げた。その様子はふざけているとは思えない。

「おおお……たったいま、主上の傍に侍する方々を見て、我は全てを悟り申した。思えば途中通ってきた都も、この世のものとは思えなかった……」

「何を悟ったのだ?」

 将軍が何を言うか興味を持った風演は、腰を浮き気味にして尋ねた。

「ここは地上の神都ではなく、天上の都でありましょう。拙者は神都に向かう途中斃れたに違いない」

「はぁ?」

「その証拠に、このような美しい方々が地上にいるはずがない!」

 あまりにも石豹が真面目腐った顔で言うので、一瞬風演たちは意味を測りかねた。

 が、いち早く美貌を褒められたことに気が付いた天香妃が、まず笑声を上げる。

「ふ……あははははははははは!」

 釣られて、風演や恵徳妃も笑い出した。

「ふははは! 将軍、()の妃を天女と見間違えたか!」

 すると石豹はまだきょとんとした顔で、聞き返す。

「え……違うのですか? 本当に……」

 面白みのある顔つきの石豹が、呆気にとられたすると、それがまた滑稽で笑いを誘った。

「あはははは! 将軍の任地にはこのような女はおらぬか?」

「ははぁ、ご勘弁を」

 と、石豹は冷や汗を拭く振りをして恐縮して見せた。

「居ると申せば主上に偽りを申すことになり、居らぬと申せば胡人の女どもから憎まれまする」


 節度使とは辺境を防衛する、いわば地方軍司令であり、軍事に関わることだけでなく、管内の諸州を監督する行政権をも有している。

 その始まりは皇帝の使いであるとされる。

 そのため通常は、節度使が皇帝に伺候した場合、まず任地の状況について報告し、次いで皇帝からその報告に対する下問をするものだ。

 女がどうこう、などという話題は、もう滅茶苦茶である。

 だいたい節度使になる以前の石豹は都と延涼を行き来する伝使であり、今日初めて都に来たわけではない。

 都が天上の都に見えたなどとは、あからさまなゴマすりであった。


 もっとも石豹が柔夏(じゅうか)を破った功績については事前に報告があった上、その証拠として捕虜として捕らえた柔夏の兵千人と胡地の名馬三百頭が都に送られてきている。

 今更石豹の手腕に疑問を挟む余地はない。

 上機嫌になった風演は早々に謁見を切り上げ、石豹を交えての酒宴が開かれた。


 無論その酒宴には風演の妃たちも参加した。

 楽の音が響く中、妃たちは皇帝や石豹に酌をして回る。風演自慢の妃たちが代わる代わる現れる、それはそれは華やかな宴であった。

 美食に舌鼓を打ち、一同に酔いが回った頃、座敷遊びの余興が行われた。

 この時代の座興と言えば、双六や囲碁、輪投げに似た投壺という遊びがあるが、この時行われたのは弾棋(だんき)というおはじきの一種だった。


 簡単に弾棋のルールを説明すると、中央が盛り上がった碁盤の上に、二人のプレイヤーがそれぞれ碁石を八つ並べる。

 それを交互に碁石を指で弾き、相手の碁石に当てて盤から落とせば石を取れる。外して盤から落ちたら逆にその石を取られる。

 先に石がなくなった方が負け、というシンプルなものだ。

 だが、単純な遊びほど、横で見ている者でも理解できるため、盛り上がる。


「あっもう少しだったのに!」

「ぬはははは! また拙者の勝ちですな!」

 弾棋で負けた妃嬪は悔し気に腕を振り、石豹が勝ち誇る。

 滑稽な顔で不器用そうな石豹は、中々どうして手先が器用で、この弾棋というゲームが得意だった。

 皇帝の妃嬪たちが寄ってたかって石豹に挑むが、全て返り討ちにしている。


「さあさあ。罰杯ですぞ!」

 と、石豹に負けた妃嬪たちは酒を飲まされ、目が垂れ下がり紅潮した顔は、普段よりも淫靡な雰囲気を漂わせている。

「おいおい、将軍。もう少し加減せんか」

 そうは言う風演も酔いどれていて、目元が笑っていた。

「主上。これは失礼を。しかし、陣比べを模した物ならば、遊びとて手加減は出来かねますな。なにせ拙者は主上より昭の将兵を預かる身なれば!」

「ようし陛下。ならば、ここは私が」

 と、腕まくりをして石豹に挑戦したのは、天香妃であった。

「おう、やってやれ天香妃。その不遜な雑胡を倒すのだ!」

 風演だけでなく、普段は妍を競う妃嬪たちも天香妃の側について囃し立てる。

「百花の女王出陣!」

「勝てば天香妃様が昭国一の将軍ですわ!」


「ぬふふ、音に聞く天香妃様ですな。されど拙者は容赦は致しませぬぞ!」

 と、石豹は最も端の駒に指を置いた。

 弾棋の盤は中央が盛り上がっているため、意外と向かいの碁石を落とすのは難しい。

 そこで斜めから弾いて遠くの碁石を狙うのが石豹の戦術だった。

「石将軍……」

「おっ!?」

 石豹が碁石を弾く寸前に、天香妃は前かがみになって石豹を呼んだ。

 そのとき石豹の目に入ってきたのは、女性の胸元である。

 手元が狂い、碁石はあらぬ方向へ飛んでいった。

「おおお!?」

「ほほほ……造作もないわ」

「なんと!」

「よっ傾国! 流石!」

 天香妃の身も蓋もない色仕掛け作戦に笑いが巻き起こる。


「いや、まだまだ! 勝負はこれからにござるぞ!」

 石豹の言葉通り、序盤は色仕掛けによる波乱があったものの、結局は持ち直した石豹が、天香妃の碁石を全て叩き落し勝利を収めた。

 最後の一つの石が盤外に弾きだされたとき、天香妃が声を上げた。

「ああ、惜しい!」


 悔しがったのは天香妃だけでなく、他の妃嬪たちや、風演も同様であった。

 勝負が決した瞬間に、思わず溜め息が漏れる。

 誰か一人くらいは、石将軍の鼻を明かす者がいないのか──。


「誰か、まだ石将軍と勝負しておらぬ者はいないのか?」

「いやもう全員やったはずです」

「いやいや陛下、まだ一人おりますよ」

「うん?」


 恵徳妃は視線で欧陽玲を指す。

「ほら、もう一人の欧陽充媛が」

「おっそうであった。肝心な者を忘れていたわ。しかし、出てくれるかな?」

 一同の視線を集めた玲は、何とも微妙な表情で答えた。

「へ、陛下がお呼びならきっと出てきましょう……た、たぶん」

「うむ。雪瑜よ参れ、参れ」

 風演が呼びかけると周りの妃嬪たちも、囃し立て始めた。

「ほら欧陽充媛、陛下のお召しよ!」

「恥ずかしがるような柄じゃないでしょう!」

 意外なことに、雪瑜を好ましく思っていない天香妃も、このときは面白がって出てくるように呼びかけていた。

「まあ、戦わずに逃げるのかしら。口ほどにもないわね!」


「なにを……?」

 ただ一人、状況が分っていない石豹は、ポカンと成り行きを眺めていた。

 将軍が首を傾げて呟いたとき、欧陽玲の体に変化が生じ始めた。

 その変化が起こると、風演や侍女たちがさっと玲と石豹の間に立ち、石豹の目から玲の姿を隠す。

 風演がにっこり笑って振り返った。

「石将軍、将軍は妃たちを天女と見紛うたが、実は本物の天女が、一人いるのだ。のう、雪瑜!」

「はっ。主上がお呼びなら私はいつでも参ります」


「なっなんと! なんとなんと!」

「名高い石将軍にお目に掛かれて光栄でございます。雪瑜と申します、お見知りおきを」

「なんと魂消(たまげ)た! このようなことがあるとは!」

 雪瑜が揖礼すると、女が変貌する様を見せられた石豹が驚きの声を上げた。

 今度は受け狙いの演技ではない。本心である。

「さて、一戦宜しいか、将軍?」

「むむ。受けて立ちますぞ!」

弾棋は日本にも伝わっていた遊戯ですが、ルールには不明な点も多く、ここで書いたのはあくまでオリジナル設定です。

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