第三話 痛み断つ愛Ⅴ
「ッ! 末森!」
「回るよ本庄!」
末森と本庄から逃れられたと思っていたが、彼らは正面口から入るらしい。遥は眉間に皺を寄せ、瓦屋根に向かって再び鉤縄を投げる朔那を待った。
「行け!」
「おう!」
朔那の号令で瓦屋根にかけた鉤縄を伝い、遥は突き出た瓦屋根に上る。直後に来た朔那と共に瓦屋根を伝い、事前に綿之瀬家の構造を聞いていたおかげで辿り着けた客間の窓を二人で叩いた。
中を覗き込むと、ソファの背もたれにもたれかかって赤いドレス姿のアリアがぐったりと横になっているのが見える。今でも彼女は泣いているのか、ひくひくと肩を震わせて縮こまっていた。
遥はあんぐりと口を開け、まったく気づく様子のないアリアの後ろ姿を眺めた。
ここまでアリアが泣いたのは、この一年で一度も見たことがなかったのだ。養護施設が崩壊した日に散々泣いて、それ以来アリアは一度も自分たちの前で泣かなかったのだ。
遥は息を吐き、アリアと同じく泣きそうになって目元を拭う。それをしなかったのが朔那で、朔那は思いっ切り窓を叩いてアリアを呼んだ。
アリアはゆっくりと顔を上げ、窓の外を見て目を見開く。遥が手を振るとアリアも目元を拭い、やがて弱々しく笑って駆けつけた。
「はーちゃん! さっくん! どうしたの?!」
窓を開け、状況に似つかわしくない台詞を吐いてアリアは問う。そんなアリアの頭を叩き、朔那は無理矢理中に入った。
「ちょっ! おい待てよ朔那!」
「うるせぇ。後ろ見てみろよ。来てるぞ」
「えぇっ?!」
振り返ると、瓦屋根に上っている遥と朔那を末森と本庄が焦った様子で見上げている。
「やっ、やべぇっ!」
遥もアリアを押し退けるようにして中に入り、彼女にしがみついて辺りをきょろきょろと見回した。
「すっ、すげぇ……! めちゃくちゃ広い……!」
「ちょっとはーちゃん! さっくん! 私は何しに来たのって聞いてるんだよ?!」
「チッ、うるせぇな。こっから逃げるぞ」
「逃げる?!」
朔那は顎をくいっと動かし、扉の方を差す。朔那の意図を察した遥はアリアの手を引き、苛立たしそうに先を行く朔那の後を追った。
扉を開けた朔那は辺りを見回し、誰もいないことを確認して先に出る。遥はアリアをすぐに守れるように同時に出、隣の扉を開けて出てきた軍服の青年に目を見開いた。
「うげっ!」
「チッ、行け!」
「おうっ! 任せた!」
彼が鴉貴輝司なのだろう。
彼に言いたいことはたくさんあるし、ぶん殴ってぼこぼこにしたいと本気で思っている。だが、今は彼からアリアを遠ざけないと。それができるのは現状遥のみで、足止めができるのは朔那のみだった。
「おや。威勢のいいクソガキどもですね」
「なんだとゴラァ!」
「行けっつってるだろバカ!」
「そして知能が低そうですね」
輝司は嘲るように二人を見、腰元に下げた日本刀を抜刀する。
「──ッ!」
《カラス隊》の人間は、《グレン隊》とはいえ未成年に刃を向けることを一瞬でも躊躇わないのだろうか。
相手の懐に入らないとどうすることもできない遥は下がり、緊急対応として撒菱を撒く朔那を頼る。
「姑息な手を使いますね。地味にやりづらい」
ため息をついた輝司は遥らが逃げても追いかけては来なかった。が、ほっとしたのも束の間一階に下りた瞬間に末森と本庄と鉢合わせる。
「うげぇっ!」
「見つけたっ!」
「捕らえるぞ!」
「逃げろバカ!」
「バカで纏めるな!」
だが、アリアと共に逃げることに異論はなかった。遥はアリアの手を握り直して逆走し、奥の廊下から突如として現れた輝司を見て急ブレーキをかける。
「なんでだよぉぉぉぉ!」
「うちの階段は一つじゃないの! はーちゃん来て、戻ろう!」
「おうっ! ……じゃねーよこれは挟み撃ちってヤツだろ?!」
「戻らないよりかはマシ!」
泣き腫らした顔のまま普段通りを徹底して実行するアリアは朔那の元へと戻り、遥と朔那に囲われて足を止めた。
「はーちゃん! さっくん!」
それ以上の言葉をどう続けようか迷っているのか、アリアは困ったように眉を下げる。
──困らせたいわけではなかったのに。
遥はすぐにそう思った。
泣いていてほしくない。笑っていてほしい。困らせたくなくて、今まで炬と愁晴と共に自分たちを全力で救ってくれたアリアを救いたいと本気で思っていた。
「隊長! すみません!」
「今すぐに捕らえます!」
「謝罪は結構です。彼は少々厄介でしたからね」
輝司は笑みを浮かべ、日本刀に対抗すべく忍者刀を構える朔那を見下ろす。輝司に目をつけられた朔那は眉間に皺を寄せ、「おい」と遥に声をかけた。
「……おまえ、本気か?」
それだけで、遥には朔那が何を言いたいのかがわかってしまう。不思議そうな表情をするアリアは少しだけ寂しそうで、二人だけで意思疎通をする遥と朔那に判断を委ねた。
「綿之瀬有愛」
「……え?」
名前を呼ばれたアリアは顔を上げ、名前を呼んだ輝司は視線をアリアに移す。
「──貴方は、《カラス隊》と《グレン隊》のどちらを選びますか?」
それはどういう意図を含んだ選択肢だったのだろう。
「《グレン隊》に決まってるじゃん! バーカ!」
だが、すぐさま否定したアリアに安堵して遥はその先を知ろうとはしなかった。
「なるほど」
輝司はため息をつき、日本刀の切っ先をアリアに向ける。刹那に遥と朔那は腕を絡め、遥は朔那を背中に乗せたまま位置を入れ替えた。
遥が腕を離した刹那に朔那は駆け出し、アリアに向けられていた日本刀を忍者刀で迎え撃つ。末森と本庄の目の前に来た遥は、瞬時に拳を握り締めて飛び出した。
「はーちゃん?! さっくん?!」
無謀だと思っても、感情が先行する。
朔那はアリアに一番害をなす輝司を確実に潰す為に駆け出して、遥は年下の二人を守る為に二人の敵を一人で請け負う。だが、歪な音をたてて刃の破片が遥の位置まで飛んできた。
「さっくん!」
アリアの悲鳴にも似た声だけで、見なくてもそれがどちらの刃なのかがわかる。
「──うっ?!」
意識を背後に向けなくても、間合いを詰めた遥が末森と本庄に勝てるわけがなく。慣れた手つきで遥に峰打ちをする末森と本庄は、輝司に腹部を蹴られて倒れた朔那を一瞥した。
「ま、所詮はこの程度ですよねぇ」
「…………」
遥は、霞む視界の中で二人のことを睨んでいた。
悔しくて、悲しくて、仕方がなかった。《カラス隊》の隊長と副長二人を、《グレン隊》の末端である自分たちだけでどうにかするなんて不可能だったのだ。
「はーちゃんとさっくんに触るな!」
泣きそうになって、アリアの怒声で我に返った。
「あっちに行ってよっ!」
刃と刃がぶつかり合う音がする。あの美しいドレスのどこに隠し持っていたのか、それを振るっていたのはアリアだった。
「おまっ……!」
朔那が起き上がろうとする気配がする。そんな二人に負けじと気力を振り絞り、必死になってアリアと朔那の方を見て──遥は目を疑った。
アリアが握っていたのは、折れたはずの朔那の忍者刀だったのだ。刃長は折れる前と大差なく、輝司を力任せに切ってやろうと藻掻いている。
輝司は忍者刀を幾度となく弾いていたが、黄金色の光が滲む忍者刀が折れることは決してなかった。
「隊長!」
「隊長殿!」
アリアを傷つけるなとでも言われているのか、無闇に動けない末森と本庄の動揺が遥と朔那には伝わっていた。
チャンスは、今だけなのかもしれない。
遥は歯を食いしばり、震えながら立ち上がる朔那と並んで末森と本庄を睨みつける。
「いけるか、朔那」
「お前の方こそいけるのかよ」
遥は頷いて、舌打ちで答える朔那の普段通りに安堵する。すぐさま鎖鎌を取り出した朔那は、ぎょっと目を見開いた末森と本庄に向かって思い切り鎌を振り回した。
「──なっ!?」
「下がれ末森!」
巻き添えを食らわないように間をとって、朔那のジャケットの中に背後から手を突っ込み、万力鎖を探り当てる。
「アリア!」
刀が弾かれる度に腕に衝撃を受けていたアリアは、はっと我に返って横に飛んだ。目標への道はあっという間に開き、遥はそれを輝司に向かって投げつける。
「ッ!」
輝司はそれを弾くことはせず、避けることに意識を向けて隙を見せた。
「朔那走れ!」
既に走っていた朔那に続き、慌てて逃げ出す末森と本庄を笑い飛ばして玄関を目指す。
「冬馬! 宗太ぁ!」
アリアを先に行かせ、殿を務めた遥は無我夢中で叫んだ。追ってくる《カラス隊》の副長二人は遥が相手だと見るや否やあからさまに安堵して全力を出しているのが見て取れる。
悔しい──。炬のように拳で戦うことに憧れていた遥は、愁晴にせめてこれだけはと言われて渡されたナックルダスター以外の武器を使用しようとは思わなかった。
朔那は何を思っていたのか、元から手先が器用だったのも相まって武器ならばなんでも手に取って自分のものにしようとしていた。それはやがて忍者という形で昇華され、今に至る。
その違いがこの戦力差か。
遥は泣きたくなって二人を睨んだ。睨んだだけで何もできそうになく、諦めて、疾走して、外に飛び出して。何かにぶつかって、遥は耳を痛めた。
「いっ──?!」
「下がれ」
その声は、聞いたら誰もが安心するほどに低く。遥は全身の血が歓喜するのを感じて〝彼〟を見上げた。
「炬さぁんっ!」
キラキラと瞳を輝かせ、愁晴に保護されているアリアに視線を移す。アリアは半泣き状態で強く頷き、朔那は呆然と炬を見据えていた。
「かがりんっ!」
「……おう」
アリアに答え、炬は遥を離して先を行かせる。
遥はよろよろとアリアの元へと逃げ、愁晴に抱き締められる彼女を見つめ続けた。
「しゅーくん、私……怖かった! ずっとずっと、怖かったぁ……!」
気づいた時には、アリアは既に泣いていた。アリアは愁晴が甘やかし続けるのをいいことに、遠慮なく泣き続ける。
遥と朔那は、そんなアリアの恐怖にも気づけず泣き場所にさえなれなかった。




