第三話 痛み断つ愛Ⅳ
『輝司、何故出てきたのですか。お見合いはどうしたのです』
知らない女性の声が微かに聞こえてくる。
「この人が乙梅さんや。んで、一緒におるのは輝司やなぁ」
愁晴は驚きを隠せない様子で前髪を掻き上げ、隣に座る炬を見やった。炬はいつも無反応だが、今回ばかりは思うところがあるのか不快そうに眉根を寄せている。
綿之瀬家の盗聴をしようと言い出したのは、他でもないこの炬だった。昨日の内に愁晴が綿之瀬家を訪れて盗聴器を仕込み、今こうして全員が《ハリボテの家》で耳をすませながら聞いている。
「おいおい、ちょっと聞こえ辛くねーか?」
「これは隣室で喋っとんのかもなぁ。まぁ、客間の方が聞こえやすいしええやろ」
だが、アリアと輝司が《グレン隊》にとって信じられないほど丁寧な会話をした後の声が何一つ聞こえなかった。
『普通は冗談だと思うでしょう。誰が貴方方が生み出したバケモノを伴侶にするのですか』
刹那、遥の心臓が凍る。バクバクと鳴っていた音がやみ、唇が震えてくる。
愁晴は顔を顰めていた。炬は表情筋をまったく動かさずに座っていた。睦見は怒り、如月は唇を歪め、アイラは絶望的な表情をし──朔那は目を見開いたまま動かない。
『それに、聞けばあのバケモノは《紅炎組》の犬の配下だと言うじゃないですか。《グレン隊》だかなんだか知りませんけど、不快なんですよね。そんなモノを押しつけられても』
誰も、動かない。
『輝司、それは我々に対する侮辱だと捉えますよ?』
『そうですね、貴方方綿之瀬家のことは炎竜神炬と同じくらい軽蔑していますよ。……ただ、トメさんは《十八名家》の重鎮ですからね。言うことは聞きます』
『ならばさっさと戻りなさい。これ以上母様を怒らせないように』
『戻ったところで何になりますか? 彼女はバケモノという点と所属する組織だけを除くと確かに素敵な女性だと思いますけれど、返事は変わらずノーですよ』
誰も、動けない──そう思った刹那、遥以外の全員が一気に立ち上がった。
「ッ!?」
驚き、遅れて遥も立ち上がる。
『そもそも、このような大切な話を貴方方が放棄せざるを得なかった〝バケモノの管理をしている〟我々《カラス隊》に持ちかけている時点で──他の誰に頼んでも断られるということが目に見えていたのでしょう?』
輝司という人間がどういう人間かは知らないが、これで敵は定まった。
『ですが、綿之瀬有愛が《グレン隊》であることを辞めれば、我々《カラス隊》が彼女の身柄を貰い受けましょう。私に伴侶は不要ですが、彼女のことは喉から手が出るほど欲しい。バケモノ呼ばわりしていますが決して悪く言っているわけではないのですよ?』
《カラス隊》だ。アリアをバケモノ呼ばわりし、炬を侮辱し、《グレン隊》を侮辱した《カラス隊》の輝司という人間だ。
『綿之瀬乾、骸路成愛来、猫鷺真、小白鳥星乃。以上四名の身柄も時が来れば我々が隊員として受け入れます。ですのでいい加減、綿之瀬乾の所在を明らかにしていただけませんか?』
「ッ!」
一気に身を乗り出してテーブルに両手をつき、朔那はわなわなと全身を小刻みに震わせる。同じく如月も身を乗り出し、朔那と一緒に耳をすませた。
『乾の居所は知らないと言っているでしょう』
だが、刹那に朔那はテーブルを殴る。如月は顔を顰めて脱力した。
「なんだこいつ。ふざけたこと言ってんじゃねーか」
睦見は最初から怒った表情のまま受信器を指差し、すぐに炬に視線を向ける。
「炬さん、俺は個人的にこの人のことが許せない」
如月は拳を握り締め、訴えかけるように炬に視線を向ける。
「ぶっ潰す。ぜってー、ぶっ潰す」
静かに声を震わせる朔那は項垂れたまま体を震わせて──
「カガリ」
──今にも泣きそうなアイラは縋るように炬に視線を向ける。
「…………」
怒ったし、許せないし、潰したいし、泣きたくなる。
唇が震える遥は何も言えなかった。込み上がってくる感情が他の四人と違ってまったく整理できなかった。
無言で炬に視線を向けると、炬は無言で遥を見る。遥は肩を震わせて唇を引き、大きく息を吸い込んだ。
「炬さん! おれっ、行きたいっす! あいつのことをぶん殴って、ぼっこぼっこにしたいっす!」
張り裂けそうになる心臓を縫って、泣きじゃくるアリアの声を聞き続ける。
「せやな。これは突撃案件や」
耐え切れなくなった愁晴はため息をつき、炬に向かって頷いた。
「行くぞ」
そう告げた炬を肯定するように雄叫びを上げて、《グレン隊》は《ハリボテの家》を飛び出していく。絶対に譲れない大切なものを守る為に、睦見と如月──そして遥と朔那は先行した。
*
陽陰町の隅に存在するのどかな田園地区。その地区の長ったらしい道を大型バイクで走り抜ける睦見と如月の真後ろに、遥と朔那は乗っていた。
《十八名家》の本家の場所を唯一知っている如月に先導され、四人は綿之瀬家へと辿り着く。そんな広々とした大屋敷の土塀を囲っていたのは、漆黒の軍服を着た青年の集団だった。
「あれは……」
遥は眉間に皺を寄せ、正面口に停車する睦見と共に彼らの前に立ち塞がる。先に立ち塞がっていた如月と朔那は殺気を身に纏っており、遥はぶるりと身を震わせた。
「通せっつわれて、通すようなタマじゃなさそうだな」
鼻で笑う睦見は正面口を守る青年を見下ろす。
「そうですねぇ。誰も通すなって隊長から言われているので」
「隊長殿の命令は絶対ではないが、お前たちのような輩を通すわけにはいかないな」
闇よりも濃い黒髪と、うさぎのような瞳の形をした紫苑色の瞳を持つ青年。そして、彼の隣に立つ青年は七三分けにした常磐色の髪と蛇顔が特徴的だった。
「末森副長! 本庄副長!」
駆けつけてきた他の青年たちは、末森と本庄と呼ばれた青年たちの元へと集まり、突如として現れた《グレン隊》の面々をじろりと見やる。
「水無瀬くんと文梨くんは右側を!」
「葉柴と長谷部は左側を!」
「了解!」
たった四人しかいない彼らの応答には芯があり、ありえないが本物の軍隊のような団結力を遥は肌で感じていた。
「総員、《カラス隊》の名の元に秩序を守れ!」
副長二人の号令により、二手に分かれた彼らは元から二手に分かれていた《グレン隊》へと腰に下げていた日本刀を向ける。
「げぇっ?!」
「ッ! 遥!」
だが、想定外の奇襲を受けて度肝を抜いた遥とは違い──朔那は瞬時に動いて睦見と自分の位置をすぐさま入れ替えた。
忍者刀で自身と後方の遥を守り、「おれが出る!」と叫ぶ遥とさらに入れ替えて朔那は後方支援へと回る。どちらでも戦える朔那は有能で、遥はそんな朔那に負けぬように相手の懐に飛び込んだ。
「はっ?」
ほとんど丸腰の遥に切りかかるのは躊躇われたのか、烏羽色の爽やかなショートが似合う青年が慌てた様子で一歩下がる。
「長谷部くん……!」
彼が長谷部ならば、後ろで日本刀を構えている鈍色のセミロングの青年は葉柴だろう。一目で好青年だとわかる運動部に所属していそうな長谷部とは違い、ジト目がデフォルトなのか陰気臭そうな葉柴は困ったようにその場に留まっていた。
「こいつら──」
──場馴れしていない。チャンスだ。瞬時にそう判断した遥は仕込んでいたナックルダスターを指に嵌め込んで長谷部の懐に入る。だが、遥の思惑にいち早く気がついた長谷部は遥の拳を日本刀の峰で弾き返した。
「クソッ!」
思っていたよりも動体視力が高い。
場馴れしていなくても能力はあるのだろう。あの輝司という名の男が所属している組織の人間に使えない者なんかきっといない。
反吐が出るが、仮に輝司と炬の立場が逆だったら──彼は決して遥を仲間には入れないだろう。
そう確信して、遥はますます《カラス隊》を憎んだ。こんな奴らは倒されて当然だ。遥も《グレン隊》も決して正義の味方を気取っているわけではないが、こんな奴らは倒して当然なのだ。
「遥!」
朔那の位置を常に把握している遥は避け、朔那に投げられた万力鎖が長谷部の足元に僅かに絡んだのを確認する。
「おっしゃあ!」
舌を舐めて拳を突き出し、遥は長谷部を連続で殴打した。駆け寄った葉柴が朔那が撒いた撒菱を諸に受けてのた打ち回る。
やればできることを証明して睦見と如月の方に視線を向けると、意外なことに彼らは苦戦していた。
黒紅色の毛先が跳ねた髪型の青年は、本庄と負けず劣らない大人びた顔立ちをしている。薄藍色の瞳は歴戦の猛者である睦見と大差なく、遥はせせらぎのように穏やかな色の中に秘められた荒々しさに思わず息を止めた。
青年は睦見と交戦しており、遠慮なく殴りかかってくる睦見の拳を峰で薙ぐ。朔那の支援がない分分が悪いが、頑なに拳に拘る睦見は菫色の瞳を荒々しく燃やしていた。
如月と交戦している青年もなかなかの猛者なのか、異様に美しい剣技を見せている。戦う技ではなく、魅せる技──そんな美しさで舞っているようだ。
一つに纏めた赤墨色の長髪は青年が動く度に揺れ、緑青色の瞳でさえ如月を魅せている。瑞々しい素肌に女性に近しい顔立ちを見つけた遥は、前者が水無瀬で後者が文梨なのだと本能で理解した。
「遥! 朔那! 見てる暇があるなら突入しろ!」
睦見が咎めるように叫ぶ。
「えっ?」
「今のお前たちならできる! 行けっ!」
如月が珍しく背中を押す。
「遥っ!」
もう待てない。今にもそう言いそうなほどに苛立っている朔那は、まだ戦う意思を残している葉柴と長谷部を視線で指差して牙を向いた。
「行くぞ!」
「おっ、おう!」
「えぇっ、まだ俺たちがいるんだけど?!」
「おい、どこに行く!」
驚く二人を無視し、遥と朔那は土塀に沿って裏へと回る。追いつかれる前に土塀に向かって鉤縄を投げ、遥と朔那は綿之瀬家の敷地内へと侵入した。




