第三話 痛み断つ愛Ⅲ
陽陰町の隅に存在するのどかな田園地区。炎竜神家や他の《十八名家》の本家があるこの地区に、綿之瀬家の本家も存在している。
広々とした美しい日本家屋の大屋敷。その二階にある洋風の客間にアリアは通され、ごくりと生唾を飲み込んだ。ここは、五年ほど前に自分が暮らしていた〝あの部屋〟だ。そのことにすぐ気がついたのだ。
オリジナル体の両親──自分の製作者が亡くなって、養護施設に入る前に保護されていた部屋。悲しくて泣くことしかできなかった、寂しくて薄暗い冷えきった大きな部屋だ。
「アリア」
振り返ると、アリアをここに押し込めていた張本人である乙梅がそこに立っていた。
「十時頃に相手の方が来ます。態度は普段通りで構わないから、決して失礼のないように」
「……うん」
「私は席を外します。異論はないですね?」
「おばあちゃんは?」
乙梅は眉間に皺を寄せ、「隣室です」とだけ告げる。アリアは黙って頷いて、トメがいる隣室へと視線を向けた。やがて乙梅が退出し、アリア一人だけが取り残される。
「はぁー……」
そしてため息をつき、一人だけで思い悩んだ。
(普段通りって言われても、どうすればいいの……?)
考えてもわからない。ただわかるのは、本当に結婚することになってしまったら《グレン隊》が──炬が、愁晴たちが、酷く遠くにいるように感じてしまうことだけ。
「……離れたくないよ」
自然と漏れた言葉は、きっと自分の本心だった。
アリアは唇を噛み締めてソファに座り、用意された真新しい深紅のドレスの裾を握り締める。
トメの意図はわかっている。仕方のないことなのかもしれないとも思っている。
だが、本当に自分のオリジナル体は──この町で両親を亡くしたという報せを聞いたクレアは、それだけで自分を諦めてくれるのだろうか。
彼女は自分を恨んでいるのではないだろうか。自分のクローンだけが生かされて、両親だけが死んだことを彼女はどう受け止めているのだろうか。
次第に肩が震え始め、アリアはそっと自分を抱き締める。
この震えている命でさえ人に作られたものなのに、どうして普通の人間と遜色がないほどに完成されているのか──アリアはわからなくなって目元を拭った。
「かがりん……」
咄嗟に出てきた大好きな人には、まだ話せていない大きな真実。
アリアと愁晴がクローンであることを、炬はまだ知らなかった。
『で、話って?』
『私、全部思い出したよ』
一年前、遊園地から帰る途中で二人きりになった時。アリアはすべてを愁晴に話した。
『私の本当の名前はコーデリア。私の本当の親はいなくて、あの人たちは私の製作者。私の正体は〝クローン人間〟で、しゅーくんの正体も〝クローン人間〟』
愁晴を見上げると愁晴は驚いたようにアリアを見、やがてニコニコと怪しく笑う。
『せやな』
たったそれだけしか言わなかった。アリアは唇を噛んで、愁晴の心に触れるように彼に向き合う。
『私とアイラはおじちゃんに〝拾われた人〟だったけれど、しゅーくんはおじちゃんに〝作られた人〟だったんだね』
『せやで』
『私ね、おじちゃんに全部奪われたって知った時、イギリスに帰ろうって思ったの。でも、私はおじちゃんの名誉の為に戦うってちゃんと決めた。死んでほしいって思われるような生き方をしたくないって本気で思ってる』
アイラに誓ったことと同じことを告げると、愁晴は意外そうにアリアを見下ろしていた。
数日前に自分の思いを曝け出してぶつかった出来事が遥か遠い昔の出来事のようで、愁晴は戸惑いつつもアリアの変化を受け入れる。
『なぁ、これからはちゃんと教えてくれへんか? 〝今のアリア〟のこと、俺はちゃんと知っときたいんや』
『うん。いいよっ!』
あのニコニコ笑顔で首肯して、アリアは愁晴を引っ張った。あの時ちゃんと胸に刻んだ〝覚悟〟を引っ張り出して、アリアは真っ直ぐに正面を向く。
(……私はまだ、イギリスに帰るべきじゃない)
まだ、五道の名誉の為に戦っていない。先程線香を授けた一族の仏壇にもちゃんと誓ったのだ。
アリアの心がリセットされるのを待っていたかのように、客間に置かれた大きな古時計が約束の十時の訪れを告げる。
「──ッ!」
そしてそれさえも待っていたかのように、小さなノック音が聞こえてきた。
「ひぃっ?!」
「失礼します」
「はっ、はひっ!」
そう言って入室してきた青年は、どこかで見たことのある青年だった。
カラスを想起するような黒髪と、宝石のような紫色の瞳には見覚えがあって。身に纏った軍服は、アリアのトラウマに近しいものだった。
「あっ、あっ……!」
全身が震える。
「はじめまして、ではないですね。私は《対妖怪迎撃部隊》、通称《カラス隊》の隊長を務める鴉貴輝司です」
そんなアリアを見て、輝司は狐のような笑みを浮かべた。
『君たちですか。綿之瀬五道が生み出した人工半妖は』
施設が崩壊した直後に言われたあの台詞を、アリアは片時も忘れたことがない。どんなに前を向いて歩き出したとしても、その度に輝司の言葉がずっと脳裏を過ぎるのだ。
「どうしてっ!」
本能で輝司を拒絶している。アリアは瞬時にそう思った。
「トメさんの頼みですよ。君──いいえ、〝貴方〟のお見合いの護衛をしろとのことですので、私のことはあまり気になさらないでください」
「……ご、えい?」
「えぇ、そうですよ」
だが、強ばった体を弛緩して安堵する。
(お見合い相手じゃないのか……。びっくりした……)
そんなアリアのあからさまな態度を、輝司は鼻で笑い──
「大変ですね、綿之瀬トメの養女さんは」
──と、嫌味ともとれる言葉を吐いた。
「……い、いえ! そんなことはないですよ!」
だが、まだ子供の感覚が抜け切れていないアリアがそのようなことに気づくはずもなく。
(どっ、どうしよう! 敬語を使ってしまった! なんで?! 今のは『そんなことないもん!』って言って頬を膨らますべきでしょ普段通りの私なら!)
一人で動揺し、母親──製作者の呪縛とも言える子供と大人の狭間で苦しんでいた。
「そうですか。では、私はこれで失礼します。」
「あ、はい。お勤めご苦労様です。おばあ様がすみませんでした……」
普段の自分ならば絶対にこんな言葉は出てこない。
なのに自然と出てきたのは、多分相手が《グレン隊》ではなく《カラス隊》で。今の自分が《グレン隊》の綿之瀬有愛ではなく綿之瀬家の綿之瀬有愛だからだった。
「ふふっ、トメさんの頼みは断れませんからね」
輝司は自然と笑みを零し、一礼して客間を後にする。そこには、今まで彼から味わっていたすべての感情を払拭するような〝人間らしさ〟が含まれていた。
(うわぁぁああ! 今の何?! 私の〝キャラ〟じゃない! おばあちゃんのバカ!)
アリアはあまりの衝撃に耐えられず、目の前に置かれた大理石のテーブルに額をぶつける。
「……痛い」
『ふふっ、トメさんの頼みは断れませんからね』
そして輝司の最後の言葉を思い出し、彼が自分に似ていることに気がついた。しばらくして一向に姿を現さないお見合い相手に疑問を抱き、アリアは恐る恐る扉の方へと足を向ける。だが、足音も何も聞こえなかった。
トメが隣にいることを思い出して隣室の方へと足を向けると、微かに話し声が聞こえてくる。アリアは必死になって耳をすませ、乾の能力を羨んだ。
『輝司、何故出てきたのですか。お見合いはどうしたのです』
『おや? お見合い話は冗談ではなかったのですか?』
『私の母様がいつ冗談を仰ったのです』
『普通は冗談だと思うでしょう。誰が貴方方が生み出したバケモノを伴侶にするのですか』
聞き間違いではないか。一瞬そう思って、アリアは否定をするように乾いた笑みを漏らした。
『それに、聞けばあのバケモノは《紅炎組》の犬の配下だと言うじゃないですか。《グレン隊》だかなんだか知りませんけど、不快なんですよね。そんなモノを押しつけられても』
『輝司、それは我々に対する侮辱だと捉えますよ?』
『そうですね、貴方方綿之瀬家のことは炎竜神炬と同じくらい軽蔑していますよ。……ただ、トメさんは《十八名家》の重鎮ですからね。言うことは聞きます』
『ならばさっさと戻りなさい。これ以上母様を怒らせないように』
『戻ったところで何になりますか? 彼女はバケモノという点と所属する組織だけを除くと確かに素敵な女性だと思いますけれど、返事は変わらずノーですよ』
アリアが輝司を拒絶するように、輝司もアリアを拒絶している。
『そもそも、このような大切な話を貴方方が放棄せざるを得なかった〝バケモノの管理をしている〟我々《カラス隊》に持ちかけている時点で──他の誰に頼んでも断られるということが目に見えていたのでしょう?』
こんな話を、唯一どこかに消えてしまったサトリの人工半妖である乾は聞いているのだろうか。
『ですが、綿之瀬有愛が《グレン隊》であることを辞めれば、我々《カラス隊》が彼女の身柄を貰い受けましょう。私に伴侶は不要ですが、彼女のことは喉から手が出るほど欲しい。バケモノ呼ばわりしていますが決して悪く言っているわけではないのですよ?』
そしてアリアは再び体を強ばらせ、輝司の話に耳を傾けた。
『綿之瀬乾、骸路成愛来、猫鷺真、小白鳥星乃。以上四名の身柄も時が来れば我々が隊員として受け入れます。ですのでいい加減、綿之瀬乾の所在を明らかにしていただけませんか?』
「ッ!」
思わぬタイミングで乾の名を聞き、アリアは咄嗟に息を止める。心臓がうるさいくらいに脈を打った。知りたくて知りたくて堪らなかった。
一年前のあの日、〝いってらっしゃい〟と言って送り出した乾の現在を──
『乾の居所は知らないと言っているでしょう』
──誰も、知らなかった。
「…………」
耐えられないような衝撃を連続で受け、アリアはよろよろとソファに戻る。倒れるように寄りかかり、大きな声でただ泣いた。




