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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
燐のシェーナ
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第二話 降り注ぐ雨Ⅴ

 意識が朦朧とする中、遠くの方からアリアの声が聞こえてくる。その声を聞く度に何故か気分が良くなって、はるかは恐る恐る目を開けた。


「あ、はーちゃん」


 真っ先に視界に入ったアリアは遥を見下ろすような態勢を取っており、遥はそこで、自分が横たわっていることに初めて気づく。


「おれ……」


 声に出し、徐々に浮かび上がってくる記憶の糸を辿って遥は勢いよく起き上がった。


「なななななんでおまえが男湯にいんだよ!」


「いねぇよバカ」


 視線を移すと、服を着た朔那さくなが不快そうな表情で立っていた。遥は自らの胸元に手を当てて、肌ではなく慣れ親しんだTシャツだということに気づく。

 ここは男湯でも脱衣所でもない。男湯と女湯に分かれる前にある共同の空間だった。


「つーかお前、気分は? んなに暴れて平気なのかよ」


「へっ? あぁ……なんでか知んないけどすっげーすっきりしてる」


「なんでだよ」


「知んねぇってだから」


 あははとやけに下手くそな笑みを浮かべ、アリアはベンチに横たわる遥から遠ざかる。後ろで組んだ手に何かを持っているのか、決して手元を遥と朔那に見られないようにアイラの下へとアリアは下がった。


「お前がのぼせるって珍しいよな〜。何か飲むか? 奢ってやるよ」


「じゃあ俺はコーヒー牛乳で!」


「お前に奢るとは言ってねぇよ」


「なんでだよ! 一緒に風呂に入った仲だろ?! それに誰が遥をここまで運んだと思ってんの?!」


 そんなに大きくない空間の端で、睦見むつみ弥上やがみが言い争っている。遥は呆れたように顔を顰め、「普通に牛乳でいいよ」とベンチに座り直した。


「はいよ。あぁ〜……、うるさいうるさいわかったわかった。……ったく、面倒臭いなお前。おっちゃん、牛乳六とコーヒー牛乳な」


 番頭の男性に声をかけ、睦見は適当に金を出す。この錆びれた銭湯にはここ数年ですっかり常連となった《グレン隊》しかまともな利用客がいないが、こうして釣りはいらないからと多めに出す睦見のおかげで成り立っているところがあった。


「おい冬馬とうま。んなことしてたらまた愁晴しゅうせいさんに怒られるぞ?」


 愁晴は金の問題になると口煩く、釣りもきっちりと貰うタイプの人間だ。そんな彼が睦見の金銭面でのずぼらさに口を挟まないわけがなく、睦見はいっつも愁晴の小言を聞き流している。


「いいんだよ。チップチップ」


「チップは大事だよな〜。これからも応援していますっつー金を惜しんだらダメだぜぇ。っつーことでこれは俺からのチップです。最高の風呂をありがとうございました」


 深々と頭を下げて番頭に札束を差し出した弥上は非常に丁寧で、どこからどう見ても別人のように見える。無言で机の上に乗った札束を一瞥する番頭は、訝しげな視線を弥上に向けてそれを押し返した。


「えっ?! なんで?! チップは受け取ろうよおっさん! 日本人のそういうところ良くねぇよ!? もっともっとグローバルに生きようぜぇ!」


「お前はグローバルに生きすぎだろ」


 じろりと弥上を一瞥する如月きさらぎはため息をつき、警戒する番頭に謝罪して受け取りを促す。弥上は何もわかっていないのかどうにも不服そうで、遥が空けたベンチの端にドカッと乱暴に腰をかけた。


「つーかお前、本当に平気なんだな。さっきまであんなに顔色青白かったのに」


「おれもなんでなのかはよくわかんねぇけどさ」


「ふははっ! 今まで何人ものぼせたヤツ見てきたけど、お前みたいに回復が早いのは初めてだぜぇ?」


「そういやおまえ、風呂好きなの?」


「当たり前だろ馬鹿野郎! 逆にお前嫌いなの?! んなわけないだろー?」


 勝手に人の好き嫌いを決めつける弥上は、睦見からコーヒー牛乳を受け取り一気飲みしてオヤジくさい声を出す。


 弥上しゅうはどこまでも自由だ。縛られない、独特の価値観を持って思い思いに生きている。羨ましいとは思わないが、陽陰おういん町に留まり続ける自分が知りようもないことを多く知っているのだろう。そんな差をありありと見せつけられる。


「……なぁ、なんでおまえは武器商人なんかやってるんだ?」


 だから純粋に聞きたいと思った。この町に来たのは都市伝説が目当てだろうと睦見と如月は推測していたが、弥上本人が武器商人になった答えはまったく出ていない。


「俺? 親父がそうだったってのもあるけどさ、一番は儲かるからに決まってるだろ!」


 視線を移すと、弥上がなんでもないような表情でそう言っていた。


「ボスが多額の金を詰んで俺を雇ってくれるからなぁ。生まれた時からがっぽがっぽ大儲け! 今回の件が成功すれば億万長者! 一攫千金のビックな男になれるんだぜぇ!」


「えぇ……おまえ金に執着しすぎて気持ち悪ぃ……」


「お金は大事だぜぇ? 回せ経済! 世界は俺の手の中に!」


「口調がバカすぎて内容が全然頭に入ってこねぇな」


「なんでだよ!」


 くわっと口を開いた弥上は睦見に飛びかかり、そのまま振り回されて目を回す。基本的には確かにバカだが、遥には弥上が遠くを見据えて物事を語っているように見えた。


「じゃあ聞くけど、お前の目的はなんなんだよ。この町で何をしたら億万長者になれるんだ?」


「そりゃ誘拐に決まってるだろ。どっかの《十八名家じゅうはちめいか》を適当に数人拉致って、〝超人的な力〟っつー例の都市伝説が本当なのかを確認して、本当だったらそれを武器に流用しようっつー計画だ!」


「よし、お前ら。これ飲み終わったらこいつを牢屋にぶち込むぞ」


「そうだな」


「わかった」


「任せてとーくん!」


「えっ?! ちょっ、お前らふざけんなよ!」


 如月、アイラ、アリアはそれぞれ弥上を囲んで牛乳を飲み干す。返事はしなかったが牛乳パックを握り潰した朔那も輪の中に入っており、遥は慌てて牛乳を一気に飲み干した。


「よしっ! 来いっ!」


 立ち上がり、両手を広げて腰を落とす。サルエルパンツの中に普段から仕込んでいるナックルダスターを取り出して指に嵌め、遥は事前にウォーミングアップをしていたと思われる睦見と如月に視線を向けた。


「『来いっ!』じゃねぇよ裏切ったなオイ!」


 四方八方を《グレン隊》の構成員に塞がれた弥上は、狭い空間の中で逃げ場を探す。戦闘時よりも仕込んでいる武器数は少ないが、朔那も取り出した万力鎖を構えており──逃げ場は、どこにもない。


「裏切ってねぇよ。バカかお前は〜」


「銭湯だからっていう理由で手を出さなかったんだ。何もおかしいことではないだろ」


「今回は、絶対に逃がさないから」


「安らかに捕まってね! 弥上集!」


「縁起でもねぇこと言うなよオイ!」


 じりじりと間合いを詰める全員から距離を取り、弥上は一番手薄そうだと思ったのかアイラとアリアの間を見やる。


「お前、諦めが悪いな」


「言っとくけどおれの仲間にマジで弱い奴はいないからな!」


 戦闘要員ではなくても、全員《グレン隊》である以上かがりについていけるだけの実力はある。少なくとも愁晴とアリアとアイラは戦闘要員との実力差をいとも容易く埋めるほどの強運を持ち合わせているのだ。弥上が突破できるとは思えない。

 だが、弥上が動かない以上全員が手出しをすることもできなかった。それぞれがそれぞれの戦いを邪魔し合うと、弥上がするりと逃げてしまう。それを全員がわかっていたから動けなかった。


「外でやれ」


 そう言ったのは、他の誰でもない番頭だった。

 彼は寡黙で、一般人から嫌われている《グレン隊》が利用していても何も言わない。別にそのせいで客足が遠のいているわけでもないし、ただの客として利用しているだけで悪いこともしていない。だが、こういう時はちゃんと言う男性だった。


「あぁ。悪かったな、おっちゃん」


「よし! 外! 行こう外へ!」


「だから逃げるな」


 アイラとアリアの間を強行突破しようとしてちゃっかり捕まっている弥上は、恐ろしいものを見るかのような瞳で自分にしがみついているアイラを見下ろす。アリアはアイラが押さえつけているおかげで飛びついたような印象だ。


「よしっ、ナイスだアイラ! やっぱおまえってよく見てるよな!」


「うちのアイラの蜘蛛の糸から逃げられると思ったら大間違いなんだからね!」


「そのまま外までしがみついてろ。後で俺が縛る」


 メイド服を着た二人の少女に連行される弥上を遥と朔那が同時に追い、遅れて睦見と如月が外に出る。


「クソッ! クソッ! 騙された!」


「もう! 大人しくしてってばぁ!」


 万力鎖を弥上に巻きつけようとする朔那に場所を譲って、アリアは怒りながら距離を取る。アリアもアイラも決して腕力が強いわけではないが、今の弥上のように振りほどこうとして暴れ回ってもアイラだけは絶対に離れない。何か強力な力によって結ばれているのではないかと思うくらい、強く──。


「あっ! バケモノ!」


「えっ?」


 パッ、と刹那に離してアイラは辺りを警戒する。同じくアリアもアイラの後ろに素早く隠れ、辺りを過剰なまでに警戒する。


「バッ……! 嘘に決まってんだろ!」


 その隙にするりと彼らの間をすり抜けた弥上は、朔那が投げた万力鎖を躱して闇夜に消えた。


「逃がしたか」


「仕方ないな」


 睦見と如月は早々に諦めたのか追いかけず、ちらりとアリアとアイラを見る。遥も咎めるように二人を見ようとして、本当に──心の底から、本気で怯えている二人を見た。


「アリア? アイラ?」


 叱ることさえ忘れて声をかけると、何もないとようやく安心できたのか二人は緩めの息を吐く。


「……ごめん、なさい」


 僅かに震える肩を自分で抱き寄せ、アイラは短く謝罪した。そんなアイラをぎゅっと抱き締め、アリアは彼女の肩に顔を埋める。


「……なぁ」


 答えてはくれない、そう思っても。



「おまえらは、一体何を隠してるんだ?」



 遥はちゃんと聞きたかった。なんでもかんでも聞かないと、遥は何一つ理解できない。アリアのことも、アイラのことも、愁晴のことも。


「何も、ないよ」


 そうして雨は、まだ降り注ぐ。

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