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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
燐のシェーナ
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第二話 降り注ぐ雨Ⅳ

 はるかはやけくそ気味にTシャツを脱ぎ、隣にいる機嫌の悪さを隠そうともしない朔那さくなを一瞥する。無意識なのか朔那は幾度となく舌打ちを繰り返しており、忌々しげにシャツを脱いでいた。それを脱衣所のロッカーの中に叩きつけるように投げ入れて、最後にもう一度だけ舌打ちをする。


 遥自身の怒りよりも、朔那の怒りの方が強い。


 遥は眉間に皺を寄せ、サルエルパンツに手をかけた。年季の入った木製の床を裸足で踏み、サルエルパンツもロッカーの中に入れて勢いよく閉める。一瞬だけバキッという嫌な音がしたが、遥はなるべく考えないようにして若干黄ばんでいる白い壁に沿って歩き出した。


 睦見むつみ如月きさらぎは先に浴場の方へと向かったようで、遥は曇りガラスの出入口を横に引く。そして、湯けむりの奥で早速湯船に浸かっている睦見と如月を視認した。

 二人は富士山という山が描かれた絵の前にあるタイル張りの湯船の端の方を凝視しており、彼らの下へと駆け寄ろうとして遥はぴたりと足を止めた。


「……ふぇっ?」


 腑抜けたような声を出し、遥はじっと睦見と如月が対面する〝奴〟を見据える。そして肩を大きく震わせ、遥は〝奴〟を指差した。


「なななななんでおまえがここにいるんだよっ! ──弥上集やがみしゅうっ!」


 同じく湯船に浸かった弥上は遥をちらりと一瞥し、へらりと笑って肩を竦める。最後に見た時はあれほど慌てて逃げていったのに、今の弥上は余裕そうな表情で腕を振り上げた。


「風呂に入るのに理由がいるわけねーだろ! つーか、なんでこの町の銭湯ってここしかないんだよ! ド田舎にもほどがある!」


 弥上は不満そうに表情を歪め、ちゃぷちゃぷと子供のように水音を出す。敵対する《グレン隊》の主力が勢揃いしているにも関わらず、弥上はどこまでも楽観的だった。


「んなのこっちが知るわけないだろ。ていうかお前、なんでそんなに警戒心がないんだ? 今すぐ俺たちがお前を襲うかもしれねぇのに〜?」


「馬鹿野郎、風呂ん中で暴れるクソ野郎がいるかよ! 風呂ん時にゆっくりのんびり休むのが日本人だろ?! うちのボスは外人だから何もわかってくれねぇけど、お前らならわかるよなっ?! なっ?!」


 弥上は身振り手振りで自らの持論を展開し、同意を求めて腕を組む。頬を引き攣らせた遥は睦見と如月に視線を向け、二人に攻撃の意思がないことを確認して首を傾げた。


「……何してんだ」


 振り返ると、不快そうに眉を顰める朔那が傍らに立っていた。


「えー……っとぉー……一時休戦?」


「はぁ?」


 元々不機嫌だったがさらに不機嫌な様子になり、朔那は桶に腰をかけてシャワーを浴びる。遥も朔那に倣って腰をかけ、鼻歌まで歌い出した弥上を不審な視線で眺めた。


「やめとけ。互いに丸腰だろ」


「……た、確かに」


 全身を濡らし、遥は首を振って水滴を飛ばす。じんわりと芯を温める温もりは銭湯独特のもので、弥上の言うことも一理あるような気がした。


「なぁ朔那」


 朔那が怒らないようになるべく慎重に言葉を選び、遥は考えながら自分の中にある疑問を口にする。


「なんであいつら、あんなに必死になって隠そうとするんだろうな。そんなに言いたくねぇっつーか、言えねぇっつーか……。〝生まれ〟って、そんなに大事なモンなのかな?」


「さぁな」


 それを一番気にしていると思っていた朔那は刺々しい口調で言葉を返し、遥の方をまったく見ないまま何もしないでその場にい続けた。


「おまえはどう思うんだよ。おまえが一番おれと立場近いし、おまえにしか聞けねぇっつーか……その、なんつーか?」


 町内出身者で《十八名家じゅうはちめいか》生まれではない未成年の人間は、《グレン隊》には遥と朔那しかいないのだ。

 町外出身者の睦見と如月にはピンと来ないであろうものでも、互いには話せるのだ。


「向こうが言いたくないなら、別に知ろうとしなくてもいいんじゃないか?」


 視線を湯船に移すと、如月が水面に浸したタオルを膨らませていた。珍しく真っ先に口を出した如月は、血色にも見える真紅色の瞳を細めてタオルを萎ませて握り潰す。


「なんでだよ。隠し事とかされたくねーじゃん」


「じゃあ聞くけど、お前らは俺たちのことを知ってんのか〜?」


「えっ?」


 予想外のことを睦見に問われ、思わず聞き返した遥は宙を見やった。


「知ってるって……冬馬とうまは元々外部の暴力団員で、若頭で、宗太そうたは元《風神ふうじん組》の構成員で、貧弱坊ちゃんの付き人だったんだろ?」


「そうだな。でも、それだけだろ?」


 淡々と言った睦見の言葉の意味がよくわからず、首を傾げて遥は気づく。


 ──それだけしか、お前は知らないだろ。


 今、はっきりと。他の誰でもない遥と同時期に入隊した睦見自身からそう言われたのだと。


「……ッ!」


 睦見冬馬と如月宗太には、まだ遥に話していない過去がある。すべてを語った遥とは違う。すべてをアリアに語られた朔那とも違う。


 自分は、自分が思っている以上に仲間のことを何も知らないのだ。


 かがりのことも、愁晴しゅうせいのことも、アリアやアイラのことだって何も知らない。


 炬は炎竜神えんりょうしん家の人間で、《紅炎こうえん組》の犬として暗躍している《グレン隊》の大将というだけではないのかもしれない。

 愁晴はそんな炬を裏で支えて、養護施設の運営を手伝い、アリアとアイラの保護者代わりを務めているだけではないのかもしれない。アリアもただの綿之瀬わたのせ家の人間ではなく、アイラもただの骸路成ろろなり家の人間ではないのかもしれない。


 ぞくり、と。湯気で温まっているにも関わらず、血の気がさっと引いていくのを遥は感じた。


「…………」


 次第に何も言えなくなって、遥は膝に肘をつく。たった一人で項垂れて、隣に座り続ける朔那の息遣いだけを感じて、遥は唇をきつく結んだ。



「お前、仲良しこよしがしたいの?」



 それは、おかしそうに笑う弥上の声だった。


「だったらお前、こっちの世界に向いてないぜぇ。今すぐカタギに戻った方がいい。世間は一度ドロップアウトした者を受け入れてはくれねぇけど、そういうのは早い方がいいんだよ」


 肩まで深く浸かった弥上は、ぐるぐると首を回してオヤジくさい声を出す。敵陣にいるにも関わらずやけにリラックスしている姿は、呆れつつも遥が目指している強さだった。


「うっ、うるせぇ! おれはここで強くなるんだ! ここで大人になるんだよ!」


「えっ、お前まだ子供なの?! すげぇグレ方してんのな! 馬鹿野郎すぎて好感度爆上げだわ!」


「言うほどおまえも大人じゃねーだろ!」


 弥上を指差し、彼の若々しそうな顔を凝視する。苦労を知らなさそうなその肌は遥とあまり大差はなく、遥は傷だらけになってまで鍛え上げた自らの指の先と弥上の顔を見比べた。


「俺はピチピチの十九だぜ。再来月で二十だけどな!」


「へぇ。てことは宗太と同年代か」


「不愉快だ」


「なんだよその反応! タメならもっとフランクに行こうぜ!」


「お前は敵だ。何故馴れ合う。お前の方が向いてないんじゃないか?」


 吐き捨てるように言った如月は、じろりと弥上を睨んで距離を取る。それを面白おかしそうに眺めていた睦見は、「なんだよお前らほぼ未成年かよ」と茶化した。


「じゃああの卯之原穂澄うのはらほづみ皐堂大河さきどうたいがは?」


「あいつらは一個下だな。穂澄はもう誕生日来てるみてぇだし十九か?」


「わっかいな〜。お前らも人のこと言えねぇだろ」


「いやいや小学生の女の子を連れてたお宅には言われたくないわ!」


 ビシッと突っ込んで、弥上はひとしきりゲラゲラと笑う。敵対していたあの時はただ単に憎かったが、こうして話してみると弥上がどれほど愉快な人間なのかがわかる。


「あんた、卯之原と皐堂の身柄が気にならないのか?」


 そこに水を差し、遥がすっかり忘れていた正論をぶちまけたのは朔那だった。


「あっ、そうだ! おまえ仲間なんだろ! あいつらのこと助けろよ!」


 いつの間にか湯船に浸かって弥上と馬鹿話を繰り広げていた遥は立ち上がり、指を差された弥上は再び肩を竦める。


「捕まえたお前らが何言ってんだよ! 別に俺は気になんないぜ! あいつらタフだし、前々から懲らしめてやろうと思ってところなの! だからノープロブレム!」


「何言ってんだお前」


「まぁこういうモンだからな〜。外部の組織は」


「どうせあいつらは捨て駒だったんだろ」


 理解できなかったのは、《グレン隊》しか知らない裏社会のルール知らずの遥と朔那だけだった。

 睦見はその辺りを弁えている弥上が気に入ったのか、いつの間にか近くに寄って肩をバシバシと叩いている。


「捨て駒ではねぇけどな! あいつらなら自力で出てくる! そう思ってるからガンスルーしてんの!」


「なるほどな」


「意外と信用してんのか〜。俺なら無理だね。普通に見捨てる」


 弥上に共感を示したのはやはり睦見と如月のみで、遥は急に、二人が遠くに行ってしまったような感覚を覚えた。


「…………」


 二人は時々自分の過去の経験を踏まえて互いのみで話をするが、それを見た時の遥が二人を遠くに感じたことはない。


 今ここに、弥上がいるから。《グレン隊》ではない弥上がいるから、遥は睦見と如月が急に別世界にいる人間のように思えたのだ。


 同じ未成年でも、如月と弥上には絶対に届かない。手を伸ばしても、同じ経験を積めるわけではない。

 遥はぐっと縮こまり、隣で湯船に浸かる朔那を見上げた。朔那は細めた青い目で三人を見つめていた。


「なぁ朔那」


「なんだよ」


「おれたちがどんだけ強くなろうとしても……届かないモンってあるのかな」


「ねぇよ」


 朔那は決して身を縮めず、背筋を伸ばして現実を受け止めていた。それが〝強さ〟の違いだと気づいて、遥も背筋をピンと伸ばす。


 ──気持ち悪い。頭の中がぐらぐらする。


 吐きそうになって、遥は一度湯船から出た。それでも余程ショックだったのか、足下はどうしても覚束ない。刹那に視界がぐらりと歪み、遥はそのままタイル張りの床へと倒れ込んだ。

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