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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
燐のシェーナ
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第二話 降り注ぐ雨Ⅲ

 着替えの下着を持って一階に下り、キャビネットから睦見むつみ如月きさらぎはるか朔那さくな全員のお風呂セットを取り出して《ハリボテの家》を後にする。

 それだけでもほっと息を吐いた睦見と如月だったが、「待って」と言って外に出てきたアリアに驚かされた。


「あ、アリア? どうしたお前、外出禁止だろ」


「……戻った方がいいんじゃないか? 愁晴しゅうせいさんは許可を出しているのか?」


「ううん、しゅーくんが風呂くらい入れって言ってて。アイラと一緒に準備するから、ちょ〜っとだけ待っててくれる?」


「別にいいけどさ。待っててやるから早くしろよ〜?」


 礼を言って戻っていくアリアがいなくなった途端に息を吐き、互いに視線を合わせて無言の会話を続ける。それは、迷惑とでも言っているようで──遥は急に気分が悪くなった。


冬馬とうま宗太そうた。おまえらちょっと感じ悪いぞ」


「……あぁ、悪い」


「けど、わけのわからない空気を出して場の空気を乱してるのはいつだって向こうだろ〜?」


 確かに、そうなのかもしれない。


 《十八名家じゅうはちめいか》として難しい話をする時、いつだって近寄り難い雰囲気を出してふらりとどこかに消えるのはあの四人なのだ。


 自分たち四人はそれぞれの家と縁を切っているが、分家とはいえ《十八名家》と縁深いあの四人には何かしらの問題が常日頃からつき纏っている。

 自分たちに話してくれない何かを必死になって抱え込んで、触れることを誰一人として許してくれない。


「…………あいつらに、一体何が起こったんだろうな」


 遥は拳を握り締め、悔しそうに一人ぽつりと呟いた。


「それは俺たちが気にするようなことじゃないだろ。お前たちにはわからないかもしれないが、《十八名家》には色々とあるんだ」


「へぇ〜。そういやお前、昔は相豆院そうまいん家の側近だったもんな」


「相豆院家の側近? お前がか?」


「あ〜、そういやおまえは知らないんだよな。宗太のこと」


 それが苦しくて、しんどくて。仲間なのに踏み込ませてくれないことがただただ辛くて。それでも、《十八名家》と縁があった如月がいるだけで和らぐものが確かにあった。


「宗太は元《風神ふうじん組》の構成員なんだぜ。翔太しょうたっつー貧弱息子の付き人をしてたから、その辺は詳しいんだよなっ」


「詳しくはない。ただ、《十八名家》の人間は自分たちとそうではない奴らの区別意識が強いんだ。俺たちが彼らのことを本当の意味で知る日は……そうだな。決して訪れないさ」


「へぇ〜。そんな奴らがこの町を牛耳ってていいのかよお前らは」


 お前ら、で視線を向けられた遥と朔那は何も言えなかった。

 《十八名家》がこの町の重要機関を牛耳ることは当然のことで、何に対して疑問を抱けばいいのかがわからない。朔那と共に首を傾げると、睦見は引きつったような──憐れむような笑みを浮かべた。


「へぇ〜、朔那までそんな反応か。お前ら町民って《十八名家》に洗脳されてんじゃねぇの?」


「そういうことじゃないよ」


 視線を向けると、アイラを連れたアリアが《ハリボテの家》から出てきたところだった。


「あ、アリア……?」


 震えた声で声をかけると、アリアはニコニコと明るい笑みを浮かべる。


「それがこの町の常識なの。常識なんてそう簡単に疑わないでしょ?」


「まぁ、確かにな」


「……行くか」


 本当に納得したのかしていないのか。先を行く睦見と如月について行くアリアは、今も昔も何を考えているのかよくわからない。ただ、今日はやけに周囲を気にしており──必然と結びついてしまう。


 アリアとクレア、そしてグロリアには何かしらの縁があるのだということに。


 本当によくわかっていないような表情だったのに、愁晴に確認を取った途端に怯え出す彼女こことがよくわからない。

 アイラもアイラで、何故アリアと同じく怯えているのだろう。


「アリア」


 ふとした瞬間に声をかけたのは、意外なことに朔那だった。


「ん?」


 何〜、と間延びをした声で振り返るアリアは不思議そうな表情で。睦見と如月は足を止めることなく歩いていく。

 遥とアイラと顔を見合わせ、空気を読んで二人からある程度の距離を取った。幼馴染みだというのにこの一年間一度も共に行動をしなかった二人は、珍しく肩を並べて歩き出す。


「どういうことだよ」


 そして、すぐに少しだけ怒ったような声で朔那が尋ねた。

 正面を向く遥には朔那の表情がまったく見えないが、多分聞こえてきた声そのままの顔なのだろう。気にする素振りをまったく見せないのが普段の朔那だが、本当は愁晴と同じくらいアリアの身を案じているのだ。


「どういうことってなんのこと?」


「クレアとグロリアのことだ。お前、何か知ってるんだろ。どういう関係なんだよ」


「えぇ〜、そう言われても知らないものは知らないしなぁ」


「誤魔化すなバカ」


 朔那は知りたがっている。如月に無理だと言われても朔那はアリアの口から何かを聞き出せると信じている。

 思わず振り返りそうになって、それでもアイラに袖を掴まれて遥はやめた。


「誤魔化してないよ」


「嘘をつくな」


「さっくん」


「止めるなよ」


 視線を落としてアイラを見ると、アイラは真朱色の瞳をまっすぐに遥に向けていた。その瞳は何を語っているのか、懸命に小さく揺れて何かを確かに訴えている。


「止めてないよ。わかんないって言ってるじゃん」


「おい」


「信じてよさっくん」


「信じられねぇよバカ」


 何を訴えているのか。とても大事なことを言っているような、そんなような気がして遥はじっとアイラを見つめ返す。

 だが、その答えをアイラに聞いたって──何も返ってこないことくらいわかっていた。



「俺にも言えねぇことなのかよ」



 その言葉に刺されたのは、アリアではなく遥だった。遥は言って欲しかったのだ。仲間だから、包み隠さず教えて欲しかったのだ。


 あの日あの時あの場所で、すべてを晒け出して《グレン隊》に入隊した遥は他人にもそれを求めているのだった。


いぬいにも言えねぇことなのかよ」


 なのにそれを拒絶されて、こんなにも虚しくなっているのだ。


「…………」


 聞き耳を立てたが、アリアは何も言わなかった。アイラを見下ろしたが、アイラも何も言わなかった。

 愁晴に聞いてもかがりに聞いても、答えはきっと同じなのだろう。


 〝生まれ〟が違うだけで、心がこんなにも遠い。


 そう思ったのは生まれて初めてのことで。こんなにも貧相な身分に生まれてしまった自分のことが嫌になる。


「ごめんね」


 アリアの小さな小さなか細い声が夏の夜に溶けた。その瞬間、アイラは遥から視線を逸らした。


「ごめんねって、なんなんだよ」


 そういうわけではないのに、裏切られたような──一人ぼっちになったような気になって。


 その瞬間、遥と朔那はまったく同じ表情を見せた。


 視線を逸らしていたアリアとアイラがそれを見ることは決してなく、その二人もまた似たような表情で己の心の声を押し留めていた。


「ごめん」


 アリアはそう言って朔那の下から離れ、前を歩いていた遥を追い越して睦見の如月の間に割って入る。

 彼らの腕を無理矢理組み、楽しそうな笑い声を上げる彼女は最早心の底から笑っていない。


 初めて会った時、アリアはあんなにも無邪気だったのに。その無邪気さが嫌いだったのに。その無邪気を消してしまいたいなんて一度も思わなかったのに、どうして消えてしまったのだろう。

 いつから──アイラを保護し、朔那を救ったあの辺から、アリアの深層の部分はすっかり変わってしまった。遥は兄妹のように前を歩く普段通りの三人を見、ようやく振り返る。そこには、あからさまに不機嫌そうな顔をした朔那がいた。


「朔那」


 声をかけるが朔那が近づいてくる気配はない。仕方なくアイラを止めて朔那を待つと、隣に並んだ朔那は舌打ちをして顔を逸らした。


「な、なぁアイラ」


 答えてくれないかもしれない。


「何?」


「おまえらって、《十八名家》って……おれたちみたいな庶民のこと、どう思ってるんだ?」


 それでも直接確かめてみたい。

 アイラは目を見開いて、少しだけ考え込むような仕草をした。それは一年前のアイラを知る限りでは考えられないような仕草で、彼女の人間としての成長を垣間見ることができる。


「守りたい、大切な人たち」


 そしてアイラが出した答えは、予想外の答えだった。


「守りたい?」


 朔那の視線がアイラに向けられたような気配を感じながら、遥はアイラに質問を重ねる。アイラはこくりと頷き、言葉を続けた。


「わたしたち《十八名家》の人間は、あなたたちを絶対守る。必ず、守る。だから、笑っていて欲しい」


「何言ってんだよ。おれたちだっておまえらのこと守りてぇって思ってるぞ」


「ありがとう。でも、きっと守れない」


「なんで決めつけんだよ」


 むっと、アイラ相手に腹を立てた遥を止めたのは朔那だった。朔那は腕を伸ばして遥を牽制し、アイラを見下ろしてこう尋ねる。


「《十八名家》の因習か」


 それは、聞き覚えのない単語だった。


「ッ!」


 驚いたように朔那を見るアイラは、やがて思い出したように表情を緩めてさっと俯く。その反応は、恐らく肯定だ。


「いんしゅーって、なんだよ」


 少なくともいい意味ではない。朔那の険しそうな表情とアイラの動揺を見れば、バカな遥にでもわかることだった。


「こいつら《十八名家》は、町と人の為に命を投げ打つんだと」


「え?」


 吐き捨てるように言った朔那の言葉は真実だったようで、アイラは一向に顔を上げようとしない。その情報を朔那はどこで手に入れたのかわからないが、朔那は苛立たしそうに舌打ちを数度繰り返した。


「《十八名家》の因習があるから、お前らは俺たちに何があっても何も教えないのか」


「…………」


「守る為にそうやって隠すのか」


「…………」


 固く口を閉ざすアイラは、一年前のアイラを見ているようで。心苦しくなった遥は朔那を咎め、彼女の頭を優しく撫でる。

 だが、アイラは最後まで顔を上げなかった。

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