第二話 降り注ぐ雨Ⅱ
「……いねぇな、どこにも」
「そのうちひょっこり帰ってくるだろ」
「はぁ? なんでおまえはそんなに楽観的なんだよ! 愁晴さんに何かあったらめっちゃヤバイだろ!? あの人戦闘要員じゃねーんだからさぁ!」
「何かあっても生き残るだろあの人は。いつだって、死にそうで死なねぇんだから」
遥はぐっと唇を噛み、今となっては男性陣の誰よりもひ弱そうに見える愁晴のニコニコ笑顔を思い出す。
背は高い方だが全体的にほっそりと痩せており、喧嘩慣れしてなさそうな綺麗な出で立ちは貧弱とも言い換えられる。
組でもないのに炎竜神炬の名の下に好き勝手ができる《グレン隊》は、身内以外の人間も受け入れる《風神組》や、組にさえ所属していないはぐれ者──そして学生の不良等、ありとあらゆる方面から忌み嫌われて年中喧嘩を売られている。
《グレン隊》は《紅炎組》の庇護下にあるからかすべてに置いて優遇されており、どうしても年々敵が増えていく。だから遥はこんなにも心配しているのだ。
奇襲でもされたら、愁晴はすぐに怪我をする。そんな確信が遥にはあるのだ。
「……それでも、何かあってからじゃ遅いだろ」
「…………」
去年、既のところで救えた朔那が今自分の隣にいる。そんな彼の加入経緯を遥は片時も忘れたことがない。
何かが起こる前に──アリアの幼馴染みである朔那が殺される前に彼を救えたことが遥にとっては何よりも誇らしいことだった。だから、遥はこれからもそうでありたかった。
「……そうだな」
朔那は頷き、辺りの住宅街を黙って見回す。愁晴が行きそうな場所は一通り周り、なんとなく足を伸ばした住宅街にも愁晴はいなかった。
唯一無視した《風神組》──相豆院家の縄張りそのものである歓楽街に愁晴が足を向けるとも思えず、遥はうぐぅと顔を歪める。
「まさか……山の中に……遺体として?!」
「縁起でもねぇこと言うんじゃねぇよ。一旦戻るぞ、黄昏時だ」
朔那に襟首を掴まれて無理矢理歩かされた遥は、鮮やかな茜色に染まる空を見上げて息を吐く。
愁晴が何故か忌み嫌う黄昏時の空は美しく、それでも黄昏時になると早く帰れと口煩く言う愁晴を信じてバスに乗る。一番後ろの座席を二人で陣取り、駅前へと向かうバスは穏やかに揺れて出発した。
「……なぁ朔那」
「ん?」
「もし、《ハリボテの家》にも愁晴さんがいなかったら……おまえならどうする?」
「どうもしねぇよ。いつか必ず帰ってくる。あの人がアイラや炬さん……それとあのバカを置いてどこかに行くなんてありえねぇだろ」
バスに揺られながら盗み見た朔那の横顔は、彫刻のように微動だにせずにそこにあった。手を伸ばせば届く距離にいるのに、その憂いを帯びた青い瞳を見て何故か距離を感じてしまう。
「だ、だよな! 愁晴さんがアリアを置いてどっかに行くなんて、ありえねーよな!」
「はぁ……。お前はさっきから何が心配なんだよ。信じろよ自分の仲間くらい」
「ぐっ……!? おまえの口からんなことを言われる日が来るなんて……!」
「仲間意識を持って欲しいのか欲しくないのかどっちなんだよ」
朔那に小突かれて遥は黙り、仲間だからこそ失いたくないこの気持ちを彼がまだ知らないだけだと思って腕と足を同時に組む。
一年前、アリアとアイラ──そして愁晴が暮らしていた養護施設を壊したあの日。大量に血を流した炬を失くしたくないと思い、爆破する建物からすんでのところで脱出したアリアとアイラ──そして愁晴を失くしたくないと思ったのはあの中で遥だけなのだろう。
遥は広がり続ける外の世界を見、駅前を視界に入れて朔那と共にその地に下り立つ。今朝方見たクレアとグロリアはどこにもおらず、遥は駅の裏側へと視線を移してホテルを見上げた。
「何してるんだ」
朔那が急かす。
「いや、今朝のあの人らは見つかったのかなって思ってさぁ」
遥が答えると、視界の端にいる朔那は呆れたようにため息をついた。
「どうでもいいだろ、他人のことなんて」
「いやでもさぁ……」
「早くしろよ。今は黄昏時だぞ」
視線を朔那に戻すと、朔那は険しそうな表情で遥を睨んでいた。その表情は黄昏時を語る時の愁晴の表情で、遥は肩を竦めながら朔那の下へと戻る。
「なんだよ。おまえも愁晴さんみたく黄昏時が怖いのかよ〜」
「そうじゃない。わかんないのかよ」
「わかんないって何が?」
「わかんないならいい。言っても無駄だからな」
朔那は早口で言いたいことを言い終え、《ハリボテの家》がある雑居ビル地区へと足を向ける。遥は彼の後を慌てて追いかけ、その言葉の意味をあまり深く考えずに黄昏時の時間帯を駆け抜けた。
愁晴と朔那、そしてアリアやアイラや炬まであまりいい顔をしない黄昏時に一体何があるのだろう。凡人の遥には、考えても何一つわからなかったのだ。
駆け抜ければ抜けるほどすぐに辿り着く《ハリボテの家》の扉を乱暴に開ける朔那に続いて中に入ると、炬とアリアがトランプをして遊んでいた。
いつもアリアと遊んでいるアイラは奥の簡易キッチンで夕食を作っているらしく、その傍らにいるのは──
「愁晴さん?!」
「んあ? おう、おかえり二人とも。もう黄昏時やぞ、今までどこにおってん」
──咎めるような表情をして簡易キッチンから姿を現す愁晴だった。
「それはこっちの台詞っすよ! バカ! めちゃくちゃ探したんすからね!」
「え? ほんま? そりゃすまんかったな、なんも言わんまま出てってしもうて」
「ほんとっすよ! 今までどこに行ってたんすか〜!」
ソファに座る愁晴は、一通り指示を出したのか一人で料理をするアイラの背中を黙って見やる。そんな愁晴の傍に座って前のめりになった遥は犬歯を剥き出しにして愁晴を責め立てた。
「野暮用や。それが思うとった以上に手間取ってなぁ」
「連絡くらいしてくださいよ! 帰って来ないなんてこっちは聞いてねぇんすから!」
「それはほんまにすまんかった。スマホが壊れてん」
「え〜、壊れたって何したの? 暴れちゃった?」
愁晴の返答は彼の発言にしては珍しく、今の今まで会話に加わって来なかったアリアまでもが身を乗り出す。が、愁晴は苦笑いをして頬を掻くばかりだった。そしていつも困った時にするように、言葉を軽く濁して誤魔化す。
やがてもうええやろとアリアの質問攻めを押さえつけ、愁晴は簡易キッチンの方へと逃げていった。が、その態度も背中を見せたその一瞬で見えてしまった彼の晴れないような表情も、彼が言う〝野暮用〟を遥の中で深刻化させていくだけだった。
「はーちゃん? どうしたの? 珍しく大人しいね」
「はぁ?! うるせー! おれはいつでも大人しいんだよ!」
「どこがだよバカ」
「さっくん、はーちゃんのお守りお疲れ様〜……ってかがりん! それズルだよ! ゲームのルールやっぱり覚えてないじゃん! バカッ!」
ポコすかと炬を殴るアリアをきっと睨みつけ、やがて彼女によく似たクレアの存在を思い出す。
思い出しては消え、思い出しては消え──……。クレアの存在は、そんな風に儚いものとして遥の中に深く残っていた。
「そういやアリア、今朝おまえによく似た人がいたのをおれと朔那も見たぞ」
「えっ?」
アリアは再び目を丸くし、口を半開きにさせて愁晴を見る。そして、簡易キッチンから自分を見つめる愁晴と視線を交差させ──戸惑い、怯え、混乱し、俯いた。
「名前はクレアって言ってた。グロリアっつー奴も一緒でさ、人探ししてるんだってよ」
「人探し?」
視線を向けると、上から睦見と如月がちょうど下りてきたところだった。
「あぁ。コーデリア・ダンカンとアラン・カートライトっつーんだって」
「えっ?」
そう言葉を漏らしてぐるんと振り向いたのは、意外なことにアイラだった。アイラも愁晴を見、アリアに視線を移して言葉を失くす。
「えっ? 何? お前らの知り合いなの?」
頭を掻く睦見は何気なく言ったように見えたが、重苦しい空気を出す三人の表情を視界に入れた途端に真顔になった。
「アイラ。夕食はあとどれくらいでできそうなんだ?」
「…………ぁ、えと、あと四十分」
すかさず尋ねた如月は頷き、睦見の腰に肘を入れる。
「へぇ〜。じゃ、夕食前に銭湯行くか」
「だな。お前たちも準備しろ」
無理矢理話題を変える二人は再び二階へと上がっていき、同じく空気に耐えられなかった遥と朔那も駆け上がる。
炬だけを残してしまったが、彼の神経の図太さは誰もが認めるほどに異常だ。遥と朔那は無言で目を合わせ、頷きあって息を吐く。
「知り合い、みてぇだな」
「まぁドッペルゲンガーだったもんな」
「お〜ま〜え〜、ドッペルゲンガーはバカなことつってなかったか?」
「んなことも言ってられないだろあんなの見たら」
朔那ははぁとため息をつき、錫色の髪を掻き毟った。混乱しているのはアリアだけではない。彼女の幼馴染みである朔那も混乱しているのだ。
遥はどう声をかけていいのかわからずにただひたすら頷いて、朔那の混乱を共有する。それだけしかできなかった。今すぐアリアの下に行って彼女の混乱も共有したいが、それはあの重苦しい空気が許さない。
遥は勝手に息苦しくなり、銭湯に行く準備をする為に四階へと向かう朔那の後を追う。遥の部屋は睦見と如月と同じ三階で、四階は朔那とアイラの部屋、そしてアリアの個室がある。
三階へと辿り着くと、睦見と如月に出くわした。彼らは一刻も早く《ハリボテの家》から逃げ出したいのか、早くしろと口パクで訴えて朔那が下りてくるのを待つ。
「と、冬馬ぁ〜……宗太ぁ〜……!」
「遥、人には地雷の一つや二つがあるもんなんだ。わかったらさっさと用意しろ」
「触らぬ神に祟りなしだからな」
二人は無情にもこの件に触れる気はないらしく、遥は幽霊のように上げていた両手を黙って下ろすことしかできなかった。そして、自分の無力さを呪った。




