第二話 降り注ぐ雨Ⅰ
卯之原と皐堂、そして残りの五名を恵に引き渡した直後に何故か出ていった愁晴は、翌日になっても帰ってこなかった。
遥は勿論、睦見や如月までもが心配そうな表情で朝食を口に運んでいる。それに一番無関心そうだったのが大将の炬で、たいして心配そうにしていないのが義妹のアリアでありアイラであり朔那だった。
「朔那!」
食べ終わったと同時に話しかけ、「何」と尋ねる朔那の腕を鷲掴む。
「行くぞ!」
「はぁ?」
困惑する朔那を連れ、遥は二人で《ハリボテの家》を後にした。
「なんだよ急に」
そう尋ねる朔那は面倒くさそうな表情で雑居ビル地区の大通りを歩いている。遥は朔那の腕を引きながら彼の前を歩き、時代と共に移り変わっていく雑居ビル地区を練り歩いた。
遥が幼い頃に賑わっていた雑居ビル地区は、少し前まで廃れさられていた。
立ち並ぶ古臭いビルのほとんどがテナントを募集しており、何もないが当時の娯楽の名残だけはあるこの地区はかつての不良たちのたまり場で。遥もそんな独特な雰囲気に魅せられてこの地区に入り浸っていた。
だが、今は違う。
炬がいて、《グレン隊》がいる。
二年前に結成された《グレン隊》は瞬く間にこの地区のボスとなり、炬が目を光らせることによって劇的に治安が良くなった。だが、今回のように外部から来た者のたまり場となってしまったのも事実であり──こうして《紅炎組》から依頼されて常日頃から治安の改善を図っている。
そして、アリアとアイラがメイド服を着始めた頃からこの地区は少しずつ変わっていった。
《十八名家》の一つである猫鷺家の嫡女──叶渚が二人を見てメイド喫茶を開業し、それを目当てにした客が雑居ビル地区に雪崩込んできたのだ。
モデルとなったアリアとアイラ見たさに来る者も勿論いたが、《グレン隊》の一員だと知るとメイド喫茶兼なんでも屋である《猫の家》へと消えていく。そうしてこの雑居ビル地区は猫鷺家のおかげでかつての賑わいを見せるようになっていた。
今ではテナントも着々と決まっており、遥は盛り上がり続ける雑居ビル地区を誇らしく思う。だが、遥が好きだった雑居ビル地区独特の雰囲気は徐々に消えていき、人探しにも不向きな場所になっていた。
「愁晴さんを探すんだ。……でも、この地区にはいねぇのかな」
「いたら絶対帰ってくるだろ。養護施設の方なんじゃねぇの?」
「でもあそことはもう縁切ってんだろ? 別の《十八名家》の人間が施設長をしてるって聞いたから、行かねぇと思うんだけどなぁ……」
「なら綿之瀬家の方なんじゃねぇの? 昨日、風って奴が来てからだろ。愁晴さんがどっか行ったのは」
「なるほど! 確かにそっちとは縁切ってねぇな!」
今でも交流を続けていると愁晴の口から聞いたのは、つい最近の出来事だ。
綿之瀬家は育ての親だと愁晴本人が言っており、アリアを預かっている身として定期的に報告を上げているらしい。
「そういや昨日アリアとアイラに外に出るなって言ってたけど、あれってどういう意味なんだろうな」
「さぁ? 俺たちが考えたところで《十八名家》の思考は読めねぇんだし、考えるだけ無駄だろ」
確かに朔那の言う通りだが、それはそれで寂しいような気がした。
極貧生活を送っていた自分と朔那。だからこそ《十八名家》である炬の金の使い方に何度も驚かされる。同じく金には困っていなかったという金持ち出身の睦見には自分たちの金銭感覚に驚かれ、そういう部分は相容れないのだと思い知る。そして、金銭感覚も違えば価値観もズレているのだった。
「ほんと、何考えてるんだろうな。《十八名家》って」
「考えてもわかんねぇつっただろーが。ほら、見えてきたぞ」
朔那が顎で差した先は駅前だった。
いつの間にか雑居ビル地区の端まで来ていたらしい。雑居ビル地区の賑わいと大差ない──昔と違って明確な境目がない区間を歩き、二人は駅前に辿り着いた。
「綿之瀬家の本家ってどこだ?」
「さぁ? 固まってたり、町中に散らばってたり──纏まりがないからな」
「研究所は端っこにあるよなぁ。ま、聞けばわかることか」
遥はスマホを取り出して電話帳を開き、一番後ろに登録されている綿之瀬有愛の名前に触れる。番号が表示されたところで顔を上げ、遥は画面に触れる前に息を止めた。
「は?」
「遥?」
不審げに声をかける朔那は気づいていないのか。遥は慌てて朔那の肩を叩き、前方にある噴水の方へと指を向ける。それを追う朔那の青目は一瞬だけ宙をさ迷い──一点に視線を止めて見開いた。
「あ、あれってアリアか……?」
「んなわけねぇだろバカ……!」
けど。そう言葉を漏らしたアリアの幼馴染みは視線を落とし、遥だけが〝彼女〟を見つめる。
──あれは、誰だ。
そう思うほどに、〝彼女〟はアリアにとてもよく似ていた。瓜二つと言っても過言ではなく、それでも顔立ちは〝彼女〟の方が若干大人びている。
「ど、ドッペルゲンガーだ!」
「バカなこと言うな。んなの有り得ねぇだろ」
「じゃあもう一回自分の目で見てみろよ! ほらっ!」
「幽霊だろ」
すっと遥からも視線を逸らす朔那は何も受け入れようとしていない。もどかしくなった遥は軽く足踏みをし、不意に既視感を覚えて足を止めた。
「えっ? あっ! そういや昨日冬馬がなんか言ってたよな!」
「そういえば……言ってたな」
遥は目を見開いて〝彼女〟を注視する。
〝彼女〟は隣にいる女性と言葉を交わしながら駅前を堂々と歩いていた。その顔立ちは何度見てもアリアにそっくりで、風に揺れる純粋な金髪や顔立ちは何度見ても日本人離れしている。
兎耳のように垂れる髪飾りや風に靡かせる白衣はどう見ても周囲から浮いており、すべてがこの世のものとは思えないほどに美しく整った出で立ちだった。
隣にいる女性は〝彼女〟よりも背が高く、色素が薄いのか銀髪に見えるふわふわの長髪を一つに纏めている。そして前髪から覗く顔は〝彼女〟と同じく日本人離れしており──〝彼女〟と同じく白衣を着用している美しい女性だった。
「な、なんなんだ?」
そんな目立つ二人の女性は遥や朔那以外からも視線を集めており、本人たちは気にする様子もなく周囲を眺めている。
それは、何かを探すような──。
「あっ」
目が合った。慌てて視線を逸らすが、向こうからの視線が痛いくらいに体に刺さる。朔那を見ると朔那は遥を睨んでおり、未だに鷲掴まれている腕を引っ張ってその場から離れた。
「うわっ、引っ張んなよ朔那!」
「お前がここまで俺を引っ張ったんだろ」
「おれはいいんだよおまえの先輩なんだから!」
「何も良くねぇよ」
はぁとため息をつく朔那は速度を上げ、例の二人組から距離を取ろうとする。だが──痛いくらいに刺さる視線はまったく逸らされず、それどころか近づいてくる気配さえして──
「ねぇ、ちょっといいですかナ?」
──〝彼女〟の方に肩を掴まれた。
「ひぃぃぃぃ?!」
「うわっ」
強引に朔那ごと引き戻され、遥は慌てて振り返る。予想以上に間近にいた〝彼女〟はさらに顔を近づけて──アリアと同じ蒼い瞳で遥を注視した。
「な、なななななんすか?!」
「クレア、この子怯えるね」
「だから聞いてるですヨ、グロリア」
クレアと呼ばれた女性はむぅと頬を膨らまし、そんな動作でさえアリアと重なって遥は一歩その身を引く。だが、クレアが遥を離すことは決してなかった。
「離せ」
明らかに不機嫌そうな声で朔那が抗議する。だが、クレアとグロリアは日本語が通じていないのかお互いに英語で会話を続けていた。
「さ、朔那通訳……!」
「聞き取れねぇよこんな流暢なのは」
「おまえ百点だったんだろ?! 頭いいんだろ?! 助けてくれよ〜!」
「俺だって困ってんだよバカ」
こちらもこちらで口論を繰り広げ、なんとも言えない時間が過ぎ去る。やがて話が終わったのかクレアの方が咳払いをし──遥の瞳をまっすぐに見つめた。
「──Cordelia DuncanとAllan Cartwightを知ってますカ?」
「えっ、何?!」
「コーデリア・ダンカンとアラン・カートライトだと」
「誰?! ふーあーゆー?!」
混乱している遥に助け舟を出した朔那はわざとらしくため息をつき、呆れたようにクレアの手を遥から引き剥がす。そして口を開いたが、その声はクレアの声によって掻き消された。
「ワタシの名前はClaire Duncanですネ。彼女はGloria Cartwightです」
「朔那通訳!」
「クレア・ダンカンとグロリア・カートライト」
「えっ、名字が一緒なんだな……?」
「だから探してるんだろ」
刹那、すとんと何かが腑に落ちた。そうか。クレアとグロリアは人探しをしているから駅前で辺りを見回していたのか。ちょうど、遥と朔那が愁晴を探しているように。
「あ、えっと……その、力になりてぇんだけど、コーデリア・ダンカンっつー奴とアラン・カートライトっつー奴はちょっとよく知らねぇんだ。ごめんな、ソーリー」
手を合わせて二人に謝る。ちらりとクレアを見ると、日本語が通じているのか少しだけ悲しそうな表情を見せていた。
「わかりましたヨ。ごめんなさいネ」
クレアは朔那が引き剥がした手を離し、同じく悲しそうに眉を下げるグロリアに弱々しい笑みを見せる。
そんなに──そんなに、コーデリアとアランという人間は二人にとって大切な人なのだろうか。
同じ名字ということは二人は多分二人の家族で。だとしたら、見つからないと不幸のままで。
遥は唇を引き、家族でないにしても大切な仲間である愁晴を探す自分と二人を重ねて見てしまう。
「見つかるといいっすね」
それでも、そう言うことしか遥にはできなかった。朔那は何も言わずに眉間に皺を寄せ、遥の肩を掴んで引っ張る。去っていくクレアとグロリアの背中は、きっと世界中の誰よりも小さかった。




