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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
燐のシェーナ
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第一話 忍び寄る影Ⅲ

 睦見冬馬むつみとうま如月宗太きさらぎそうたは、嘉志摩遥かしまはるか南雲朔那なぐもさくなの絶対的な〝憧れ〟である。


 それを決して本人たちの前では言わないし、お互いにそう語り合った日もないが──彼らは心の底からそう思っている。

 曇りのない眼で尊敬し、彼らのように強くなりたいと日々思っている。そうなる為の努力を欠かした日はないし、それ故に今のこの肉体がある。


 不意に、自分と朔那が初めて出逢ったあの日のことを思い出した。朔那の貧弱な体つきを思い出し、遥は一人で勝手に胸を痛める。

 境遇は違えど、遥と朔那がこの《グレン隊》に入隊した経緯はとても良く似ているのだ。


 ──強くなりたい。


 お互いにその一心で、当時の自分に強い不満を抱いていた。

 過去は否定しても決して消えない。遥は目を細め、砂塵が舞う雑居ビル地区を屋上から眺めていた。この地区は決して広くない。陽陰おういん町全体を見れば、錆びれてしまった過去の遺物そのものだ。


「余所見すんなよ」


「あ、悪ぃ」


 視線を戻す。睦見と如月は屋上から内部へと突入し、それを見届けた遥と朔那はすぐさま腰を浮かせて風のように走った。


「行くぞ!」


「あぁ」


 朔那を引き連れ、遥は屋上を後にする。

 全速力で階段を駆け下り、湿気を多分に含んだ空気が遥の頬をぬるりと撫でた。蒸し暑い。だが、汗水垂らしてでも走る価値はちゃんとある。


 自分の後を寸分違わずについてくる年下の朔那の息遣いに後押しされた。

 《グレン隊》が誇る奇襲部隊──睦見と如月の底知れぬ強さに信じられないほど惹きつけられた。


 遥は思い切り顔を上げ、待機していたビルから飛び出す。そして大きく息を吸い込み、隣に建つ例のビルへと突入した。


 正面からビルに入った遥と朔那は、元々何かの企業が入っていたのか埃っぽくあっても整えられた一階を突き進む。

 雑居ビル地区は元々、オフィス街ができる前に長年使われていた陽陰町の核となった地区だ。それが捨て去られ、今では町外出身のマフィアである弥上集やがみしゅうの根城となっている。


 それがどうしても許せなかった。


 ここは町内出身者の王国で、この地区は《グレン隊》の縄張りだ。見ず知らずの人間が簡単に荒らしていい場所ではない。ここは、町民全員の楽園同然なのだ。

 上から攻める睦見と如月の方が、目的地となる階には早く辿り着けるだろう。下から攻める遥と朔那の方が、後から辿り着くことになるはずだ。


 そうなるように愁晴しゅうせいがわざと仕向けたのだ。


「……ッ、朔那!」


「なんだよ!」


「おれが先に行く! 今回も後ろは頼んだぞ!」


「いちいち言われなくてもわかってる! 俺たちの〝形〟はっ、もうできあがってるだろう?!」


 瞬間、遥はさっと振り向いた。


 ──今、朔那はなんと言った?


 高揚する。と同時に全身で困惑する。


「なんでそんなバカみたいな顔するんだよバカ! つーかちゃんと前向けバカ!」


 振り向いた先にいた朔那は、何故か不満気な顔をして怒っていた。その表情が余計に遥を深く混乱させる。


「えっ、ちょっ……えっ?」


「だからっ、俺たちの〝形〟はとっくのとうにできている! これが俺たちの完成形で、完璧だ!」


 じいっと見つめていた朔那は噛みつくように叫んだ。


「完璧って?! どういう意味だよ、さく……」


「俺たちは〝コンビ〟だ! 違うか?!」


「……ッ?!」


 鷲掴みにされるような、衝撃。それが全身を駆け抜けた。


 まさか、朔那の口からそんな言葉が聞けるとは思わなかった。

 遥は口をぽかんと開け、階段の上でたたらを踏む。慌ててバランスを立て直したが、それでも衝撃は抜けないままだった。


 南雲朔那は、あまり人とは馴れ合わない人間だ。


 誰よりも一人を好み、幼馴染みであるアリアでさえ長時間会話を続けることができない。大将であるかがりとも、参謀長である愁晴とも、参謀補佐である睦見や如月とも幼いアイラとも。

 誰とも会話をするが難しい──そんな朔那が、今。


「……こん、び?」


 そう、言った。


「なんで驚いてんだよバカ!」


 朔那はまだ怒っていた。遥は息を止め、前を向いて走り続ける。誰かにそう言ってもらえる日が来るとは思わなかった。それが朔那だったとは、本当の本当に思いもしなかった。


「お前、俺のことはバカみたいに買いかぶるクセに自分のことになると全然ダメだな!」


「うっ、うるせぇ! さっきからバカバカ言うなよ! バカって言う方がバカなんだからなっ!」


 遥は叫んだが、心の底から怒ることはできなかった。


 ……怒る?

 いや、違う。


 朔那は怒り、同時に遥を叱っていた。だから遥は朔那を怒れなかったのだ。


 自分を肯定することは、遥にとって《グレン隊》に入隊することよりも難しい。生き方を変えることは、何よりも難しい。それはとっくのとうにわかりきったことである。生まれてきて良かった人間なのだと精一杯証明したいが、無意識が何度も何度も自分の志の邪魔をする。

 遥は強く唇を噛み、二階へと足を踏み入れた。目的地の階は、《紅炎こうえん組》の情報によると五階。八階まで続くこのビルの半分を過ぎた辺りにある。三階、そして四階まで来て、遥と朔那は静かに立ち止まった。壁際に背中をつけ、五階から聞こえてくる音に耳をすませる。


「すげぇな」


「……あぁ」


 風を切る音がする。睦見と如月が暴れている音と、そうではない何かの音。


「つーか、弥上集って単独でこの町に来てるのか?」


「この音は……複数だ。仲間の可能性は充分にあるだろうな」


「なんつーか……武器……刃物のような音もするよな」


「だな」


 視線を合わせ、頷き合う。

 優勢か劣勢かは不明だが、良くも悪くも戦況を変えるのは遥と朔那だ。この様子だと、駆け出してすぐにでも合流するべきだろう。


「とりあえず、炬さんに電話しとく」


「あぁ」


 スマホを取り出した遥はあらかじめ用意していた番号を鳴らし、炬が出るのを待つ。


「あっ、もしもし炬さん? おれと朔那は四階まで来ました。五階では冬馬と宗太が戦ってるみたいです」


『そうか』


「優勢か劣勢かどうかはわかんないっすけど、銃撃戦にはなってないみたいなんでおれたちもこれから突入しようと思います。いいすか?」


『あぁ、行け』


 ぶわりと、熱を吹き込まれたような感覚が遥の血流を何よりも良くした。

 遥は口角が緩みそうになるのを堪え、スマホをしまおうと指を動かす。刹那、いつもの如く愁晴の声がした。


『気ぃつけろよ、遥』


 愁晴は、いつもそう言って遥と朔那の心配をする。

 彼は他の組織にいた睦見と如月の心配はしないが、遥と朔那の心配だけは人一倍にしてしまうのだ。かつては戦場に出ないアリアとアイラの心配ばかりしていたというのに、今では睦見と如月並の仕事量をこなすようになった遥と朔那のことばかり。


 それが良い変化なのか悪い変化なのか。

 経験不足の遥にはまだよくわからない。


「わかってるっすよ、愁晴さん」


 だからこうして、今にも駆け出しそうになる気持ちを抑えて慎重に状況を確認しているのだ。


 危なくはないか。ちゃんと戦えるか。睦見と如月の邪魔にはならないか。遥と朔那が入って確実に勝てるという確信が持てるのか。

 細かい部分を細部まで確認した上で炬から──正確には愁晴からの了解を得なければ遥と朔那は戦闘には参加できない。二人はまだ、どれほど成長したとしても愁晴に甘やかされているのだ。


『はーちゃん、さっくん、無理しないでね』


 それは、アリアには言われたくない台詞だった。


『頑張って。……でも、絶対にケガだけはしないで』


 そして、アイラにも言われたくない台詞だった。


「だからわかってるって。おまえらの出番はぜってーねぇからな!」


 通話を切った遥は、乱暴にスマホを内ポケットにしまう。


「なぁ朔那」


「んだよ」


「さっさと行こう。冬馬と宗太にエモノを取られるからな」


「そうだな。……それで、あいつらに思い知らせてやろう」


 真面目そうな顔をしていた。だが、くくっと互いに喉を鳴らす。


 大将の炬のような超人的な力も、愁晴のようなしたたかさも、睦見のようなずる賢さも、如月のような器用さも、アリアのような大胆さも、アイラのような優しさも。遥と朔那は持ち合わせていない。


「狩るぞ。──〝俺たち〟で」


「おう。〝おれたち〟でな」


 だが、二人一緒ならば六人よりも強くなれる。そんな確信が胸の中で雄叫びを上げている。

 遥と朔那は拳をクロスさせ、壁際から背中を離した。そして残りの階段を全速力で駆け上り、重厚な扉を二人で蹴破る。重々しい音を上げて倒れた扉の先に、睦見と如月はいた。


「遅かったな、遥」


「早く来い、朔那」


 まだ相手にしているというのに、飄々とした声色だった。遥は表情を綻ばせ、朔那と共に一歩を踏み出す。


 まだ戦いは終わっていない。

 終わらせるつもりもない。


「どけぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」


「邪魔だぁっ!」


 嘉志摩遥と南雲朔那。二人が手を合わせれば何者にでもなれると証明するその時まで、奴らに倒れられたら困るのだ。その一心だった。

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