第一話 忍び寄る影Ⅱ
「遥、朔那」
しばらくして一階に下りてきた如月は、片手に地図を持っていた。
遥と朔那は腰を上げ、彼がテーブルの上に広げた地図を見下ろす。
「いくつか経路を出しておいた。お前らはいつもの如く正面からの突撃を頼む」
「おう! 奇襲は冬馬と宗太が?」
「あぁ。炬さんと愁晴さんは事後処理を、アリアとアイラは後方支援だそうだ」
「はぁ〜い」
気の抜けた返事をし、メイド服姿のアリアとアイラは食器を簡易キッチンの方へと運んでいく。遥はその背中を見送り、《グレン隊》に入隊してから度々思っていた疑問を思い浮かべた。
彼女たちが戦闘に加わることは絶対にないが、炬と愁晴の希望で毎度毎度戦場に駆り出されている。特に何をするわけでもなく、ただ後ろで見守るだけだ。
戦場にいる意味なんて特にないのに、それが遥には不思議でならなかった。
「余所見をするな、遥」
「うへっ」
如月に叩かれ、遥は地図を注視する。雑居ビル地区を拡大したその地図には小道が多く、まるで規模が大きな迷路のようだ。
駅前に近い場所にこの《ハリボテの家》はあり、奥に行けば行くほど地区は広がっている。そして、地区の最奥にはどこまでも広がる巨大な森があり──そこがこの陽陰町の境界線だった。
「エモノはこの地区にいるのか? 相手の情報は?」
「弥上集。十九歳。町外出身で、外国のマフィアに所属する武器商人だ」
「武器商人? って、ゲームや漫画とかの設定とか通り名とか?」
「いいや、本業だ」
「はぁっ?! マジで?!」
遥はびくんと顔を上げ、如月の真顔をマジマジと見つめる。
ゲームや漫画の中の世界。そんな現実離れしたものだと思っていた。
だが、マフィアも。武器商人も。現実の世界にはちゃんといる。
「なんでそんな奴が日本の辺境にいるんだよ」
「わからない。が、訪れていてもおかしくはないな」
「こっちはその理由を聞いてるんだけど?」
朔那の疑問ももっともだ。
遥も如月を見、彼の見解を待つ。
「冬馬も言っていたが、この町には他のどの地にもない〝何か〟があるんだ」
そう口にした如月は、本気でそう言っていた。
「如月らしくないな。もっとはっきり言えよ」
朔那が急かすが、如月は困ったように視線を逸らす。
「言えたら言えているさ。上手く言葉にできない……何か……そうだな、現実の世界であって現実の世界じゃない、人が感知できない何かを秘めている町。とでも言おうか」
「なんだよそれ。まったくわかんねぇぞ」
遥は唇を尖らせたが──
「気を悪くしたら謝るが、町内出身者には死んでもわからないだろうな」
──如月のその言葉で引っ込んだ。
町内出身者にはわからない、この町の何か。遥にとっての〝大切〟がすべて詰め込まれているのは、後にも先にもこの陽陰町だけだ。
陽陰町で生まれて、陽陰町で死ぬ。憧れた炬がいて、尊敬する愁晴がいて、大切な仲間がいる。守るべき《グレン隊》が在るこの地だけがすべてで、だけどこの地の〝特別な何か〟はきっと一生感じない。
「なんだそれ。ずりぃ」
「そうか? 俺としてはこの地で生まれたお前らの方が羨ましいけどな」
「そういう物か?」
何故か朔那が縋るように問うた。
「あぁ。炬さんや遥、朔那やアイラには……辛いことかもしれないけどな」
遥は顎を引いた。
生まれた家がどうであれ、遥はこの町で生まれて幸せだったと叫ぶことがちゃんとできる。
それを如月に決めつけられたくはなかったが、そう思われるような家庭環境だったのも間違いなかった。
「でもそーちゃん。仮にその〝何か〟この町にあったとして、それがマフィアや武器商人とどう繋がるの?」
同じくあまりいい家庭環境とは言えなかったであろうアリアが、特に疑問には思っていないような表情で尋ねる。
「冬馬が言っていたんだが、町外の犯罪組織にはこの町の都市伝説が広まっているらしいんだ」
「都市伝説?」
地図を黙って覗いていたアイラは首を傾げた。
遥はごくりと喉を鳴らし、特に疑問に思っていなかった陽陰町の閉鎖的な実体をなんとなく実感する。
「〝超人的な力〟、だ」
「はぁ?」
だが、それは遥の虚を突くものだった。
「どういう都市伝説だよ」
朔那も呆れている。だが、アリアとアイラはそうではなかった。
「炎竜神家には、紅蓮の炎を操る力が。骸路成家には、骸を操る力が。綿之瀬家には、黒々とした物体を操る力が隠されているらしい。その術を奴らは欲しているのかもな」
「へぇ〜。んなわけのわからんことを信じるヤツらがいるんだなぁ」
「馬鹿馬鹿しい」
遥と朔那は同時にため息をつき、思い出したかのように如月が作り出した経路に意識を向けた。
「……話が逸れたな。その色ペンでなぞった部分が今回の経路だ。好きな場所を選んで行ってくれ」
「遥、全部覚えろ」
「えっ、おれが?!」
「予期せぬ事態が起こった際の判断力はお前の方が上だからな」
目を見開いた。
今、朔那はなんと言った?
「うわぁ、珍しい。さっくんが他人を褒めるなんて」
そう。それだ。
あの朔那が誰かを認める。それはすごく──すごく珍しいことだ。
「おまえが……おれを褒めた? マジで?!」
「この一年一緒にいてよくわかった、俺からのお前の評価だ」
別に照れてはいなかった。淡々と事実を述べているようだ。
そこが可愛くないと思いつつ、半月も経たずに《グレン隊》の戦力となった優秀な後輩──朔那に認められてむず痒くなったのは遥の方だった。
「へっ、へぇ〜。そっか、わかった!」
それが顔に出ないように答えつつ、顔は自然と綻んでいく。
「はぁ……。お前、自己評価低すぎだぞ」
「えっ?」
朔那は「なんでもない」と眉間に皺を寄せたが、地獄耳の遥にはきちんと聞こえていた。
「……そっか」
おれ、もうちょっと──もうちょっとだけ、自分のことを認めてもいいのかな。要らない人間なんかじゃないよな。ちゃんと役に立ててるよな。生まれてきて良かったんだよな。
そう思いながら深呼吸を繰り返す。
それを今日も、証明していく為に。
「お前ら準備はできたか〜?」
「できてるよ〜」
地図に意識を向けたまま、遥は愁晴と睦見、そして炬が下りてきたことを気配で確認する。
「後は遥だけです」
「おっ、覚えた! だからもう行って大丈夫っす!」
遥はほとんど同じ身長となった朔那の肩を組み、立派に胸を張って炬を見上げる。
面倒くさそうな表情の炬はただただ顎を引き、「行ってこい」と命令を下した。
「はいはい」
「行ってきます」
彼の声に答えた睦見と如月が《ハリボテの家》の裏口から出ていく。そして、遥と朔那が二人の後を追った。
『ねぇ、かがりん』
『なんだ』
『弥上集って人も、とーくんみたいに〝確信〟してるのかな?』
『だろうな』
『だったら……』
だったら?
遥は振り向いたが、もうアリアの声は聞こえなかった。
「余所見すんなよ」
「あ、悪ぃ」
「何か気がかりでもあんのか?」
「……いや、気がかりっつーか……」
遥は首を傾げ、前を走る睦見の後ろ姿を眺める。
「そういえば昔、冬馬がいた組織が炬さんたちに壊滅させられたなぁって……」
「は? 何あいつ、元は他所の組の奴だったのか?」
「いや、それを言ったら宗太もなんだけど……」
なんだ。何がこんなに引っかかるんだ。
「……冬馬も、都市伝説が目当てでこの町に来たのか?」
「はぁ? あいつがそんな馬鹿なもん信じるわけないだろ」
「うー……ん」
だが、如月は町外の犯罪組織に広まっていると言っていた。それを教えたのは睦見だ。睦見が知らないわけがない。そして、何よりも当時を知っているアリアの口から〝確信〟という言葉が出た。
「信じてたから、この町に来た」
だとしたら、弥上もそれを信じている。町内で生まれた自分たちだけが知らない〝何か〟が、この町に渦巻いている。
「…………見失うなよ」
「えっ?」
いつの間にか俯いていた顔を上げ、遥は正面を見る。
「あっ、やべっ!」
このままでは睦見と如月を見失ってしまう。そんな距離まで離されていた。
「急ぐぞ朔那!」
「そうじゃねぇよタコ」
耳を引っ張られ、遥はその場でたたらを踏む。
「うっぎゃあ! 何?! どうした?!」
「そっちは俺たちの経路じゃねぇ」
あ。
睦見と如月の小さくなっていく背中を見送る。朔那に指摘されなければ、如月が考案した経路を無駄にするところだった。
「俺たちはこっちだろ」
「悪ぃ」
「別に」
「…………」
やはり自分は、朔那に評価されるような人間ではないのかもしれない。
そんな器ではない。十八になるからと言って、そう簡単には大人の仲間入りをさせてもらえない。
「見失うなつったろ」
「ぐへっ! おまっ、そんな何度も何度も叩くなよ!」
「ちゃんと『痛い』って言えよ」
困惑する遥に追い打ちをかけるように、朔那はそう言った。
「自分を見失ってんじゃねぇよ」
「…………別に、叩かれんのは慣れてるし…………」
痛いのも慣れている。遥は喉の奥をきゅっと締め、こくりと頷いた。
「何泣いてんだよ」
「目にゴミ入っただけだ!」
「あっそ。早く行くぞ、睦見と如月の奇襲を見逃す」
「おう」
もう一度頷く。
この町に何があるのか。遥と朔那は呆れたが、それを信じている者がいる。感じている者もいる。
いつかそれを知れる日が来るのだろうか。
「なぁ朔那」
「ん?」
「ありがとな」
「別に」
短い会話。だが、いつも通りで何も変わらない。
遥と朔那は廃墟の階段を駆け上がり、その屋上へと辿り着く。そこからはこれから《グレン隊》が襲撃する予定のビルが一望できた。
「いた」
反対側のビルの屋上には睦見と如月が待機している。目が合った。頷き合う。すべて予定通りだ。
『行け』
スマホから炬の命令が再び飛び、睦見と如月は目標であるビルの屋上へと飛び移った。雑居ビル地区のビルの間隔は短くて、鍛えている大人ならば誰だって飛び移れる。
遥と朔那は、そんな二人の動きを羨望の眼差しで見ていた。いつかあんな風になれるようにと観察していた。




