第四話 ロストワールドⅤ
「アイラ……」
アリアは言葉を漏らし、何かを言いたげに口を開閉する。
泣きそうで泣かない。泣きたいのに泣かない。それが今のアリアだ。
「……ありがとう。おじちゃんのこと、教えてくれて」
そして、そう言ってへらりと笑った。
喉が焼けるように熱い。同じくらい目頭が痛い。きっと、今のアリアもそうなのだろう。
アイラは頷き、彼女の手を取って共に歩ける未来を心の中で描いた。
「探したよ、君たち」
気配のない声に肝が冷える。振り返ると、少女がそこに立っていた。
見覚えのある白衣とショッキングピンク色の凍てつくような瞳が、彼女の出自を暗に示している。
「風」
「愁晴、喉が渇いた。僕に水を買ってこい」
風と呼ばれた少女は腕を組み、肩にかけていた鞄を揺らした。
愁晴は何故か息を呑み、逡巡した後に墓地から姿を消す。愁晴を従わせた風は凍るような息を吐き、ゆったりとアイラとアリアの元へと歩いた。
「誰?」
アリアが尋ねる。
「綿之瀬家の才子、綿之瀬風。現頭首の一人娘で、次期頭首──要するに君の従姉だよ」
風は弧を描くように笑い、アリアとアイラの前で胡座をかいた。
「何しに来たの?」
怖々と風を見るが、風はそれを尋ねたアイラには目もくれずにアリアをただまっすぐに見つめる。
「アリア。僕から君に頼みがあってね」
そして、真顔でそう告げた。
「ちゃんと説明して。何言ってるのかわからないよ」
質問攻めに嫌気が差したのだろう。淡々と全貌の説明を求めるアリアも真顔だ。
「言葉よりもわかりやすい物がある。これは、母様から預かった物だよ」
肩にかけていた鞄を下ろし、風は中から菓子折りの箱を取り出した。高級そうな箱の中にしまわれていたのは当然菓子ではなく、煤けた何かの残骸が隅にまで広がっている。
「何かわかるか?」
黒く焦げ、端が破れたそれは紙の束のようだった。まとまりのないそれが菓子折りの中に詰め込まれており、その時に崩れたのか原型さえ留めていない物もある。
「施設から持ってきたの?」
アリアの声が一段と低くなった。
アイラは身構え、紙に書いてある内容を読み取ろうと注視する。が、修復不可能なそれの内容など手がかりもなければ読み取ることは不可能だった。
「正解だ。執務室から出てきた物を《カラス隊》が母様経由で僕に渡してきてね。これ以上の言葉を君はまだ欲するか?」
「ううん。充分だよ」
首を横に振り、アリアは箱の淵に手を触れる。
「これ、どうするの?」
が、すぐさま手を止めて体を強ばらせた。
「内容次第では愁晴に手渡すことも検討している」
本当にそうなのだろうか。
何故か風の言うことは信用できない。
「違ったら、誰かが奪っちゃうの?」
「機密事項であれば本家が燃やそう。《カラス隊》や他の《十八名家》の目には決して触れさせはしないさ」
ぞくりと悪寒が走った。
風は、本家は、隠蔽を図っている。
そんな人間の言うことなんて信じるということが難しい。このままでは、人工半妖は悪のままだ。
「貴方たち本家は本当に意地悪だね」
アリアは薄ら笑いを浮かべて呆れた。
「汚名はすべて本家が被った」
風はそれで充分だろうとでも言いたげにアリアを見下ろす。
「当たり前でしょ。共犯だったんだから」
刹那、どこかアンニュイな表情にも見えた風の眉がピクリと上がった。
「私、覚えてるよ。施設に来る前におばちゃんの家で過ごしたこと。おばちゃんと一緒に施設に来たこと。おばちゃんがすべてを知ってたことも私は知ってる」
風は何も言わなかった。
無言は肯定。アリアの言うことは嘘じゃない。
「だったら、どうするんだ?」
ようやく言葉にできた思いでさえ肯定だった。
「どうもしない。家族だから」
「君は養女だ。家族面するな」
「違うよ。私たちは、本当に家族なんだって。おばあちゃんがそう言ってた」
「おばあ様が?」
アリアはこくりと頷いた。
アイラはわけがわからずにアリアを見上げていたが、アリアの眼中にアイラはいない。
「私のおじいちゃんは、陽陰町っていう国の強い力を持った一族の人間なの。でも、本家じゃない。本家は今のおばあちゃん」
「つまり、君は大叔父様の孫娘だとでも言うのか?」
「私のおじいちゃんは綿之瀬イト。あそこで眠っているのはおじいちゃんの息子夫婦で私の両親」
アイラは視線を向け、空っぽの墓石をまじまじと見つめた。
ここは《十八名家》の分家の墓が多く存在する墓地だが──まさか、あの墓も《十八名家》の分家の墓だったなんて。
「だから、おばあちゃんは私を引き取りたかったって言ってた。私とふうふうは従姉妹じゃなくてはとこだよ」
「なるほど、な」
風はため息をつき、俯く。
「従姉が死んで、綿之瀬家の次世代を担う人間は僕だけだと思っていたが……君が、いてくれるんだな」
「いるよ、ここに。綿之瀬家の一員になって、半妖の力が発現して、殺されることになったとしても、イギリスには帰らないってもう決めた。ふうふうの為に大人になるように頑張るし、ママとの約束もできる限り破ってみせる」
アリアの言っていることの半分も理解できなかった。
でも、アリアはもう迷っていない。振り切って、ようやく前を向いている。
「──だから、家族って認めてください」
箱に手を添えたまま、アリアは間近にいる風を見上げてそう言った。
真剣な顔だった。泣くことも、笑うこともない。ひたむきな思いがそこにある。
「認めるも何も、事実だろう」
風は視線を落とし、箱の中の紙を瞳に映した。
アリアの容姿に綿之瀬家の特徴は一切反映されておらず、二人が家族だということは一目でわかるものではない。
アリアは何も答えなかった。返事の代わりに黄金色の光を手に灯し、中の紙を復元していく。
復元されたのは、見立て通り紙の束だった。
「これは?」
アイラも覗くが、そもそも小学校にさえ通っていないアイラだ。文字なんて読めるわけがない。
「君たちの資料のようだね」
「あぁ、おじちゃんが言ってた……」
そこでアリアは言葉を切った。
焦ったように紙の束を奪い取り、頁を勢いよく捲っていく。
「ッ!」
手を止めた。何事だろうと思って頁を見つめるが、やはり読めない。数年前に撮られたと思われるアリアの顔写真しか読み取れない。
「──コーデリア、ダンカン?」
刹那、アリアの金髪が逆立った。
「あ、あっ……! あぁっ!」
全身を抱き寄せ、地面に落とされた紙面が空を見上げる。
『コーデリア君。コーデリアという名前は外国名だね?』
春風が吹いて、はらりと頁が捲られる。
アイラはその次の頁も視認して──しかしやはり読み取れなかった。
《〝クローン人間〟制作記録
綿之瀬家
・一九九四年 二月十一日 朝霧愁晴
・一九九五年 八月十九日 阿狐頼
・二〇〇七年 十二月二十一日 三善花
ダンカン家
・二〇〇一年 二月十一日 コーデリア・ダンカン
・二〇〇一年 二月十一日 ティアナ・シルヴェスター
・二〇〇六年 四月二十二日 ステラ・カートライト》
何が書いてあるのかわからなかった。
『今朝方届いた書類を見させてもらったよ。君はイギリス人の血を引くクォーターの〝クローン人間〟なんだね。日本人の血は祖父からのものだから、外国名なのは理解できるよ。けれど、日本では馴染みのない名前だから少し気になっていたんだ』
それでも、アリアにはわかると言うのか。
「思い……出した……」
張り裂けるような声がした。
アリアが泣きながら出した声だった。
「私の本当の名前は、コーデリア・ダンカンで……」
泣きじゃくる声が止まらない。
「パパとママは、本当のパパとママじゃなくて……」
信じたくないと、顔に刻み込まれた皺の数が訴える。
「……しゅーくんとおんなじで、だけど私はしゅーくんとは違って……」
『でも、貴方は兵器として私たちが生み出したものだから。いつか、もしかしたら、力が発現するかもしれない。そうしたらあの国に行って、王族の一員になるかもしれない』
『アリア君、言い過ぎたことは謝るよ。けれど真実だ。君は兵器になる為に生まれてきた。道具として扱われる為だけに生まれてきたんだ』
その先の言葉を出すことが、アリアにとってどれほど難しいことなのだろう。
「──私はただの、兵器だった」
五道はそれを、ずっと知っていた。
どうして生まれたのだろう。
兵器として使う為に。
どうして陽陰町に来たのだろう。
綿之瀬家との共同研究があったから。
どうして昔の記憶がないのだろう。
炎がすべてを燃やしてしまったから。
無理矢理望まない力を持たされた?
違う。元からそうなる運命だったのだ。
傍にいる人を守りたい。その為に誰よりも強くなりたい。今でも一番強い炬の下へと転がり込んで、この自分の力を必要としてくれる誰かのことを助けたい。
「どうして私忘れてたの……?! こんな大事なこと、どうして忘れて……どうしてそれで平気だったの?! こんなの、忘れちゃダメなことなのに!」
「落ち着くんだ、アリア」
「私はふうふうの家族じゃなかった! 思い出したよ全部! 私はふうふうの、本当のはとこのクローンだ! あそこにいるのは私のオリジナル体の両親! 私には両親なんていない! いるのはイギリスにいるオリジナル体だけ!」
「それでも家族だろう。血は、DNAは、ちゃんと繋がっている」
理解に追いつかないアイラの代わりに、淡々と言葉を述べたのは風だった。淡々と、淡々と。そこだけは濃い血の繋がりを感じる。
「君は人間だ。凡人とは生まれ方が違うだけの人間だ」
風は嘘をつかない。
「誇りを持て。悲観は不要だ。僕は綿之瀬家と我らの分家──ダンカン家との間にできた研究の成果を誇りに思うよ」
「……してない」
でも、それが残酷だ。
「研究の成果って言い方は、人間扱いしてない証拠」
アイラは声を震わせた。
「フウがいなくても、アリアには《グレン隊》がいる」
そして、もう一度だけ描く。
彼女の手を取って共に歩ける未来を──。




