第四話 ロストワールドⅡ
バスに揺られながら立ち寄った住宅街で、朔那の実家にいた彼の母親からも許可を貰い。たった一人で満足した愁晴と共に、アイラと朔那は新たなる家──《ハリボテの家》へと帰宅した。
「ただいま〜」
緩い感じでそう言う愁晴を真似ることは、今までそんなことさえする機会のなかった二人には難しく。
「おう、おかえり」
「おかえりなさい」
睦見と如月の緩い返しにも、二人にはほとんど馴染みのないものだった。
「アイラ、朔那。ただいまは?」
振り返って、出入り口付近に立っていた二人を諭す。そんな愁晴は誰よりもニコニコと笑っていた。
アイラと朔那はうっと言葉を詰まらせて、しばらく視線をさ迷わせる。やがて二人で顔を見合わせて、困惑した。
「別に強制しなくてもいいんじゃないすか? 二人とも慣れてないみたいだし」
「す、するっ!」
どうしていいかわからなくても、アイラにとってそれをすることに意味はある。
それをすることで、ようやく初めて──生まれて初めて、〝何か〟になれるような気がした。
「チッ。うるせぇ遥」
「なっ?! な、なんなんだよおまえっ! 人がせっかく心配してやってんのにっ! ちょっとはアイラを見習えバぁ〜カっ!」
突っかかってきた遥を軽くあしらい、朔那は再びアイラを見下ろす。それは問うような視線で、朔那の境遇を知っているアイラはその視線の意味をなんとなく理解した。
「……た、だいま」
彼の青い瞳を見て言う。朔那はぎょっと目を見開き、戸惑い気味に目を逸らそうとして──やめた。
ここで逸らしたら、次への一歩を踏み出すことが難しくなる。それは、すごく苦しいことだ。ずっと引きずってしまうから、とてもしんどいことだ。
「……ただいま」
それは、ただの言葉だった。
機械が生んだ音の記号のようだった。
心ないそれが、アイラと朔那が過ごしていた〝家〟の長年の習慣の結果だった。
「ん。よく言えたな」
ぎこちなかったのに、ふわりと笑う愁晴はそれを認めていた。完璧を強制しない。それでも、礼儀はきちんと教え込む。
それが、朝霧愁晴が目指している〝家〟だった。
アイラはきゅっと喉を締め、それができなかったあの養護施設を思う。
あの後──《カラス隊》が来た後、アリアは施設を直すことができなかった。輝司が来なければ、アリアは躊躇うことなく直していただろう。
例え、それを朔那が見ていたとしても。
だが、アリアは冷静だった。
大人しく引き下がり、炬の為に駆けつけた救急車に乗って逃げた。施設はそれ以来放置されており、《カラス隊》が片時も離れずに解体を進めている。
あの場所には、もう誰も帰れなかった。
「あ、さっくん。アイラ」
アイラははっと顔を上げ、階段から下りてきたばかりのアリアを見つめる。
酷い顔だった。むくんでいて、綺麗な蒼い瞳は充血していて、それをわかっていたのかアリアは前髪で顔を隠した。
「……おかえりなさいっ。新しく作ってる四階ね、まだまだ時間がかかるの。でも、かがりんがちゃんと作ってるからねっ」
声を無理矢理弾けさせて、ふらりと裏口から出て行ってしまう。
アイラは唇を噛み締めて、呆然と彼女を見送っていた朔那の手を掴んだ。
「ッ……な、なんだよ」
ぎゅうっと握り締める。
「何か言えよ」
「ただいま……」
そして、もう一度言葉を絞り出す。
「はぁ? それがなんだよ、さっきも言っただろ」
呆れたように朔那は言った。その気持ちはわかっていた。
「……って、アリアに言ってあげて」
だからアイラは言葉を返す。体を強ばらせた朔那に伝わるまでちゃんと言う。
壊れたものはもう取り返せない。
五道も、小町も、エビスも、桐也も、亜子も。施設に預けられた子供たちの両親も、骸路成家の一族も、その前に亡くなった翔子とアランも、さらに前に亡くなった乾の両親やアリアの両親だって。
どんなにこの町の土地神が偉くても、もう二度と取り返せないものが散ってしまったたった一つしかない誰かの生命なのだ。
他者を救うことができる間宮結希も、治すことができる綿之瀬有愛も、悲劇を回避する未来を視る綿之瀬乾のことだってすごく羨ましい。
骸路成愛来の力は、他者の生命を奪う力でしかないのだ。
だからアイラは、せめて何かを成し遂げたかった。自分ができることはちっぽけなものだが、朔那とアリアを繋ぐことはできる。
「アリアは、サクナのことが好き」
絶対に大好き。
『さっくんは私の大切な友達だから、許せなかった。ヌイといららんがいなくなって、私とさっくんだけになって……。私は、かがりんだけじゃなくてさっくんも守りたかったの』
アイラはそう確信している。
朔那しかいないこともわかっている。
炬じゃない。愁晴でもない。睦見や如月ももちろん違う。遥はどうかまだわからないけれど
「アリアの〝トモダチ〟は、サクナだけだから」
乾のようにアリアの理解者になれるのは、今のところ朔那しかいないのだ。
「だから、傍にいてあげて」
同じ《グレン隊》として。
唯一傍にいるトモダチとして。
アイラにできることは、朔那にそう言うことだけだった。
乾はアイラが心配するほど弱くない。間宮結希の傍には行けない。
後は、これから先この場所で自分に何ができるのかを探すことだけだった。
「……うるせぇよ」
朔那は刺々しく言い放ち、アイラの手を振り払う。そして、朔那もまた裏口から出て行った。
「なんなんだよあいつ〜! すっげームカつく!」
「はいはい、うるさいよ遥」
「あいつに何を言っても無駄だ。遥が先に大人になれ」
ソファに座ったアイラは、地団駄を踏んで表情を弾けさせる遥を眺める。
「そっか! おれの方が年上だし、おれが大人の対応をすればいいのか!」
「はい正解〜。ちょろいねぇ遥は」
「ま、それ以外の方法はどこにもないしな」
睦見と如月に弄られていることにさえ気づいていない遥は、ガッツポーズをしてその場に立ち止まる。が、愁晴に肩を押されてよろめいた。
「茶番はそこまでな。お前ら、アイラと朔那の入隊が正式に決まってん。せやから歓迎会するで」
「正式て。お前が勝手に許可貰いに行ったんだろ〜?」
「朔那は昨日の時点で大体見極めましたし、俺はその時から特に異論はないですよ」
「昨日はすごかったよな〜。朔那がいた組織とあの養護施設を立て続けにぶっ壊してさ……おれ、なんかすっげー疲れた気がする」
三人の反応はそれぞれで、アイラはじっと睦見と如月を観察する。
《グレン隊》の大将は炬で、《グレン隊》の手綱を握っているのは愁晴だ。そんな二人がいない時、頼りにするのは必然的に睦見と如月で。誰でも受け入れてしまう炬と愁晴の代わりに、この二人からの信用を勝ち得ないと《グレン隊》に居場所はなかった。
二人は自分のことをどう思っているのだろう。
人工半妖だということを知らない二人は、アイラのことをなんの力も持たない──警戒する価値さえない人間だと思っているのだろうか。
二人の真意がどうしても気になってしまって仕方がなかった。
「あんなぁ、二人は未成年やぞ? 親御さんの許可取んのは当たり前や」
呆れたように言う愁晴に、ピクリと如月が反応する。
「俺の時は許可取ってないじゃないですか」
「お前の保護者とか誰やねん。そないなこと言うなら今すぐ親御さん連れてこいや」
「冗談ですよ。俺の出身地はここから遠く離れた東京ですし、生きてるのかも知りませんし」
如月は肩を竦めて少しだけ笑い、ソファから立ち上がって伸びをした。
「え、お前の出身地って東京なの?」
「そういう冬馬はどこなんだ? 町外出身者で出身地が不明なのはお前だけだぞ」
「俺? 俺は神戸だけど?」
「兵庫って言えや。ちゅーか近いんやな、俺んとこと。もっと方言出しなや」
「嫌に決まってんだろかっこ悪い」
「何〜?! 今地元んとこバカにしたな?! しよったな?!」
いつの間にか話が脱線している。
アイラはおろおろと両手を上げ、睦見を揺さぶる愁晴の子供のような態度に戸惑った。が、誰も二人を止めようとしない。それどころか、なんでもない日常の一コマのような態度で如月と遥は上の階に行ってしまう。
「ケンカはダメ……!」
だから、アイラ自身が愁晴の服の裾を引っ張って止めた。愁晴は睦見の肩を離し、睦見と共にぽかんとアイラを見下ろす。そして、何故か二人しておかしそうに笑った。
「ごめんなアイラ、喧嘩しとったわけやないんや」
「アイラちゃん可愛い〜」
「いてこますぞ」
「なんでだよ。この子はもう〝うち〟の子だろ」
腹を抱えて笑った睦見は膝を折り、アイラと同じ目線になって今度は微笑む。その菫色の瞳はムシトリスミレのようで、アイラはどこまでも惹きつけられた。
「俺らがちゃんと面倒見るからさ、アイラちゃんも俺らのことよろしくな」
差し伸ばされた手を無意識のうちにとって、アイラはごくりと唾を飲み込む。
「意外やな。お前、アイラのこと認めとったんや」
「誰も振り解けないだろ、この子の小さな手は」
「せやな。……ほんだら、俺も四階作んの手伝いに行くわ」
「お〜、俺も後で行く」
価値がないとは、思っていなかった。
睦見は愁晴が上の階に行ったのを足音で確認し、参ったように優しく笑う。
「すごいよな、あいつ」
「……え?」
「俺、四年前にあいつのことを半殺しにしたんだ」
その瞳が語る言葉に嘘はなかった。
「なのにあいつ、何もなかったみたいな感じで路頭に迷ってた俺の……ついでに宗太や遥の人生を背負ってさ。炬もだけど、あいつら本当にバカだよな」
全部本心だった。
「だからかもな。俺も、あいつらみたいに誰かの人生を背負ってやってもいいかなって本気で思えたんだ」
睦見の心だった。
「──だからさ、アイラちゃん。俺のエゴの犠牲になってくれる?」
アイラは息を呑み、いつの間にか泣きながら頷いていた。




