第三話 天国と地獄Ⅴ
間宮結希のことを思うと胸が痛む。彼は、アリアが救えなかった人々を救ったこの町の誰よりも強い人だ。
風の噂で目を覚ましたことは聞いていたが、それ以外の情報が一切入って来ない。アリアは多分、間宮結希のことも救えなかった。
──助けたいよ。守りたいよ。
涙を拭う。それでも、半日かけて回復能力を駆使した間宮結希さえ救えなくて、自分は一体何を救えるのだろう。誰を救うことができるのだろう。
最近は、そんなことを思う毎日だった。
「……はぁっ、はぁっ……!」
坂道を駆け上がる。ここを耐えたら目的地だ。大好きで大切な家がある。
「かがりん……!」
目の前に現れた養護施設を視界に入れ、アリアは酸素が回らない脳で考える。
どこ。
どこにいる。
どこに行ったらみんなを救えるのか。
「アリア! 良かった、遅かったじゃない!」
視線を巡らせると、吹雪と子供たちが視界に入った。他には吹雪と同色の水色の髪を持つ大人たちがいて、全員が恐ろしい者に遭遇したかのような表情をしている。
「ふぶりん……! ねぇっ、かがりんはどこに……!」
「中! 中よ! 早く行って炬を助けて!」
アリアは頷き、彼らの目の前を素通りして養護施設の中へと駆けつけた。
「冬馬! 宗太! 早く!」
「うるさい遥。んなことしたら炬の傷口が開くだろ」
「ちょっとは朔那を見習え」
「うぐっ……?!」
そして真っ先に視界に入ったのは、二階を不安げに見上げている遥と朔那だった。
「ッ?! おまっ、な、なんで……!」
朔那と目が合って、一瞬頭の中が真っ白になる。
あの朔那が、この施設の中にいる。
ずっと友達で、ずっとずっと仲良しで、ずっとずっとずっと傍にいたあの朔那が。アリアと乾がずっと隠していた内の内側にいる。見られたくない部分を、朔那が見ている。
「ちょっ、何言ってんだよ朔那! こんな時に……!」
「なんで、あいつがここに……」
「だからさっきから何言っぶふぉ?!」
「はーちゃん! さっくん!」
後ろから二人を抱き締めた。朔那に目隠しをし、遥の瞳の中を確かめる。
「ッ!? ア、アリア?!」
目が合った刹那、遥はぎょっと目を見開いて後ずさった。
「なんで来たんだよ?! 愁晴さんは……」
「黙れ」
激しい音をたてて遥の頭を殴った朔那は、何も見えていないにも関わらず的確で。身を捩ってアリアの手から離れた朔那は、顔を顰めてアリアを見下ろした。
「いってぇ! 何すんだよバカ朔那!」
「いいからお前は黙ってろ」
「はぁっ?! おまっ、おれおまえのせんぱ……」
「それよりもアリア、そこどけ。炬さんが……」
「アリア?!」
視線を上げると、二階から血塗れの睦見と如月が下りてくる最中だった。ぎょっと目を見開いてアリアの名前を呼んだ睦見は、脇に抱えたオレンジ色を支え直して顔を歪める。
「……?」
そのオレンジ色は。
「かがりんっ!?」
腹部に大穴を開けられた炬だった。
悲鳴にも似た叫び声に自分自身が一番驚いて、血の気が引いたように手が震える。
「かがりん! かがりんっ!」
ぐったりとした炬は睦見と如月に支えられたまま動かなかった。
「退けっ、アリア!」
「ッ?! どっ、退かない!」
アリアは顔を歪め、掌を握り締める。
強く、強く。今度こそ誰かを守る為に。
「とーくん! そーちゃん! かがりんをロビーで下ろして!」
「はぁ?! や、おい! アリア! 急に来て何言ってんだよ!」
「アリア、救急車を呼んである。そろそろ来るはずだ。だから……」
首を大きく横に振る。
「お願い早く! 呼んでてもそこに下ろしてっ!」
「だから……ッ!? アイラ?!」
視線を落とすと、アイラが睦見の服の裾を握り締めていた。
顔面血だらけで、唇をきつく噛み締めたアイラがそこにいる。
「下ろして……」
「アイラ、なんで」
「下ろして……!」
ドクンッと命が脈を打った。
アイラ、ありがとう。
アリアも唇をきつく噛み締めて、睦見と如月をきっと見上げる。ここでは退けない。決して退くわけにはいかないのだ。
「お願い!」
「けど」
「下ろしてくれへんか? 冬馬、宗太」
振り返ると、そこにいたのは紛れもなく誰もが待望していた朝霧愁晴だった。
「しゅーくんっ!」
「頼む、応急処置くらいさせてくれ」
顔面に皺を刻みつけた愁晴は、苦しそうに息を整えた直後に腕を伸ばす。
「愁晴」
「愁晴さん」
睦見と如月は躊躇いを見せたが、愁晴の「頼む」という一言には敵わなかった。炬を愁晴に預け、彼を床に下ろす様を怪訝そうな表情で見つめている。
「おおきに。それと、お前ら全員外に出てくれへん?」
刹那、睦見と如月の端正な顔面にも深すぎる皺が刻み込まれた。
「おい愁晴、それは許容できねぇぞ」
「……傍にいることさえ許されないんですか?」
不意に愁晴が顔を上げる。
「早よしてくれんか?」
その顔に、ニコニコはなかった。
「……ッ!」
誰からともなく息を呑み、慌てて施設の外に出る。残ったのは愁晴と、アイラと、アリアの三人だけだった。
「頼む、アリア」
「わかってる」
アリアは両手を広げ、この手から何一つ取り零さないように力を込める。
黄金色。綺麗な色。大切な人を守る為に命を削る。
「かがりん、生きて」
言の葉と共に、炬の体を黄金色が包み込んだ。開いたのは腹部のみ。それ以外の外傷は見受けられない。
「アイラ、アイラも……」
アリアが声をかけると、アイラは首を横に振った。
その血も、睦見と如月に付着した血も、炬の血で間違いないのだろう。
「良かった」
ほっと息を吐いたのも束の間。施設の壁に、無数の亀裂が入った。
「えっ?」
直後の爆発音は地下からで、ロビーの床が怒りに震える。
「なっ、なんやこれ……!」
目を見開く愁晴も知らなかったのだろう。施設は予測不可能な動きを見せ、徐々に徐々に壁の亀裂を増やしていく。
「まさか…………爆破する仕組みやったんか?! アリア! アイラ! お前ら早よ出ぇ!」
「しゅーくん、かがりんはっ!」
「俺が担ぐ! 出口はすぐそこやろ!」
だが、再びの爆発音でロビーの床にも亀裂が入った。
「きゃあっ?!」
「うわっ!」
「あっ……!」
アリア、愁晴、アイラの声。炬の声はどこにもない。
「早よ……! ──ッ!」
崩れ落ちる。そう理解した瞬間固いものに足が当たった。
落ちない?
真下を見ると瓦礫に埋もれている地下が剥き出しになっていた。体は一向に落ちず、まるで──まるで涙の結界が張ってあるようだ。
「ッ!」
瞬間体が強ばる。
アリアと乾の部屋は、地下にあった。だから、この爆破で犠牲になるのはまずあの部屋だ。
幼い頃のアリアと乾の世界は、ほとんどが施設の地下だった。二人だけの部屋も。アイラの部屋も。あの地下にはたくさんの思い出が詰まっている。
「おじちゃん!」
やめて。壊さないで。違う、施設を終わらせないと。
夢を叶えるだけじゃなかったの? 違う、あんなことは二度とさせない。
助けて。二人だけの世界を。
「アリア! 早よっ!」
「きゃあっ!」
手を引かれた。結界のような地面さえ崩れかけて、アリアは唇を噛む。
このままじゃ死んでしまう。また何も守れなくなる。掴まれていない掌を真下に向けて、アリアは咄嗟に黄金色の輝きを放った。
「うわっ!」
「シュウセイ!」
バランスを崩した愁晴は、先に自動ドアの手前まで逃げていたアイラを一瞥する。その鼠色の瞳に飛び込んだのは、アイラの蜘蛛の足だった。
「つかっ、まって……!」
「おおきにアイラ!」
アリアが中途半端に直した床をバランス悪く進みながら、アイラの蜘蛛の足に引っ張られた愁晴は捻じ曲がった自動ドアをこじ開ける。
「お前らっ!」
叫んだのは睦見だった。限界まで手を伸ばし、切迫した表情で叫んでいる。彼に見えないようにさり気なく炬を投げ飛ばしたアイラは、蜘蛛の足をしまって愁晴に抱えられる。
「うわっ!」
飛び出した瞬間に再び爆発した施設の崩壊は止まらなかった。
「ダメッ!」
アリアが叫んでももう遅い。
あの場所から見えたはずの夕日はもう見れない。アリアと乾、二人で作った抜け道はもうどこにもない。二人だけの思い出の場所はどこもかしこももう粉々に壊された。
施設が崩壊する直前に、アリアの中の何かもが音をたてて壊れ始める。もう、何も見えなかった。
今、乾は何を思っているのだろう。乾のことだ。きっと、ちゃんとすべてを視ていたはずだ。
「…………ごめん」
守れなくて、ごめん。
涙はまったく枯れる気配を見せなかった。
何もかも守れると思っていた。信じてもいた。
なのに、アリアが守れたのは命だけだった。
「アイラ、おじちゃんはどこ?」
言いたいことが山ほどある。
「…………」
「お願い。教えて」
振り向くと、アイラはふるふると首を横に振った。
その意味を理解するのに数秒かかって。アリアは口を開け、慌てて施設だった瓦礫の山を凝視した。
「おじちゃんッ!」
どこにいる? 行かないで。これ以上、誰も、死なないで。
そんなアリアの願いが叶うことはなかった。
「おや、随分と派手に破壊されましたねぇ」
「……ッ、輝司!?」
「呼び捨てとは生意気ですね、朝霧愁晴」
再び振り返ると、視界に入る漆黒の軍服。カラス色にも見えるそれを着用した輝司と呼ばれた青年は、口元に笑みをたたえて腰に手を当てた。
「おまっ、何しに来たん!」
「《カラス隊》の公務ですよ。あの《紅炎組》の犬が手こずったせいで我々が引きずり出されたのを肝に銘じてくださいね」
輝司は炬を侮蔑するように見、世界は自分を中心に回っていると言わんばかりに歩き出す。彼が引き連れている《カラス隊》の面々は十人にも満たなかったが、その迫力は《グレン隊》と大差ない。
「君たちですか」
「え……?」
輝司は興味深げにアリアとアイラを見下ろし、屈んで顔を近づけた。
「綿之瀬五道が生み出した人工半妖は」
そして、言葉で二人の首を締めた。




