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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
業火のグレン
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第三話 天国と地獄Ⅲ

 アイラはしっかりと真朱色の瞳を見開いて、かがり五道ごどうの殺し合いを凝視していた。

 吹雪ふぶき白雪しらゆき、そしてまこが逃げたのは知っている。死なないからと三人に誓って、だからここにいさせてと懇願したアイラは決して逃げる姿勢を見せなかった。


 見届ける義務がある。

 アイラには、この戦いを見届ける義務がある。


 この場にいないアリアといぬいるい桐也きりや小町こまち亜子あこ、エビスと愁晴しゅうせい──この施設で常日頃から一緒にいた彼らの代わりになって、施設の行く末をアイラは見届けなければならない。

 アイラは唇を真一文字に結び、化け物と化した五道を見つめ続けた。


 疲れ切った顔は今も変わらず、痩せ細った体も変わらず、目の下のくまも、抜け落ちて白く染まった髪も、増えた皺も、劣化したまま何も変わらない。


「お前……っ、何が、したかったんだよ」


 腹に大穴を開けられた炬は血飛沫を上げながら、それでも冷静になって問いかける。

 それでどうやって立っていられるのだろう。何を原動力にして炬は立っていられるのだろう。アイラはわけがわからなくなって、そんな炬を守りたいと言っていたアリアの気持ちが痛いほどよくわかった。


「お前に語ることは何もない、炬っ!」


 五道は眉間に皺を寄せ、黒い触手のような布切れをうねらせて不機嫌さを顕にする。

 アイラは息を呑み、最早アイラの知る五道ではなくなった五道を憐れむような目で眺めた。


 届かない。

 五道の心に、どうしても手が届かない。


「殺してやる……。けど、お前が死ぬ気なのも気に食わねぇ……」


 炬の地鳴りのような低くて響くその言葉は、五道だけではなくアイラの心にも突き刺さっていた。覚束ない足取りで歩いて、炬は吠えて、吠えられてないことに気づかなくて、吐き気がする。


 行かないで。


 奇跡的にあの日を生き延びた命なんだから。

 五道のそれも炬のそれも、間宮結希まみやゆうきに救われたたった一つしかない命なんだから。


「……死ぬ気、だと……?」


 なのに、五道は自分の命には無頓着だった。震えるような声で瀕死の炬に問いかけ、自分のことを生まれて初めて見つめ返したかのような無垢な瞳をする。そんな五道を見たのも初めてだった。


 炬は喀血しながら、そんな五道を責め立てるように牙を向いた。


「どっからどう見ても、死ぬ気だろ……。お前は、人の話を聞けなくなるほどボケたのか……?」


 アイラは唇を痛いくらいに噛み締めて膝を震わせる。せせら笑う炬の言葉が、今この瞬間もやはり痛かった。


『二十歳になって、母様から妖怪のことを聞かされて、その日からずっと私は研究に明け暮れた。私たちは無力だ、無力だから〝戦える人材〟を増やし、人工半妖はんようという力を手に入れた。……だが、これはなんだ? ここは地獄じゃない。ここは私の故郷だ。なのに……』


 五道は一体、何を望んでいたのか。


『……なのに、何故、人々は死んでいく? 今日という日の為に、〝戦えない人材〟を無駄死にさせない為だけに……努力をしてきた。その結果がこれならば、私たちが今までしてきたことは、すべて無駄だったのか? 私たちの努力こそが、無駄死にだったのか……? 土地神はそうだと言うのか?!』


 その答えはとっくのとうにこの世界に生まれていた。五道はただ、〝家族〟を守りたかっただけなのだ。大切な〝家族〟を死なせないように、足掻いて足掻いて多くの人々を巻き込んだのだ。どうしようもなく優しくて酷い人間なのだ。

 アイラは噛み締めていた唇を緩める。わからなかった五道のことが、いつの間にか少しずつ紐解かれていく。それでも、この施設はもう終わりだ。この施設にいた人たちのほとんどが五道の手の届かない場所に行ってしまった。


 それがすべて。何もかもが修復不可能。手遅れだと理解した。



「……いいや、死にたくない」



「ッ!」


 俯きかけていた顔を上げ、アイラは手が届いた五道の悲愴な表情を視認する。

 痛々しい。後戻りはできないからこそ酷く苦しい。


「…………わかんねぇのか?」


 怒りを閉じ込めつつ、炬はゆっくりと五道に問いかけた。言葉はまだ通じている。異国人との会話ではないからこそ、希望はまだある。

 アイラはそう思っていたかった。


「お前が一番よく知ってるはずだ。半妖になれるのは、女だけだってな」


 アイラは顔を歪め、女性ではない五道のぼろぼろに砕けた体の崩壊に涙を流した。


 涙は枯れても決して止まらない。頬を伝う生暖かいそれはいつまでも流れ続けている。

 いつもすぐ傍にいた人の体が軋む音がする。それがすべてで真実だった。


「……あ」


 ぼてっと音を立てて、五道の両手──いいや、それが変形していた黒い布が床に落ちた。触手だ。そして、化け物の命だ。


「……まっ、て」


 五道と目が合った。伸ばしたアイラの手を掴もうとして歩み寄った五道は、暗がりの中でもよくわかるほど皺が増えている。


「あ、あぁ……」


 アイラの声でも炬の声でもない。

 五道が呻き声を漏らしている。終末の声だ。


「ああああ、ああ、ああああ……」


 アイラは首を横に振った。


 待ってと、行かないでと──ちゃんと言葉にすることができたら、どんなにいいだろう。


 両手が抜け落ちた次は、髪だった。いつもきっちりと纏められていた髪は、ぼさぼさになって一部が抜け落ちている。だが今この瞬間、無常にも白髪が全体的に抜け落ちていくのが見えた。

 はらはらと、儚いもののように消えていく髪。決して巻き戻らない時間の経過を見ているようだ。


「あい、ら、く……」


 小さな音を立てて何かが落ちた。白髪ではない。抜ける髪はもうない。……歯だ。


「あ、あ、あぁ……」


 一本二本三本四本──まだ、まだ抜けていく。前歯からがらがらと崩壊していく。皺は増えていく。肉が削ぎ落とされ、皮だけになっていく。


「ご、ど、う……さ」


 ん。


 言う前に炬に目を塞がれた。何も見えない。見せてはいけない五道の断末魔がする。

 アイラの涙は炬の掌を濡らした。炬はアイラの涙も掌の涙も拭おうとしない。ずっとそのままで、アイラの涙は炬の乾いてしまった血と混じり合う。


 どうすることもできなかった。

 何が正しいのかもわからなかった。


 これが愁晴が望んだこと?

 これがアリアが忌避した悲劇?


 これが五道が望んでいた結末なの?


 きっと、五道も、小町も、亜子も、みんなが幸せになる為にこの物語を始めたはずだった。

 涙と、桐也と、エビスに協力を仰いで。アリアと、乾と、自分に夢を託して。愁晴はどんな思いでそれを見ていたのだろう。


 愁晴のいた意味だけがわからなくて、アイラはまた泣いた。


 炬は何も言わなかった。泣きやめとか、そんなことは言わなかった。ただ黙って目隠しをして、ただ黙って傍にいてくれる。

 それだけで幸福だった。アイラがずっと求めていた幸福は、そんな些細なことだった。


「炬さん……っ?! どうしたんですかその怪我!」


「炬? あっ……は?! おい、なんだよそれ!」


「……うるせぇ」


 炬は返事をして、多分振り返った。


「えっ、何?! 何?! きゅっ、救急車?!」


睦見むつみ如月きさらぎ! 早く呼べよ!」


 四人いる。この声は、睦見、如月、はるか朔那さくなだ。アリアと愁晴はやはりいない。


「……だからうるせぇ」


 炬は鬱陶しそうにそう言って、ようやくアイラの目隠しをやめた。

 アイラは正面をまっすぐに見据え、五道の姿をおっかなびっくりと視線で探す。が、どこにもいなかった。信じられないが、どこにもいなかった。


 どうして。どうして。どこにいるの。……こんなに会いたいのに。


 あれが最期だなんて思いたくなかった。だが、あれが最期だった。

 腰が抜けたアイラはその場にへたり込み、呆気なかった五道の最期を思い出す。吐き気がした。嫌だ嫌だ。地獄だ。思い出せない。


 再び声も出せずに泣いた。

 泣いて泣いて、泣いた。


 涙は枯れない。けど、泣いてばかりじゃいられない。アイラは振り返り、まっすぐに立っている腹の開いた炬と彼を支えた《グレン隊》を見上げた。


 ねぇ。


 アイラはゆっくりと唇を動かす。



「…………どこに、行けば、いいの?」



 ちゃんと言えただろうか。

 ちゃんと言葉にすることができただろうか。


「わたし、は、どこに…………行けばいいの?」


 自分だけじゃない。

 真も、星乃ほしのも、他の子たちも。


 居場所がないわたしたちは、どこに行けばいいの?


「わたし、は、どこに…………行けばいいの……?」


 でも。アイラが一番言いたかったのは、結局自分の居場所だった。


 炬も睦見も如月も、遥や朔那だってアイラを呆然と見下ろしている。アイラは涙を拭って、結局どこにも自分の居場所がないことを知った。



「俺たちと来るか?」



 ……え?


 アイラは手を止め、ゆっくりと炬のブラウンの瞳を探った。何を言っているのかよくわからない。なのに、瞳が温かい色をしているのはよくわかる。


「炬」


「炬、さん……」


 後ろにいた四人は一瞬驚き、やがて普段通りの表情を見せた。

 わからないのはアイラだけ。アイラは白くなっていく頭で炬の言葉を反芻し、首が外れたように首を傾げる。


「嫌か」


 炬はふと顔を歪め、アイラに背中を見せた。


 去ってしまう。アイラは手を伸ばし、立ち上がって炬の服の裾を引っ張った。


「…………アイラ?」


 嫌じゃない、そんな意味を込めて首を横に振る。


 もしも願いが叶うなら、わたしはあなたといっしょに行きたい。アリアと同じように、愁晴と同じように、熱く燃える炎竜神えんりょうしん炬という人について行きたい。


「……来る、みたいですね」


「見ればわかる」


「もしかしたら初めてなんじゃね? お前から入隊を誘ったの」


「うるせぇ」


「好きにしろ、が炬さんの口癖っすもんね」


「ちげぇよ」


「…………」


 朔那は黙って炬を見上げていたが、炬が息を漏らした刹那にハッと身を固めた。


「炬さん!」


 血の気が引いた顔色で倒れた炬の失血量は酷く、睦見が抱えて如月が救急車を呼ぶ。だが、アイラは信じずにはいられなかった。


 アリアと愁晴が、必ず炬を助けるということを。 

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