第三話 天国と地獄Ⅰ
炬は背後へと視線を向け、猛反発するアリアを上から押さえ込んだ愁晴を見やる。愁晴は僅かに顎を引き、行け、と口パクで訴えて炬の背中を強く押した。
炬は開けていた扉を閉め、《ハリボテの家》の外で待機していた《グレン隊》隊員の顔を一人ずつ視認する。
睦見、遥、如月、朔那。彼ら四人と炬のみで、長年縄張りとして使用している雑居ビル地区から姿を消した。
駅前を無表情のまま闊歩する炬を見て、恐れをなした町民の誰もが道を開ける。炬は短く鼻を鳴らし、バス停の前で立ち止まって時刻表を確認した。
「隊の大将がバスに乗って殴り込みに行くんですか?」
気だるそうな朔那はどうでも良さそうに問いかけて、炬と目が合った瞬間慌てて視線を伏せる。
「バーカ、大将も人間なんだよ。まぁ、カッコはつかないから俺も嫌なんだけどなぁ」
睦見は金色の後頭部を掻き、如月と遥を見下ろして意見を求めた。
「いや、俺は別に。格好とかどうでもいいんで」
「すんません! やっぱおれらって〝足手纏い〟っすよね?!」
「はぁっ?! ちょっ、なんで俺まで足手纏い扱いなんだよ!」
遥は朔那の肩を組むが、同じ枠組に入れられたくなかった朔那に顔面を押される。
一歳しか違わない二人は、如月とアリアと同じ未成年組だ。十八歳の如月はきちんと免許を取っているが、十六歳の遥と十五歳のアリアと朔那はなんの免許も取っていない。
遥と朔那、そしてアリアがいると、移動手段が限られてくる。それでも、行く場所はどこも町内。余程の遠出は決してしない。
「……行けりゃあいいんだよ」
炬は気だるげに言葉を零し、やってきたバスになんの躊躇もなく乗り込んだ。
終点とあってか炬の前に乗り込んだ乗客は一人もおらず、炬は誰もいないバスの再奥にある座席の中央に股を開いて座る。
「王様気分だな、大将」
「大将言うな」
「いいじゃんよ、大将。別に減るモンでもないし」
「そういう問題じゃねぇだろ」
ケラケラと笑う睦見は手前の座席に如月と共に座り、お互いに微妙そうな表情をする朔那と遥は離れて座る。
傍から見た時、自分たちは一体なんの集団に見えるのだろう。
睦見と如月は加入してすぐに打ち解けたが、遥と朔那はかつての遥とアリアの時と同じくまったく馬が合わない。
炬は横髪を耳にかけ、窓の外の世界に意識を向けた。そして、これから自分がやろうとしていることに僅かな嫌悪を感じる。
愁晴がなんと言おうが関係ない。愁晴とアリア──そして、あの幼いアイラが過ごした施設を自らの手で壊そうとしている。その事実だけで胸糞が悪くなる。
この手は、かけがえのない仲間の実家を潰す為にあるのだろうか。その問いは否だ。この手は、そんな物の為に存在しているわけではない。
『頼む、炬』
『待って! ねぇ、本気なの?! しゅーくんは本気で言ってるの?!』
『俺は本気やで、アリア』
『ダメッ! そんなの絶対ダメッ! こまっちゃんやあこりん、るいるいやきーくん、エッちゃんやいぶりん、ふぶりんやおじちゃん、アイラやヌイ、私やしゅーくん──みんなの思い出の居場所がなくなっちゃう! そんなことしたらみんなの帰る場所がなくなっちゃうよ!』
が、アリアの言葉を聞けば聞くほど、炬は急かされている気にもなった。
そんなに大勢の人間があの施設に関わっているのか。人工半妖を生み出して、平気な顔で笑っているのか。
その事実だけでも胸糞が悪くなった。
どっちに転んでも胸糞が悪い。そんな無理難題を、あの二人はいつも炬に課してくる。
炬は眉間に皺を寄せ、あの二人と出逢ってしまった自分の運命を笑った。
睦見と如月、遥と朔那に出逢ってしまった自分の運命を他人事のように笑った。
残してきた愁晴とアリアは、一体今何を思っているのだろう。飛び出していったアイラは、仮にあの施設にいるとしてどんな表情をしているのだろう。
炬は瞑目し、やがて意識を手放した。
「何眠ってんだよ、お前」
目を開けると、目の前に睦見が立っていた。
「さっさと起きろよ〜? 次だぞ」
「……あ?」
視線を巡らせると、窓の外は森だった。
いつの間にここまで来てしまったのだろう。自分の肩に乗った重圧がそんなに重かったのか、体感時間は一秒もない。
「お前よく寝れたな。これからあいつらの実家潰すってのに」
視線を戻す。睦見は表情も目も笑っていなかった。
炬は生返事をし、立ち上がって睦見の真横を無理矢理通り過ぎる。
「あ、バカ。金払えよ」
愁晴のように小言を漏らした睦見は、全員分の運賃を投入口に入れて下りた。
どこからか風が吹く。辺りは駅前や歓楽街、雑居ビル地区と違って何もない田舎道だ。
森と田んぼに挟まれた長く長く続く道。曲がりくねって先がよく見えないが、それでも続いていく果てしない道。
「うっわ、なんだよここ。何もねぇな」
「町の辺境だからまったく来ないしな」
睦見と如月は辺りを見回していたが、朔那は違った。
唇を引き締め、この地域の空気を胸いっぱいに吸い込んでいる。やがて深呼吸を終えた朔那は空を仰ぎ、何を思ったのか目を細めた。
「何してんだ、お前」
「ッ! ……か、炬さんには関係ないじゃないですか」
どこか達観したような性格をしているくせに、恥ずかしそうに視線を逸らす姿はやはり年相応の少年だ。
炬は朔那の後頭部に手を置き、なんでもないように遥と共に歩き出す。一度あの施設を訪れている炬と遥は、迷うことなく施設へと続く坂道を登り続けた。そして足を止め、坂道の手前に停車してある幾つもの高級車を視認した。
「なんすか、あれ……」
炬は息を止めて、視線を坂道の頂上へと向けて歩き出す。慌てて炬の後を追いかける遥と遥を追い抜かした朔那は、駆け足気味になって炬でさえも追い抜かす。
そうして見えた養護施設の手前でさえ、幾人かが固まって行く手を阻んでいた。
「えっ?」
アイラよりも年下そうに見える子供たちが集まって、呆然と施設を見上げている。
遥はその様に驚いて、ゆっくりと炬を見上げた。
「い、一年前はあんなにいなかったっすよね? いつからあんなに増えたんすか……?」
その疑問に、炬は答えられなかった。
話すことができない。絶対に、《グレン隊》の一員とはいえ話せないことがある。
炬が何も言わないのはいつものことだった。
黙った炬になんの疑問も持たないまま、憶測だけが飛び交っていく。
「この前の災害じゃねぇの? なぁ、宗太」
「さぁ? 俺が知ってるわけないだろ、冬馬」
他の二人も、朔那もわかっていない。決して知るはずのないあの日の悲劇を知っているのは──
「……炬おにーちゃん?」
──視線を落とすと、子供たちの中心部にいた少女が泣きながら炬を見上げていた。
「……星乃?」
その髪の色と瞳の色を見間違えるはずがない。
彼女は、小白鳥家の分家でこの施設に入所したばかりの星乃だった。
《十八名家》に特別な思い入れなんてものがなく、懇親会にも参加しなかった自分でさえ知っているような地位の少女。何より、先ほど愁晴が投げて寄越した孤児の一覧表に彼女の名前があったのをきちんと覚えている。
そんな星乃は自らに縋る子供たちを遠慮なく突き放して、この場で唯一頼れる大人の元へと駆け寄った。
「炬おにーちゃん……!」
掠れたような声で、涙と鼻水で顔を汚した彼女は訴える。
「おねがい、たすけて……! 真と、アイラおねーちゃんと、吹雪おねーちゃんがまだ中にいるの……!」
途中で転んだ星乃は、泥だらけになりながらも精一杯声を上げ続けた。
「おねがい、炬おにーちゃん……! たすけてっ、たすけてくださいっ!」
何が痛くて泣いているのか。そんなこと、炬は星乃ではないからわからない。それでも、アイラよりも年下の──確か六歳の幼女とも呼べる年齢の少女が目の前で泣いている。
知らない仲ではない。それも、千年も前から未来永劫続いていく仲である一族の息女の一人だ。
「おねがいしますっ!」
そんな彼女に泣きつかれた上で無視できるほど、炬は非道な人間ではない。
自分の為にも、不本意だったが名家の為にも、愁晴の為にも。そして、過去にいたはずの幼いアリアと──遠い未来にいる大人になったアリアの為にも。
炬は、拳を強く握り締めた。
自分の感情を殺させはしない。名家の絆に傷はつけさせない。愁晴の心を枯れさせはしない。アリアという名の心優しい少女を、この忌まわしい居場所に縛りつけさせたりはしない。
炬は、歩を進めて施設の中に侵入した。
背後には一定の距離を保ちながら歩を進める四人がいる。それだけで、炬は自分の中の炎をいつまでも燃やし続けた。
「炬」
振り返らない。
「愁晴がやれっつーなら、俺はやるべきだと思う」
「今さら何言ってんだよ」
ここまで来て、何故炬の暴力を促すのだろう。
今も昔も、睦見の言うことはよくわからない。
「だから俺はお前を軽蔑しない。後でどんなにアリアに恨まれても構わねぇ」
だが、その想いは昔の睦見にはないものだった。
「だから、いつも通り暴れろよ」
炬は喉の奥まで出かかった不満の言葉を飲み込み、呆然と、睦見の覚悟を決めた表情を眺めた。
「同意ですね。お嬢を長年監禁していた罪を……俺は、絶対に許せませんから」
今の今まで隠していた殺意を紐解いて、元《風神組》組員の如月は目を見開く。真紅色の血のような瞳は焦点が合っていない。
それでも、彼の信念は今も昔も変わらなかった。
乾を──この施設で四年の歳月を過ごしていた恩人の一人娘を、如月はずっと探していた。亡くなった恩人の為に、乾の為に、如月はずっと《風神組》で身を粉にして人生を捧げていた。
許せない、それが今の如月の原動力だった。
「炬さん、おれ……バカだからやっぱよくわかんねぇけど」
そう切り出した遥に一年前の面影はない。
「それでも、愁晴さんの願いを聞いた方がアリアの為になるんすよね?」
彼は、目の前で泣き叫んだアリアを見ていた。
出逢った当初こそアリアの存在を疎んでいたが、疎んでいたからこそ彼女の優しさをその身を以てよく知っている。そんなアリアの苦悩を、叫びを、痛みを、遥はどう受け止めたのだろう。
「おれ、できるかな。アリアに、お前の居場所はそこだけじゃねぇよって……教えること、できるかな」
遥は賢い人間ではない。親の虐待から逃げて来た遥には、多分一生実家というものに執着したアリアの気持ちがわからない。
それでも、そう思って行動に移したことが遥にとって奇跡だった。
「…………」
朔那は、何も言わないまま施設の中を眺めている。
壁を、床を、天井を。そしてソファを見て唇を噛む。
朔那はアリアと乾の幼馴染みだった。
朔那にとってここは、姿を消した乾がいた場所。そして、命を懸けて自分自身を救い出したアリアがいた場所だ。
そんな場所を壊そうとしているのに、何も言わない。アリアの慟哭を正面で見ていたのに、何も言わない。
まったく知らない、縁もゆかりもない愁晴の願いを聞いて、彼は《グレン隊》としてここにいる。
「朔那」
視線を移した朔那は、隣にいた遥を見て眉を潜めた。
「おまえはどう思う?」
そう尋ねる遥を虫けらのような目で品定めしている。が、僅かに顎を引いて口を開いた。
「俺は……」
「アリアを守るんだろ、お前」
「は?!」
「確かに。男なら受けた恩は早めに返した方がいい」
「なっ……?!」
「えっ、何?! 冬馬、宗太、なんで朔那の思ってること知ってんの?!」
「思ってねぇよ! 勝手なこと言うな!」
噛みつくように吠えた朔那は、睦見と如月に飛びかかろうとしてすぐにやめる。
彼らと朔那の力の差は歴然だ。鍛えている上に元から本職だった二人と、栄養失調寸前で中学を卒業したばかりの朔那とでは天と地ほどの差が生まれている。
朔那は再び唇を噛み締めて、力の差がほとんどない遥の頭を殴った。
「痛っ?!」
「照れ隠しかよ。女子か」
「恩返しの何が恥なんだ?」
「うるせぇ! 無駄話してないでさっさと行くぞ!」
炬は呆然としたまま四人のやり取りを見ていたが、不意に星乃の慟哭を思い出して再び正面を向く。
どこに行けば何がある。
そうやって逡巡して──
『二階や。せやけど、お前らはこの階と一階以外には行ったらあかんで? 二階は俺ら運営側のプライベートスペースやからな、行ったら施設長にぎょ〜さん怒鳴られるわ〜』
──その言葉を思い出した。




