第二話 金髪の少女Ⅴ
多翼とモモと二人の養父となった雅臣が養護施設を後にして、五道が実験室へと戻った数分後。残されたアイラと真は、八人の子供たちの面倒を見ていた。
全員、七歳のアイラと六歳の真よりも年下の幼児だ。一番年下だったモモが抜け、面倒が見やすくなったとはいえアイラたちも子供であって大人ではない。アイラは戸惑いながら、年不相応にしっかりとしている真の世話の仕方を眺めた。
こんなことをしている場合ではない。
アイラは五道に、伝えなければならないことがある。
でも、そうやって五道に告げ口をすることは正解なのだろうか。あの愁晴がやろうとしていることの方が、本当は正しいことなのかもしれない。
「アイラお姉さん? どうしたの?」
なんでもない。
我に返ったアイラは首を横に振り、自動ドアの開閉音で振り向いた。
「……アイラおねーちゃん」
息を呑む。そこにいたのは、数時間前に五道に連れ去られた星乃だった。
星乃はアイラを呼ぶだけ呼んで押し黙り、唇の端を歪めて俯く。何かを言いたげな表情をしているが、アイラは星乃ではない。だから、星乃が本当に言いたいことはまったく伝わってこなかった。
アイラは立ち上がり、星乃の元へと歩いて彼女を見つめる。先ほど一瞬だけ見えた星乃の表情は、不安で押し潰されそうなアリアの表情そのものだった。
そんな表情をした星乃を見たことは、今までで一度もない。初めてと言っても過言ではなかった。
何が星乃をそうさせたのか──考えなくても容易にわかる。あの時、アイラが五道を止めなかったから。そのまま星乃は、アイラが許すことを拒んだあの忌まわしい存在へと成り果ててしまったのだ。
「おわったんだね、星乃」
「……真。うん、おわったよ」
「ねぇ……星乃はなんの〝じんこうはんよう〟になったの?」
真は無神経な子供というわけではない。生まれた時から一緒にいる星乃のことをよく理解した上で、大人のような声色で尋ねている。だからか星乃は顔を上げた。
一人じゃないと知っているからか、暗い表情はまったくしていない。アイラはほっと息を吐き、アイラが知っている星乃の表情を見つめる。でも、だからこそ、余計に自分の中の血が騒いだ。
「あのね、わたしは……」
聞きたくない。例え星乃が良くても、真が良くても、自分は絶対に聞きたくない。
アイラは立ち上がり、子供たちを星乃と真に任せて食堂から飛び出した。
五道はどこにいるのだろう。一人で続けて人工半妖を生み出せるはずがない。だから、多分どこかで休んでいるはずだ。
……だがそれは、五道がまだ正常である時の話。そうじゃなかったら、その希望は容易に潰えてしまう。
五道が狂っていないことを、祈らずにはいられなかった。階段を駆け上がったアイラは二階の廊下を突き進んで、最奥にある五道の自室の手前へと辿り着く。
息を整えた。それに幾度の深呼吸を加える。
落ち着け、落ち着け、大丈夫だから。そうやって自分を鎮めて、アイラは執務室の扉を恐る恐る叩いた。
「…………」
ため息をつく。予想通り返事はない。だからアイラは意を決して、少し前に愁晴がそうしたように──アイラはおっかなびっくりと執務室の扉を開けた。
薄暗い。電気なんてついていないその空間に、数多の書類が積み重なってアイラを圧迫している。アイラは視線を逸らし、五道の姿を探して唇を結んだ。
──いた。
今の今まで作業をしていたのか、五道はデスクに突っ伏してピクリとも動かない。慌てて駆け寄ってみると、五道からは薬品と血の匂いがした。
「…………ッ!」
白衣は血で汚れている。
誰のかは断言できなかったが、時系列で考えると星乃しか当てはまる人間はいなかった。
声をかけようにもかけられない。アイラは唇を噛み、死んでいるのかも生きているのかもわからない五道を見下ろした。
『……だれも、わるくないよ』
その言葉はちゃんと本心だった。
今を生きる五道が、一体何を望んでいるのか。死んだ小町と亜子が、一体何を夢見ていたのか。離れてしまった涙が、なんの為にすべてを守ろうとしていたのか。命懸けですべてを守った桐也が、何故自ら戦おうとしていたのか。戦いとは無縁そうなアリアが、何故戦うことを決意したのか。すべてを見透かす乾が、すべてを見透かした上であのような態度をとっていたのは何故なのか。
そして、誰よりも五道の傍にいた愁晴が何故裏切ったのか。
わからないから知りたいのは当然だ。だが、それに星乃や真を巻き込むのは大罪だ。
『せやけど、悪いな。俺はあの人を悪モンにしたいんや』
唇から血が流れ出した。
鉄の味がする。すごくまずい。でも、噛まずにはいられなかった。傷つけずにはいられなかった。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
誰がいつ間違いを犯して、こんなことになってしまったのだろう。
アイラはゆっくりと頭を抱えた。誰も悪くないはずなのに……どうしてこんな悲劇が生まれてしまったのだろう。今からじゃどう頑張っても取り返しがつかない、そんなところまで──。
息を止めて、静寂に気づいて、バタバタとした慌ただしい足音にアイラは顔を上げた。
「五道さんっ!」
開けっ放しだった扉から入ってきた真は、アイラを見て足を止める。
「アイラお姉さん……お姉さんもいたんだね……」
アイラは機械のようにぎこちなく頷き、屍のような五道に向かって駆け寄った真の袖を咄嗟に握り締めた。
「……ッ! 聞いて、アイラお姉さん! 下に吹雪お姉さんが来ているんだ!」
吹雪が?
真はアイラに状況を説明し、手が届かなくて諦めたのか五道の足を遠慮なく揺する。がくがくと揺れる五道はそれでも起きず、真は必死になって叩き出した。
「五道さんおきて! 吹雪お姉さんが五道さんに会いたいって言ってるんだ!」
どうして真がこんなに必死になっているのか。わけがわからないまま考えて、アイラははたと思い出した。
詳しくはないが、吹雪は悪い人を取り締まる仕事をしている。だとしたら、まさか。そんなことがあるのだろうか。
「五道さん! 返事をしてください、一体どこにいるのですか?!」
「吹雪お姉さん、こっち! ここだよ!」
呆気に取られているアイラの体を刺すような音が聞こえてくる。カツカツとヒールを鳴らして歩いてきた吹雪は、執務室の扉に手をかけて口を開き──足を止めた。
「五道さんっ?! どうしたんですか、こんなところで寝ないでください! いや、寝てるんですか……?! 五道さん! 五道さんってば!」
慌てた様子の吹雪は真と同じく五道に駆け寄り、生存確認をする為の方法の一つとして脈を測ろうとして首元を漁る。
「……ん」
「あっ、五道さん!」
「五道さんしっかりしてください! 大変なんです! 寝てるだけなら早く起きてください!」
今、この町で何が起こっているのだろう。アイラは瞑目し、すべてを手放す覚悟をして諦めた。
「……何事だ、騒がしい」
「騒がしくもなりますよ、このボケ老人!」
生きていた五道はむくりと起き上がり、肩に手を当てる吹雪を見上げる。また少し窶れたような五道は、もう見ていられない。それでも吹雪は怯まなかった。
「大変なんです! この施設の内情が、雪之原家──いいえ、全《十八名家》に漏れてしまったんです!」
「何……?!」
糸目を見開いた五道は衝撃で椅子から転げ落ち、信じられないとでも言うように白髪を掻き乱して床を殴る。
「それは本当なのか?! 吹雪君!」
「今さら冗談なんか言うわけないじゃないですか!」
いきなりぼろぼろと泣き出した吹雪は腰を抜かした五道に跨り、両肩を掴んで前後に振った。
「だって、私の信念はあの時小町と亜子に告げた通りなんですよ?! それが今さら変わるわけないじゃないですか……! あの子たちの幸せを、あの子たちの夢を、今さら粉々に砕く真似なんてできるわけないじゃないですかぁ……!」
揺さぶられた五道は何を思ったのだろう。
呆然と吹雪を見上げて、からからに渇いた口を半開きにさせている。それでも小町と亜子の名前が出てきたことに気づき、今にも死にそうなほど苦渋に満ちた表情を見せた。
「全力で、叩き潰せるわけないじゃない……!」
泣き崩れた吹雪は、肩を激しく上下させながら嗚咽した。
五道も、アイラも、真も、上手く言葉を発することができないまま彼女の慟哭を眺めている。けれどもそれは一瞬で、五道は震える骨ばった手を吹雪の肩に置いた。
「君こそ……君こそ、しっかりしたまえ、吹雪君」
吹雪が慌てて目元を拭うと、五道は瞳に光を強めながらこう言った。
「漏れて、これから何が起こるんだ」
唇を噛み締め、耐えられなくなって、吹雪は顔を両手で覆う。
「雪之原家と白院家からの調査隊がこの施設に来ます。そして、すべてを奪うでしょう」
吹雪の恐ろしいくらい迷いになくなった言葉は、時間をかけてようやく覚悟をしたアイラに今すぐすべてを手放せと脅していた。
アイラは拳を握り締めて、真へと視線を向けて泣く。そして、残してきたアリアと離れてしまった乾に心の中で何度も何度も謝った。




