第二話 金髪の少女Ⅲ
アイラは息ができなかった。
ままならない呼吸はアイラを余計に苦しめて、いつまでもいつまでも苦悩させる。
三年前に《十八名家》から殺されたも同然の仕打ちを受けた骸路成愛来は、自分のことが必要だと言って手を差し伸ばしてくれた彼らのことが好きだった。
どんなに痛い思いをしても、どんなに自分の中の血に苦しめられても、こんな自分を必要としてくれるのなら奴隷という立場でも構わなかった。使い物にならなくなるまで、自分という物を最後まで削り取られるまで、アイラはこの身を彼らの夢に捧げていた。
アリアだってそうだ。アリアは彼らの夢の為ならば、この身を捧げることも厭っていなかった。けれど、乾はいつだって嫌悪の眼差しで五道を見つめていた。
キィ、と扉が開かれる音がして。咄嗟に顔を上げると無表情の愁晴と目が合った。刹那に愁晴はニコニコと笑い、唇に人差し指を当ててアイラを黙らせる。
すぐさま閉められた扉の奥にいる炬が視界に入ることはなく、愁晴はアイラを抱き上げて階下に向かう。問うような視線でさえ愁晴のニコニコ笑顔に殺されて、アイラは呆然と黙ることしかできなかった。
「……十五人」
ぽつりと愁晴が呟く。
「全員で、十五人や」
何が──?
アイラは神妙な顔つきで愁晴を見つめていたが、話の前後関係で思い出す。
最初に乾。次にアリア。そしてアイラであと十二人。これは、今日までに施設に入所した孤児の人数だ。五道の執務室で聞かされたそれと、愁晴が炬に漏らしたそれと差異はない。
「もしかしたら、もう始まっとるかもしれん。なぁアイラ、アイラはどうしたい?」
アイラは首を横に振った。
そんなこと、矮小な自分には答えられない。答えることがとても難しい。
「俺らのことはもうええよ。自分の気持ちがいっちゃん大事なんやから」
アイラは唇を噛み締めた。
「アイラは、今の人生を歩んで幸せやったか?」
愁晴は目頭に力を込める。
何かを必死に堪え、訴えかけて、彼は答えを探していた。
なのに、絞り出された最後の問いでさえアイラは上手く答えられなかった。
自分の身はとことん犠牲にする。そんな自分の気持ちなんて、きっと最期までわからない。
「……知っとったよ。アイラはええ子やもんな」
アイラは首を横に振った。
そんなこと、言わないでほしかった。愁晴がそう言ってそれを認めれば、愁晴は悪になってしまう。
誰も。
「……だれも、わるくないよ」
だから、愁晴だけがすべてを背負わないで。
愁晴は、自分を見つめるアイラの真朱色の瞳を凝視した。自分が今、何を言われたのか理解していない──そんな表情だった。
「アイラ、お前……喋れたんか?」
アイラは首肯して、少しでも笑おうと口角を上げる。
「せやけど……悪いな。俺はあの人を悪モンにしたいんや」
愁晴はアイラを見据えながら、笑いもせずに淡々と告げた。その瞳に映っている物はアイラであってアイラではない。アイラの先にある遠い未来を見据えているようだった。
そこを見ないで。私を見て。どこにもいかないで。
アイラはそう訴えかけようとして、間に合わないことに気がついた。愁晴はもう、間に合わないところまで来ていたのだ。
脳裏に浮かぶ言葉さえ失い、アイラは絶望する。耐えらなくて、苦しくなって──。
「あれ? アイラ? しゅーくん?」
アリアが吹き込んだ空気を吸い込んだ。
「お前、アイラを抱き上げてどうしたんだよ」
同じく《ハリボテの家》に戻ってきた睦見と如月は、顔を見合わせて不思議そうな顔を見せる。遥と朔那は目を丸くさせ、睦見と如月の陰に隠れて愁晴を見上げていた。
「なんでもあらへんよ。お前らこそどないしたん。銭湯に行ったんちゃうの?」
「アリアが風呂セット忘れたんだよ。アイラが取りに行ったっぽいけど、なかなか戻って来なくてさ」
「へぇ、そうやったんや」
愁晴はちらりとアイラを見上げ、この瞬間も笑いもせずに時を過ごす。
「ッ!」
「なっ? アイラ?!」
耐えきれなくなったアイラは愁晴の胸を突き飛ばし、アリアを含めた四人の間を縫って《ハリボテの家》を飛び出した。
『えっ?! アイラ?! どこに行くの?!』
アリアの引き止める声が聞こえる。だけどアイラは止まらなかった。
行かなきゃ。
伝えなきゃ。
アイラはまだ、何も知らないのだから。
今を生きる五道が、一体何を望んでいるのか。死んだ小町と亜子が、一体何を夢見ていたのか。離れてしまった涙が、なんの為にすべてを守ろうとしていたのか。命がけですべてを守った桐也が、何故自ら戦おうとしていたのか。
戦いとは無縁そうなアリアが、何故戦うことを決意したのか。すべてを見透かす乾が、すべてを見透かした上であのような態度をとっていたのは何故なのか。
そして、誰よりも五道の側近にいた愁晴が何故裏切ったのか。
アイラはまだ、何も知らないのだから。




