第二話 金髪の少女Ⅱ
南雲朔那の父親は、生まれつき体が弱かった。入退院を繰り返す父親にかかる費用は決して安くはなく、母親の稼ぎではどうにもならない。生活保護を受けていてもすべては朔那の養育費に消えてしまう。
生活の苦しさは朔那の身なりに如実に現れ、先を見越して買ったぶかぶかの洋服と貰い物のランドセルは彼のコンプレックスとなっていった。満足に食事も取れず、ぶかぶかの洋服に合う体には一向に育たない。それは母親も同様で、心身を壊すのも時間の問題だったと言う。
耐え切れなくなった母親は土地神に縋るようになったが、土地神が貧困の一家に応えることは一切なかった。母親は次第に土地神を祀った宗教に吸収され、やがてある場所に辿り着く。
それが、例の悪徳金融業者だった。
借金をし生活を整えたが、一家に借金を返す余裕はない。中学を卒業した朔那はそれを気にかけて、悪徳金融業者の一員として彼らに使われることとなったと言う。
だが、それは朔那が戦力に数えられたという意味ではない。朔那は彼らの鬱憤晴らしとして、日々暴力に耐えていた。日に日に怪我が増す朔那の身を案じたのは、入院している父親でも、心身を壊した母親でもない。
──ずっと傍にいた、アリアだった。
アリアは朔那の身を案じて、自分が所属する《グレン隊》に相談を持ちかけたと言う。そして、ちょうど例の悪徳金融業者に頭を悩ませていた《グレン隊》は、アリアの話を受けて動き出す計画を打ち立てた。だが、一歩間に合わず朔那は血塗れの状態でアリアに保護される。
大怪我を負ったにも関わらず柊命中学校にやって来た朔那は、駆けつけたアリアを見て微笑んだそうだ。
それは、死を覚悟した少年の笑みだったと言う。
アイラは固唾を呑み、アリアが途切れ途切れに語る朔那の話を聞いていた。
アイラの隣──《ハリボテの家》のソファで眠っている朔那は、安心しきった子供のような寝顔をしている。アリアはそんな朔那の元へと歩き、捨てられた小動物のような錫色の髪を撫でた。
「私ね、さっくんに初めて会った時、放っておけないなって思ったの」
アイラはアリアの表情を見つめ、その優しい笑みに答えを見つけ出す。
アリアがあそこまで冷酷になれたのは、朔那を痛めつけられたからだ。アリアの家族である乾と同じくらい愛した朔那を、汚されたからだ。
「さっくんは私の大切な友達だから、許せなかった。ヌイといららんがいなくなって、私とさっくんだけになって……。私は、かがりんだけじゃなくてさっくんも守りたかったの」
アリアには、アイラが想像できないほど多くの守りたい人々がいる。その美しい瞳がそれを物語っている。
「守れて良かったな、アリア」
顔を上げると、睦見がすれ違いざまにアリアの頭を撫でた直後だった。睦見はそのまま簡易キッチンに移動しめ、冷蔵庫を漁る音を出す。
「奴らは今、警察が改めて解体しているらしい」
如月は睦見の後に続き、経過を報告してソファに沈んだ。
「炬さん! 本当にこいつを《グレン隊》に入れるんすか?」
「知らねぇよ」
「知らねぇちゃうやろ、お前がここの大将や。ええ加減に自覚持てや」
「……好きにしろよ」
「またそれかいな。……ま、そないなことを言うんももう飽きたんやけどな」
愁晴は苦笑し、驚く遥に目配せをして腕を組んだ。
ここにいるアイラ以外の全員が、《グレン隊》のメンバーで。アリアと愁晴以外のほとんどは初対面だが、誰もが深い絆で結ばれていることくらいちゃんとわかっている。その中に入り込む勇気はない。
「……ん」
《ハリボテの家》に戻った瞬間眠りについた朔那は、ようやく起き上がって辺りを見回した。
「起きたか」
「ッ」
朔那は警戒するように炬を眺め、傍らに立つアリアに視線を移す。
「さっくん、かがりんだよ」
「かがりんだよ、じゃねぇよ! つーかお前、《グレン隊》だったこと俺は何も聞いてないからな?!」
朔那は柔和に微笑むアリアに吠え、くどくどと説教をし始めたと思ったら急に黙りこける。何事かと誰もが朔那に視線を寄せるが、朔那は言い辛そうに視線をさ迷わせるだけだった。
「……後で話がある」
「今じゃダメなのかよ」
「聞く気か? 趣味が悪いな」
メンバーの目を気にしてか言葉を濁す朔那に、睦見と如月の突っ込みが走る。
「朔那、お前に話があるんは俺らも同じや。けどな──」
愁晴の繋ぎで朔那は唇の端を歪めた。
「──まずは銭湯に行って体を洗い」
「は?」
「あ〜、ここ風呂ねぇんだよ。おれが連れてってやるから一緒に行こうぜ」
「いやそういう意味で言ったわけじゃねぇよ。つーかあんた誰」
「はぁ?!」
朔那の態度に激怒した遥は、歯ぎしりをして腰を下ろした。今か今かと飛びかかる機会を伺っていたが、愁晴に首根っこを掴まれて勢いを殺す。
「わからんのも当然やろ。せやから、わかり合う為にも行けっつってんねん」
「それにおまえ、昨日風呂入ってないだろ! その辺冬馬がうるせぇからな〜! ネチネチネチネチいつまでも言い続けるからな〜!」
愁晴は喚く遥を宥め、「そうそう」と同意する睦見に遥を預ける。
「炬さんは好きにしろと言うが、俺たちはお前のことを何も知らない。……まぁ、俺が言えたことじゃないけど、お前のことを見極める必要はあると思う」
如月は立ち上がり、朔那の正面に立ち塞がって重々しく告げた。
アイラのいる位置からは如月の背中しか見えないが、その迫力に気圧されたのだろうか。朔那が息を呑む声が聞こえる。
「愁晴、お前は残れ」
「はいよ、大将」
「やめろ」
炬は眉間に皺を寄せ、からからと笑う愁晴を睨みつけた。アイラは息を止め、また、見たことのない愁晴に出逢う。
呆れることは多々あれど、彼はここにいるのが一番楽しいのだろう。でなければ、責任者代理という重圧を背負う愁晴がこんなところにしょっちゅう顔を出すわけがない。
「さっくんたちが行くなら私も行く! ね、アイラ!」
アイラはハッと体を強ばらせ、不思議そうに自分を見下ろしたアリアと視線を合わせた。
ここにいるのにここにいない。いてもいなくてもどっちでもいい存在なのに、話しかけてきたアリアはどんな聖人だろう。
アイラはぎこちなく頷いて、お風呂セットを手にした睦見が如月と遥、そして朔那を連れていくのを目で追った。
「気ぃつけて行っといで」
アリアに引きづられるアイラは手を振る愁晴を見つめ続け、扉が閉まった瞬間に意識をアリアに向ける。アリアは一瞬だけ表情を曇らせ、次の瞬間笑って睦見たちを追いかけた。
アリアの心の傷は、まだ癒えていない。
そんなにすぐに癒えるわけがない。
それでも、朔那がいればアリアは笑ってくれるような気がした。今よりももっと、笑ってくれるような気がした。
「アリア、なんで何も持ってないんだ?」
「あっ! 忘れてた!」
「忘れてんじゃねぇよバカ」
「おまえっ、アリアに向かってバカとか言うんじゃねぇよ!」
「お前も昔バカとか言ってたけどな」
アイラは足を止め、五人の背中を眺める。そして方向転換をし、階段を駆け下りて《ハリボテの家》の扉を開けた。
息を止める。先ほどまで一階にいた二人がいない。
アイラは首を傾げ、アリアのお風呂セットが置かれている二階へと足を向けた。
男性陣のお風呂セットは一階のキャビネットに収納されているが、アリアは女子だからかそこには入れない。その代わりに二階の自室に収納しているのだ。
階段を上がった目の前の部屋は炬の部屋で、アイラは体を右側に向け──
『──あの二人は、人工半妖や』
──愁晴の苛立ったような告白を聞いた。
ビクンと体が跳ね、アイラは恐る恐る炬の部屋へと視線を向ける。前々から思っていたが、この建物はすべてが〝ハリボテ〟だ。話し声はいとも容易く漏れ出していく。
『は……?』
『わかるか? 人工半妖や。お前の伯母は純粋な半妖やけど、アリアとアイラは人の手で生み出した不完全な半妖なんや』
炬の声はそこで途絶えた。
待って。自分はどう思われても構わない。三年前、自分の中にある何もかもが否定されたから──もう、何も残ってないからどう思われても構わない。
それでもアリアは違う。アリアの中にはすべてが詰まっている。大切な人を失った悲しみさえ癒えていないのに、あれほどまでに懐いている炬から否定されたら、アリアは──。
『どうやって、生み出した』
『町中から孤児を集めたんよ。そしてアリアにはとある《十八名家》の半妖の血を、アイラには森の中で捕らえた絡新婦の血を混入させたんや。……生み出したんは、その二人だけやないけどな』
そうして炬は、今度こそ本当に押し黙ってしまった。
アイラは収まらない心臓の音を一人で聞き、死に物狂いで気配を消す。
『炬。お前が違法やと思うなら、俺らの施設を潰してもええで』
「──ッ!」
言葉にならない声が出た。
愁晴は、今、なんて言った?
あの愁晴が、施設を売った?
信じられなくて思考が上手く纏まらない。
『このまま何も変わらんかったら、あの施設はいつか身を滅ぼす。そうなる運命が変えられんのなら、お前の手で壊れた方が俺は幸せや』
『本気で言ってるのか?』
『俺の顔、見たらわかるやろ』
ぽつぽつと言葉を続ける愁晴は、寂しさも悲しさも痛みも感じない声色だった。
だからわかる。愁晴は、言葉通り本気で言っている。
『数日前、百鬼夜行が起きたやろ? せやから俺らの施設は、これから大勢の孤児を受け入れるんや』
『……ッ』
『この意味わかるやろ? これからアリアやアイラみたいな子が大勢生み出されるんや。犠牲者は増える一方なんや』
ぐしゃ、と、どちらかが紙のような何かを握り締める音がした。
それは柔らかい何か──恐らくベッドに投げられたのか、締りのない音を立てて落とされる。
『俺は、それを止めるべきやと思う』
愁晴は静かに思いを告げて、吐息を漏らした。




