第一話 銀髪の少女Ⅴ
「おい、バカ」
アイラが振り返ると、呼ばれたアリアも振り返る。
「どうしたの? さっくん」
朔那は居心地が悪そうな表情で遥に押しつけられた帽子を深く被り、短く舌打ちをして足を踏み鳴らした。
「なんで俺までお前らの花見に付き合わされるんだよ」
「なんでって、さっくんを一人にすることなんてできないもん」
「はぁ……? バカかよお前、心配しすぎ」
「するよ。だって、私はさっくんの友達だもん」
朔那は眉間に皺を寄せ、僅かに俯いて何故か黙る。アイラは視線を元に戻し、自分の手を引く愁晴と共に公園の奥に咲く桜を見つめた。
「それにしてもすげぇよな。一度散った桜がもう一度咲くんだぜ?」
「だよな〜。マジでこれどうなってんだ?」
何も知らない睦見と遥は真っ先に駆け出し、如月は持たされた荷物を担ぎながらのんびりと二人の後を追う。
アイラが見上げた愁晴は長い長い息を漏らし、憂いを帯びた瞳で桜を見据えた。
「……ほんま、なんなんやろな」
散った桜は、百鬼夜行を境に再び咲いた。それはあの日、百鬼夜行を終焉へと導いた間宮結希が命懸けで咲かせた花だ。
終焉と同時に開かれた光の柱の花。差し込む朝日と共に芽吹いた命が、人々の希望そのものだった。
──花の命は二度あっても、人の命は二度もない。
それをわかっていた上で、人々は希望の象徴として花を見た。そして、数日経った今でも深い眠りについている間宮結希を思い出していた。
「うわー! 桜がいっぱい!」
旧友の朔那がいるからか、精一杯強がってアリアはアイラを追い越していく。
「アリア、あんまはしゃぎすぎたらあかんで〜」
そんなアリアを見た愁晴はすぐさまニコニコと笑い、努めていつものように振る舞った。
百鬼夜行に携わった者が深い悲しみに暮れること。それはあまりにも当然のことだ。それでも強がる人がいるから、アイラも二人と同じように。努めて、明るく。笑おうとして、またできない。
「あ〜! おれ、早く飯食いたくなってきたぁ〜!」
「テンション高いな、遥」
「ふぅ〜ん。意外といるな、花見客。可愛い子とかもさぁ」
自分が明るかった時なんて一度もなかった。アイラは小さくため息をつき、やけに楽しそうに場所取りをしている三人を眺めた。
「お〜い、場所はここでオッケーっすか〜? ……って朔那! 炬さん! 遠い! あんたらの距離遠すぎるっすよ!」
「はははっ。しかもそれは花見に来る奴の顔じゃないよな〜」
広げたシートに座った睦見は、膝に肘をついてニヤニヤと笑っている。振り返ると、アリアが置いていった朔那と集団から離れて歩く炬がいた。
「ほんまやで。特に炬、のろのろ歩かんとさっさと来ぃや」
愁晴の小言が聞こえたのか、遠くにいた炬は歩幅を広げて速度を上げる。その様子が本気を出した野獣のようで、アイラは慌てて愁晴にしがみついた。
「ご飯! 私もご飯食べた〜い!」
「おれもおれも! 早く広げてくれよ宗太!」
「花より団子すぎるだろ。ちょっと待て」
アリアと遥に左右を引っ張られ、如月はしかめっ面のまま鞄の中を漁る。愁晴に連れられたアイラはシートに座り、改めて間近で桜の花を見上げた。
こんなに近くで桜を見たのは何年ぶりだろう。いや、もしかしたら初めてかもしれない。
アイラは開けていた口を閉じて、風に揺れる薄桃色の花に目を細めた。こんなに美しい物を見た記憶はない、これからも続く長い長い人生の中で、あと何度あるのかもわからない。
息を漏らし、早鐘を打つ心臓を抑える。施設にこもっていれば絶対に見れなかった景色が目の前にあって、それが想像以上に美しくて、アイラは一体どうすればいいのだろう。
「アイラ」
視線を移すと、愁晴が微笑みながら自分を見下ろしていた。
「ご飯、食べような」
うん、と心の中で返事をして、アイラは僅かに顎を引く。一緒にご飯を食べるということは、愁晴にとってとても大切なことだった。愁晴はずっと、誰かと一緒にご飯を食べることを幸福としていた。
だから、愁晴に一緒にご飯を食べてもいいと思われてアイラは泣きたくなるくらい嬉しかった。
「ダメ! かがりんはこっち!」
気づけば炬も追いついていて、朔那はアリアに一番近い端の方で腰を下ろしている。
「いただきます!」
七人で合掌し、アイラはすぐに目元を拭った。
もう二度とこんなにたくさんの人たちとご飯を食べることはない。そう思っていたアイラにとって、それはとてつもない幸福だった。
だが、ここはアイラの本当の居場所じゃない。近いうちにこの居場所さえ失ってしまうのなら、幸福なんて知らなければ良かった。
「おいしー!」
そう言って無邪気に笑うアリアはどう思っているのだろう。
「これ、全部愁晴さんが作ったんすか?」
「せやで。まぁ、アリアとアイラが手伝ってくれたんやけどな」
アイラは唇を噛み締めて、どうすればいいのか思案した。
ずっとここにいるわけにはいかないのだ。
だからと言って施設に帰る勇気も出ない。
「へぇ〜、上手くできてんじゃん。なぁ? お前ら」
「うめぇ! 普通にうめぇ!」
「あぁ、凄く美味しい」
それでも、アイラは褒められて嬉しかった。唇の端が間抜けに緩む。やめようとしてもやめられない。
「ていうかお前ら、花見に来てんねんから桜見いや!」
愁晴の一喝で飛び上がった睦見、遥、如月は、慌てて顔を上げて辺りを見回した。見回しても素敵な桜は見えないのに、間抜けだなぁとアイラは思う。
間宮結希が咲かせた花は、そんな軽い気持ちで見ていい花ではない。アイラは唇を尖らせて、愁晴が差し出してくれた玉子焼きを頬張った。
「まぁまぁ、やっぱり花より団子だからなぁ」
「誘った本人が言うなや!」
再び一喝した愁晴は、呆れたように頭を抱える。
睦見は笑って、必死に咀嚼するアイラを慈しむように眺めた。
「楽しい? アイラちゃん」
息が止まるかと思った。
そうだ。睦見は一人ぼっちでまったく馴染めないアイラの為に誘ってくれたのだ。
「お前なぁ、人の話を聞けや!」
精一杯彼の頭を叩いて、愁晴は鼻息荒く腕を組む。そんな睦見に手を伸ばして、アイラはしっかりと頷いた。
*
「そろそろ帰りますか?」
「せやなぁ。あと少しで黄昏時やし」
「愁晴さんってやけに黄昏時を気にしますよね」
如月と愁晴の会話を耳にしたアイラは、顔を上げて彼方を見つめる。二人の言う通り、空の彼方はいつもの茜色だった。
「あれ? しゅーくん、とーくんは?」
「はぁ? ……ほんまや、どこに行ったんやあいつ」
「可愛い子がいるって言ってたし、ナンパでもしてるんじゃないすか?」
三人がかりで辺りを見回していたが、軽薄そうでふらふらとしている睦見が簡単に見つかるわけもなく。
「私、探してくる!」
「あ、おいっ!」
すぐさま駆け出したアリアを朔那が呼び止めたが、弾丸のようなアリアが簡単に止まるわけもなかった。
「とーくーん!」
「…………チッ」
人混みに紛れるアリアに向かって舌打ちをし、同じく朔那も姿を消してしまう。それを黙って見ていたアイラは、恐る恐る余所見をしていた保護者組を見上げた。
「……? おい、アリアとバカとガキはどうした」
「三人ともどっかに行っちゃったみたいっすね」
愁晴の服の裾を摘み、必死になって説明する。
頷いて聞いていた愁晴は屈めていた腰を上げ、残った三人に声をかけた。
「アリアが冬馬を探しに行って、朔那がアリアについていったみたいやな」
「……よくわかったっすね、愁晴さん」
「……子供二人を振り回して、一体冬馬は何をしてるんですかね」
「まぁ、なんとかなるやろ」
特に探す気もないのか、愁晴を含めた四人は畳んだシートをしまっていく。
「黄昏時になる前に見つかればいいんやけどな」
ぽつりと呟いた愁晴の声がやけに耳に残り、アイラは考える暇もなく走り出した。
「あっ、アイラ?!」
アリアの居場所ならよくわかる。アイラは諦めることもせず、ただ一点へと走った。広大な公園の数十メートル先にいたアリアは、桜の木の下をうろうろとしながら眉を下げている。
「とーくーん! あ、アイラ。どうしたの?」
茜色が濃い。アイラは真上を指差して、不意に異常な気配を感じた。
「……とーくん?」
「ねぇねぇ、君たち二人だけ?」
「ならさ、お兄さん達とどっかに行かない?」
睦見じゃない。なのに、知らない自分たちに声をかけてくるから気配が異常になる。
「一人じゃないよ! 〝家族〟で来てるんだっ!」
「なんでドヤ顔?」
「家族連れかよ……。ダメだな、他……」
アイラは恐怖で後退った。こんなに簡単に他人に声をかけてくるなんて──信じられない。どういう神経をしているのだろう。瞬間、大きな拳が男性一人の頬にめり込んだ。
「あ、とーくん!」
「ごめんなぁ。こいつら、俺の連れだから」
舌を舐め、悪びれない様子で睦見が笑う。
その慣れた手つきも、ムシトリスミレのような捕食者の瞳も、目の前にいる男性二人より恐ろしいはずなのに──それだけは何故か、怖くなかった。
「はっ? いやいや、俺たち他行くんで……」
「いやいやいや、俺の連れに手ぇ出したら生かしちゃおけねーだろ」
そして再び拳を握り締め、睦見は怯える男性二人を恍惚そうな表情で見下ろす。
「…………チッ」
聞き覚えのある舌打ち。
「さっくん!」
「何してんだよお前ら」
そんな睦見を止めるように姿を現したのは、朔那だった。
「別に。ナンパされてたから相手を軽くしばいただけだよ」
「は? ナンパ?」
朔那が来たことによりできた隙で、男性二人は走り去っていく。
朔那は不審気な表情をしていたが、やがて舌打ちをして背中を向けた。
「戻るぞ」
「うん! 行こ、アイラ!」
引かれるがままにアリアについていくと、睦見も当然のようについてくる。そして面白そうに睦見は笑った。
「ふぅん。お前、意外と紳士なんだな」
「なんですか」
朔那は不機嫌そうに睦見を見上げ、苛立たしげに前を向いた。




