第一話 銀髪の少女Ⅳ
アイラはわけがわからないまま頷いて、遥の服の裾を強く握り締めた。
遥は動けなくなったのか、決して離さないアイラに合わせて何時間も固まっている。
「結局あのバカ起きてこないな」
やがて呟いた睦見は顔を上げ、天井を見つめた。
「そろそろ昼前になる。愁晴さんが来る前に起きてくれれば楽なんだが……」
「愁晴かアリアのどっちかがいりゃ、あっちもどうにかなりそうだけどな」
如月の視線を辿った睦見はアイラと遥を見て笑い、弄っていたスマホを置いて体を伸ばす。
何も変わらない光景。一人ぼっちの世界。アイラは唇を噛み締めて、じっとその時が来るのを待っていた。
「んあっと」
睦見は急にスマホを耳にあてがって、「もしもしアリア」と足を組む。顔を上げたアイラは睦見を見つめ、彼の通話相手の声を聞こうと耳を澄ませた。
「は? 友達が動けなくなったから助けてくれ?」
睦見は拍子抜けしたような表情でオウム返しをし、その言葉で如月と遥が体を起こす。連られてアイラも動いたが、聞こえてきた声はそれどころじゃなかった。
『お願いとーくん! さっくんを助けてっ!』
スピーカーにした途端に聞こえたアリアの悲痛な叫びは、数日前のそれと同じだった。
消えゆく命を守ろうとする、アリアの断末魔だった。
「わかった。お前今どこにいる?」
遅れて事の重大さに気づいた睦見は、遥と如月に視線で合図する。
『柊命! 柊命中学校の倉庫!』
「……柊命か。アリア、俺と宗太が車で行く。愁晴にはもう言った?」
『ま、まだ……!』
「なら愁晴には伝えなくていい。ちょっとそこで待ってろよ」
睦見はスマホを如月に投げ、遥が投げた車のキーを受け取る。
「おれは?!」
「お前はアイラちゃんの傍にいろ。炬は起こさなくていい」
前のめりになる遥を下がらせ、睦見は如月が開けた扉から飛び出していった。如月もアリアとの通話を続けながら彼の後を追い、後には静寂が訪れる。
が、間髪入れずに遥は勢いよくアイラを見下ろした。顔を上げたアイラは遥と目が合い、瞬間に遥の方から視線を逸らされる。
「そ、そうだ。おれがいなくなったらこいつは一人ぼっちで、だからおれが守んなきゃ……!」
焦っていた。
アイラから見た遥は、決して幼くない。もう充分すぎるほど大人に見える。なのに彼が狼狽えると、アイラまで不安になってしまう。
「そうだ、おれはもう大人だ、立派な《グレン隊》の一員で、炬さんの部下で……!」
遥はそこで口を閉ざした。何を思ったのか、急に両頬を叩いて前を向く。
「うっし、アイラ!」
ビクッと両肩を上げ、アイラは力を取り戻した遥が自分を見下ろすのを見た。
「おれがぜってーお前を守ってやるからな!」
誇らしげに胸を張って、だけど必死に叫ぶ遥がいる。
アイラはぽかんと口を半開きにさせて、遥の言葉を咀嚼した。
──守る?
誰が、誰を? 遥が、自分を?
両親を亡くして、誰にも守ってもらえなくて、育ててくれた人は自分を妖怪を殲滅するバケモノに仕立て上げた。
守られる価値なんて、アイラにはどこにもないのだ。
乾のように頭が良くもない。アリアのように笑うこともできない。誰かに褒められる何かさえ、アイラは持っていないのだ。なのに。
「柊命はこっからそんなに遠くないからな……早くてもあと十五分くらいか」
遥はぶつぶつと呟きながら、アイラの傍にいる。あの数時間と同じく、アイラから片時も離れないでいてくれる。
考えすぎて頭が痛くなっても、アイラは思考をやめなかった。
「おい〜っす……って、どないしたん。二人しかおらんの?」
刹那に開いた扉から、いつも通りの愁晴が顔を出す。遥とアイラは同時に腰を上げ、不思議そうな表情の愁晴に駆け寄った。
「愁晴さん! 遅かったじゃないすか!」
「ん? あぁ、すまんな。向こうで色々面倒なことがあってん」
面倒なこと?
アイラは息を呑み、自分がいない間にも増えていく新しい入所者を想う。そして責任者代理として忙しいはずの愁晴を見、彼の遥を見る目に驚いた。
「で? そっちはどないしたん?」
眉を顰め、真剣そうに遥の話を聞き出す愁晴は見たことがない。
「アリアから冬馬に電話がかかってきて、ダチが動けなくなったから助けてくれって! それで冬馬と宗太が今向かってるんす!」
「炬は?」
「寝てるっす!」
愁晴は盛大にため息をつき、「ダチ、なぁ……」とぼやく。
「わかった。おおきに遥」
そしてポケットからスマホを取り出し、誰かに電話をかけた。
「あ、冬馬のはアリアと繋がってるから宗太の方がいいかも!」
「なるほど。確かにあのバカには通じんわ」
愁晴は電話をかけ直し、しばらくして応対した誰かに声をかけた。
「もしもし宗太? 話は遥から聞いた。そんでアリアとは合流できたん? 今? あぁ、症状は? 血塗れで気絶してるだけ? ほんまか」
愁晴はリビングの中を忙しなく歩き回り、何度か相槌を打って通話を切る。そしてすぐさま振り向き、固唾を呑んで見守っていた遥とアイラを呼んだ。
「二人に仕事や。遥はここのお湯を沸かして、アイラはそれに何個かタオル突っ込んで絞ってくれ」
「はいっす!」
アイラは呆然と愁晴を見上げていたが──
「頼めるか?」
──施設にいる時と変わらないそれに安堵し、部外者の自分にも役割を与えてくれた愁晴に感謝した。
簡易キッチンの方へと駆け出す遥の後を追い、アイラは薬缶に水を入れる遥の背中を眺める。
「アイラ、床下からタオル!」
しゃがんで開け、言われた通りに三枚のタオルを取り出す。
新品なのかまったく汚れていないが、本当にこれでいいのだろうか。ボロ雑巾しか触ったことがないから、わからない。
「よし、ありがとな」
遥はそんなアイラに礼を言い、コンロに薬缶をかけて棚から桶を取り出した。
薬缶の中の水が沸騰すると、桶に流し込んで湯気が一気に立ち込める。
「アイラ、タオル!」
アイラは慌ててタオルを桶の中に入れ、手を突っ込もうとして止められた。遥の骨ばった手と自分の手が絡み合い、ぐちゃぐちゃになって離れる。
「おい、火傷するだろ! だからこれはまだダメだ。えぇっと、水を入れるか……」
思案する遥の横顔を呆然と眺めていると、いきなり扉が開かれた。
「愁晴!」
「こっちや、冬馬」
振り返ると、睦見が遥くらいの少年を背負って帰宅した瞬間だった。
睦見はベッドに変形したソファの上に少年を寝かせ、後から駆けつけた如月とアリアは不安そうに少年を見下ろす。
「さっくんっ!」
離れた距離から見てもわかる。少年の全身は血で汚れており、服もボロボロだ。何があったのかはわからないが、あれで生きている方が不思議なくらいだろう。
ただ、それを回避できるのがアリアの能力だった。
「ただの気絶だな。つーか、これだけボロボロでも無傷なんだから意味がわかんねぇ」
睦見はため息をつき、腕を組んでその場から離れる。
「アイラ、絞れ!」
我に返ったアイラはタオルを絞り、絞り切ったタオルは次々と遥が運んでいく。
「宗太、上を脱がすんや」
「はい」
「せめて血ぃは拭わんとな。遥、もうえぇ。お前は自分の服を持ってこい。着替えも必要やろ」
「了解っす!」
愁晴の指示が飛ぶ。如月は少年に覆い被さり、遥は三階へと駆け上がり、アイラは遅れて全員がいるリビングへと戻る。そして、そこでようやく少年の顔を見た。
「…………」
眠る少年は、綺麗だった。
灰色に近い捨てられた小動物のような錫色の髪も、色白くて細い肢体も、整った顔立ちも。例えるならば磨けば輝く原石のような──。
「で? アリア、こいつは本当にアリアの友達?」
「……うん。さっくん──南雲朔那だよ」
「なるほど。彼氏じゃない、と」
「かれし?」
「お前らそれ以上無駄口叩いたらいてこますぞ」
睦見と如月は愁晴の圧に押され、如月は無言で自らの仕事に没頭する。睦見は「モンペ怖ぇ……」と苦笑して金色の髪を掻き毟った。
「……ん」
「あっ、さっくん?!」
青い青い瞳をゆっくりと開けた朔那は、息を吸い込んで一番にアリアを見つめる。
青い瞳にはアリアしか映っていない。アリア以外は映らない。アリアは涙目になりながら朔那を抱き締め、押し潰される朔那の呻き声なんか気にもせずにしゃくりを上げた。
「……泣くんじゃねぇよバカ」
朔那は顔を歪め、それでも満更でもなさそうに一瞬笑う。アリアの背中を大切そうに撫で、そしてアイラを含めた四人の視線にようやく気がついた。
「……は?」
顔に似合わない呆けた声。
「ようやくお目覚めか、お姫様」
睦見は茶化すように笑い、如月は同意するように何度も頷く。そして無言で見下ろす愁晴は、何度目かもわからないため息をついた。
「状況はわかるか?」
「……一応」
朔那はアリアを無理矢理引き剥がし、不審そうにアイラを一瞥する。そのまま何かを言いたげに視線を巡らせて、口を開きかけた刹那に階段の方へと視線を向けた。
──来る。
それは、アイラにだってわかるものだった。この気配は、この熱は、すべて身に覚えがあるものだ。真っ先に階段を下りた遥は朔那の目覚めに気づいて安堵し、視線を階段の上へと向ける。
「ったく。今起きたんか? 炬」
何気なく声をかけたのは愁晴のみで、睦見と如月、そしてアリアは微笑した。
炬は気だるそうに腹部を掻き──
「……あ?」
──と視線を朔那で止める。
朔那は強ばったような気配を出して、思い切り炬を警戒した。
「炎竜神、炬……!」
「誰だお前」
炬は眉間に皺を寄せ、自らの縄張りに土足で侵入した朔那を見下ろす。そして、彼に寄り添っているアリアを視認してさらに機嫌を悪くした。
「さっくんだよ! 私の友達なの。前にも会ったことあるでしょ?」
「知らねぇな」
炬は長いため息をつき、のそのそと歩いて愁晴が退けたソファに沈む。
「ねぇかがりん、しばらくさっくんをここに置いてもいい?」
「は?!」
朔那はアリアを凝視するが──
「好きにしろよ」
──炬の返答で今度は彼を凝視した。




