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陽炎歴乱舞  作者: 朝日菜
業火のグレン
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序章  百鬼夜行Ⅱ

 五道ごどうに手を引かれるがまま町役場を訪れたアイラは、真朱色の目を見開いた。百鬼夜行で生き残った人々が、最後の戦いだと言わんばかりに町中に転がっていた遺体をロビーに運んでいる。


「五道。貴方も生き残っていたのですね」


「ッ、乙梅おとめ様!? 良かった、貴方様もご無事だったのですか……!」


 五道の前に姿を現した白髪まじりの女性は、五道の実姉の乙梅だった。


 綿之瀬わたのせ家現頭首の乙梅は、戦争があった割にはやけに綺麗な着物を身に纏い、安堵の表情を浮かべている。


「えぇ。先代の頭首──私たちの母様も無事ですよ」


「……良かった。本当に……」


 五道はそれ以外の言葉が見つからなかったのか、声を詰まらせて俯いた。アイラが見上げると五道の顔がよく見えたが、決して泣いているわけでなく。ただ顔を歪めて、何かに耐えていた。


「……良かったなんて、陳腐で軽率な言葉ね」


 視線を移すと、別の女性が乙梅の傍に立っていた。


燐火りんか、貴方も無事だったのですね」


「……当然よ。でも、うちの組員……身内のほとんどは死んだわ」


 燐火はパチパチと弾ける火の粉を手に纏い、憂うように息を吐く。乙梅と五道は燐火の言葉にその身を強ばらせ、互いに顔を見合わせた。


「……お互いの無事を確かめ合うのもいいけれど、この様子を見る限り、どこの家も半数の親族が死んだと思った方がいいわ。……甘いのよ、乙梅さんは」


「ッ、小町こまち!」


 反射的に振り返った五道は、町役場に小町の姿がないかを確認して身を震わせる。


「まさか、この場にいないのですか?」


「……下は見ないのね」


 燐火は口角を上げてせせら笑い、手の中の火の粉を一瞬で収めた。


「……私は、下を見てちゃんと確認したわよ」


 しかし、すぐに真顔に戻して五道に告げた。

 燃えるようなオレンジ色の髪と一房の白髪が、朝日に照らされていてやけに眩しい。燐火の堂々とした佇まいは、どうしてもアイラの目を引いてしまう。


「──ッ!」


 わなわなと震える五道は燐火を睨みながら見下ろしていたが、やがて視線をさらに落とし──小さなアイラよりも低い位置に安置された、膨大な数の遺体に目を通した。

 何もないこの極限状態の中で、遺体の顔に被せる布はなく。誰が誰かもわからないほど損傷した遺体が安置される中、それでも五道は見つけ出してしまった。


「……こま、ち?」


 その理由は、親だからだろうか。アイラは亡くした両親を想い、やがて気づく。


 あれは、小町だ。


 走り出した五道は眠る小町の元へと滑り込み、彼女の頬に触れる。赤い。あれは、血の色。


「小町ッ! 小町ぃ!」


 アイラも五道の後を追い、小町を見下ろした。小町は固く目を閉ざしており、頬にこべりついた血を五道に拭われても起きる気配がない。

 アイラは吐き気を堪えて視線を逸らし、そしてまた、気づいてしまった。一瞬頭の中が白くなり、何も考えられないまま五道の服の袖を引っ張る。引っ張って、引っ張って、五道に手を払われて──


「……亜子あこ、君?」


 ──五道はようやく、小町の隣に安置されていた亜子に気がついた。


 亜子が小町を庇ったのか、亜子の体は小町よりも損傷が激しい。腹部には巨大な穴が空いており、臓器が入っていないのが見て取れる。二人とも白衣は着用しておらず、持っていたはずの武器もなく、小町は右腕だけが欠損しており、亜子は全身に無数の傷を負って亡くなっていた。


「まさか、あの小町が犠牲になるなんて……」


 遅れて駆けつけた乙梅は唇を噛み締めて、振り返って辺りを確認する。


「《十八名家じゅうはちめいか》の現頭首はどこにいるのです! 状況と被害の整理を……!」


「何故貴方が仕切るの、乙梅さん」


「私が現頭首の中で一番年上だからです、エリカ。エリスはどこにいるのですか?」


 泣くまいと顔を上げたアイラは、黒いパーマをかけた美魔女の女性が乙梅と対面しているのを視認した。

 エリカは忌々しそうに顔を歪め、乙梅をしばらくの間睨んでいたが──


「死んだわ」


 ──と、一言だけ告げて自分の胸に手を当てる。


「だから、今この瞬間から私が鴉貴からすぎ家の現頭首よ。言っとくけど、跡取りからの了解は得ているから」


「エリスが亡くなった? まさか、馬鹿なことを言わないでちょうだい。あの子は……」


半妖はんようでも死ぬ時は死ぬのよ。乙梅さんだって済ました顔をしているけれど、本当は重傷だったんじゃない?」


 エリカは泣かなかった。眉を釣り上げ、最年長の現頭首に向かって爪を立てている。


「それに、乙梅さんが本当に心配しているのは鴉貴家の血統でしょう? ……安心していいわよ。あの人、本物の跡取りを八年間も実家に幽閉していたんだから」


「幽閉ですって? それは真なの、エリカ」


「この期に及んで嘘をつくと思う? まったく笑えないわよ」


 エリカは長いため息をつき、眉間の皺に触れた。泣いているわけではない。疲れているわけでもない。ただ、苦しい。


「そう。まったく、笑えない」


ひそか……。貴方も無事だったのですね」


「今、生き残った者の独断で遺体を回収している。私たちはこんなところで喋っている場合じゃない」


「えぇ、勿論わかっていますよ。……行きましょう、私たちにはまだ、後処理が残っているわ」


 アイラは、それぞれの家の現頭首が去っていくのを呆然と眺めていた。あの人たちは強い。アイラにはない芯がある。

 意識を小町と亜子に戻すと、五道の啜り泣く声が耳にこべりついた。


 小町と亜子が死んだ。


 両親だけじゃない。一つ屋根の下で暮らしていた、小町と亜子にもう会えない。他に誰が亡くなったのだろうとアイラは視線を巡らせて、まだ運ばれてくるそれに顔をくしゃりと歪めた。


 この町が地獄だってことくらい、アイラは幼いながらに知っている。

 誰もが優しくないことでさえ知っているから、アイラは諦めている。


 心が痛い。アイラは誰も救えなかった。一番近くにいた、五道しか救えなかったのだ。

 へたり込み、五道の痛みに同調するように涙を流す。涙は枯れない。流し切ったと思っていても、またいつかとめどなく溢れてくる。


「いやあぁぁあぁぁぁぁあぁぁあ!」


 似たような悲鳴はそこら中から聞こえてくるのに、その声だけは聞き逃せなかった。思わず顔を上げると、あのアリアが取り乱している。

 気絶したいぬいを支えながら、彼女が見ていたのは──


「どうしてっ! どうしてなのっ、きーくん!」


 ──会う度にアイラにお土産をくれていた、桐也きりやだった。


 桐也は白院はくいん家の遺体が並べられた場所で眠っており、立てなくなったのか、アリアは乾と共に崩れ落ちる。

 痛みを伴う音がして、アイラは自分の体を抱き寄せ、小さくて赤い唇を噛み締めた。


 アイラはアリアのように、自分の感情を上手に出すことができない。自分の気持ちを言葉にする術を持たなたい。今もこうして、言葉が出ないままに泣いている。


「アリア!」


 彼女の名前を呼んで駆けつけたのは、愁晴しゅうせいだった。

 実母のようにアイラの身の回りの世話をしてくれる愁晴が無事ならば、アイラはこれ以上悲しまなくて済む。


「大丈夫や、大丈夫やから……!」


「大丈夫じゃないっ! しゅーくんだって聞こえてたでしょ?! きーくんがずっと、ずっと、避難を呼びかけていたんだよ?!」


 そこでアイラは初めて気がついた。あの時聞こえていた声は、アリアの言う通り桐也のものだ。桐也の、最期の、声だ。


「なのに私っ、きーくんを助けられなかった! さっくんたちを避難させて、能力を限界まで使って倒れたヌイを守ることしかできなかった! 私っ……! 誰も助けられなかったよ! みんなみんな手遅れだったよっ!」


「落ち着き、アリア。自分を責めたらあかん。そないなことしても……」


 愁晴は、その後の言葉を続けられなかった。

 彼は、自分たちを見ていたアイラの視線に気づいたのだ。アイラを見て安堵し、隣の五道を見て目を細め、小町と亜子の亡骸を見て絶句する。


 ──そう。この町は、地獄だから。


 アイラは視線を逸らした。さっきよりも人が増えている気がする。誰もが充満する血の匂いに慣れ、疲れ切ったような表情で壁際に座り込んでいる。

 今度こそ終わったのだと、アイラは本能で理解した。遺体の回収も終わり、怪我人は程度を問わずにエレベーターで二階へと運ばれていく。


 無傷な人間はいないけれど。

 誰もが多くを失ったけれど。


 百鬼夜行を終焉へと導いたのは、自分たちだ。自分たちが、生き抜いて勝ったのだ。アイラはそう信じたかった。


「アリア、乾を連れて二階に行き。まだ重傷者がぎょーさんおる。アリアの仕事は、まだ終わっとらんよ」


「でも……」


「でもやない、行くんや。かがりもそこにおる。……大丈夫やから、みんな妖怪や半妖のことを知っとる奴らばっかりやから。せやから、救ってやってほしい。アリアのその力は、亜子さんの夢そのものなんや」


 アリアは涙で汚れた顔を、拭いもしないまま聞いていた。


「アリアもあん時聞こえたやろ? 『生きて』っちゅー言葉だけじゃ、人の命は救えへん。アリアが救わなあかんのや」


 アイラも涙で汚れた顔を、拭いもしないまま聞いていた。


 アリアが羨ましい。彼女にはまだ、そんな役割が残っている。悔いを残しても、役割があるだけで立っていられる。


「……わかった」


 アリアはアイラの思いを知らないまま、エレベーターの方へと向かっていった。彼女の姿が消えた時、初めて愁晴はアイラの方へと歩を進める。


「アイラ、よう頑張ったな」


「──ッ!」


 アイラを抱き締めた愁晴は、温かくて──今となっては誰よりも強く、優しかった。

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