第五話 紅蓮隊の炬火Ⅰ
何度目かの新雪が、夕焼け色に似た燃えるようなオレンジ色の髪に触れて溶けた。炬は鬱陶しそうな表情を浮かべ、炎竜神家の本家へと再び足を踏み入れる。
「組長、若様がいらっしゃいました」
「入れて」
客間への扉が開かれると、炬よりも綺麗なオレンジ色の髪が視界に入る。密は牛皮のソファに座って従弟の炬を待っており、視線を上げて腕を組んだ。
「一週間ぶり」
「前置きすんじゃねぇ。用件はなんだ」
「いつもの報酬を渡そうと思って」
「いつも通り口座にぶち込んどけばいいだろ」
「そうしたら貴方、絶対に使わないでしょ?」
「…………」
確かに引き出すのが面倒で、ずっと口座には触れていないが……。
炬は思い切り顔を顰め、密の対面に置かれたソファに浅く座る。そして長く息を吐き、目の前に腰を下ろす密を睨んだ。
「それだけじゃねぇだろ」
「そうね」
密は顎を引き、組員が運んできた紅茶に口をつける。
「相豆院家の跡取り問題が、片づきそうなの」
今朝方依頼されていた仕事を片づけた炬は、その時に出逢った若頭を思い出して頷いた。
「あの人は翔太を次期頭首にしたかったようだけれど、翔太はまだ若すぎる。あの子は十歳前後だし、未だに入退院も多いから……」
「……だから、鬼一郎か」
「知ってたの?」
「親父には継承権がねぇんだろ?」
「……そうね」
密はカップをテーブルに置き、足を組み直した。ブラウンの双眸は伏せられたまま、空になったカップの中身をぼんやりと眺める。
「十五歳の鬼一郎は、今中学三年生。あの子が成人するまであと五年もあるけれど、そこは私たち全家の頭首がサポートをすることにしたから」
「そうか」
「話はそれだけ。現金は外にいる組員から受け取って」
組員──その単語が炬の記憶を呼び覚まし、思わず伏せていた顔を上げた。密とはまったく目が合わず、余計に炬を不快にさせる。
「お前、今回の問題をどう思ってんだ?」
炎竜神家の現頭首として、彼女のその意見が聞きたかった。
「どう、って?」
「相豆院家に起こった出来事は、他人事じゃねぇだろ」
「そうかもしれないけれど、そういう制度にしたのは相豆院家の方。他人を巻き込まないと判断した炎竜神家は関係ない」
「制度を変える気はねぇのか?」
今朝から引っかかりを覚えていたことを尋ねると、密は怪訝そうな表情で首を横に振った。
「ない。今回の件で貴方が何かを思ったのなら、変わるべきは相豆院家の方じゃない?」
「……そうかよ」
炬は息を吐き、ゆっくりと立ち上がる。相豆院家の問題は密の言うことも一理あるが、やはり何かが腑に落ちなかった。
「そういえば、あの子は元気?」
「あの子?」
「綿之瀬有愛」
「……あぁ」
確か密は、二年前の炎竜神家襲撃事件の際にアリアと会っていたはずだ。元気と尋ねられるほど二人が親しかった覚えはないが、炬はアリアを思い出して答える。
「あれは元気じゃねぇ日がねぇな」
「……そう」
あの日、密は何故かアリアを庇った。庇った直後、半壊した離れが人ならざる力によって修復された。
「密」
「組長」
「……組長は、あいつのこと何か知っているのか?」
仕事場にアリアがいると、いつもそうだった。壊したはずのものはいつの間にか修復され、怪我をしたはずのものはいつの間にか治されている。
密は「え?」と目を丸くし、何故か居心地が悪そうに足を組み直した。
「貴方の方こそ、何か見たの?」
「綿之瀬家の養護施設で暮らしているのは見た」
「それだけ?」
「あぁ」
「それだけなら、貴方は私に何が聞きたかったの」
密は動かずにいることができなくなったのか、組み直した足を下ろして立ち上がる。
「私、現頭首で組長だから貴方と違って忙しいの。だから、もう……」
「あいつにも何かあるんじゃねぇのか?」
ずっと思っていたことをそのまま告げると、扉の方へと向けられていた密の細長い肢体が固まった。密はブラウンの双眸を細め、炬の前で初めて口角を緩める。
「……あの子はきっと、旧頭首の同類。けれど、どの家の血縁者でもない不思議な子。あの西洋人のような容姿のせいで、天使か悪魔の隠し子のようにも見える」
そして、何故かそのまま微笑んだ。
「今の貴方なら、本人から真実を聞けるはず」
「なんでそう思う」
「貴方ももう、二十歳。成人した大人で、町の秘密を知らなくてはならない《十八名家》から生まれた忌み子だから──きっと、その時はもう来てる」
そのまま炬に背中を向け、大事なことを話さずに去っていく。
残された炬はため息をつき、昔から変わらない従姉への苛立ちを抑えながらもう二度と来ないであろう本家を後にした。
*
「おう、おかえり」
《ハリボテの家》の扉を開けると、ソファに寝そべっていた睦見がひらひらと手を振ってみせる。
「…………」
「そこは『ただいま』やろ〜? 炬」
炬が無言のままでいると、愁晴が簡易キッチンの奥から姿を現した。呆れた表情を浮かべながらテーブルに晩御飯のカレーを並べ、それでも起き上がらない睦見の頭を遠慮なく叩く。
「行儀が悪いで、お前」
「いってぇ! おいおいもうちょっといたわれよ、俺は怪我人だぞ〜?」
「足の骨折っただけやろ?」
「いやいや結構重症だろ」
乾と共にホテルへと駆けつけ、如月が守っていた翔太と鬼一郎を保護した愁晴は知らん顔で対面のソファに腰を下ろす。
「あ、やっぱ炬さん帰ってた!」
「かがりんっ! おかえり〜!」
顔を上げると、遥とアリアが階段を下りてくる最中だった。
「……ただいま」
栄養が充分に行き届いていないのか、成長期だというのにやせ細った体格の遥。そして、密の言う通り日本人離れした顔立ちの華奢なアリア。
アリアは今日もニコニコと笑い、何故か昨日まで遠慮しあっていた遥と仲良さそうに話している。
「おい、俺にはなくてあいつらにはあるのかよ」
「それが人間の差なんやろなぁ」
「ひっでぇ」
睦見はくつくつと喉の奥を鳴らしながら笑い、起き上がって数人分の場所を開けた。
「かがりん、座って座って!」
「炬さん、どこに座るんすか?!」
「どこでもいい」
普段なら気にせずに座っていたが、この一週間で人数が増えた分、炬は適当にそう答えた。
「ちゅーか狭いやろ。今までやったら三人で充分やったけど、こうなると色々と買い替えなあかんな」
「……す、すんません」
すると何故か遥が縮こまり、顔色を伺うように炬を見上げる。
「なんで遥が謝んねん。冬馬やろ、幅とっとんのは」
「え、俺? ったく、それって嫉妬? 醜いよ〜? 男の嫉妬は」
「なんでやねん。お前に嫉妬するとこなんかどこもあらへんわ。な? 炬」
愁晴は同意を求めるように炬の方へと体を傾けた。答える気はなかったが、その圧に負けて「あぁ」と声を漏らす。
「そういや話してへんかったな」
「何が」
「昼間にな、暇やったから遥と一緒に遥の家に行ったんよ。アパートやったんやけど、そこのおばちゃんらが遥のことをめちゃめちゃ心配してくれとってな? 生きとったんやな、とか、親戚はおらへんの? とか、頼れる大人はおらへんの? とか」
愁晴の言う心配の次元が炬の想像の斜め上を行き、炬は軽く口を開ける。
炬とつるんでいるから心配された。それを疑いもなく信じていたからこそ、愁晴の話が現実離れしているように聞こえたのだ。
「……それで?」
「こいつ、今までんなこと一言も言われへんかったらしくてな? おばちゃんらの話聞いて、自分ちが異常やって再認識したんやと。おばちゃんらもおばちゃんらで、遥の親が怖くて失踪するまでなんも言えへんかったんやて」
俯く遥は、隣のアリアに見守られながら口を開いた。
「おれ、ずっと知らなかったんす。親が周りからどう思われてたとか、おれが周りからどう見えてたとか……。このまんまじゃおれ、死ぬんじゃないかとか……いや、周りからしたら今までよく生きてたなって感じだったらしいんすけど……」
しどろもどろになりながらも、それでも愁晴には最後まで語らせずに──自分の意思で話そうと、自分の言葉で炬に説明しようとする遥に、炬は言葉を失った。
「……親戚とかも知らないし、おれ、中学卒業したら追い出すぞってずっと言われてたから」
遥が中学を卒業するまで、三ヶ月もない。受験をするにしても、もう遅すぎるだろう。
「だからおれ、追い出される前に家を出るって決めたんす。でも、行くところがないから、どうしていいかわからなくて……やっぱりおれ、ここにいたいって……炬さんの傍にいたいって、愁晴さんに言ったんす」
泣きながら決意を告げる遥を前にしたからか、アリアまで泣きそうになっている。
「おれ、すっげぇダメダメだし、ここも何かの組とかチームじゃないこともわかってるっす。でも、ここにいたいんす」
「あ、言っとくけど俺の意思も変わってねぇからな? 別にチームじゃなくてもいい、行くとこないから仕事が入った時だけ好きに使ってくれよ」
「えっ?! じゃあ使えねぇおれはどうすればいいんだよ!」
「え〜、どうする? どうなっちゃう〜?」
「えっ? え?! 何、どういう意味?!」
けらけらと笑いながら、睦見は大慌てで自分に掴みかかる遥を見上げる。
「冬馬、あんま遥を揶揄うなや。大人気ないで?」
「いや〜、だって面白いだろ。遥って」
「遥、そいつもう殴ってええで? で、炬。お前の返事はどうなん?」
どうなん、と聞かれても、睦見はともかく遥を背負うのは重すぎる。だが、遥には睦見以上に行く宛がないのも事実だった。
炬はため息をつき、どうしてこうなったのかを思い返す。そうやって考えて、自然と出てきた答えは一つだった。
「──好きにしろよ」
そう言って、炬は観念したように笑った。




