第四話 風神組の暴走Ⅰ
「……あぁ、それが俺の部下だった奴との初接触か。なんだか懐かしいな」
「……まぁ、そうだな」
睦見は納得したかのように頷き、にやにやと細い笑みを浮かべる。
「そっかそっか。お前らも苦労してここまで来たんだなぁ」
「別に苦労してねぇよ」
炬はため息をつき、そこで初めて愁晴の帰りが遅いことに気がついた。
「愁晴は?」
「ん? まだ帰って来てねぇけど? ……あ、もしかして遅いのか?」
炬は黙考し、座っていたベッドから立ち上がる。
階段を下りると、遥がソファに座ったまま大人しくどこかを見つめていた。周りには誰もおらず、昨日のことがあったからかアリアはまだ来ていない。
「嘉志摩」
よく一人で大人しくしていたなと思い、それは子供扱いしすぎかと思い直す。改めて名前を呼ぶと、遥はピクっと両肩を上げて炬を見上げた。
「は、はいっ! なんすか炬さんっ!」
「愁晴は?」
「ほぇ? 愁晴さん? ちょっと前に出てったきり見てないっすけど……はっ! もしかして、あいつらにボコられたりしてるんすか?!」
「えぇ〜? ボコられたって、一体何したの。理由もなく殴られるほどお前らの悪名って名高かったっけ? あぁでも、《紅炎組》の犬ならその辺から恨み買っててもおかしくはないな」
同じく下りてきた睦見は呆れたような表情をし、炬と遥を交互に見つめる。
あぁそうか。あの時睦見はいなかったから何も知らないのか。炬はオレンジ色の髪を掻いて遥の隣に腰をかけた。
「《風神組》に狙われている」
「はぁ? 《風神組》?」
「少し前に相豆院家の頭首が亡くなって、今は後継者争いの真っ只中だそうだ」
「おいおい、ちょっと待てよ。前後関係がまったく読めねぇぞ? お前らが後継者争いにちょっかい出したってことか?」
睦見は歩きながら遥の顔色を一瞥する。それは青く、あながち間違ってはいなかったのかと驚愕した。
「二年前、親を亡くした後継者の一人が、身内に引き取られることなく行方を眩ませた」
「あぁ、《相鬼抗争》の時の女の子か。その話は結構有名な噂話だぜ」
「そいつは俺が誘拐したらしい」
「はぁ? お前何言ってんの? マジで?」
「嘘だ」
睦見は怪訝そうな表情をしていたが、顎に手をあててしばらく黙考した。
「なんだ? じゃあ、そんなデタラメな噂が流れて、お前は後継者争い真っ只中の相豆院から要らない怒りを買ってるのか?」
「あぁ、そうなるな」
「ッ、そ、それだけじゃないっすよね!? 炬さん!」
「あぁ〜……、お前、相豆院の坊ちゃんに手ぇ出してたっけ〜。あれか? その噂と遥の件で、俺らは今危機的状況にあるわけだな?」
少ない情報と自分の持っている情報を重ね、すぐさま現状を把握した睦見はため息をついた。
睦見は情報を把握する能力だけは人一倍飛び抜けていて、それでいて未知のものでも興味があれば容易に信じて受け入れる。とにかく柔軟な思考の持ち主なのだ。説明することをとにかく嫌う炬は、勝手に理解した睦見のその能力を評価して頷いた。
「じゃあ、愁晴はどこに……やっぱボコられたか? あいつ、傍から見たらナヨナヨしてるもんな」
「なんでやねん。どっからどう見ても無傷やろ?」
出入口に視線を向けると、そこにはちゃんと梯子を借りた愁晴がいた。
「あ、生きてた」
「人を勝手に殺すなや。いてこますぞ?」
出逢った時よりも口が悪くなった愁晴は眉を釣り上げて、近くにいた睦見の背中を数回叩く。
「なんでお前はボサッとしとんねん。はよ返さなあかんから早う二階行くで?」
「はいはい。つーか炬、お前の金で梯子くらい買えるだろ? 今度からはそうしようぜ」
「……好きにしろよ」
「かぁ〜がぁ〜りぃ〜。お前、なんでもかんでも『好きにしろ』言うなや〜。そないなこと言うたら、冬馬がお前の金ぜ〜んぶ使い切るやろ〜?」
愁晴はため息をつき、睦見を連れて階段を上がっていった。炬はその背中を見送りながら、先ほど睦見に話した二年前の出来事を思い出す。
炬が好きにしろと言ったから、愁晴はこの世界に入ってきた。
二年前と比べると言動に棘が含まれて、ハリボテだった知識に本物の知識を、後ろにいるのではなく誰よりも前へ、思いやりだけは忘れないその姿の所以はすべて炬とアリアにある。
卒業してから廃人のような生活を送っていた炬を叱って、生活能力がないのに一人で暮らす炬を支え、義妹のアリアの手本となるように前を向き、彼は弟から母親となった。
「か、炬さん」
そして彼は、遥のことも忘れない。
ドライな部分もあるが、なんだかんだ言って愁晴は遥の面倒も見てしまうのだ。
「なんだよ」
「えっと、おれも手伝った方がいいっすか?」
「お前はもう男だろ。住むならやれよ」
「う、うっす! 行ってくるっす!」
バタバタと、遥だけは慌ただしく階段を駆け上がっていく。
二年前は一人で暮らしていたが、これからは睦見と遥がいる。遥はまだ中学生だから、いつかはここを出ていくのかもしれない。だが、睦見がここを出ていくことはないだろう。なんとなくそんな予感がした。
炬はため息をつき、二階が騒がしくなるのを黙って聞く。そんなに騒音は出ないと思っていたが、この調子が続くのならば防音にすれば良かった。
後悔し、酒でも飲むかと思い至った時──
「かがりん!」
──突然扉が開いて、制服姿のアリアが駆け寄ってきた。
「……どうした」
面倒臭そうに顔を上げるが、アリアは焦ったような表情をしている。
「ヌイが! ヌイがね!」
「死んだか?」
「違うっ! かがりんのバカっ! ヌイを勝手に殺さないでっ!」
ぽかぽかと胸元を殴るアリアを放置していると、防音も何もない《ハリボテの家》だからかすぐさま愁晴が下りてきた。
「アリア! どないしたん?」
「しゅーくんあのね、ヌイが狙われてるんだって!」
「それは、《風神組》の如月からか?」
「え? うー……ん。ヌイ、そこまでは言ってなかったかな?」
アリアの話によると、乾がその話題を口に出したのは終業式の直後だったらしい。
それだけを告げた乾はいつの間にか姿を消し、その話を聞かされたままのアリアはいても経ってもいられずに《ハリボテの家》までやって来た。
「途中でヌイから家に帰ったっていうメールをもらったんだけど、私、どうしていいかわからなくて……!」
「やっぱ乾は逃げる気なんやな……。あの子のことやから、バレずに家に帰れたんやろうけど」
「しゅーくんどうしよう! ヌイ、遠くに行っちゃうのかなぁ……っ! そんなのやだよぅ……!」
「せやな、そんなん俺も嫌やわ。相豆院の後継者が決まっても、如月は乾を諦めん。炬と遥の件もあるし、どう対処すればいいんや……」
そう言って頭を抱えた愁晴を、後から下りてきた睦見と遥は視認する。アリアは不安げに涙を零し、炬は眉間に皺を寄せ──思い出した。
「愁晴」
名前を呼ぶと、愁晴はゆっくりと視線を炬に向ける。
「本家から仕事が入った」
そう告げると、彼の鼠色の瞳が見開かれた。
「それ、ほんまか?」
二年前から炬の仕事につき合っていた愁晴は、久しぶりのそれに何かを感じたようだった。同じく仕事につき合っていたアリアは、愁晴と同じものを感じたらしく目元を強く拭う。
「あぁ」
「そういや、さっきそんなこと言ってたな」
「仕事……! 炬さん、すっげーっすね!」
睦見と遥はいつの間にかソファの傍に来ており、周りを見れば、炬を慕う者たちで溢れていた。
「《風神組》の構成員の中に、内部抗争を煽っている者がいるかもしれない。調査をし、もし存在したら、俺の手で潰す。これは、《十八名家》の総意だ」
炬が口を閉ざすと、愁晴は納得したような表情をした。
「なるほどなぁ。きな臭かった原因はそれか」
「そんな大事なこと、言えるならもっと早く言えよ。それとも、俺よりも愁晴の方が特別ってか?」
「当たり前やろ。なんでここに来て日が浅いお前にんなこと言わなあかんねん」
「ははっ、ごもっともだな。炬、その調査は今からやるのか?」
「まぁな」
やるならすぐに行動に移さないといけない。密や先代の頭首が炬に託した仕事は、すべて緊急だ。
ただ、調査というのは初めてだった。
「本家も酷なことを言うねぇ。お前も狙われてんのに」
「そんなんいつものことやわ。まぁ、煽っとる奴は大方検討ついとるし、後は内部に入れればええか。冬馬、お前行けや」
「え、俺?」
「お前しか適任おらんやん。元組織の人間で、成人しとって、狙われてへん上に俺と違って面が割れてへん。割れとってもお前なら適当に言い訳できるしな」
睦見はふんふんと頷いて聞いていたが、やがてにやりと笑った。
「いいね。面白そうだ」
「面白くはあらへんけど、その調子なら問題はなさそうやな。炬もこいつでええやろ?」
「あぁ」
「お? もしかしてこれ、信頼を勝ち取るチャンス? だったら俄然やる気が出てきちゃうねぇ」
睦見はおかしそうに笑い、吸血鬼のような犬歯を見せる。
「内部調査だな? それならお安い御用さ。じゃ、行ってくる」
そしておつかいを頼まれた子供のような軽い調子で、《ハリボテの家》を裏口から後にした。
「すっげー……。冬馬、マジで行ったの?」
「あぁ。どないする? ここにおっても動きづらいだけやし、俺らのとこ来るか?」
「えっ、いいの? しゅーくん」
「緊急事態や、構へんやろ。乾に電話してどう行けばええか聞いてくれるか?」
アリアは「うん」と愁晴の言うことを素直に聞いて、乾に電話をかけた。
唯一何もしていない遥は悔しそうに唇を噛み、やがて一つ年下のアリアを見つめる。その瞳に映った思いは読めなかったが、どこか尊敬の念があるように思えた。そして多分、遥はこの瞬間にアリアを認めた。
「遥、炬。ボサッとすんなや? お前らは一日分の着替えを用意して一階に来い。泊まり込みや」
「えっ、いいんすか?」
「緊急事態言うたやろ。お前は俺が守るから、来てくれるな?」
遥はじっと愁晴を見上げ、やがて首を横に振った。
「おれ、守られてばっかは嫌っすよ!」
「あぁ……せやな。遥は男やもん、これは俺が悪かったわ」
愁晴は苦笑し、遥の背中を押す。
その姿を見て、炬はふと思った。
遥はもしかしたら、愁晴と同じくこの世界に来るかもしれない。
自分の意思で、炬の傍にいるかもしれない。アリアは炬の傍にいるが、まだ完全にこの世界にはいない。そんなアリアを超えて、いつか遥は来る。
なんとなく、そんな予感がした。




