第三話 紅炎組の炬火Ⅴ
愁晴は今日も隣の席に座っているが、彼が話しかけているのは炬ではなく。
「麻露も大学受験せえへんの? なんでなん?」
「妹が十二人もいるからな。就職した方がいいと思ったんだ」
「十二人!? へぇ、依檻の他にもそんなにおるんやなぁ。大変なんとちゃう? そんなにおったら」
「いいや、みんないい子だからな。支え合って生きているよ」
今まで愁晴に対してきつく当たっていた麻露は、いつの間にかクラスメイトの誰にも話したことはない私情を語っていた。
氷の女には変わりないが、そこまで深く麻露と会話ができたのは愁晴が初めてだろう。
「えぇなぁ、そういうん。ちょっと憧れるわぁ」
瞳を輝かせている愁晴は無邪気で、無知だ。転入してきてから僅か数日だというのに、その性格とおかしな口調から、弟キャラとして完全に周囲に馴染んでいる。
それだけで、大家族の長女の麻露が愁晴に気を許した理由がなんとなくわかった。
「君には兄弟がいないのか?」
「おらんよ。家族はおっちゃんだけやったんやけど、おっちゃんもうおらんし」
愁晴はあっけらかんと笑っていて、独りぼっちだと言っているのに周囲に寂しさをまったく悟らせない。
本気で寂しくないのか、愁晴の隣には大体いつも誰かがいるからか。愁晴の笑顔をそのまま受け止めて、麻露は一つ頷いた。
「そうか。私のところは母がいなくてな、父は同じ家に暮らしていないどころか顔を見せたことも一度もない。養母はいてくれるが、年が近いせいか近所の姉という感覚でな」
「せやったら、麻露がねーちゃんでお父さんでお母さんなんやな」
「あぁ、だから働くんだよ。例え金に困っていなくてもあの家の大黒柱は私だ。養母もいつまでもいてくれるわけじゃないし、そろそろ自立しないとな」
「偉いなぁ麻露は。俺はそんなん一度も考えたこともないわぁ」
感心したように頷く愁晴を見、麻露は「ん?」と眉間に皺を寄せた。
「何を言っている? 親も兄弟もいないなら、君こそ自立すべきではないのか?」
デリケートともとれる話題に遠慮なく踏み込むのも、氷の女の所以だ。炬は呆れつつも、すぐ傍から聞こえてくる会話を無視することはできなかった。
「あ~、なんて説明したらええんやろ。俺な、面倒を見てくれるおっちゃんがおるんよ。年上なんやけど、おっちゃんの娘さんとか……年下の女の子らとかと一緒に住んでんの」
「なんだ。君、一人暮らしじゃなかったのか」
「おっちゃんが俺のこと支援せえへんかったら、こないな町にも学校にも来れへんわぁ。ほんま、感謝せなあかんよなぁ」
「良かったな。正直、君が一人暮らしだなんて有り得ないと思っていたところだ。誤解が早めに解けて良かったよ」
「ん? なんやそれ、どういう意味なん?」
麻露は「さぁな」とはぐらかすが、それだけで止まれる愁晴ではなく。好奇心の塊故か何度も何度も麻露に尋ねて殴られていた。
「いった……! なんでなん?! なんで今殴ったん?!」
それは、勢いよく殴られた後頭部を抑えて悶えまくる愁晴の自業自得だ。そして、ただの怖いもの知らずな性格のせいだった。
「知らん。時間だ、私はもう帰る」
麻露はふんと鼻を鳴らし、鞄を持って立ち上がる。
「あぁ、せやったな。麻露には妹がぎょーさんおるもんなぁ」
ナヨっとした見た目の割には頑丈な愁晴は、すぐさま立ち直ったのかニコニコと笑って無邪気に手を振った。
「また明日なぁ、シロ姉」
「……君の姉になったつもりはまったくないがな。また明日、朝霧」
氷の女は呆れた表情をしつつも手を振り返し、背筋をまっすぐに伸ばして教室を後にした。
「せや、うちのクラスで受験せえへんのは炬もやろ?」
「なんだよ急に」
「急でもないやん。さっきからずっと隣で話しとったやん」
何も聞いてなかったんかとでも言うように愁晴は唇を尖らせ、怠けた声で話を続けた。
「説明するとな、貴美先生がしつこく俺の進路を聞いてくるんよ。せやから他の連中はどないしてんのかなぁって思うて」
「無視しとけよ」
「せやけど自分の進路は無視でけへんも〜ん。わかるやろ?」
「わかんねぇよ」
炬は、誰もが知っているように《十八名家》のお坊ちゃんだ。自分の進路は《十八名家》として産まれた時から決まっており、考えたことなど一度もない。
先ほど出ていった麻露も、とっくのとうに帰った輝司も、進路は既に決まっている。
麻露の家は政治家だが、やがては立候補するのだろうか。普通に就職するようだが、本人のやる気があれば簡単に当選しそうなイメージはある。
「お前も知ってるだろ? 俺の進路はもう決まってる」
「せやけど、俺は炬の口からなんも聞いてへんもん」
「聞くなよ」
「え〜、そうなん?」
愁晴は不思議そうな顔をして、机に突っ伏した。
愁晴はデリケートな部分を抱えているが、だからこそと言うべきか、他人のデリケートな部分には無頓着だった。
「なぁ、今日も《ハリボテの家》に行くん?」
「あぁ」
「卒業してもあそこにおるん?」
「あぁ」
「そか。それなら安心やな」
愁晴は、机に突っ伏したまま炬を見上げてへらりと笑っていた。
本当に無頓着なのか、それとも隠しているのか。どっちなのだろう。単純そうなのに、朝霧愁晴の本心は何故か見えなかった。
「行くか?」
「おっ、炬から誘ってくるなんて珍しいやん。気ぃ変わらん内にはよ行こか」
どちらともなく立ち上がり、愁晴は炬の隣を歩く。
炬の隣を歩けば周りは愁晴を見るが、愁晴はそんなことは気にせずに「また明日な〜」と愛嬌を振り撒いていた。すると、意外なことに親しげな返事がそこら中からかかってくる。
朝霧愁晴は、炬が思っている以上に学校に馴染んでおり──炬の隣にいても恐れられない、不思議な存在として輝いていた。
*
「逃げるのは構へんけど、どうやったって炬からは逃げられへんのに。ほんま諦めの悪いやっちゃなぁー。これは俺らの縄張りを荒らした罰でもあるんやで?」
呑気な口調だったが、それを言葉にしているのはあの愁晴だった。
「おい、てめぇら! 近づいたらこのガキがどうなってもいいのか?!」
「…………え、私?!」
遠くの方から男性二人と少女の声がする。男性二人の声はさっきも聞いたが、少女の声はまったく知らない。今初めて聞いた、鈴の音のような声だった。
「なっ……!」
螺旋階段を駆け下りていたのか、愁晴が足を止める音がする。
危機感もなくのんびりと歩いていた炬は、不審に思いながらもようやく事態を見渡せる屋上の淵まで辿り着いた。
「どうした」
螺旋階段の頂点に姿を現し、真下にいる金髪の少女を視認する。少女は俯きかけていた顔を必死に上げ、日が傾き初めた茜色の空を蒼い瞳で見つめ返した。
遠くからでもわかる、人形のように整った顔立ち。だというのに、まったく着飾らないシンプルな白いワンピース。両目とも蒼い蒼い瞳は突き抜ける秋の空のようで夕焼け色の髪をした炬と対になるように輝いていた。
「…………あ?」
気だるげに声を漏らし、何故あんなにも無垢そうな少女が雑居ビル地区にいるのだろうと思案する。
いや、それを言ったら愁晴も同じだが、彼は炬の言う通り好きに生き、好きでこっちの世界に足を突っ込んだ時点で最早無垢ではなかった。
転校してきてから今日で三日。
初日から炬になつき、初日から炬につき纏っていた愁晴は最早無知でもない。日に日にあらぬ方向に成長し、急に入ってきた炬の仕事を横取りするような形で先行し──
「炬、えらいことになってしもうた……」
──そう言って、情けない声を上げて炬に助けを求めた。さらに下に視線を向けると、少しだけ柵から身を乗り出した愁晴と目が合う。
そして再び視線を少女に戻した。
「誰だ、あのガキ」
「あの子は……ッ!」
答えようとして、何故か愁晴は言葉を失った。
知らないなら知らないでいいが、それは知っているような口調で。炬が不審に思っているとようやく彼が言葉を出す。
「俺の〝かぞく〟。俺の妹や」
愁晴は、真剣な表情をしながら絞り出すような声でそう言った。
飴色の髪。鼠色の瞳。輝きの中に陰を秘め、いつもニコニコと笑いながら誰からも愛される。頼りなさそうに見えて実は気は強く、頑固で不思議な青年、朝霧愁晴。その妹があの少女なら──
「ハッ、似てねぇな」
──間髪を入れずに鼻で笑った。そして改めて自分が追っていた男性二人を見、どうしようかと思案する。
何やら話し合っているみたいだが、地獄耳の炬でもさすがに話の内容は聞こえなかった。奴らの不安げな表情を見るに、簡単に片づく仕事なのだろう。
そんな男性の片方に捕まっていた少女は、何故かニッコリと笑って炬を見上げていた。
炬はそれを意外そうに眺め、いい加減に動こうとして柵に片足をかけた。
「おい、よく考えろよ。これ本当に大丈夫か? こんなガキ一人を人質にして……身内じゃねぇだろ? あいつらが助ける義理がねぇ」
「知らねぇよ……! とにかく今は、この場から逃げることだけを考えとけ!」
「ッ?! く、来るなっつってんだろ!」
「てめぇの指図を受ける理由はねぇんだよ」
そのまま炬は口角を上げ、柵に両足をかけた瞬間に飛び下りた。
「炬ぃ!? ちょっ、ほんまあほやな自分!」
愁晴は慌てて柵に手をかけ、自分を追い越して下りていく炬を視線で追う。
ダァンッと音をたて、炬は少女が反応するよりも早く両足を地面に打ちつけた。
「武装したただのカタギのくせに、陽陰町まで来た度胸だけは認めてやる。チャカを渡せば見逃してやってもいいぜ」
「そっ! そんな言葉、俺らが信じると思うか!」
「そうだ。俺たちは対立している組同士、嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ」
瞬時に距離を詰めた炬に怯え、引き金に力が込められる気配がした。それでも炬は、口角を上げるのをやめつつも年上の男性二人に緊迫感なく言葉を投げた。
「撃つ度胸だけはねぇくせに、いっちょまえにチャカ持ってんじゃねぇよ」
瞬間、炬は双眸に熱が込めた。
武器を持っている相手に下手な油断はできない。そして所持者が素人であればあるほど、玄人とは別の警戒心を抱かなくてはならない。
「オレンジ……?」
少女が呟いた刹那、炬は大きく踏み込んだ。
「ぁ」
疾走し、引き金を引かれる前に足を振り上げる。それでも、炬だって人間だ。
数発連続で引き金を引かれたが、すべてが的を外れて地面に刺さる。刹那に一発で気絶にさせた方が早いと判断し、渾身の力を込めて蹴り倒し、少女を捕らえているもう一人を拳で殴った。
「ぁぁあぁぁぁぁあ!」
鼓膜に響く絶叫が轟く。
炬に殴られて赤黒い血を鼻から吹き出した男性は、少女を引き寄せていた手を緩めた。男性が殴られた衝撃は少女にも少なからず影響を与えたらしく、ふらっと揺れてゆっくりと倒れそうになる。炬は手を伸ばし、少女の腕を引いて正面に放った。
「ふ……ぁっ、あっ!?」
少女は躓いて転びそうになるが、それを危うげに抱き止めたのが螺旋階段を全力で駆け下りた愁晴だった。
別に疑ってはいなかったが、それを確認した炬はもう一度相手を見据えた。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
荒い息を整えながら、愁晴は妹だと言う少女を見下ろす。
「……もう、大丈夫……やからなっ……!!」
「うん……」
そして、慈愛を込めた瞳で少女を見つめた。それは炬の知らない朝霧愁晴で、多分少女が知っている朝霧愁晴だった。
「……助けてくれてありがとう!」
少女が振り返ると、殴り合いが終了した直後だった。炬は、一方的にボコボコに殴った男性二人の後処理をどうするか思案し、ゆっくりと少女に視線を移す。
「ありがとうっ!」
刹那、嬉しそうに笑って少女は礼を言う。その言葉はちゃんと炬に届き、何故暴力を振るったばかりの自分に無邪気に礼を言うのか、不思議そうな目で眺めた。
その少女は、後に愁晴と同じく炬の傍にい続ける──綿之瀬有愛だった。




